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#9 夜の街と人魚の話


 この島の周囲は断崖であり船をつけられる港がなく、元々ごくわずかな人々のみが細々と魚を捕り畑を耕して暮らしていたという。この人々は厳しい環境に生きるがゆえに信心深く、(わたつみ)への感謝を欠かすことがなかった。

 だがあるとき水晶の鉱脈が発見され、状況は一変した。

 対岸の街はもといた人々を追い出しこの島を天然の監獄とし、浮浪者や囚人たちに採掘させることに決めたのだ。

「おじさんが渡ってきたあの橋、それから街の高い城壁も、その時作られたの。たくさんの人の命を呑み込んで──」

 そうした人々の無念や怨念が、この街にはそのはじまりから染みついているのだ、とミオは言った。

 父祖の代から住み慣れた故郷を追われた人々の涙と怒りをも呑み込んで、鉱山が開いた。だが採掘は過酷な労働であり、坑道でも多くの命が喪われた。城壁の(うち)には、人々の絶望と怨嗟が澱のように溜まっていたのである。


「あるときひとりの囚人が死にかけて海に捨てられたの。それを助けた人魚が、この男に恋をした……。

人魚はひとの姿になり、傷ついた男と岩場の洞窟で暮らしはじめたの。人魚は幸せだった……でも男は、傷が癒えると城壁の内へと帰りたがったの──そこには男の仲間がいたから──それで人魚は、仲間とともにここに戻れば海を渡してやろう、と約束したの。なにより男が大切だったから……」

 ミオは言葉を切ると、ふ……っ、とため息をついた。

「でも男は、戻ってこなかった──」

 卓の上の燭台の灯芯が短くなり、ふたりの影がゆらめいている。だがヨウはもとより、ミオもそれを気にかける様子はなかった。

「男の仲間が男を売った。一緒に逃げようと誘われて、あろうことかそれを獄吏に告げたの。男は拷問の果てに殺され、男の死体はまたも海へと捨てられた──そうするのが、この島のやり方だったから──」

 あやかしの跋扈する夜、しっかりと戸締まりされた小さな庵の中で聞く伝説(むかしばなし)は悲しみに満ちていた。

「満月の光の中に人魚は変わり果てた男を見つけた。その嘆きは、どれほどのものだったか……。でも悲劇はそれで終わらなかった。男を責めたて人魚の存在を知った獄吏たちは手に手に棍棒や刺又を持って、人魚を求めて岩場へとやって来た……」

 ささやくようにミオは続けた。

「追い詰められた人魚は、怒りに狂って人々を呪ったの──」

 刹那、男の心に激しい情動が流れ込んできた。悲しみと怒り。どれだけ悔やんでももう届かない悔恨。おのが保身と欲望のままに、愛する男を惨殺したばかりか自分までをも殺そうとしている人間ども。髪を振り乱し、目をつり上げて激しく呪う女の姿が、ヨウの脳裏にまざまざと浮かんだ。


  ひととはさほどに醜くおのが欲望に忠実なものか

  月の光がうぬらの本性を暴くだろう

  我は海神(わたつみ)の娘

  我と我の思い人に仇なすものにはむくいがあるものと知れ──


「人魚の呪いにこの街に染みついた怨嗟が感応して──、この街は恐ろしい街に変わってしまった」

「時が移りこの街は開放されたけど、呪いは解けぬまま。朝日が上るたびに無残な死体が横たわっている……だけど水晶の輝きに魅入られた人々は、この街を捨てようとしなかった……」

「なによりおのが欲望に従うことに、抗いがたく惹かれたから──」

 ヨウの呟きに、ミオはふっ、と小さく笑って言った。

「その通りよ。獲物を引き裂く(よろこ)び、のたうつ肉の熱い血の味を知ってしまった人々は、もう『ひと』には戻れない」

 だから危険を知りながら、夜歩く者は今も絶えないのだ、とミオは続けた。

「昼間はみな普通に暮らしているの。誰も夜のおのが姿を知らない。だけど心の奥深くに隠された、おのが欲望がささやくのよ。夜に()でよ、月の(もと)に解き放てと──」

「この街の夜の恐ろしさは岸の街にも聞こえていて、たいていの人はもう近づこうともしないけれども、今もときおりやってくる人はいるの。おじさんのように騙されて何も知らずにやってくる人、水晶でひと山当てたい人、何らかの理由で岸の街にいられなくなった人──みんな、月の光に呑まれていった──」


 語り終え、ミオは今にも消えそうな燭台に新たに灯芯を入れた。ぼうっ、と、室内がほのかに明るくなる。ミオはうつむき小さくため息をついた。

「巫女さま……」

「おじさん」

 と、目を伏せたままミオが言った。

「おじさんはこの街を出なければいけないわ。次に橋が現れたら、必ず」

「おまえさまを置いて、それはできません」

 ヨウはきっぱりと答えた。ヨウにはミオが、すでに「守るべき(あるじ)」だった。

「おじさん──」

 ミオは繰り返した。その声には涙が滲んでいる。

「おじさんは、ここにいてはいけないの。わかるでしょう──」

「では、おまえさまも一緒に」

 ミオは(かぶり)を振った。

「おまえさまこそ、こんな街にいてはいけない。一緒に出ましょう。わっしが必ず、おまえさまをお守りします」

「きっとおじさんなら、本当に私を守ってくれるわね。私も、おじさんを頼りたくなってしまうわ……」

 ミオはかすかに笑ったようだった。だが嗚咽が漏れ、ヨウは思わず手を差し伸べた。しかしそれ以上はためらわれ、空をさまよった手をミオが取った。

「おじさんと旅ができたら、きっとすてきね。村や街の辻々でおじさんの三弦にあわせて私が踊るの。作物の出来を占ったり子供の病を癒したり、……そんな旅ができたら──どんなにか──」

「できますとも。おまえさまの車を引いて、わっしがどこへでもお連れします。どこまでもお供します」

 我知らずミオの手に重ねたヨウの手を、ミオはそっと外した。

「おじさんと一緒にいきたいけど、いけない……。 私はここを、──この海を離れられない……」

 ミオの声が室内の影に融けていった。あとには小さな嗚咽だけが残った。



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