言葉
「……あれ? 痛くない」
引っぱたかれる――巨大な手なのでそんな可愛い表現ですまない――のを覚悟していたけれど、予想に反して巨人は手で掬うようにボクを払いのけた。
近くに来た虫を払うかのような、攻撃の意思を感じない行動だった。
むろん巨体からくる衝撃はあったけれど。
「何のつもりだろう」
ボクはそのまま巨人の指にしがみつき、腕を駆けのぼる。
巨人の意図が読めず気持ちが悪いが、せっかくの好機だ。刃物が皮膚に通らないなら通る部位を叩きに行こう。
大きな生物の弱点が目と胃の中なのは古来より変わらない。
腕の丘を走り終え、肩口へ飛び移る。
ボクの目標はすぐそこだ。
冒険者たちも下で巨人にちょっかいを出してくれていて、巨人はなかなかボク一人に集中できないみたいだ。
目の端にエリーゼの姿も映る。
さあ待っててくれ。今、渾身の爪でその一つ目をえぐり取ってやろう。
さすがに目は鍛えられていないよね!
「ぐ、ぐるぁ ぼあ! ぐるぁ ぼあ!」
一つ目の口から出る音の響きがさっきまでと異なる独特の節を持ったものに変わった。
さっきまでは魔物独自の鳴き声だったが、これは違う。明らかに何か意味ある言語だ。
その音節に聞き覚えがあったボクは、振りかぶっていた拳を止めてしまった。
「ぐるぁ! ぼあ! ぼあ!」
繰り返される同様の音節は魔法詠唱ではない。巨人の纏う濃密な魔力に変化は見られない。
何だったかな。
巨人もボクが攻撃を止めたのがわかっているのか何度も繰り返す。
「何やってるんですの! 早く攻撃を!」
下ではエリーゼが叫んでいる。
周りの冒険者たちも、不審な行動をする巨人から距離を取って様子を見始める。
巨人を中心に円形をとなって、包囲の隊形となる。
ええと、何だっけな。
たしか昔の知恵ある魔物たちが、人間をまねて作った言語だったような……?
ほかの魔物とコミュニケーションを取れると期待して、ボクは一生懸命覚えたはずだ。
使う機会はついぞなかったけど。
何て意味だっけ?
「ぐるぅ……ぼあ」
ああ、そうだ。
巨人の瞳に浮かぶ感情で思い出せた。
『待て』と『助けてくれ』だ。
哀れにもこの巨人は、人間相手に通じるはずのない命乞いを必死になって唱えているんだ。
ボクは別に巨人に義理もないし、ここで殺してしまうのは簡単だけど……。向こうに敵意がないなら、異文化コミュニケーションと洒落こんでみようか。
すでにボクは文字通りの意味で巨人の眼前に立ち、マウントを取っている。
変な動きをしたらすぐさま目玉を潰すことが可能だろう。
「『言葉、分かる?』」
記憶の片隅で埃かぶっていた知識を拾い集め、たどたどしい言葉を話す。
独特な音節で人間と同じ口を持つボクには魔族言語は独特な音節でいまいち発音しづらいのがもどかしい。
「『分かる! 助けて! 襲われた!』」
言葉が通じて嬉しいのか、一つ目の声にははっきり安堵とわかる響きが含まれる。
「『右手、木の棒。血、何? 何、殺した?』」
人を殺していたら助けようもない。
彼らは自らの領域を犯す生き物にはドラゴンより強い敵意を向ける。
「『狼の血。森で襲われて逃げてきた。父さん母さんは……死んだ』」
これは朗報だ。目の前の巨人には申し訳ないが、親の存在がないなら危険度はぐっと下がる。
「『これから、どうする? 人間に殺される』」
「『人間に、助けを求めに来た。助けて』」
どうしようか。
せっかく意思ある魔物同士出会えたんだ。
ボクへの敵意もなさそうだったし……下の人たちにも話してみようか。
通じるかは置いといて。
「『わかった。通訳する。無理なら、死ぬ』」
もう少ししっかりと魔族言語を勉強しておくべきだった。こんな言い回しだと暴れられても文句は言えない。
「『座る。手を上げる。待ってる』」
ボクの指示に従い、一つ目は、巨大なこん棒から手を放し、地面に座り込んだ。
両手も高く掲げ、戦闘の意思がないことをアピールさせる。
「ど、どうしたんですの?」
巨人から飛び降りてきたボクに、エリーゼが村の代弁者となって質問を投げかける。
周囲には村唯一のまともな武器屋である彼女を守るように、冒険者やギルドの主任さんや受付さんが集まっている。
「あのさあのさ、言いにくいんだけど……」
なんと切り出すのが良いか。
魔物だけど敵じゃないと伝える良い方法はないだろうか。
「あの巨人ね。世界樹へ至る森から来たみたいなんだけど……」
ボクの言葉に周囲の目が森に向く。
巨人の通ってきた後には、村と森を仕切る柵が壊れている。なので巨人がどこから来たかは一目瞭然だ。
「どうやら森ウルフに襲われてたらしい。命からがら森ウルフの危険性を人間に伝えに来たんだってさ」
大きな声を出したわけではなかったけれど、ボクの声は静まり返った冒険者たちの耳に大きく聞こえたらしい。
そこら中で、ありえねえとか、巨人だぞ!?、という驚きの声が上がる。
そして、エリーゼの隣で彼女を守るように控えていた冒険者ギルドの主任さんが眉間に手を置いて泣きそうな表情になっている。
「つまり、サラさんは、何故か、巨人の言葉がわかって話した、ということですよね?」
主任さんは声を落として、頭痛に苛まれていそうな表情でかみ殺すようにボクに確認を取る。
「う、うん。そういうこと……になるね、うん」