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#1 満月の夜


 再び風が吹きはじめていた。いつの間にか夜になっていたらしい。やってきた土地とはまるで違う、人気のない往来で、男は身をかがめじっと周囲を伺っていた。

 満月の(しろ)い光が、一帯を照らしていた。ぼうっ、と、手の中の杖がかすかに光る。男は頬を引き締め、いっそう強く杖を握った。その時。

 とうていひとのものとも思えぬ絶叫が往来に谺した。続いて獣じみた咆吼。

 奥歯を噛み締め、ますます輝きを増しはじめた杖を握り全身の毛をそそけ立たせるようにしながら、男はそろそろと月の陰を移動した。

 正面に気配。男の杖が一閃する。気配は消えた。

 往来から、また物陰から、異様な声と物音が何度も上がった。男の頬にも、じんわりと汗が滲んできた。その時。

 背後から男の腰に触れたものがあった。刹那、振り向きもせず男は杖をふるいかけたが、続けてあった

「こっちへ」

 という女の声に、促されるまま踵を返した。女に導かれるままに夜の街を横切り、やがていずこかへたどり着いた。閂をはずす音とともに背中を押され、その後背後で扉の閉まる音がした。

「ごめんなさい、驚かせて」

 涼やかな若い女の声だ。声も言葉も美しかった。

「いえ……」

 男はくぐもった声で応えた。

「夜の往来は危ないわ。ましてや今夜は満月の夜──」

 女は何か言いかけたが飲み込むと、あらためて男に話しかけた。

「おじさんはこの街のひとではないわね。どうやって、どこから来たの? 何のために……?」

「わっしは旅の芸人ゆえ、ここに来たわけも特にありゃしません。ごらんの通りのめくらですんで……、ただ、先に行けば橋があるといわれるままに渡ってきた次第で……」

 言いながら男は五感を働かせていた。部屋の中の気は明るかったが、様々な匂いがこもっていた。この部屋の主である、若い女の匂い。刺激のある、──こちらは若い女の部屋にはあまり似つかわしくない──どうやら薬草の類いの匂い。それから、かすかな潮の匂い。男は少し不思議に思ったが、海が近いからだろう、と、納得した。

 女は黙ったまま蝋燭に火を灯した。伸び縮みする影の中に、ほっそりとした姿が浮かび上がる。小柄で、整った顔だちは少女といってもいいほどに見えた。こつこつと床を叩く杖の音が聞こえ、男にも女の足が悪いことが知れた。

「そう……。何も知らずに来たのね」

 声にかすかに憐憫が宿る。

「帰してあげたいけどそれもできない……この島から出るための橋は、もう波間に沈んでしまった……」

 なるほど……、と、男は思った。今夜は満月だと言っていた。大潮の時にしか、姿を現さない橋なのだろう。しかしなぜ、島へ渡る橋にそんなものを……。

「さきの悲鳴は……」

 と、 男は気になっていたことを訊ねてみた。

「とても恐ろしかった。まるで断末魔のような……それに獣のような雄叫びも……」

「おじさん」

 女が言った。

「この街では夜は外に出てはだめ。月が昇る前に部屋に戻り閂をかけ、鎧戸も閉めるの。月の光が、ひとの心の闇をあばくから」

「…………」

「月の光がひとをあやかしに変えてしまう。強い者が屠り、弱い者は食われて死ぬ……それがこの街の夜の姿なの」

「おまえさま……」

 女は呼びかけには応えず言った。

「さあもう寝ましょう。寝台はひとつしかないから、悪いけれどおじさんは床で寝てね。毛布はあるから」

 男は立ち上がり、女の誘導で部屋の隅に落ち着いた。どうやら寝台のすぐそばらしい。厚手の敷物のおかげで、床とはいえ固くも冷たくもないのがありがたかった。男は礼を述べると毛布にもぐり込んだ。


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