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きっかけは一通のメールだった。
誰だか分からない奴からメールがきた。ケータイに登録されている名前は『まぁこ』と表示されている。誰だか疑問に思い、コイツのプロフィールを見ると、そこから得られる情報は他に電話番号と誕生日だけだった。これでは誰だか予想すら立てられない。
何で本名で登録してないんだよ。よりによって渾名で登録とか誰だか分かんねぇよ……。
メールの本文は至極簡潔に、
『明日の昼に話したいことがあるから昼に屋上に来てくれないか?』
と書いてあった。話の内容は分からないものの面倒なので正直メールで済ませたい所だが、こう言われては仕方ない。俺は『いいよ(*^^*)』と直ぐ様返事をする。顔文字は以前のメールを見る限り多用していたから取り敢えず付けておいた。
屋上は常時ドアに鍵が掛かっておらず、開放されている。だが何故かこっちの俺は屋上の鍵を持っていた。恐らく複製したのだろう。使用理由は深く考えないでおく。まあ、屋上に他の人が入ってきては不都合な時があったんだろう。何にせよ、今回は取り敢えず持っては来たものの今のところ使う予定はない。
昼に屋上に行くと、もう先客がいた。彼女こそ昨日俺にメールをした『まぁこ』だろう。
「待った?ごめんね」
申し訳なさそうな顔でそう言って駆け寄ると彼女はこっちを見る。何というか、普通にデブスだ。背は結構高い。俺より少し下くらいだろうか。服は少し着崩していて、シャツのボタンが二つほど開いている。まあこちらでは結構イケてる感じなのだろう。強いて良いところを挙げるとするならば、艶々とした肩まである黒髪だろう。余りにも艶やかなので、何かオイルみたいなものでも塗っているのではないかと思うほどだ。っていうか多分何か髪に付けてると思う。よく分からないが、俺の部屋にあるトリートメント(流さないタイプ)みたいなやつとかさ。アレ、初めて見たときは結構驚いた。最近はそんなのあるのか、と。
「いや、私も今来たところだから」
落ち着いた声で話す姿に、俺はホッとする。どうやら悪い人では無さそうだ。
「それで、急にどうしたの?」
「ああ、うん、いや……、あ、そういえば多分お昼まだだろ?食べながら話さないか?」
俺がそう尋ねると彼女は言い淀んでから昼食に誘ってくる。そんなに言いにくいことなのか?嫌な予感しかしないその返答に少し不安になる。
「話ってそんなに長いの?なら、構わないけど…」
そう言いつつお弁当を鞄から出し、屋上のコンクリートの床に座ろうとすると、流れるような動作でブレザーを俺の尻の下に引いた。やだ、紳士。女だけどな。
「有難う」
今更遠慮も出来ないのでにっこりと笑ってお礼を言うと、彼女は少し頬を染める。これは多分俺に惚れてるな……。
俺は取り敢えず、ピンク色が基調の花柄の弁当箱を開いた。弁当箱が女っぽいとか言ってはいけないんだ…。
今日の弁当の中味は肉巻きとほうれん草の煮浸しに甘めの卵焼きだ。どれも父の手作りである。今日も相変わらず美味しそうだ。
父の料理はこう言ってはなんだが絶品だ。下手なファミレスなんかでは敵わないような腕前である。正直あっちではいつもくたびれたような顔をしたうだつの上がらない人だったので、こっちに来た時は驚いたものだ。母も母でバリバリと仕事をしており、しかも大手企業の部長職についている。いつもおっとりとしていて何につけても動作が遅かったあの母が今やバリバリのキャリアウーマン。その変わり様は、立場が逆になるとこんなにも上手くいくのか、とつい感心してしまうほどだ。
ともあれ、俺は弁当の匂いにつられ、暫し隣に彼女がいるのを忘れてしまっていた。すると前方からフフッ、という笑い声が聞こえる。顔を上げると彼女の顔が目に入った。いつの間にか俺の目の前に座っている。近過ぎも遠過ぎもしない絶妙な場所だ。
「好物でも入ってたの?」
可笑しそうに笑われて、俺は恥ずかしくなった。俺、何かご飯キャラみたいで恥ずかしい奴だな…。
「まあ、そんなとこ」
「そうなんだ。知らなかったな、そんなこと」
そう言って彼女は眉尻を少し下げるものだから、笑顔が困ったような顔になる。
え、何だ?何か台詞間違ったか?
「付き合って三ヶ月も経つのに、私って全然サクのこと知らないんだなあ…」
「え…?」
付き合っていた?俺と、コイツが?
「なんちゃって。ごめんね、急に。私もお昼食べよっかな」
俺が戸惑った顔をしているのに気が付いたのか、彼女は話を切り替える。鞄から弁当を出す時に彼女の数学の教科書がちらりと見える。その教科書に綺麗な字で、『田原真弥』と書いてあるのが見えた。