昔話の裏側に
「これからお話しますのは、伝承とは大きく異なる内容となります。私も母から聞き、子へ伝えるだけですので、何が正確かは判断しかねます」
そう前口上を述べ、老人は再び口を開く。
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今は『不死者匿いし土地』と呼ばれ断絶された極北の地。当時は名もなきその村は、警備の行き届かなぬ領土の端とは思えぬほど穏やかな生活がありました。決して裕福ではありませんでしたが、魔物や盗賊の脅威は薄く、村人は日々の生活に満足していました。と言いますのも、その村はとある魔物の縄張りだったのです。
魔物の名前は吸血鬼。後に吸血姫サラと呼ばれ恐れられる化け物でした。彼女は村のはずれの森に屋敷を建て、そこに五人の木こりの家族と共に住んでいました。
木こりの家族は父と母、長男・次男・末っ子の長女です。木こりの家系は代々吸血鬼の世話係を担っていました。
吸血鬼は森と村の治安を守り、時折人間との歓談を楽しむ。村人は日々の恵みを村に出てきた木こりに渡す。そこには魔物と人間の共生関係がありました。
さて、話変わって大帝国。
ある時大帝国のお妃様が美に狂いました。もっと美しく、もっと若くありたいと考えたお妃様は国中にお触れを出しました。
『永遠の若さを見つけしものに、金貨十万枚と望みの褒美を取らせよう』
お妃様は皇帝を説得し、軍隊も動かして国・他国中の美を探し求めたのです。そうして幾度か季節が廻った頃――永遠に幼き童女の噂を耳にするのでした。
夏の暖かな日。北の地なので夏でも暑くはありません。
吸血鬼は妙な胸騒ぎに目を覚まします。特に覚えなどないのですが、なんとなく心に引っかかるものがあり吸血鬼は屋敷を徘徊します。
屋敷を歩き回る途中で、外で薪を割る夫やそれを見る長男、部屋の中で勉強をしている次男と人形遊びをしている長女を見つけました。
ところが、妻がおりません。妻は平時なら子どもの相手をしているか食事の準備を始める頃合いです。
吸血鬼は薄暗い部屋の中から夫を呼び、妻について聞いてみます。
夫は、今日は村に動物の肉を届けに言きました、と答えました。その後、吸血鬼が心配するので夫は妻を迎えに村まで出ていきました。
村への道は一本で行き違いになんてなりません。これで安心だと吸血鬼は長女と遊び始めたのでした。
長女が人形遊びに飽きて次男の勉強の邪魔をし始めたころ、屋敷の扉が強く開く音が聞こえてきました。吸血鬼はすぐさま入口に駆け出し、兄弟も後から背中を追いかけます。
そこには、妻を胸に抱いた夫が息を切らせて倒れていました。いつもと違ったのは、妻の首から下がなかったことと、夫の背中には何本もの矢が刺さっていたことです。
夫は喉をからして叫びました。
村は全滅だ! 子どもを連れてどうかお逃げください!
親の状態を見て、泣き叫ぶ子どもたちと対照的に吸血鬼は静かに問いかけました。
今なら君だけでも助けられる。どうする? と。
夫の返事は、あなた様さえお許し下さるのなら、子どもをあなた様に託し人として妻と死にたく思います、でした。
長女は父のその言葉を命尽きるその日まで覚えていたといいます。
愛する子どもと敬愛する吸血鬼に見守られ、それからすぐに夫は息を引き取りました。
最低限の荷物をまとめ屋敷を発とうとしたとき、長男が言いました。
お母ちゃんお父ちゃんの仇を取ってよ吸血鬼様。
次男も同じことを言いました。
吸血鬼様は強いんでしょ? 僕悔しい……。
長女は親と別れる寂しさでただただ泣いておりました。
吸血鬼は泣きじゃくる長女の頭にポンと手を置くと彼らに言いました。
君たちはここで待っているといい。何があったか見てこよう。実はボクも我慢ならなかったんだ。
吸血鬼は屋敷の扉を開け放ち駆けていきました。
日光に焼かれ、体中から煙を上げながら。そしてそれ以上の激情をもって。
去り際に見えた横顔は、憤怒の色に塗りつくされていました。
吸血鬼は村にいたお妃様の私兵を壊滅させました。
そのときの様子は伝わっておりません。
その後吸血鬼は子どもの身を案じ、三本の武器を子どもたちに与えました。
武器は満月の晩に吸血鬼が魔力を籠めた代物で、子どもが振るっても岩すら砕きます。
大斧、弓、そしてナイフ。
それぞれは長男、次男、長女に与えられました。
現在ではナイフのみ、所在がはっきりしています。
その後、彼女らは追われる生活に疲れ軍隊相手に戦争を引き起こします。
彼女らには絶対に勝ち目のない戦争かと思われました。帝国も一介の魔物を討伐する程度の認識だったのでしょう。
しかし、死者の軍勢を率いる吸血鬼には兵糧の心配も、兵士の損耗もありませんでした。
兵士の血を吸い、吸血鬼は力を得る。血を吸われた者は彼女の意思のまま動く不死者となりました。不死者はまた血を吸い、吸われた者はまた不死者に堕ちる。
帝国の至宝であった魔法部隊が雲霞のごとき死者の群れに飲まれたとき、大勢は決しました。
帝国は吸血鬼の物となり、彼女らにとっての平和が訪れました。
ところが、彼女らが得たものは何もありませんでした。
子どもたちは、すでに長女以外死んでいたからです。
勇猛果敢な長男はまだ幼い長女を守り、矢に打たれて死にました。
勉強家だった、次男は隕石の降る街の中懸命に吸血鬼と長女を逃がし炎に飲まれました。
二人とも人の身で死にました。吸血鬼であれば、不死者であれば死ななかったでしょう。
彼らの父が残した言葉が、彼らのその選択が、やはり長女にはわかりませんでした。
ただ、自分も人として死ぬんだろうなと漠然と考えていたそうです。
何のために戦ったのか、長女にも吸血鬼にもわからなくなっていました。
それから数日が立ち、他国からの軍隊が出動したとの話を聞いて長女は怖くなりました。
止まらない正義が、憎悪の連鎖が。
大好きな村も、たまに出かけた街も廃墟になった。
お母ちゃんもお父ちゃんも死んでしまった。お兄ちゃんは私たちをかばって死んでしまった。
いったいいつまでつづくのか。
衝動的に長女はナイフで吸血鬼の胸を突きました。
そのナイフは――以前母が使っていた果物ナイフを吸血鬼が祝福を施したものです。
頑強な吸血鬼の肉体もやすやすと貫きます。
震える手でナイフを取り落とした長女の頭に手を吸血鬼はポンと手を置き――――
「ボクたちは、どこで間違ったんだろうね……」
困ったように微笑みながらぐりぐりと頭を撫でました。
幾万もの命を奪った吸血鬼の手は、長女にとってはいつも温かでした。
避けられたはずの果物ナイフを避けなかった吸血鬼は、そのまま眠りに着きました。
城の周りで蠢いていた不死者たちも彼女の眠りと共に崩れ落ち、現世から解き放たれました。
長女は泣きながら吸血鬼の名前を呼び続けました。
けれど吸血鬼が目を開けることはもうありませんでした。
彼女にとって吸血鬼は最後の身内でした。
日光の下体から煙をあげながらも兵士の凶刃からかばってくれました。
兄亡き後、夜の毛布をかけてくれました。
記念日には慣れない料理で精いっぱい祝ってくれました。
いつも自信満々の顔が、あの日ばかりは真っ赤に染まっていたことをふいに思い出しました。
彼女を好きにさせるものかと、泣きながら長女は遺体を城の隠し部屋に運び込みました。
どうか見つかりませんようにと祈りを籠めて、部屋の扉を閉めました。
各国の討伐隊が見たものは、崩れ落ちた城とか細いナイフを手に持った一人の少女の姿です。
少女の持つ武器からは確かに魔物の血液が付着していました。各国は少女を奇跡の代行者と認定し、そのナイフを聖具と讃えました。
少女の名はエミリア。
後に聖女と祭り上げられる、大切な人を殺めた裏切り者の名です。
その後、聖女の願いに応え、力ある冒険者の一行が秘密裏に吸血鬼の部屋に封印をかけました。
いつか必ず目覚めてくれると信じながら。
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「この事実を知っている者はごく一部です。各国は、詩人を用いて『聖女エミリア』像を造りました。荒廃した土地を再建するには、希望の旗が必要だったのです」
そうしめくくり、老人は口を閉ざす。
だいぶ遅くなりました。申し訳ありません。