八月七日之事_____七話目 後
恐らくは今時分が一番 日も気温も高いのに 何故か漂う空気は既に下り坂な夏の日。
若干だが海水浴客も減り始めた。
ぽこわかコンビも泳ぎ疲れたのか波打ち際で砂遊びを始めている。
潮目も変わり、水も見た目に判るほど濁り始めているからと言うのもあるかも知れない。
来るのは一瞬だったが帰りは電車とバスを乗り継ぐ二時間弱の長丁場だ。
子供はいつゼンマイが切れるか分からないので 帰路の体力のある内に帰り支度をしないといけない。
「さあ、二人とも、もう片付けて帰ろうか。」
「「はーい!」」
ゴネられるかと覚悟していたのだが二人とも聞き分けが良くシャワーを浴びに行った。
その間に 着替える為に残したテント以外の荷物を小さくまとめる。
戻ってきた二人ともが何故か着替え終わっている…なんで?
聞くと、神の力 ___神通力で衣装の早替えをしたのだと言う。
わかちゃん曰く「通力を使うと、その前後は敢えてこちらから接触しなければ 無関係な周囲の者からは存在自体を無意識に避けられるんですよ。」と。
で ついでだから、と一緒にぽこちゃんの着替えもしてしまったそうだ。
着替えを神通力で行なえば一瞬、とか…便利そうだなぁ。
そう言われれば、今朝もいつのまにか二人とも水着に着替えてた気がする。
◆
こちらへの出口になった綿津見神社の裏が駅なので、背に夕日を浴びつつ 伸びた影を追い以って、来た道を歩いて帰る。
流石に 燥ぎすぎて疲れたのか、朝に比べて少し大人し目のぽこちゃんの手を わかちゃんが引いて俺の前を歩く。
こうして見るとなんだか仲の良い姉妹の様にも見える。
境内地傍に差し掛かると わかちゃんによく似た巫女装束の女性が佇んでいた。
「あ、姉神様です。」
「皆さん、今日は楽しかったですか?」
確か おおひるめさんだったか…が、ぽこちゃんとわかちゃん二人の頭を撫でながら問い掛ける。
「はい、姉様。とても楽しゅうございました。」
「こんにちはー。ぽこもたのしかったよー。」
二人を見るその表情は慈愛溢れるという表現がぴったりだ。
そのままこちらに向かい直って頭を下げる。
「どうぞ、わかひるめを宜しくお願いします。」
神様から頭を下げられ、こちらも慌てて深く頭を下げる。
「分かりましたのでどうかお手をお上げください。勿体ない。」
そう言ってから頭を上げるとそこは川沿いのお社の前。
夕暮れ刻の涼しげな風が抜けていく。
「……あー。」
「姉神様が送ってくださいました。」
ホント、姉妹揃って気が良いというか大らかというか…。
多分、人に比べて余計なものが削ぎ落とされている分 自分の感情に対して素直なのだろう。
俺は母親の影響で宗教というものを斜に構えてしか見れなかったのだが……孝蔵さんと会って以来、神様という存在に対してはそれほどでも無い。
正直に言うと、わかちゃんの世話役とやらも 今の所は だが、まだ全然 許容範囲内だ。
出会ったのは孝蔵さん合わせても未だ三柱なので何をどうとも決めつけるのは良くないのだろうが、自身の母親が傾倒していたエセ仏教などと同列に語るのが間違っているというのは分かる。
何にせよ、わかちゃんをよろしくと言われたからにはまず今晩のご飯からよろしくせねばなるまい。
子供向け料理の定番ならハンバーグだな。あと、目玉焼きも載せなきゃな。
せっかくだし捏ねるの手伝って貰おうか。
「さあ、帰ろう。」「「はーい。」」
◆
夕餉の食卓は賑やかだった。
足元を泳いでいた小魚の話、捕まえたカニの話、波打ち際のお城の話。
二人で順番に捏ねてそれぞれが形を整えたハンバーグの話。
余程楽しかったのだろう。聞いているこちらも楽しくなる。
いい歳した大人が弁えず暴走した結果の海水浴だったが、行って良かった。
風呂から上がった後、残っていた体力を使い果たした二人は 布団に辿り着く前に凭れ合って寝てしまった。
二人を布団まで運び寝かせてやる。
◆
その夜遅くに 孝蔵さんが訪ねて来た。
てっきり ぽこちゃんかわかちゃんのお迎えかと思ったので『二人は隣の部屋でもう寝ている、
せっかくなので明日の朝にしてはどうか』と言うと、その用件では無いらしい。
「加東さん、稚日女尊様はどんな感じやろ? 落ち着いたらこっちに戻ってくれそうやろか?」
「どうなんですかねー? 正直俺からは何とも…。」
いや、無理だろ______とは思っているが言わない。
少なくとも其方が今のままなら俺が返したくない。
「昨日の電話の時の様子を見ている限りじゃ、世話役って方がかなり怒ってそうでしたが 今はどんななんですかねえ?」
その質問に孝蔵さんは溜め息を吐きつつ答える。
「天狗の赤い顔を紫にして仕事しとるよ。今帰ったらお小言凄いやろなー。」
……なるほど。ダメだな。 当分、返す訳には行かん。
「あの方は行者上がりの神さんやからなあ…。 稚日女尊様をこちらに勧請しはったんも世話役さんでなあ、みんなあんまり物が言えんのや。」
行者で勧請主_____ああ、やはり出来る奴の典型か。想像通りだ。
誇れる何かを成し遂げた『凄い自分』が大好きなくせに自分は普通と嘯き、己が成し遂げた『自慢の成果』は誇るのに それが『出来て当たり前』という矛盾を前提に他の者に接し、成し遂げていない者や成し遂げるのに時間が掛かる者を見下しその努力を認めない。
そんな、能力の高いだけの俗物。
なるほど、人格とは関係なく己れの能力だけで神になれるなら神という存在に一番近い人種だ。
「加東さん、凄い事言うなあ…。 まあその通りなんやろうけど。」
いかんな、思った事が声に出てたようだ。
「まあ、漁港の傍の綿津見神社でおおひるめさんから直に『わかひるめを宜しく』と言われたし、ほとぼりが冷めるまでは当分こちらでお預かりしますよ。」
「え⁉︎ それホンマに⁉︎ …うわー不味いなー…。」
孝蔵さんも顔色悪くなった。
神様の力関係というのは未だちょっと良く分からんけど、反応からは[わかちゃん有利]な流れになった気がする。
「………ん? 」
なんとなく視線を感じて振り返ると、襖の隙間からわかちゃんがこっそり覗いていた。
「あれ、わかちゃん起きてしもたか。ごめんね、騒がしかった?」
「稚日女尊様、まいどですー。ご機嫌いかがですやろか?」
わかちゃんはいそいそとこちらの部屋の入ってくる。
「孝蔵様、大事なお話があります。」
思い詰めた表情で挨拶抜きとか…結構厳しい話をしそうだな。
色々有ったんだろうから、まあ ここは言いたい事を言わせてやるべきなんだろう。
「わたくし、当面こちらのお宅で加東様の妹として生活致します。 あと、今後の状況次第ではそちらの社から籍を抜くかも知れません。」
そう言うとこちらに向き直り
「加東様、何とも不躾で身勝手千万な物言い、とは重々承知の上でお願い致します。このご縁に縋らせて頂きたいのです。何卒、お聞き届け下さいませ。」
威儀を正し座礼するわかちゃんに即座に了承する。
「遠慮なくどうぞ。幾らでも わかちゃんの気の済むまで 居てくれて良いからね。」
孝蔵さんへの、延いては 相談役とやらへの パフォーマンス。
相互の求める利益が衝突するならば、それを譲らない強固な意思を示す示威行動はとても大切なのだ。
「そ、それは………。」
一層顔色悪くなった孝蔵さん、黙って居るが流石に表情が渋い。
「という訳で これからも宜しくお願いしますね、お兄ちゃん。」
ま、当然こうなるわな。 赴任したての孝蔵さんには悪いが良くも悪くも今までの積み重ねだ。
どうしようも無いと思いつつお茶を啜る。
「ですのでこれからは 『わか』若しくは『わかひ』と呼び捨てて下さいませね、お兄ちゃん。」
「ぶばっ‼︎ ゲヘッゲヘッ‼︎ 」
茶を噴いた。変なとこに茶が入ったわ、マジで。
孝蔵さんも大慌てで「稚日女尊様!その様な!」とか言ってる。
実は標準語っぽく喋れるんやなあ、孝蔵さん。意外な事実 発覚。
「あのね、わかちゃん。さすがに呼び捨ては俺も拙いと思うn…「つーん!」…あの…「つーん!」…。」
いや、神様呼び捨てってどうなのよ。今のちゃんづけだって相当なチャレンジなのに。
「えーと、わかひちゃん?」「プイッ!」
「あのーわかch…「つーん!」…」
幾度話し掛けてもそっぽを向いて聞く耳を持ってくれない。
仕方ない……。
「…………わかひ、あのn…「何ですか、お兄ちゃん?」……いえ、何でも無いです。」
孝蔵さんと二人顔を見合わせ 深い溜息を吐いた。




