八月十一日之事_____九話目
仏教ディスり回につき閲覧注意。
盂蘭盆会______釈迦の直弟子の一人、目連尊者が母の餓鬼道に堕ちている姿を見て哀しみ、供養して救った。という故事に因んだ仏教の儀式である。
あれ?迦葉だったか? 所詮はエセ仏教仕込みの真贋怪しい知識だ。どっちでも良い話で、大事なのは『元来 仏教にはあの世が存在しない』と言う点だ。果たして、目連は誰を救ったのだろうか。
そんな事を考えて作った胡瓜馬や茄子牛に 何の意味があるのかは疑問だが こういうのは気持ちだと無理矢理納得して作ってみた。気持ちが無いのに気持ちだと言う俺自身も 大概にどうかしてる。
出来たばかりの胡瓜の馬と 茄子の牛を不思議そうに見ていた 稚日が
「お兄ちゃん、これは何ですか?」
と、牛馬を手にとって尋ねてきた。
「こっちが馬でこっちが牛。もうすぐお盆だからね。これに乗って御先祖様の魂が彼岸から帰って来るんだよ。」
神道には無いしきたりだったのか「ふーん、へー、ほー。」と、感心しきりだ。
「仏の教えにも黄泉の国や根の堅洲国が有るのですね。」
神仏混淆の影響は無かったのか? 稚日の分祀よりはるか昔の話のはずだ。
「わたくしの居たお社は 人が参詣しない、出来ない、そんなお社だったものですから 仏の教えには触れる機会がありませんでした。」
稚日が居たのは 神社にお参りはしたいが人里は怖い、人間怖い、という動物達や力のない妖怪達のために勧請された神社で、そこで働いてる者達も皆 元はケモノだったそうだ。
ひょっとしたら参拝者や神職のほぼ全てが元や現役の【畜生】で、ある意味鎖国状態で仏教に影響されなかったのか?
仏教は、一切衆生を救うとか簡単に言う割に『選ばれてないと救われない』みたいな選民思想が随所に散りばめられている。だからこそ 殊更 女人成仏だの 悪人成仏だの と謳うのだ。
そんなだから 畜生成仏や草木成仏なども 偽経の中にしか存在しない。
「…仏の教えと言うものはどう言った物なのでしょうか…。」
「少しくらいなら教えてあげられなくも無いんだけど……。」
もしも、知りたいと言うなら だが 教える事自体は構わない。
だが、教える際には良く良く注意して、毒と薬を別けないといけない。
仏教とは 正しく劇薬。詐欺師のバイブルの様なものだ。
当初の仏陀の志などとは微塵も関係無く、取り返しのつかないほど長い時と 遥か遠い距離と 携わった多くの無自覚な小悪党どもの毒と が 混ざり合って その想いを 踏み躙り 弄り 変質させ、結果 人類史に残る稀代の詐欺師【釈迦】を生み出したのだ。
「ちょっとづつ教えて下さいね、お兄ちゃん。」と微笑む 稚日を見て思う。
稚日 の様な無垢な精神の持ち主はこんな猛毒に直に触っちゃいけない。
俺は考え無しに直に触った者の末路は嫌という程 知っている。
お茶をこちらに差し出す稚日。
最近はお茶を淹れる事を覚えたが嬉しいのか頻繁に淹れてくれる。
「でも、身内の御霊が帰って来て、それをもてなせる、と言うのはなんだか素敵ですね。」
「そうかもな。」と相槌打つ。
稚日 は純真無垢だからそう言えるのだ。
実際は例え生き返ったとしても会う値打ちのある身内ばかりでは無いのが人の世なのだ。
仏教は 来世も有るのに地獄極楽のあの世も有る、ご都合主義の化け物。
自分達の教えの都合やお布施の寡多で 自由自在に 故人を 極楽にあげ 地獄に堕とし 人に、餓鬼に、畜生に、と生まれ変わらせる。
俺の母親が傾倒していたエセ仏教では仏敵は野垂れ死ぬまで責め抜く事こそが 仏の慈悲だ、と言い切った。
一切衆生を救う 仏の慈悲の正体 は 己れの相手を 責め殺し 骸を野晒しに打ち棄てる事 だと。
笑える冗談だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー断言しても良い。仏には誰か他者を救う力なんて無い。
だが、無垢な女神相手に わざわざ それを口にする程の事も無い。
「神道では黄泉路を戻るのは不可能ですから。」
伊邪那美神話だったか? 彼女は葦原の中つ国に帰ろうとして果たせず、そのまま黄泉の国の女王になったと言うアレだ。
そんな偉い神様でもこちらには帰って来られないのじゃ普通に無理だな。
伊奘諾と言う例外もいるが 黄泉比良坂で桃の実で伊邪那美を振り切った辺りは 明らかに道教の影響がある。きっと記紀編纂の頃の後付け説話だろう。仏教ベースだと三枚のお札だな。呪符の類いもやはり道教発祥だ。
「それでも、此方こちらに居る神には一度死んでしまって黄泉路の彼方に逝ったはずの神も多いのです。そういった神々にその辺りの事を聞いても皆、ほとんど憶えていない為に細かな理由までは分からないのですが。」
「え⁉︎ どう言う事なんだ、それ?」
「えー、わたくしが分祀で別れたとして…元の神格も新たな神格もやはりわたくしなのです。が別れた後の記憶と意識は共有しませんしそれぞれが別個に経験を積みます。尚且つ別れたらその分だけ以前の記憶も薄まっていくのです。」
……ぷ、プラナリア。 いやいやいやいや!思っちゃいけない!思っちゃいけない‼︎
誤魔化すように冷めたお茶を飲む。
「わたくしが死んだのは分祀の前の前のもっと昔なので死んだ時の事も何で此方に居るのかも殆ど覚えて無いのですよ。」
「そういえば古い記憶は薄っすらとしか憶えて居ないと言ってたな…。」
と言う事は分祀以前の記憶は昔観た映画のようなモノなのか。
「ただ、やはり何処かでは繋がっているのか、薄くて断片的にですが黄泉の国の生活の記憶や黄泉路の遡行不可逆体験の記憶も持っているのです。」
「それって、完全には分離してない って事になるのか? それにしても、自身では経験してないはずの記憶の断片か…。」
出てきたお茶のおかわりを啜りながら考える。
俺は仏教に関しては母親のエセ仏教のお陰で偏りはあるが少しくらいの知識も持っている。
だが神道に関する知識については 有るのは興味だけでずぶの素人丸出しなのだ。
今聞いている話がどう言ったモノで、どれほどの価値があるのかは判らない。
「わたくしの元々の神格もそう言った 【身罷った神】の内の一柱です。だからこそ分かる事も思う所も有るのです。」
「もし黄泉の国のわたくしが一刻でもこちらに帰って来られるのなら…、たった一柱のわたくしと同じはずの存在に 痛い苦しい寂しいを押し付けた事を謝りたい、せめてもの慰めにおもてなしをしたい。……そんなものは 自身の安全を確保した上での傲慢な偽善かもしれませんが。」
心根の優しい 稚日の事だ。俺には想像も出来ない程の葛藤があるのだろう。
自らの選択のチャンスも無く、言葉は悪いが押し付けられただけの【確定した結果としての今】に責任を感じてしまっている。
言葉の掛け様がないな。……「それはお前の所為じゃない」と言った処で 部外の俺が何を言っても そこに説得力なぞ存在しない。
そっと 稚日の頭を撫でてやる。
「わたくしは酷く無責任な事を言ってますね…。」
あははは…と力なく笑う 稚日。
「そうか!…稚日、やはり色々と苦労してたんだな! お兄ちゃんは 稚日 の苦労を思うと泣きそうだよー!」
「お兄ちゃん! 」
芝居掛かった言い回しで語りかけ それにノってくれた 稚日と 二人してちょっとした小芝居を繰り広げ 少し重たくなった空気を払って笑う。
たった一週間ほどで 稚日は随分と明るく笑えるようになった。
今見せている明るさを心の奥に沈め、表に出す事も許されない、そんな抑圧された生活を送っていた 以前の 稚日を想像すると涙が出そうな気持ちになるのは本当の事だ。
黄泉の国の話が本当の記憶だとして、以前の 稚日の生活 と 黄泉の国に居る 稚日の生活 どちらが幸せなんだろうな。
そんな話をしてると家庭菜園もどきで取れた野菜を詰めた籠を抱えたぽこが縁側から上がってきた。
茄子や胡瓜 トマト、鬼灯か、あとオバケ胡瓜も顔を出している。
「お盆のおそなえ 取ってきたー!」
「ぽこちゃんも、はいどうぞ。」
待ち構えていたかの様に俺とぽこの前にまたもやお茶が差し出された。
お兄ちゃん、そろそろおなかタプタプです。
大方の宗教は 基本的に著作権期限切れのファンタジー小説である、と言う建前で書いております。
そういったものの二次創作物なのかもーと、その辺ご理解頂けると助かります。




