交渉 命乞い?
「放て!『アイスボール!』」
ボクにあたる余波でさえ肌が凍ていくような低温。
女の呪文と共に戦いの火蓋は切って落とされる。
「ぶもおおおおおおおおお!!」
対する魔物は鳴き声からすると――迷宮の番人ミノタウロス。
人間を圧倒する強力なパワーとタフネスを持つ牛頭の化け物だ。
やつの一撃は人間を肉塊に変える力を持つ。
『身体強化』が使える人間なら相手取ることも可能だろうが、彼らは果たして『身体強化』を使う余力を残しているか。
ボクが生き残るには、彼らが勝利しかつボクを放置してくれるか、ミノタウロスがボクを放ってどこかへいってくれるかのどちらかしかない。
彼らに義理はないけれど、言葉が通じる分説得できる可能性は高いだろう。
できれば彼らが勝ってほしい。
そして両者の戦いが激しさを増す中、顔に液体がピシャリとかかる。
生温かい液体はボクの顔を流れ、唇を通って喉に入る。
命が凝縮されたその液体はごく微量ながらもボクの体を活性化させる。
封印され、衰えた体に力が戻り、
「もっと欲しい……とと何でもないよ? うん何でもない」
ボクは思わず漏れてしまった呟きを誤魔化しながら目を開ける。
ついさっきまで何も映らなかった世界に光が灯る。
動こうとするだけで痛みを発した関節も潤滑油が通ったみたいになめらかだ。
「状況は芳しくないみたいだね……」
狭い室内でミノタウロスの攻撃を避けきれなかったのだろう。
戦士の一人が片腕を失う大きな傷を負っている。
しかし、残った腕で大きな鉄の斧を振り回しているから闘志は萎えていないとわかる。
他の二人も肩で息をしながらもその瞳はミノタウロスを睨みつけ、まだまだこれからだと物語っている。
「君たち。さて君たち。手を貸そうか? それとも三面戦と行くかい?」
古びた鎖を引きちぎり立ち上がる。
ボクが眠りから覚めるぐらいすでに力を失った封印を踏み越え舞台に上がる。
部屋は封印されたとき――もうすっかり記憶は朧気だけど――と変わらず何もない石造りで、広さは二十メートル四方、高さは二メートルといったところか。
ミノタウロスは頭が天井すれすれで斧を自由に振り回せていないようだ。
三人の人間はふいに背中にかけられた鈴の鳴るような涼やかで可愛らしい声に驚いている。彼らはボクと牛頭に挟まれる形となった。
ボクは白くか細い両腕を彼らに広げ、
「今度こそ正しい選択をするといい。ボクは封印を解くきっかけをくれた君たちへ義理立てしたいと思っているけれど、敵対者を見逃すほど愚かじゃない。もしボクと共闘してこの場を切り抜ける気があるのなら、適当な武器を一本投げ渡してくれないか?」
一歩彼らと距離を詰める。
二歩。三歩。
彼らの立場で考えると今は絶体絶命のピンチと言える。
前には強敵のミノタウロス。後ろには未知数なミイラだった少女。少女は見るからに貧弱だが魔物は外見で判断できない。もしかしたら凶悪な魔法が扱えるかもしれない。
どちらも油断できない敵であるが――少女は今のところ人間に友好的だ。
ここは一時的にでも手を組むのが賢い生き残りの選択ではないだろうか。
と考えてくれればいいのだけど、どうだろうか。
「これを使いな」
片腕を失った戦士が牛頭の斧をさばきながら、背中越しに武器を投げつけてくる。
飛んできた獲物をつかみ取ると、それは獲物を解体するときに使う小型のナイフだった。
「ふうん。ま、いいでしょう」
エッジ部分に指を這わせてみても、ナイフは錆びついたり油の浮いている様子はなく、よく手入れされている。
「さて契約は成立だ。ボクの名はサラ。共に力を合わせ、大斧を持つ強大な魔物ミノタウロスを打ち滅ぼそうじゃないか! 『カスミ』」
戦いを前に高ぶる気分そのままに一方的な宣言をし、ボクは体を白いもやへと変える。
体を水蒸気じみた気体へと変化させるこの魔術は『カスミ』。物理的な衝撃から身を守れる守りの技だ。魔力を自在に扱えない生き物はこれだけで完封できる優れもの。
体を巡る魔力は今だ不十分だけれども、単細胞の虚を突く程度なら一瞬で事足りる。
消えていくボクに目を丸くする人間たちを文字通り飛び越え、ミノタウロスの肩口に移動する。
そして、実体化すると同時にその無防備な首筋へナイフを突き立てる。
「良いナイフじゃないか!」
魔物の膂力で突き立てられたナイフは固いミノタウロスの皮膚もなんなく突き破り、首から真っ赤な鮮血が噴き出す。
体にかかる真っ赤な血が心地良い。
「おっとと……」
ミノタウロスは突然のことに暴れ、ボクは不安定な肩から振り落とされてしまう。
「ぶもおおおおお…………」
ボクを振り下ろすために気が逸れたミノタウロスは、彼らによって串刺しにされている。
最後の断末魔は力なくミノタウロスは崩れ落ちた。