九、統べる者
疲れきった身体を馬上にあずけ、レイルズは城を出た。
魔物の襲撃を覚悟していた彼だが、城内は不気味な静けさにつつまれ、反響する自分の足音に怯えるほどであった。詰問された門番すらもいつの間にか消えており、レイルズは不吉を予見せざるを得なかった。
彼は休息を欲する身体にムチをうち、ディーン騎士団フェルダン街庁舎へ急いだ。たいした戦力は残っていないが、このまま放置もできない。実戦部隊に指示をだした後は、ボア将軍への援軍も要請しよう。魔物が城を占拠しているのならば彼らもきっと動く。無様さを嘲笑されるだろうが、死ぬよりはマシであった。もっとも、ソゥル捜査官であれば、死んだ方がマシだと言いそうだが……
レイルズは貴重な体力を使ってささやかに笑った。しかし長くは続かない。
「……フェルダン伯はどうされたのだろう? 魔物に殺されているのだろうか、それとも監禁でもされているのだろうか」
優秀な事務官といえど、敵が魔物という未知の存在なだけに正確な分析は不可能であった。彼は空回りを続ける推測をやめ、馬を急がせた。
やべぇな、とハーツは思った。ここへきて体力の衰えが顕著となっていた。アーリマンとて儀式での疲れがあるだろうが、ハーツに比べれば微々たるものだ。自信を持って雷光を受けとめたものの、支える力と気迫はいかんともしがたいほど消耗していた。
今からでも退避はできるであろうが、彼は動かなかった。
(護りたいのか? このオレが、こんな女を?)
逡巡がうまれた。ハーツの脳は一秒の何分ノ一の時間、空白となった。アーリマンの魔力につけこまれ意識はすぐに戻ったが、納得できない憤りが自分の内に芽生えていた。
違う、護りたいわけじゃない。ただ性欲のはけ口にして、神を信じる馬鹿女に一生消えないキズをつけたいだけだ。そう、女なんぞオレの玩具になって死んでいく生物なんだ!
「うらァ!」
憤りが肉体を鼓舞し、わきあがる精神力を剣にこめ、ハーツは吼えた。そのエネルギーはアーリマンの殺意に満ちた魔力をおしのけ、態勢を五分に立て直した。
真正面からぶつかり合う二人は、もはや対等であった。両者の瞳とアザは赤く輝き、ただ敵を圧倒しようと力をぶつけあっていた。
「少しはできるようになったか」
「偉そうに言ってんじゃねーよ。これからテメェは死ぬんだぜ」
「いきがるには早い」
アーリマンの赤い殺意が、青へと変化をはじめる。それにともない、魔の雷は熱量と破壊力を膨らませていった。
「吾に下れ。吾に仕えるのだ、息子よ」
ハーツの頭で何かが弾けた。
「息子と呼ぶなァ!」
ハーツの瞳もまた、蒼炎を放つ。怒りと憎しみを原動力とする狂気の魔物が、ハーツの心と肉体を支配していった。
闘いの天秤は、再び均衡を取り戻した。
「怒りにより力を解放するか。まだ制御はできぬとみえる」
「うるせェ、テメェを殺せればそれでいいんだよ!」
「それとも女を護るためか? 人間のようだぞ、ハーツ」
「うるせェェェ!」
ハーツの咆吼で大気が震撼する。まともな精神状態の人間であれば、それだけで恐怖に狂い、失神するか逃げまどうであろう。この場にいる人間の一人は未だ祭壇の上で朦朧としており、もう一人は並の精神力の持ち主ではなかった。
その強い精神力の持ち主は、行動を起こしていた。
ブラディが消えた恩恵でソゥルの呪縛は解けていた。しかしハーツとアーリマンの闘いに割りこむだけの力量がないと自覚している彼は、一計を案じた。つまり、両者がにらみ合ってる間にミレイユを救出して逃げる、『漁夫の利』作戦を企てたのである。彼にしてみれば、ハーツとアーリマンのどちらが倒れても心は痛まず、むしろ共倒れが理想であった。
結果的にハーツの気まぐれに救われたのはシャクだが、生き延びたらオレが逮捕してやるさ。そう嘯くだけ、彼は今の実力を理解している。まずは生き延び、話はそれからだ。レイルズが聞けばさぞ落胆するであろう思いを秘め、ソゥルは祭壇へ近づいた。
陰に隠れ、祭壇から伸びるミレイユの細い足首をつかみ、引きずりおろす。全裸なのが刺激的であるが、さまざまな感想は後回しにして上着で彼女を包んだ。
ハーツとアーリマンは舌戦を繰り広げている。チャンスだ。ソゥルは小さな身体を肩にかつぎ、走り出した。
「ハーツ、お前の女が逃げるぞ」
アーリマンの嘲笑でハーツは視線を移した。確かに女が祭壇からきえている。
「やはり甘い」魔物は隙を逃さず、一気に魔力を高めた。
ハーツは油断した自分を呪いながら、南側の壁に叩きつけられた。
それでも余裕をもって立ち上がるのが、今までと異なるハーツの力であった。
「テメェ、その女はオレのものだ! 置いていきやがれ!」
命令されてとどまるほどソゥルはお人好しではない。完全に無視して扉へ駆けていく。
「その女は生け贄なのでな、放置してはおけぬ」
アーリマンが指を鳴らした。効果はてきめんに現れ、ソゥルの向かう出口のほうから騒々しい物音が接近しつつあった。最初に現れたのは正気ではない数十の兵士、続いてどう観察しても屍としか思えない人間が、さらに背後には魔物が群をなして迫っていた。
「男は殺せ。女は祭壇に捧げるのだ」
彼らは従順であった。ハーツは無視し、ソゥルだけを狙って殺到する。
「やれやれ」とソゥルがため息をついたのは、あきらめではない。仕方なくミレイユを祭壇に寄りかからせ、彼本人は勝機を見出すために金剛尖刀を引き抜いた。
「ひさびさに無茶してみるか」
聖なる魔石で造られた刀からは、まるで彼の命が宿ったように強い光が放たれた。
ガガーリン正規軍が駐留している砦にたどりついたレイルズは、ボア将軍に至急の面会を求めた。来客中のため控え室で待つように指示されたが、焦りを隠せない事務官は従うふりをしつつ、将軍の執務室へと走った。
幸いなことに、執務室の前には兵がいなかった。急ぎノブへと手を伸ばし、扉を開けようとしたとき、内部の声が漏れ聞こえてきた。
「……計画どおり、まもなく終わるわ。そうすれば……」
若い女の声であった。どことなく聞き覚えがあるが、思い出せなかった。
続いて聞こえたのはボア将軍のものだった。いささか興奮しているようだ。
「そうか、では出向くとしよう。これであと数年もすれば、ワシも……」
「そうね、待つ時間は長くて二年。あとはもう一瞬の出来事よ」
「楽しみだわい」ボア将軍の哄笑が廊下にも大きく流れた。
「……ところで、外に誰かいるようよ。あたしは先に失礼するわ」
「なに?」将軍は慌てて手鐘を鳴り響かせた。
いたるところから兵士が現れ、レイルズは苦笑しつつも抵抗せずに捕まった。
「何をしていた?」
ボア将軍は、後ろ手に縛られたレイルズをにらみつけた。
「恥をしのんでお願いにあがりました。フェルダン伯爵の居城が、アーリマンという魔物の総大将に占拠されており、騎士団所属捜査官ソゥルが未だ一人で戦っております。ゆえにガガーリン騎士団の応援をお頼みに参りました」
ボア将軍は貧相なヒゲを撫でた。
「フン、だからディーン騎士団などさっさと撤退しろと言ったのだ。それを今さら……」
「我らのことはいくらでもお嗤いください。ですが、どうかフェルダン領の、ひいては西部連合のため、将軍閣下のお力をお貸し下さい」
「フン……」
鼻でわらったものの、ボアは悪い気がしなかった。小生意気な若造が粋がったあげくに無様に失敗し、助けて下さいを低頭する。なんとも愉快ではないか。それにどのみち、城へは向かうところ、手みやげ代わりに連れて行くもよいか。
「まぁ、よい。兵を出してやろう。貴様もいっしょに来るがいい」
「もちろんです。ありがとうございます」
レイルズは本心から謝辞を述べ、「ディーン騎士団も準備いたしますので、一度戻らせていただきます」とつけくわえた。
「その必要はない。そちらに戦力が残っているとも思えん。かえって軍の統率を損ねるので、貴様以外は連れて行かぬ」
レイルズに反論はあった。が、ここでまた将軍の機嫌を損ねるわけにもいかないので、彼は仕方なく了解した。
ボア将軍の他意には、明敏な彼でさえ気づけなかった。このときがレイルズの運命の大きな分岐点となる。のちに彼は何度も振り返る。なぜあのとき、もう少し慎重になれなかったのだろうかと。人生と歴史に『もし』はない。それでも言わずにいられないときが誰にでもあるのだ。『もしあのとき、――だったら』と……
ソゥルは近づくすべてを切り裂き、貫いた。術を行使して魔法を跳ね返し、力任せで襲いかかってくる魔物にはカウンターを喰らわせ、飛びかう蟲群を魔法で灼き、数時間に及ぶ戦闘を生き続けた。
一方、ハーツはアーリマンと刃を交え、一進一退の攻防に終始している。巻き添えをくらって死に至る魔物もいるほど――ソゥルはそれも計算に入れてうまく立ち回っていた――、彼らの闘いは常軌を逸していた。
「爆砕!」
『暴風』がアーリマンに叩きつけられた。魔剣の力が発揮され、目標を中心に爆発が起きる。操り人形と化したフェルダン騎士団の一群が巻き込まれて天井まで叩きつけられていたが、総大将たるアーリマンには微風程度だったようだ。
「威力が落ちているな。疲れたか?」
「うるせェ、テメェのほうこそ顔色ワリィぞ!」
「なるほど、では、このへんで終いといこう」
「おう、こいやァ!」
アーリマンは軽く跳んで距離をとり、初めて両手を掲げた。その掌に収縮する魔力は、桁違いに高密度で高火力であった。
「これが吾の力である」
「ならこっちも全力でいくぜェ!」
『暴風』を両手に持ち直し、数秒の静から、一気に爆発する動へと移った。
「死んどけやァァァ!」
瞬時にして間合いへ飛び込み、渾身の横薙ぎをアーリマンにぶちかます。
魔物は両手を振りおろし、純粋な魔力をハーツに叩きつけた。
『暴風』と魔力が激しい衝突をおこし、閃光と高熱と爆音を発する。
光の渦にとけていくハーツを視界にとらえ、アーリマンは微笑した。が、喜びは長くなく、魔物は光から伸びる黒い手に頭をとらえられた。
メキッ!
骨がきしむ音を、頭蓋は直接聞いた。
「ものたりねェぜ、アーリマンよォ」
血塗れのハーツが、殺気を青い炎に変えて笑った。左腕で父親をつり上げ、右手の『暴風』を軽く振る。
アーリマンの左腕が落ちた。
呻く魔物に、ハーツの暴力は続く。掌をひろげてアーリマンを解放し、床に落ちたところを右腕切断。
「おい、どうしたァ? まだだ、まだ死ぬなよ」
黒い大刀は、両腕を失くした男をさらに追い打ち、両足を粉砕した。
「テメェ、生け贄を欲しがっていたよな。だったら――」
ハーツはふたたび魔物をつかみ、祭壇の上に投げ捨て、「テメェがなれよ!」と魔界六頭目の一人アーリマンの胸に『暴風』を突き刺した。
「しぶてぇなァ、まだ死なねーのか?」
「……吾は、魔界…六頭…目が一人……。出来損ないの…魔物など…に……」
「誰が魔物だ。テメェといっしょにすんじゃねーよ」
「ハーツ……、貴様も、魔物…だ……」
「死ね!」ハーツは剣を刺したまま、「爆砕」を唱えた。アーリマンは何かをつぶやいたまま粉砕され、肉片を四方に飛び散らした。
血しぶきが高く高く天井にまで達したとき、祭壇上空を旋回していた光球が大きくはじけ、ハーツの頭上に光の雨を降らせた。
「儀式終了、てか」
ハーツは哄笑し、勝利に興奮した。周囲の喧騒がおさまりつつあった。
静けさに気づき視線を巡らせると、それまでソゥルと争いを続けていた魔物たちが、ハーツを中心に膝を折っていた。
「……どういうことだ、こりゃ」
魔物の一人が答えた。
「我々は、あなた様に忠誠をお誓い申し上げます。何なりとご命令ください」
「主人の鞍替えってワケか。……まぁいい、こき使ってやるさ」
「では、ご命令を……」
「そうだな、まずは邪魔者の排除からだな」
ハーツは『暴風』をソゥルに向けた。
「機嫌がいいから今回は見逃してやるぜ。さっさとこの城から出ていきやがれ」
「……ミレイユはどうするつもりだ」
「この女はオレのモンだ。心配しなくてもかわいがってやるさ」
「なにィ……!」
ソゥルは荒い息づかいをしながらも、剣をかまえなおした。
呼応するように、ハーツも殺気をみなぎらせる。
「待って……」ハーツの怒りを鎮めるように、か細い声が二人のあいだに入った。
「わたしはどうなってもいい。ソゥルは帰してあげて……」
「ミレイユ!」
「ソゥル、ありがとう。でも今は逃げて。いつか必ず、また逢えるわ」
差し出された手をつかもうとソゥルは腕を伸ばす。だが、ハーツの蹴りがそれを許さなかった。
「……わかったろ、コイツはオレのものだ。テメェはさっさと消えろ。これ以上ウダウダ言ってると、女のまえで惨めになぶり殺すぞ」
「ク……」ソゥルは奥歯をかみしめ、立ち上がった。
「ミレイユ、きっと救ける……!」
足を引きずり遠ざかる捜査官の後ろ姿を、ミレイユは一生忘れないだろうと思った。
「大地と豊饒の女神の加護が、ソゥルにありますように!」
不思議と涙は出なかった。これは終わりではない、はじまりなのだ。ミレイユの内で、決意と覚悟がみなぎっていた。
ミレイユは、広い部屋の広いベッドで横たわっていた。フェルダン家当主が代々使用していた寝室で、長い伯爵家の歴史を見守ってきた風格がかつての栄華をたゆたわせていた。
ハーツが濡れた髪を無造作になでつけながら、ベッドの縁に腰かけた。
「血の臭いってのはとれねーな」
左腕を鼻にあて、湯をかぶったばかりの体臭をかぐ。魔物を血肉が、すでに身体の一部となっているような錯覚がした。
「テメェもすこしは落ち着いたかよ?」
「……ええ」
反応はきわめて鈍い。いや、彼女はわざとそう振る舞っていた。これから自分の身に起きる出来事を、他人の視線で見つめたかった。
ハーツはフン、と鼻を鳴らした。めんどくさげに彼女の胸を鷲掴みにし、顔を近づける。
「どうだ、これから強姦される気分はよ?」
「あなたには絶対に屈しない。肉体が汚されても、心はあなたを許さないわ」
「なら、泣き叫べ。助けを請え。抵抗してみろ。神に祈りながら絶望しやがれ!」
胸をつかまれた指に、力がこめられた。ミレイユは痛みに声を漏らしそうになった。
「どうした、黙って姦られるか? 戦う気力もねーか?」
「今さら逆らってみても、力では勝てないわ」
「だからおとなしくしてるってか」
ハーツのこめかみに、血管が浮き上がっていた。
「ふざけんな! 自分を護りたきゃ戦え。抵抗しろ。ガムシャラに暴れまくれ。それができなきゃ泣きわめいて許しを請え。やめてくださいって言ってみやがれ!」
ハーツはミレイユの陰部を乱暴にまさぐり、肉体と精神に辱めをあたえた。
未経験の強烈な感触が全身に電気を走らせたが、それでもミレイユは唇を噛んで声一つ漏らさなかった。
「強情はってんじゃねェ! こんな張り合いのねェ女、抱けるかよ!」
「……なら、やめればいいじゃない」
「テメェ!」
ミレイユの頬に、痛みと熱が発現した。ハーツの平手が、音を立てて通り過ぎていく。
「さぁ、泣け! 懇願しろ! さもなきゃ抵抗しやがれ!」
荒れ狂う男の姿に、女は涙を見せた。
「へ、やはり泣くのか。そうだ、それでいいんだ」
馬乗りになって見下ろすハーツに、ミレイユは哀しくなった。この人は、こんなふうにしか人を愛せないのだ。侮蔑、憎悪、恐怖と、どんな形であれ、自分を見つめてくれる存在が彼には必要だった。性格か、それまでの生き様のせいか、彼は自分からは他人を愛せない。だから余計、他人からの愛情を欲するのだ。ゆがんだ形であっても、自分を想ってくれる人間を、ただひたすらに求めて生きてきたのだろう。
ミレイユは黙って涙を流し続けた。ハーツは泣いている自分を見て、屈服したと思いこんでいる。舌を這わせ首筋を舐めている獣に、同情はするが許すつもりはない。勘違いしたまま勝ち誇って、好きなだけ身体を汚すがいい。わたしは絶対に、あなたに屈服することはないのだ……
ミレイユはハーツの律動に顔を歪めながらも耐えた。そして飽きるまで抱かれ続けたあとには、涙も涸れ果てていた。




