七月四日之事_____ニ話目
「おーはーよー!ごーざーぃまーぁす!」
梅雨も未だ開けきらぬ7月初頭の早朝五時。
玄関の引き戸を開けるが早いか大きな声で挨拶して飛び込んで来るのは 最近ご近所になった裏の福里さん家のぽこちゃん(たぬき♀4ヶ月)だ。
初対面の引越し挨拶で混乱した挙句しっぽを褒めたら何故か懐かれたようでそれ以来毎朝の様に挨拶に来る。
「ぽこちゃんおはようさん。今日もエラく早いなあ。」
正直もう少しだけゆっくり寝て居たいので九時くらいに来て欲しいところではあるのだが軽く却下されてしまい説得は早々に諦めた。
「あんなー『早起きはお得やー』っておかんがゆってなー、ぽこが起きるまでゴロゴロ転がすねん。」
困り顔で説明し溜息を吐くぽこちゃんと中々に楽しそうな起こし方の絵面に思わず笑ってしまった。
「それはそうと、朝ごはんもう食べたんか?」
俺は普段あまり関西弁の様な訛りは出ないのだが 此の所ぽこちゃんについつい釣られてポロポロと出てしまっている。
「んーん、まだー。おかんがなー おっちゃんと一緒に食べよーって言うてなー、お誘いに来てん。」
どう言う訳か引越して来て以来頻繁にお誘い頂き、二度に一度くらいの頻度でご馳走になっている。
え?まさか俺に気があるの? なんて事は思っていないが 、そこは独り身の寂しさで 薄っすらと期待と言うか願望というか…理由に艶っ気が無いとは分かっているが、独り身妙齢の美人の親切にちょっと夢見るくらい良いじゃないか!
…じゃあ何故かと言うのが不明なので戸惑っているところだ。
「そーか。お母ちゃんにありがと言うといてな。後でお邪魔するわ。 それと…おっちゃんや無くてお兄さん、な。」
「……あー。」
ぽこちゃんが なんか言いたげな感情の無い視線、凍った表情 でこちらを見てしばらく固まっている。
底冷えした空気が痛いよ。
『何を言ってるんだお前は?』と言う声にならない心の声を受信した気がする。
「ちょっとした違いやん。」
「いや、この違いは精神的にとても大きく違うんやで?」
俺の心にとっては たぬきときつね くらいに違う。そこの所をわかって欲しい。
「んー…ぽこには難し過ぎやわ。」
そう言って首を傾げる。
「ま、ええわ。 ほな、おっちゃん あとでなー。」
「あ、ぽこちゃん、ちょっと待って!」
…行ってしまった。
俺はまだまだお兄さんだ。
◆
「おはようございます、福里さん。何時もすみません。」
手土産に家庭菜園らしき物で取れた野菜を持てるだ持ってぽこちゃん家を訪れた。
「ようお越しぃ。お待ちしてやしたえ。」
相変わらず妙な訛りだが 喋るテンポも相変わらずおっとりなので 数日で「ああ、こういうものか。」と思える様になってきた。
「あら、まぁ 結構なお野菜 ありがたく頂戴しやすー。」
そういえば、福里さん…表札には【福里 安寿】と書いてあった。 読みはあんじゅで良いのだろうか?
引っ越してきたばかりのはずだが未開封の段ボール箱などは見当たらない。
小ざっぱりしていて物がないと言うか、生活感が無いと言うか。変な例えではあるが ドラマのセットの様な薄っぺらい印象を受ける、そんな部屋だ。
「どうぞ、お召し上がりぃ。さぁ遠慮しんとドンドンお食べなんし。」
鯖の塩焼き、ほうれん草のおひたし、大根おろし、漬物、味噌汁…。
これは! 基本を押さえた定番メニュー…朝からご飯三杯は堅い鉄壁の布陣だ!
「「いただきます。」」
ちゃぶ台にぽこちゃんと並んで朝餉を頂いている、とこちらを見ていた安寿さんの口から
「いやあ、ようけ食べて呉れやんすと ほぅっと安心しやした。」
と、こぼれ出た。
「ん? よく食べてくれるから安心した、とは…?」
意味は分かるが、なぜ安心されるのか理由が分からん。
ま、艶のある話で無さ気なのに付いては理解出来た。
眼前の美味い朝餉のおかわり三杯目の咀嚼に忙しく、ぶっちゃけ会話か独り言かすら曖昧な言葉までを咀嚼嚥下する余裕など無い。
いやまあ、ホント何故ここまでに美味いのか。
残念だが自身で同じメニューを作ってもこうはならない。
◆
理由はそれから程なくしてあっさりと判明した。
「あんなー、おかんがなー、『あのお方は放っときやんしたら飢えなさりんやしょえー、』て言うてたー。」
ぽこちゃんがシナを作ってお母さんの口と仕草をを真似てみせた。
普段からよく見てるからか、妙に似ている気がして滑稽だ。
ホント、何処の言葉なんだか…それが、なぜかそれなりに意味は理解出来るのが不思議だ。
俺に構う理由だが、どうやら俺を放っとくと飢えて死にそうに見えた、と言う事か…可哀想に見える迷い犬にエサをやる、というアレだな。
どうも俺は昔からその手の人には厭世感が溢れて見えるらしく変な心配をされる。
ここ数年は無かったので可能性の選択肢から抜け落ちてた。油断だ。
「なーなー、おっちゃん。 かつぅえなさりん、って何なんー?」
クドいようだが俺はおにいさんなので敢えて聞こえなかった事にした。




