九月十三日之事_____十七話目
夕刻、まだ日が暮れ切っていないいつもより若干は早めの時刻。
仕事から帰ると、玄関先で小さなリュックを背負ったぽこがしょげて居る。
その隣ではすずが同じ様に ちょこんと腰掛けて寄り添っている。
「ぽこ、どうしたん?」
「あんなー、おかんがなー 戻ってくる言うてるねん。」
あちらの社に新しく稚日女尊が勧請されたので仕事に余裕が出来たのだろう、『今晩こちらに戻る。ひょっとしたら、このままこちらから通勤する様になるかも。』と言う様な事を昨夜の電話でも言っていた。
「おかん帰ってくるのんは嬉しいねんなー。でもなー、すずちゃんと おねーちゃんと とうちゃんとも一緒がいいねん。」
「そうかー。そうやなー。」
嬉しい事を言ってくれるぽこを撫でる。
「でもすぐ近所やん。いつでも泊まりにこれるし お母さんと爺ちゃん 大事にしてやり?」
「……うんー。」
たったひと月ほどの同居生活でこんなに懐かれるとは正直思わなかった。
俺は稚日の出奔の受け入れ先になり 結果、ぽこの保護者をぽこから遠ざけた。
今更 の事とは言え、ぽこと母親の大切な時間を奪ったのも確かだ。
その上でこんなに懐かれるでは安寿さんに申し訳無さ過ぎる。
なるべくなら幼い子は母親と一緒に居るべきなのだ。
「お母さん来るまで まだあるから、こんなとこに居らんと、中に入ろ?」
「うん………。」
◆
「……という感じでなあ、稚日やすずもだけど 俺みたいなのに たったひと月くらいでこんなに懐いてくれて嬉しい反面申し訳ない気がしてな……。」
ぽこは仕事帰りに迎えに来た安寿さんと ともに帰宅してしまっている。
すずはというと寂しいのかヌイグルミを抱えてテレビを見ている。
食後のお茶を差し出す稚日が言う。
「神との縁を持つとはそう言う事ですよ、お兄ちゃん。」
「ん? よく分からん…。どう言う事なん?」
「神や神使との縁とは 魂魄の絆です。 人の繋がりは五感や魂が触れ合うと言ったところですが、神との繋がりは 五感などの繋がりはサッと振り切ってしまい、その分、魂が重なり合い 互いを深く結びます。神との夫婦の契りなど魂どころか魄さえもが寄り添い溶け合います。比翼連理とは絵空事では無いのです。 」
「ぽこは生まれながらにケモノ上がりの人、ゆくゆくは神使、神にもなるでしょう。すずも幼く見えますが心の成長さえなんとかなっていれば 既に神となっていてもおかしく無いのですから、神とそう違いはありません。」
「ひと月と言いますが、それは人同士の繋がりの100年にも優ります。」
そうなのか…そこまでの事ならそれほどに懐いてくれてるのが理解出来無くもない。
しかし…そこまでの縁の自覚が俺自身に無いんだが………。
「それ故か、仮に人が神と 人同士の繋がり程度に浅く触れ合った場合、その繋がりが切れてしまえば 朧の夢の様に記憶からも消えてしまう事が多いのです。」
「何それ?」
「お兄ちゃんの本にもありました…オカルト…でしたか、例えば 『昔よく遊んだ幼馴染みを 自分以外の誰も覚えて居ない』とか、『行方不明になった友人が最初から居なかった事になっている』とか。」
なんかちょっと嫌な汗が出てきた。
「消えた彼らは 神やその眷属、若しくは それらに見初められ神隠しに遭った者です。尤も本人が了承しなければ神隠しは起きませんが。」
「それを覚えてるっていうのは…。」
「その覚えている者と 消えた者の間にはしっかりとした縁が結ばれていたのでしょう。」
湯呑みを持つ手が震える。汗が止まらない。なんだこれ。
「や、そこまでの縁なのに 体験者の反応がそこまででも無い様に見えるのがなんだか…なあ。」
「五感や魂の表面と違い魂魄の中の処の繋がりまでは人の身では知覚出来ません。その為 人の側にはその自覚はありませんから。例えば……。」
声まで震えてる気がする。 今お茶を飲んでるのに口の中が乾く…。
「…例えば………?」
「そう……例えば…………お兄ちゃんご自身の様に。」
「はは………ははは…なんか…ちょっと怖いな。」
キョトンとした表情で稚日が聞く。
「怖い…ですか?」
「うん…ちょっと怖い………。」
「ふふっ……なんだか変なお兄ちゃんですねえ。」
稚日は全てを包み込む様な笑顔を向けて笑う。
俺もつられて笑うが きっと引きつった笑いを浮かべているんだろう。見なくてもそのくらい分かる。
「あはは…ははははは…。」
◆
今、湯船の外ではすずが肩甲骨の下よりも伸びている白絹の束の様な髪を小器用に洗っている。
今時珍しいタイル張りの浴室で その姿をぼんやり眺めながら湯船に浸かり考えていた。
さっきの話の途中から感じた恐怖……あれはなんだ?……当たり前を失う喪失感を想像したのか?
……では、なぜそれを想像出来た?
人の想像力というのは早々 無から有を生み出す風には出来て居ない。
どんな些細な事柄も【気づく】事から始まる。
ならばこの喪失感を俺は知っているはずだ……単なる知識か、経験からか…。
経験なら…幼馴染を失った経験はある。
そういえばあの時はとても悲しくて……アレ? どうだった?
親の死よりは何十倍も悲しかったのは確かだ。泣いたからな。
彼女のお陰で俺は地獄に生きる自分に気がついた。
でももう顔も声も朧げで夢だったかのようだ。
朧げな……夢……嫌なフレーズだ…またさっきの話を思い出した。……………もう忘れよう。
今日は普段 余りあれこれ要求しないすずが珍しく一緒に入りたいと言ってきた。
あの話の後、俺の具合が悪く見えたのだろうか。
ーーーーこの子はとても聡い。
人の心を読むのにとても長けている。
あれ程動揺したんだ。繕ってみたのも無駄だったろう。
表情、声、仕草、歩き方、雰囲気。ーー読もうと思えば幾らでも読める。
出会った時みたいに 相手の心を探る様な事はして居ないが それでも心の機微を読む能力はずば抜けている。
恐らくは俺を読んで気を使ったのだろう。
優しい子だ。
一緒に湯船に浸る。
「ありがとうな。」
不意に口をついて出た言葉に笑顔ですずが返す。
「………ちちうえもありがとう。」
俺のありがとうは溢れ出た気持ち。
すずのありがとうにはなにが詰まっているのだろう。
とても心地いい時間。
いつまでも続けば良いのに。
このまま浸って居たいとも思うがそうもいかないなあ。
ああ、気持ちいい。
◆
「それで湯あたりですか?」
「面目無い………。」
団扇で扇ぐ稚日の呆れ顔も尤もだ。
「わたくしが居るから良かったもののお兄ちゃんがこんなでは以前仰った「嫁に出す」など夢の夢ですね。まあご安心下さい。わたくし ずっとお守り致しますから。」
覚えて居ないが目を回した俺はすずと稚日に助けられたそうだ。
ずっと一人での入浴が当たり前で烏の行水だったから 二人だと時間の加減が分からなかったのだ。
「ちちうえ〜。」
覗き込む顔に心配がありありと浮かんでいる。
「すずもごめんな。」
………………湯あたりって本当にあったんだな。びっくりだよ。
読んで頂き誠にありがとうございます。




