パッシング
名駒高校。体育館。
コート上にはバスケ部の新入部員たちが立っていた。
体験入部の期間も終わり、一年生が正式にバスケ部員として活動を始める今日、新入生たちの実力を見るため、一年生をAとBの二チームに分けて試合をさせることになっていた。
しかし、まだ試合開始前だというのに、Bチーム側のコートは重苦しい沈黙に包まれていた。
彼らの視線は一様に、もう片方のチームにいる一人の男に向けられている。
――一言でいえば、デカい。
198㎝という、高校生としては規格外の身長に、まるで鎧のような筋肉を纏っている。
新入生のなかでも――いや、バスケ部全員のなかでさえ、一番の巨躯を誇る彼。
山内譲治。Aチームのジャンパーだった。
「…………」
Bチームの面々はその長身に圧倒され、存在感に臆していた。一人の男を除いて。
「俺がジャンパーをやるよ」
沈黙を破るようにその男――織戸武彦は、そう言ってのけた。
「……いや待て。お前が出て行っても、アイツに勝てるとは思えん」
彼のチームメイトたちは、その提案に難色を示した。武彦の身長は173㎝。198㎝の山内とジャンプボールで競り勝てるとは到底思えない。
「……まあ、なんとかしてみせるからさ。俺に任せてくれないか?」
自信ありげに笑って見せる武彦に、具体的な解決案を持たない彼らは、不承不承頷くしかなかった。
「Bチーム、早くジャンパーを決めないと不戦敗にするぞ」
そこに、今回審判を務める顧問から声がかかる。
「すみません、いま決まりました!」
慌ててセンターサークルに武彦が向かう。そこには既に山内が待っていた。遅れてきた武彦にもあまり興味はないらしく、片眉をあげてみせるのみに終わった。
「では、準備はいいか?」
顧問がボールを手に、両者へ問いかける。二人が頷くのを確認して、ボールが高く投げ上げられた。
刹那。
「―――ッ!」
皆が、目を見張った。
わずかに早く跳んだ武彦が驚異的な跳躍力をみせ、2m近い山内よりも先にボールに触れたのだ。
体育館内すべての者が呆然と見つめる。
「ボール!」
武彦のその声に、Bチームの面々はハッとなる。
見れば、ボールはエンドラインギリギリまで弾かれていた。慌てて一人がボールを手にし、そのままドリブルでフロントコートに運ぼうとする。
「……くっ!」
遅れて我に返ったAチームのメンバーは、ボールを奪うためにその選手のもとに走る。センターライン付近で追いつかれた彼は、二人からプレッシャーをかけられる。
その彼の視界の端に、武彦が手を挙げている姿が映った。
「もう一度、なんとかしてみせてくれよ!」
右後ろの武彦がいる方向へ、バウンドパス。
「任せろ!」
パスを受けた武彦は、ドリブルをするでもなく、パスをするでもなく、その場で跳躍し、
―――シュートをした。
まるで空を飛んでいるような彼の姿は、どこか幻想的で。弧を描き、まっすぐにゴールへ向かうボールの軌道は、芸術的だった。
パサッ……
センターライン付近。バックコートから放たれたそのシュートは、15m近く離れたゴールのネットを、静かに揺らした。
その光景にBチームは沸き立ち、Aチームは緊張を顔に浮かべる。
「こいつぁ、すげえヤツが来ちまったな……」
コートの外で観戦していたコーチが、独り(ひとり)言ちる。
「―――」
その呟きを耳にした二年のエース、五十嵐京矢は表情に焦りを浮かべた。
このままでは、努力して手に入れたレギュラーの座を一年生に奪われかねない。それだけは阻止しなければ。
武彦に向けられた彼の視線には、暗い感情が渦巻いていた。
土曜日。
この日は半日授業で部活もなかったため、武彦は一人帰途についていた。学校から10分ほど歩いて公園の前を通り過ぎた頃。人通りの少ないその道で、声をかけられた。
「そこのてめぇ、ちょっとツラ貸しな」
振り返った先には、目つきの悪い男子が立っていた。
「……」
武彦はその男を無視し、歩き出す。
「ちょ、ちょっ待てよ! 無視すんな。お前、織戸武彦だろ?」
「俺に不良の知人はいない。どこで名前を知ったかはしらんが、お前とお友達になる気はない。諦めろ」
「聞いてた通り、感じの悪いヤツだな……」
その言葉に武彦は眉を顰める。
「……誰に聞いたんだ?」
「お? 少しは興味が出てきたか?」
「いいから答えろ」
「……お前のことが大好きな先輩だよ。才能ある一年があんまりにも可愛いから、シメてこいってさ」
「―――」
「さぁ、もう話はいいだろ。俺は田臥涼太。悪いが大人しくボコられて――、」
武彦はまた、歩き出す。
「だっから無視すんなって!」
「言ったはずだ。お前とお友達になる気はないと。名乗られても困る」
冷たく言い放つと、また歩き始める。その背を追いかけるようにして涼太が何度も話しかけるが、武彦は一切反応を返さない。
しばらくそんなことが続き、イラついた涼太が、
「ったく、親の教育がなってないんじゃねぇのか?」
それは、風に流されて消えてしまいそうなほどに小さな呟き。
しかし次の瞬間。
「―――‼」
パァン……ッ!
顔を庇うようにかざした涼太の手のひらで、乾いた破裂音が鳴った。びりびりとした痛み。重く、鋭く、何より躊躇のない拳だった。
「………」
その拳を放った武彦の瞳が湛えるのは、静かな激情。
視線だけで人を射殺せそうなほどの眼光を、涼太に向けていた。
「……ハッ! なにいきなりやる気になってんだよ」
「黙れ」
それは底冷えするような響きだった。
織戸武彦という人間の、暗く深い部分から漏れ出した、殺意にも似た衝動。
圧倒的な意志の発露。
「――やるっての、かよ」
なんとか口は動いたものの、声は震えていたかもしれない。そんな恐怖に呑まれそうになった自分を、涼太は無理矢理奮い立たせた。
「親に甘やかされてきたてめぇみたいなネンネに、喧嘩なんかできんのかよ⁈」
涼太が精一杯の勇気で放った軽口には、最速の暴力が返事だった。
右こめかみを狙った、左フック。
咄嗟に上げられた涼太の右腕が、まるで金属で殴られたように鈍く悲鳴を上げた。
「二度とそんな口が利けないようにしてやる」
「……やってみせろよ」
迫りくる次の攻撃に自らも拳を構えながら、田臥涼太は思う。
あの先輩、いつかシメる。と。
「月曜から三日間の停学と、一週間の部活動停止だ」
名駒高校、生徒指導室。そこで武彦は、学年主任でもある顧問から今後の処分を聞かされていた。
「ただの喧嘩なら厳重注意で終わるんだが……織戸、ありゃやりすぎだ」
喧嘩相手の涼太は保健室に連れていかれた。二人を分けるためでもあったが、なにより涼太の怪我の治療のためである。
「幸い、大した怪我ではないそうだが……喧嘩の理由はなんだ?」
「それは……」
口ごもる武彦。
しばらくの沈黙の後、顧問は小さくため息。
「――お前たちは若いから、いろんなものに必死になる」
突然の話題に、武彦は何のことだと顧問を見る。
「人によって様々だが、お前らは必死になるもの――好きなものを見つける。だが時として、必死になりすぎたり、必要のないことにも必死になることがある……若さゆえにな」
そこで顧問は武彦を見た。
「お前の好きなことは何だ? お前のやるべきことは何だ? お前がこの学校に来た理由は?」
瞳が語りかける。
「……この三日間、そのことを考えてほしい。そして、見つけたお前の『答え』は、絶対に見失うな」
これで話は終わりだと顧問は席を立ち、扉を開く。
「じゃあな。俺はもう一人の問題児のところに行く」
扉が閉まり、残される武彦。
「……」
その胸中では、先ほどの言葉が繰り返されていた。
「俺の『答え』、か……」
学校を出た武彦だったが、家に帰る気になれず、外をぶらついていた。
夕日が地平に沈み、世界が藍色に染まる頃。武彦は公園の前に来ていた。
(昼間、ここで絡まれたんだっけ)
不良の顔をぼんやりと思い出していた武彦の耳が、微かな音を拾った。
ボールが弾む音。
その音に引き寄せられるように、武彦は公園の奥へと入って行く。
遊具が置かれたスペースを抜けたさらに奥。木々に囲まれたその空間は、バスケットコートになっていた。
「―――」
音の正体は、そこにいた。
中学生だろうか。160㎝ぐらいの身長。色が白く、華奢な体。中性的で、ガラス細工のように精巧な顔立ちを、顔を覗かせ始めた月がより美しく映えさせる。
少年は、シュートの練習をしているようだった。
シュッ――ガンッ、タン、タン……
放たれたボールがバスケットに弾かれ、コートを跳ねる。
それを拾い、何度かボールを突き、もう一度構え――シュート。
――ガンッ
またもや弾かれるボール。
だが今度は、コートの外にいた武彦のもとに転がってきた。そこで初めて武彦の存在に気付いた少年。慌ててボールを受け取ろうと動かした足は、すぐに止まった。
武彦がボールを突く。手の中で回転させ、しっかりと掴む。
そのまま腕を上げ――ジャンプシュート。
放物線を描き、ゴールに飲み込まれたボールが、コートを跳ねた。
その余韻が夜陰に融けて消えた頃。
「――すごい」
少年が、呟く
「すごいすごい! すごいですっ!」
鼻息荒く、武彦に迫る。
「今のシュート、素晴らしかったです! 僕に、バスケを教えてくれませんか?」
「いや、あの……」
意外と強い押しに、武彦はたじろぐ。
「あ、すみません。申し遅れました。僕は隼一です」
あなたは? という視線。
「……織戸武彦」
この子は独特のペースの持ち主だな、と武彦は思った。
「武彦さん……いいお名前ですね」
どこかうっとりとした表情で、少年は武彦の名を繰り返す。
「武彦さん!」
「お、おう?」
「僕の、師匠になってくれませんか!?」
「え……あ、うん」
勢いに押され、頷く。
ぱぁっ―――
大輪の花が咲いたような、眩い笑み。
「武彦さんっ」
感情が溢れ、抱き付く少年。されるがままの武彦。
「……」
――よく分からぬまま、中学生の師匠になった。
武彦が家に帰り着いたのは夜の7時頃。いろいろありすぎて疲れ切っていた。
しかし彼はここに来て、今日一番の問題に直面していた。
「お帰り、タケ君」
「……ただいま」
玄関で待っていたらしい母親に笑顔で迎えられ、武彦はぎこちなく答える。
「今日はどうしたの? 部活はなかったよね?」
「あー、それは……」
どう答えたものかと武彦は思案する。正直に喧嘩のことを話してしまうかどうか。
「いや実は――」
咄嗟に嘘を吐こうとした武彦は、言葉を飲む。彼を見る母の瞳がどこまでも純粋で、疑うことなく『武彦の言葉』を待っていたから。
「……タケ君?」
急に黙り込んだ武彦を心配そうに見る母。その姿に武彦は――この人に、嘘は吐きたくないと思った。
「母さん、実は――」
不良に絡まれたこと。不良の言葉にカッとなって喧嘩をしたこと。そのことが原因で停学になったこと。帰りづらくて外をぶらついていたら遅くなったこと。
武彦はありのまま、今日あった出来事を話していく。
「……」
母親は何も言わず、武彦の話をじっと聞いていた。黙って、すべての話を聞き終えた彼女は――
……ぎゅっ
武彦の頭を引き寄せ、その胸に抱きしめた。
「なっ、母さん……?」
「ありがとう」
突然の感謝の言葉に、武彦は戸惑った。
「喧嘩をしたことはもちろんダメだけど……タケ君は私のために怒ってくれたんだよね?」
その問いに頬が熱くなるのを感じながらも、微かに頷く武彦。
「だとしたら、やっぱりありがとう、だよ」
先ほどよりも強く抱き寄せられる。武彦はその温もりにむず痒いような気恥ずかしさを覚えた。
そして同時に――安堵。やり方は間違えたかもしれない。けれど、大事なことは間違えなかった、と彼は思った。
「ん」
母は最後にぎゅっと強く抱きしめると、武彦の手を取りリビングに向かう。
「明日からタケ君忙しくなるだろうし、早くご飯食べちゃわないとね」
リビングに続く扉を開けながら、武彦に笑いかける。
「……公園で知り合った中学生の子、面倒見てあげるんでしょ?」
その言葉に武彦は、やっぱりこの人に隠し事は出来ないな、と思った。
「でも、いいの? 俺は謹慎中なのに――」
「いいよ」
最速の肯定。
「約束したんでしょ? その子と。なら、ちゃんと守らないとね」
こともなげに、そう言ってのける母。
「タケ君。今出来ることを全力で、だよ」
翌日、日曜日。
武彦は公園のバスケットコートに一人で立っていた。
「そういや、待ち合わせの時間とか決めてなかったな……」
昨日はあの後すぐに別れたため、二人は待ち合わせの時間も場所も決めていなかった。そもそも今日、中学生が来るかも武彦には分からない。
今の時刻は9時。朝も早くから準備をして、意気込んで出てきた武彦は、自らの失念に苦笑を漏らす。
「あぁ~、完全に空回ってんな、俺」
武彦は一旦帰ろうかとも思ったが、待つことにした。すぐにやってくるかもしれない。とりあえず近くのベンチに腰を下ろし、空を仰ぎ見る。雲がゆったりと流れる様を眺めながら、ぼんやりと考え事を始めた。
「……今出来ることを全力で」
昨日母から言われた言葉。しかし武彦は以前にも一度、この言葉を耳にしていた。それは三年前の冬、武彦が中学一年生のとき。
――父親が事故に遭った。
授業中の教室に突如担任がやってきて、連れ出された先の廊下で武彦はそう告げられた。わけもわからぬまま担任の車に乗せられ、父親が搬送されたという病院に向かった。到着する頃には事態を飲み込めた武彦は、父のもとに急いだ。治療室の前に着いた武彦が見たのは、泣き崩れる母と沈痛な面持ちの医師。
即死だった、らしい。
後頭部を強く打ち、頸椎が折れ、頭蓋が割れ、脳が潰れた、そうだ。
医師から説明を受けたが、そのほとんどが頭に入らなかった。ただ分かったのは、父が死んだということ。もう彼は戻らないのだということ。
それからの数日は急激に慌ただしくなった。葬儀が続き、悲しむ暇もなく対応に追われた。しばらくそうして時間が過ぎ、ようやく落ち着いた頃、武彦は遺品整理をしていた。一週間ぶりくらいに入った父の書斎は、なぜだかひどく懐かしい感じがして、武彦は感情が溢れてしまう前に作業を始めた。
しばらく無心で作業を続けていた武彦はふと、一つのビデオを見つける。名駒高校バスケ部インターハイ。そうラベルには記入されていた。
父親は学生の頃バスケ部に所属していて、自宅の庭にゴールを設置するほどのバスケ好きだった。武彦が幼い頃には一緒にバスケで遊んだこともあった。しかし仕事も忙しくなり、武彦が友達と遊ぶことが多くなってくると、次第にバスケをする父の姿は見なくなった。
懐かしくなったのかも知れない。映像の中でも、父の姿を見たくなったのかも知れない。武彦はそのビデオを再生していた。
そして武彦は、画面に映る父親に、目を奪われた。
普段の穏やかで真面目だった彼からは想像もつかないような、攻撃的なプレイスタイル。コートを縦に切り裂くような素早い切り込み、ボールが消えたと錯覚するほどの幻惑的なクロスオーバー。そして何より、試合終了間際に放たれたロングシュートに、武彦は魅了された。
残り時間10秒。点差は2点。相手チームのシュートがバックボードに弾かれ、父がそのリバウンドを奪取した。速攻を仕掛けようとする父に、そうはさせまいとすぐさまダブルチームが付く。二人からのプレスに、身動きが取れない父。絶望的なその時、コートの外から聞き覚えのある声が響いた。
織戸君、諦めないで!
その声には魔法がかけられていたのかも知れない。彼を窮地から救う、そんな魔法が。
父が動く。彼は一歩後退すると、その反動で前に倒れ込むように踏み込み、閃光の如きドライブインで目の前の二人を抜いた。虚を衝かれた相手チームだったが、キャプテンの判断は速かった。センターライン付近で父の前に立ちはだかり、次いで二人をその左右に付かせた。
トリプルチーム。だが、父は止まらない。
今、僕に出来ることを、全力で――!
その言葉は自らを鼓舞するため。声援をくれた誰かに、応えるため。
キャプテンにぶつかるかと思われた父は、大きく、後ろに跳んだ。
――フェイダウェイシュート。
世界が止まった。と武彦は思った。
力強く、しなやかで、冗談みたいに美しいシュートフォーム。バスケットボールの空中遊泳。
残り時間0秒。リングネットが、揺れた。
逆転のブザービート。試合終了と共にすべての音がその存在を思い出し、会場は爆発した。
歓声の中。コート上で嬉しそうに笑う父は、眩いほどに格好良くて。その姿は武彦の心に、深く刻み付いた。
ビデオを見た日から、武彦は庭でシュート練習をするようになった。父の姿を頭に思い浮かべ、何本も何本もシュートを打った。
しかし、一人での練習にも限界を感じ始め――
「……名駒高校に、入ったんだよな」
父の居た場所で、父を超えるために。
「――武彦、さん?」
声変わり前の、女の子のような声。空から視線を下げると、昨日の中学生がいた。
「おう、昨日ぶり。えーと……」
「隼一、です。……もしかして、お待たせしてしまいましたか?」
すみません、昨日時間を伝え忘れてしまって。と謝る隼一。
「いや、大丈夫だよ。そんなに待ってないから」
腕時計を見ると、公園に来てから20分ほど。
「……やっぱり、武彦さんは優しいですね」
「そんなことないと思うけど」
「いえ、優しいです。今日だって、こうして来てくれました」
まっすぐな眼差しで見つめる隼一に、武彦は思わず目を逸らしてしまう。
「……そりゃ、約束したからな。約束は守るもんだ」
「ふふっ。武彦さんに頼んで良かったです」
「まだ何も教えてないぞ」
「はい。でも、僕は確信しています。いい先生に出会えたと」
そう言って笑ってみせる隼一。その笑顔に気恥ずかしさを覚えながらも、武彦は決意する。
――今出来ることを全力で。この信頼に、精一杯応えようと思った。
シュッ――ガンッ
隼一の手から放たれたボールが、リングに弾かれる。今ので100本目のシュート。
フォームは整っている。モーションに入ってからリリースまでの動作は非常に丁寧で、一連の動作は滑らかに行われている。適度に脱力もできていて、体に変に力が入っているということもない。しかし、シュートが安定しない。
(何故だ?)
武彦から見ても、隼一のシュートフォームは綺麗だった。背筋は伸び、膝も柔らかく使われていて、まるで教科書に載っていそうなほどに正確な――
「……そうか」
隼一のシュートは、『完璧過ぎた』んだ。
人それぞれ、最適なシュートフォームは異なる。隼一は正しく打つことに気を取られて、自分のフォームで打つことが出来ていなかったのだ。
「隼一」
武彦は隼一を呼び寄せると早速、気付いたことを伝えていく。
「――だから、隼一のやりやすいように体を動かしてみてくれ。足裏から指先までが、自然に連動するようなイメージで」
隼一は頷くと、フリースローラインに戻る。
深呼吸。目の前の地面に何度かボールを突き、自分のタイミングを掴む。鳩尾の前でボールを構え、腰を落とす。そのまま伸び上るように――跳躍。
これまでのシュートは飴細工のように精緻で、どこか儚ささえ感じる繊細なものだったが、今回のシュートは例えるなら――清流。柔らかく、流麗な筋肉の連動。澄み切った動作がもたらす、芸術のアーチ。
淀みなく流れるようなそのシュートは、まっすぐにゴールへと向かい、その中央を正確に射貫いた。
「……ハハッ」
武彦は思わず笑いを溢す。これが、隼一のシュートフォーム。彼にとって、最適な打ち方。そう確信できる。
「武彦さん!」
隼一も手応えがあったようで、嬉しそうに武彦のもとにやってくる。
「すごく良いシュートだった。今の動作と感覚を大切にしてほしい」
「はいっ!」
元気よく返事をする隼一。だが、その顔はやや紅潮し、玉のような汗が顎を伝っては地面に落ち、小さなシミを作っていた。
時計を見れば、もう昼前。フォームの確認をしながらとはいえ、二時間以上シュート練習をしていたことになる。
「あと何本か打ったら、休憩にしようか」
「はい、分かりました!」
先ほどのイメージを忘れてしまう前に、隼一はフォームを確認していく。5本ほど打ったところで、二人は休憩に入った。
武彦は隼一にタオルとドリンクを渡すと、ベンチに置いていたバッグから大きめの包みを取り出す。中身は二段重ねの弁当箱だった。
「わぁ、たくさんですね」
「実はこれ、隼一の分も母さんが作ってくれたんだ」
「え、そうなんですか? 何だか申し訳ないです……あ、僕も作ってきたので是非」
そう言うと、隼一は籐製の弁当かごを開く。中にはサンドイッチが詰められていて、見た目にも美味しそうだった。
「おぉ、すごいな。これもらっていいの?」
「はい、どうぞ」
二人でお弁当を分け合い、互いに舌鼓を打つ。しばらくそうして時間を過ごし、弁当も半分以上無くなった頃、武彦は気になっていたことを口にする。
「隼一はなんでバスケを始めたんだ?」
線が細く筋肉の少ない体つきは、今までスポーツをしてこなかったことを物語っている。それにボールの扱いの慣れてなさから、始めたのは最近だろうことも分かっていた。
「……実は、僕には兄がいるんです。面倒見が良くて、頼りになって……ちょっと不器用な兄が」
そう言う隼一は、照れていると同時にどこか誇らしげな表情。
「兄はバスケが好きで、部活にも入っていました。何度か、その練習を見せてもらったんです。バスケをしている兄はすごく格好良くて、僕はそんな兄が大好きでした。でも――、」
表情が、翳る。
「僕のせいで、バスケを止めたんです。僕が、弱かったから……」
生まれつき病弱だった隼一。数年前に大きく体調を崩し、入院をしていたらしい。
――そしてそこに、両親の離婚が重なった。
部活で忙しい兄。そもそも自分に興味のない両親。誰も見舞いに来ない病室で、隼一は一人ぼっちだった。
そんなある日、兄が部活を辞めてきた。
「兄は、僕のことを心配してくれたんです。これからは一緒に居てやるからなって言ってくれて……すごく嬉しかった。でも、同時に申し訳なくて」
僕が病気じゃなかったら、僕が元気だったら、兄を心配させないで済むのに。大好きなバスケを、兄は止めなくても済んだのに。
「だから、強くなろうって、思ったんです。兄と一緒にバスケが出来るくらい、強くなろうって」
そうすればまた、あの大好きな兄が見られる気がして。
「――今日は、帰り遅くなっても大丈夫か?」
「え?」
戸惑う隼一に、武彦は悪戯っぽく笑ってみせる。
「……バスケ、上手になってさ。お兄さんをびっくりさせてやろうぜ?」
「あ――」
隼一は武彦の真意に気付き――笑った。
「はい!」
「ハァ、ハァッ……」
肩で息をする隼一。今日打ったシュートの数は、既に300本に達していた。
日は沈み、空は紺青色を湛えている。昼からはこまめに休憩を入れていたが、さすがに隼一の体力は限界のようだった。
今日はここまでにしよう。武彦がそう告げようとした時。
「――なに、やってんだ」
背後からの声。その声に、武彦は聞き覚えがあった。昨日聞いたような――
「っ」
振り向くと、反対のエンドライン付近から、昨日の不良――田臥涼太が歩いて来ている姿が見えた。彼はその目に怒りを灯し、武彦を睨み付けている。
武彦は隼一を巻き込まないように後ろへ下がらせるが、隼一は涼太を目にした途端、驚いたような表情を浮かべた。その反応に武彦が眉を顰めていると、
「織戸、これは何のつもりだ」
「……どういう意味だ? 俺はただバスケをしていただけだぞ」
「じゃあ、なんで隼一がいるっ!」
その言葉に武彦は困惑する。こいつは隼一と知り合いなのか?
戸惑い無言でいる武彦に、苛立った涼太が掴み掛かろうとした瞬間。
「待って、お兄ちゃん!」
隼一が涼太の腕に縋り、叫ぶ。
「武彦さんとは昨日偶然知り合って、その時に僕がバスケを教えてもらうようにお願いしたの。だから――」
そんなに怒らないで? そう視線で語りかける。
しばらく見つめ合っていた二人だったが、涼太が先に折れた。
「……だが、納得いかねえ。もし今度発作が来たら、お前は――!」
「それでも、僕はバスケがしたい。お兄ちゃんの好きなバスケを」
涼太は何かを言いかけ、沈黙し――別の言葉を口にする。
「本気、なんだな」
「うん」
涼太は一つ息を吐き、武彦を見た。
「……明日から、俺も練習に参加させてくれ。頼む」
そう言って、頭を下げる。
「お兄ちゃん!」
嬉しそうな隼一。しかし、武彦は厳しい表情。
「いいのか?」
「本人が覚悟決めてんだ。なら、俺は近くで無理させないように見守るしかねえだろ」
「……お兄ちゃん、してんだな」
「うるせ。とりあえず、今日はもう帰っていいか?」
汗だくになっている隼一を、心配そうに見る涼太。
「あぁ。今日はもう終わるつもりだったから……明日からよろしくな」
涼太は隼一を連れて背を向けると、片手を挙げて応えた。
――水曜日。
三人での練習もこれで三日目。隼一の成長を確かめるため、この日は2on1のミニゲームをすることになった。
しかし、試合開始から間もなく、一つの問題が浮上した。
――パシッ
「あっ」
涼太が武彦の手からボールを奪い(スティール)、バスケットに向かって走り込むと、そのままレイアップシュート。ネットが翻り、衣擦れのような音。
これで田臥兄弟チームは14点目。対する武彦は6点。
「……織戸、お前ドリブル下手過ぎ」
そう、武彦はシュートの成功率こそ高いものの、ドリブルが素人並に下手だった。
「そんなんじゃ、スティールし放題だぞ」
「……実は、今までシュート練習しかしたことがないんだ。ドリブルもパスもほとんど出来ない」
「お前、そんなんでよくバスケ部に入れたな」
涼太の痛烈な一言。
「……すまない、隼一。偉そうにアドバイスしてたけど、本当は俺、人に教えられるほど上手くはないんだ」
申し訳なさから俯く武彦。隼一はそんな武彦の手を取り、明るく笑いかける。
「僕は武彦さんに感謝してます。武彦さんのおかげで、自分のシュートフォームを知ることが出来ましたから。パスやドリブルが出来なくたって、武彦さんは僕の師匠です」
「隼一……」
なんて優しい子だろう、と感激する武彦。
「ったく、内容変更だ。まずは二人の基礎練習をするぞ」
このままでは試合にならないと考えた涼太が、二人の指導を始める。
涼太は部活でバスケをしていただけあって、三人の中で一番上手だった。特にドリブル技術においては卓越した才能を持っており、鍛えられた肉体と強気の性格から行われる高速突破は強力の一言に尽きる。また、ボールを掠め取るスティールの成功率も非常に高かった。
「織戸はシュート――特に長距離からのジャンプシュートが上手い。だが、ドリブルが下手なせいでディフェンスに粘着されると弱いな。ボールに気を取られて視線が下がってしまっているから、味方へのパスも出せないし、スティールもされやすい。まずは視線を上げてドリブルできるようになれ」
涼太の指示を聞いていた武彦は、意外そうな顔。
「……よく見てるな、お前」
「分かりやすくお前が下手ってだけだ」
涼太の辛辣な一言。その通りなため言い返すことが出来ず、武彦は無言で隅へ移動するとドリブルを始めた。
武彦がしっかりと前を向いているのを確認すると、涼太は次に隼一へ指示を出す。
「隼一もドリブルがダメだが、パスのセンスが良い。シュートの成功率も上がってきたから、相手を抜くよりも揺さぶりをかける練習をしよう」
「うん」
しばらく二手に分かれて練習をし、合流してからは涼太対二人で模擬試合。
ぎこちないドリブルをする武彦。その手からボールを奪い、涼太は余裕のダンクシュート。悔しがる武彦を、隼一が励ます。
――そんな三人の姿を、コート外から見つめる男の姿があった。
「……」
その男は最後に武彦の顔を一瞥すると踵を返し、その場を去っていった。
翌日の木曜日。武彦は停学明け最初の登校だった。
涼太と喧嘩したことは学年全体に広まっていたらしく、教室内や廊下で奇異の目に晒された。そのくせ話し掛けては来ないため、武彦は一日中居心地の悪い思いをした。気まずいまま迎えた放課後。早く公園に行こうと席を立った武彦は、クラスのバスケ部から声を掛けられた。
「織戸。話がある」
山内譲治。Aチームのジャンパーだった男だ。
「俺はまだ謹慎中だから、練習には出られないぞ。それに、今日は休みだと聞いたが」
「そのことではない。今回の喧嘩騒動の……首謀者についてだ」
一瞬、山内の言った意味が分からなかった。しかし武彦は思い出す。あの時涼太は、先輩の誰かに頼まれたと言っていた。
「――知っているのか?」
「話す前に場所を移そう。ここでは人に聞かれる」
教室内にはまだ多くの生徒が残っており、何人かは珍しい組み合わせの二人に好奇の目を向けていた。
「分かった」
山内に連れられて着いた先は、使われていない空き教室。扉を開けるとそこにはバスケ部一年が勢揃いしていた。山内は驚く武彦を押して自らも教室内に入ると、早速話を始めた。
「単刀直入に言おう――今回の首謀者は、二年の五十嵐先輩だ」
「なっ」
その名前には武彦も覚えがあった。二年生でありながら、レギュラーメンバーに選ばれている秀才。
何故そんな人が、と疑問に思う武彦に、他の部員たちが補足をしてくれる。
「あの人、入部した当初はほとんど素人だったらしい。同級生の中で一番下手で、才能が無いって馬鹿にされて……滅茶苦茶練習したみたいなんだ」
「それでようやくレギュラーになれたって時に、長距離からシュートを決めまくる天才が現れた……すげえ焦ったんだろうな」
――だから五十嵐は、涼太をけしかけた。武彦に不祥事を起こさせ、バスケ部に居られなくするために。
「先輩の気持ちは分かるんだ……でも、許されることじゃない」
「今回のこと、俺たちも怒ってんだよ。だからさ、織戸。俺たちに協力出来ることがあれば力になるぞ」
そう言ってくれる部員たちに、武彦は嬉しく思う。だが、仕返しすることが正しいとは思えなかった。
無言でいる武彦に、山内が助け舟を出す。
「別に今日何かをしようって訳じゃない。先輩を許せるんだったら、それでもいい。だが、少しでもしこりが残るようなら取り除かなければならん。お互いの為にな」
必要になったら連絡をくれとだけ言い残し、山内は他の部員を連れて教室を出ていった。
しばらくその場に留まっていた武彦だが、あることを思い出す。
「――そうだ、公園!」
全速力で公園まで走ってきた武彦。放課後になってから一時間近く経過していた。
「涼太、怒ってそうだな……」
重くなりそうな心を引きずり、木々の間を抜けると、いつものバスケットコートに涼太の背中が見えてきた。遅くなったことを詫びようと近づいた武彦は、その目を見開く。
―――隼一が、倒れていた。
涼太の視線の先、コートの真ん中で、眠るようにして。
「おいっ、隼一!」
傍に駆け寄り、状態を確かめる。
元々色の白い肌は一層白さを増し、まるで蝋人形のようで、その端正な顔には多くの冷や汗を浮かべていた。
その様子に焦りながら武彦が顔を近付けると、微かに胸が上下しているのが見て取れた。
――生きてる。そのことにまず安堵する。
武彦は隼一を抱きかかえ、涼太のもとへ。
涼太は焦点の合わない目で、何事かを呟いている。
「……嘘だ……だって、アイツ……もう次は無いって……そんな……」
「涼太……涼太っ!」
虚ろな瞳が、武彦を見る。
「しっかりしろ! お前がそんなんじゃ、助かるものも助からない」
その言葉に、涼太は幾らか落ち着きを取り戻す。
「行きつけの病院が、あるだろ? 案内してくれ」
言い聞かせるようにゆっくりと。今の彼に届くように。
「あ、あぁ……分かった」
それが功を奏したのか、いまだ呆然としているものの、彼は歩き出す。
(間に合ってくれ――!)
抱きかかえる隼一の身体は羽毛のように軽く、武彦の不安と焦りを加速させた。
「――命に別状はないらしい。ただ、しばらくは入院することになるそうだ」
武彦は医師から伝えられた内容を涼太に話す。
静まり返った病院の廊下。備え付けられたソファに、涼太は項垂れるようにして座っていた。
「なぁ、何があったんだよ?」
今まで聞きそびれていた、隼一が倒れた経緯を聞く。
「……試合を、持ち掛けられた」
「試合? 誰に?」
「――五十嵐京矢。お前んとこの先輩だ」
数瞬、思考が停止する。
「どうして……?」
「お前が気に食わないんだとよ。仲良くしてる俺たちも」
涼太の瞳に、沸々(ふつふつ)と怒りが湧く。
「2on1で試合をすることになった。丁度良いハンデだとか言いやがって……舐めてると思った。だから、俺たちは全力で戦ったんだ。けど――、」
再び、目が伏せられる。
「……隼一が体調を崩したのは、五十嵐がいなくなってすぐだった。ヤツの攻撃的なプレイに追いつこうと走り回ったせいで、隼一は汗だくになってた。それで、俺がタオルを取りに行ってる時に……」
涼太は歯噛みする。
「俺がもっと強かったら、隼一が無理することもなかった……倒れることはなかったんだ!」
それは違う、と言いかけた武彦。しかしそれは、慰めにもならない気がして――そこでふと、空き教室で言われたことを思い出した。
涼太の肩に手を置き、切り出す。
「……涼太、先輩にリベンジするぞ」
――すべてを、清算するために。
数日後の昼休み。名駒高校、体育館。
バスケ部の一・二年が集まっており、コート上では武彦と五十嵐が対峙していた。
「先輩。逃げずに来てくれたんですね」
「馬鹿にするな。それよりも、俺が勝った時の条件、忘れてないだろうな?」
「もちろん」
今日こうして集まったのには、理由がある。
――武彦率いる一年生チームと、五十嵐率いる二年生チームによる3on3が行われる。
五十嵐が勝てば、武彦はバスケ部を退部。武彦が勝てば、五十嵐は今までの行いを改めるという条件で。
「それと、なぜ田臥がいる。アイツは部外者だろ」
一年チームは武彦と山内、そして涼太の三人だった。
「涼太はもう部員ですよ。入部届も受理されてます」
病院で話をした翌日。今回の試合に参加するため、涼太には入部してもらっていた。
「――先輩こそ、約束を忘れてませんよね?」
「あぁ。お前が勝てば、今後突っかかったりしない」
「田臥兄弟への謝罪もです」
「――勝ってしまってごめんなさい、ってか?」
「違います。つまらない試合をしてすみませんでした、です」
「……なんだと」
「先輩。アンタはバスケを楽しんでない。本当に好きだった頃の気持ちを、忘れているんじゃないですか」
怒りに震える五十嵐だったが、チームメイトに呼ばれ踵を返す。
「……全力でねじ伏せる。覚悟しろ」
そう言い残すと、彼は作戦会議に向かった。
武彦も自陣に戻り、涼太を中心に作戦の確認を始める。
「今回のルールは、全面の3on3。メンバー交代なしで、試合時間は20分。出来るだけ、織戸のジャンプシュートで点を稼ぐ。だが、相手もすぐに対応してくるだろう。そうなったら、空いてるスペースを探して走り回り、パスを繋いでいく――パッシングに切り替える」
二人が、頷く。
「正直、ほとんど練習も出来ていないから、それぞれの得意分野に頼る形にはなる。織戸はロングシュート。山内はリバウンド。俺はドリブルでの速攻。だが、一人で無理だと思ったら味方を探せ」
「一年生チーム、準備はいいか」
そこで、今回審判を務める二年の先輩からジャンプボールの指示が出る。三人は小さく頷き合い、山内がセンターサークルに向かう。相手のジャンパーは五十嵐だった。
審判の手からトスされたボールが真上に上がる。最高到達点から僅かに下り始めたボールを弾いたのは……山内だった。
「くっ!」
弾かれたボールを武彦が掴み、そのままシュート。
ボールがネットに絡みつき、コートに落ちた。
先制の3Pシュート。
「……」
悔しさに歯噛みする五十嵐。
二年チームのスローイン。パスを受け取った選手がゴールまで一直線に走り出す。
「甘い!」
――パシッ
涼太が正面から迫り、ボールを奪う(スティール)。彼は武彦にパスを出し、武彦は跳躍。
放たれたボールは一度バックボードにぶつかり……リングを通過した。
連続ゴール。これでスコアは6―0に。
「――一本だ。とりあえず一本決めるぞ!」
五十嵐がチームメイトを鼓舞する。
再度のスローイン。五十嵐がボールを運び、二人が武彦に付く。至極当然のダブルチームだった。
ハーフラインを越えた辺りで、五十嵐は急加速。一気に3Pラインまで迫る。
山内が立ちはだかり両手を広げるが、五十嵐はドライブインで抜き去り――ジャンプシュート。
「よしっ」
3Pラインからのシュートは、ネットを揺らした。
「この調子でいくぞ!」
俄かに活気づく二年生チーム。負けじと気合を入れ直す一年生チーム。
――試合が、白熱していく。
パサ――
五十嵐のレイアップシュートが決まり、スコアは12―15。二年生チームの3点リード。
武彦のドリブル技術の無さが響いていた。ダブルチームによりシュートが封じられ、思うように得点できない。
「くそっ」
執拗なマークに、武彦は涼太へパスを出す。
「見え見えなんだよ」
しかしそれは、五十嵐によってカットされる。彼を追いかけて涼太が走るが、間に合わない。
ゴール下まで素早く走り込み、軽く跳躍。リングに置くようにして放たれたボールは、静かにネットを揺らした。
12―17。遂に5点差にまで広がる。残された試合時間はあと2分ほど。
「――この程度か、織戸。焦る必要はなかったみたいだな」
「………」
安い挑発だと分かる。だが、武彦はその瞳に闘志を燃やした。
エンドラインからボールを受けた武彦は、ダブルチームが完成する前に走り出した。
「なに!?」
今までドリブルをしなかった武彦の、突然の速攻。二年生は慌ててバックコートへ走る。武彦はハーフラインを過ぎ、射程圏内に入ると、シュートモーションに入った。
「させるかっ」
武彦の手からボールが放たれる直前、相手チームの強引なブロック。空中で姿勢を崩した武彦は、コートに尻餅をついた。だが、
――パサッ
ボールがネットを擦る、衣擦れのような音。
3Pシュートが決まる。
「バスケットカウントワンスロー」
さらに、相手のファウルにより一回のフリースローが認められた。武彦はこれも決めて、合計4得点。
これでスコアは16―17。
「まだ、試合は終わってませんよ。先輩」
「くっ――」
二年生チームの攻撃。またしても五十嵐による高速突破。しかし、山内のハンズアップが功を奏し、シュートはバックボードに弾かれた。
「―――ッ!」
山内がリバウンドを取り、それを武彦が受け止める。
「行かせるか!」
五十嵐は武彦の行く手に立ちはだかり、その左右に二人が付いた。
絶望のトリプルチーム。
「終わりだ、織戸」
「………」
残り時間は僅か。五十嵐は勝ち誇った表情を浮かべる。しかし、武彦は諦めていなかった。
彼は右足を左前に小さく踏み出した。ディフェンスがそちらに気を取られた瞬間、右に大きく踏み込みなおす。
「しまった、ジャブステップ……!」
行かせまいと伸ばされた腕は、空振りに終わった。
武彦は、大きく後ろに跳んだのだ。
「フェイダウェイ!? 無理だ、入るはずがない!」
武彦がいるのはバックコートのフリースローライン付近。ゴールまでは20m以上距離がある。そこから不安定な姿勢で放たれた、苦し紛れのフェイダウェイ。ボールは緩やかに、高く打ち上がる。
外れた(エアボール)。五十嵐はそう確信し、ほくそ笑んだ。
……しかし、これはシュートなどではなく、味方に向けた――超ロングパス。
武彦が叫ぶ。
「――頼んだぞ、涼太!」
「任せろ!」
フロントコートにいた涼太は、ボールを追って走り出す。ボールが頭上に来ると同時、ゴールに向かって跳躍。
空中でボールを掴んだ彼はそのまま――ゴールにボールを叩き込んだ。
逆転の、ダンクシュート。
ボールがコートに落ちると同時。試合終了のブザーが鳴り響く。
18―17。武彦たちの勝利だった。
「…………」
呆然と立ち尽くす五十嵐に、武彦は晴れやかな顔でこう言った。
――これで文句ないっスよね、先輩?
【終】
短編としてまとめておりますが、機会があれば長編(連載)で書き直したいと思います。