七、道は交わり
ハーツが進む果てのない回廊は、すべてが血で塗装されていく。彼自身もまた赤色を深く重ねて、黒い髪も服も下地とは異なる黒に塗りつぶされていた。
彼自身の赤も床を濡らしている。いったいどれほどの時が過ぎ、どれだけの敵をほふってきたのか、彼にもわからなかった。荒い息づかいで壁にもたれ、意識をつなぎとめようと懸命に愛刀をにぎる。思考力はにぶり、五感は麻痺し、それでも生にしがみつこうと這うように一歩を踏み出す。
「クソッタレ、どこまで行きゃいいんだ……」
答える者のない薄暗い通路。ときおり見える窓外には、未知の大地が広がっている。アーリマンによって昏い穴に落とされたさきが、『魔界』と呼ばれる暗黒の地であった。石造りの部屋で眼をさまし、唯一の扉を押し開いてみると、待ちかまえていた魔物が襲ってきた。退く場所もなく、味方もなく、彼はわけもわからず怒りにまかせて闘った。闘って、闘って、闘い続け、アテもなく突き進んだ。ときには飢えと乾きを癒すために倒した魔物をむさぼった。生肉をかじり、血をすすり、病気となり熱にうなされても、彼は闘い、また魔物を喰らった。
今も高熱にうなされ、冷たい水と深い眠りが何よりも欲しい心境であった。魔物が一時的に消えて緊張感がとけていたのも、身体の重さを感じさせる原因の一つだった。腰をおろせば二度と立てないであろうとハーツはわかっていたので、『暴風』を杖がわりに歩みをとめなかった。
「あのヤロウ、殺す……。あいつはゼッテェ殺してやる……」
呪文のように繰り返し、彼は進む。つぶやくことでようやく生命を燃焼させていたハーツだが、自分以外の生命反応を感じると炎は一気に高まった。
回廊の果てに、変化がみえる。研ぎすまされた感覚が何かがあるのを報せていた。そして、いくつかの魔物の気配もまたハーツの乾いた肌を刺激した。
「ようやく出口か。どいつもこいつも、ぶち殺してやる!」
ハーツは狂ったように嗤い、部屋へ駆け込んでいった。
巨体を持った悪魔の群がハーツを待ちかまえていた。体格も魔力も凌駕するであろう敵であっても彼の興奮をさます効果はなく、かえって殺意を剥きだしに輝かせた。
飛び交う魔力弾を避け、はじき、かすめながら、『暴風』を振りまわす。一瞬でもひるんだ魔物を視界にとらえると、容赦なく斬殺し、爆殺した。一体が片づけば咆吼し、二体目を粉砕すれば哄笑し、次を貫けば返り血をすすり、どちらが悪魔かわからぬほどの形相で彼は『魔物殺し』を愉しんだ。
「どーしたよ、それで終いかァ!」
ハーツの肉体も精神も、徐々に魔物へと変化しつつあった。
七月五日、ミレイユはフェルダンの地を踏んだ。
途中、大地と豊饒の女神を祀る神殿で聖印――加護魔法――を授かり、また、フェルダンからの避難民より情報を得たりと、遅れはしたが無事にたどり着けた。
ミレイユがフェルダンへ訪れたのは三回目である。しかしながら、過去二回の記憶がウソのように街は荒れ果てていた。大鐘堂は破壊され、家屋はガレキと化し、路地には死体が腐臭をはなち、河は変色している。戦争というものの現実を初めて目の当たりにしたミレイユは、ただ絶句し、呆然と眺めるだけであった。
ここまでひどいとは思わなかった。ガガーリン騎士団から予想以上に迅い援軍があったと聞いたが、それでも魔物の勢いはとめられなかったのだろうか。これでは犯罪者を追っていたソゥルたちは、もう街を離れてしまったかもしれない。最高賞金首の『災厄』ハーツがフェルダンへ入ったというのに、このままでは捜索もままならない。
ミレイユの思考がそこでとまったのは、物音を聞きとめたからであった。人の話し声と、建物を壊すような音だ。
静かに現場へと近づき、そっと影から様子をうかがう。
ガガーリンの紋章をつけた鎧が三つほど建物を出入りしていた。
「へっへへ…、あるぜあるぜ、食料も金銭も。よっぽどあわてて逃げ出したんだな」
「オレたちがたきつけたからな。『魔物が来るぞ』てよ」
「まぁ、こういうオイシイ役得でもなけりゃ、やってられねーよ」
「同感だ」兵士たちは大声で笑った。
生来の正義感に火がついて、ミレイユは突発的に怒鳴った。
「あなたたち、それでもガガーリンの正規兵なの! 略奪なんて恥ずべき行為よ!」
心臓がとまるほど驚いた三人の兵士だが、若い娘と知ると顔をほころばせた。彼女の胸にディーン騎士団印を認めても、彼らの下卑た表情はあらたまらなかった。
「これはこれはディーン騎士団のかたですか。これには深いわけがありまして、ぜひお話を聞いていただきたい」
「あなたがたが弁明するのは軍法会議でよ。おとなしく出頭なさい」
兵士たちは顔を見合わせ、そして大笑した。
「お嬢さん、まだよく立場がわかってないようですな」
「な、なに?」
不安を感じた彼女が一歩退くのと、兵士たちが大きく踏み出したのは、ほぼ同時だった。
「ディーン騎士団が今さら偉そうな口をきくな!」
「そうそう、犯罪者の捕獲に向かって返り討ちくらっておいてよ!」
「さっさと街を出りゃいいものを、こんなとこに慰安サービスかよ!」
ミレイユの頭のなかで困惑と怒りが螺旋を描いていた。返り討ちをくらった? ソゥルが? 大勢の賞金稼ぎも同行していたはずなのに? もしかしてハーツが犯罪者たちに手を貸したのだろうか? あの魔女もいっしょのはずだし、それで負けてしまったのかも……
「――て、慰安サービスてのはどういう意味よ!」
「〈聖楯〉」ミレイユは、身体に刻み込まれた大地の聖印から魔法を発動させた。ごく簡単で小規模な結界陣を作りだす術しか会得できなかったが、身を守る手段としては有効で、その魔術には害意をもって彼女に触れる『生物』をはじき飛ばす効力がある。
兵士の一人が緑色の薄い光に護られたミレイユに手をのばし、強烈な電気をあびたように大きくはじかれた。背中からガレキの山にぶつかり、うちどころが悪かったのか、彼はそのまま気を失ってしまったようだ。
「チ、契約魔法かよ。せっかくの身体をキズモノにしやがって」
一人が唾を吐くと、もう一人が「くだらん冗談だな」と鼻で笑った。契約魔法とは、呪文を身体に呪印――聖印とも呼ばれる――としてあらかじめ刻み込んでおくことで、合い言葉ひとつで発動させられる魔術である。近年、魔術師といえば契約魔法を数多く身体に刻んだ者がほとんどであった。ブラディのように『霊素』と『魔素』を自在に操り魔法を行使する本物の魔術師はほんの一握りしかいない。
「おとなしく陣幕へもどり、軍法会議を受けなさい」
「いい気になるなよ、小娘ェ」
兵士は剣をぬき、ミレイユに迫った。武術の心得のない彼女だが、泣き言を漏らす余裕はない。覚悟を決めて相手の動きに注視した。
相手も殺すのをためらう素振りがある。ミレイユはそれにつけこんで、大して鋭くもない剣戟をかわし、流れた肩に右手を当てた。
〈聖楯〉は兵士を敵と認識し、術者から遠ざけようと激しく反応した。兵士はもんどりうって転がり、壁に激突した。
最後の兵士が二人目の無様さに声をあげている隙に、ミレイユは彼の背中に触れていた。兵士は呆気にとられたのか彼女に対する敵意が消えていたようで、〈聖楯〉の効果は発動しなかった。
「降参しなければあなたも彼らと同じ目にあうわよ」
「……わかった、降参だ」
「では武器を捨てて手をあげてください」
男は黙って指示に従った――ように見せかけた。武器を置くためにかがんだところで、背中の圧迫感がきえ、反撃に転じようとしたのである。
しかし、ミレイユも以前ほど甘くはなかった。素早く兵士に触れ、はじき飛ばす。
ハーツにいたぶられ、自尊心も信仰もうち砕かれた第一級犯罪捜査係三等事務官兼ハーツ専属捜査官は、小さな自信を取り戻し、息をついた。
「わたしにもやればできる。がんばらなきゃ……」
にぎった拳が汗をかいていた。脚のふるえを抑えるために懸命な努力が必要だった。
「おやおや、ずいぶんマシになったじゃない?」
「!」
ミレイユは声の主を見上げた。くずれかけた屋根に腰掛けて、微笑を投げかけている赤髪の女がいた。
「ブラディさん……」
「よく覚えてたわね、ディーン騎士団のお嬢ちゃん」
「ハーツはどこです?」
「あら、いきなり質問はないんじゃない? もう少しおしゃべりしましょうよ」
「あなたは言いました、『フェルダンに来たら殺す』と。ならばあなたとは敵です。敵とおしゃべりなんてできません」
「たしかに敵だけどねぇ……。それぐらいの力じゃさぁ、あたしには勝てないわよ」
「わかってます」
それこそ言われなくとも、口惜しいほどわかっていた。けれど、逃げるわけにもいかないではないか。
「覚悟はできてるってわけね。……まぁいいわ、あなたを殺すのはあたしの役目じゃないしね、特別に教えてあげる。彼はフェルダン伯爵の城に現れるわ。なんなら連れていってあげるわよ?」
「けっこうです」
こちらにもいろいろ準備ってものがあるのだから、とはミレイユもさすがに口には出さなかった。いくらなんでも単独でハーツをどうにかするほどの自信はない。まずはソゥルと合流し、応援を頼まねばならなかった。なによりも、犯罪者たちに負けたとはどういうことか詳しい話も聞きたかった。
「いろいろ事情がありそうだけどさ、こっちにも都合ってものがあってね」
「え?」ミレイユはブラディの存在をしばし忘れて、考えに浸っていた。彼女が呪文らしきものを唱えているのを知ったときには、彼女の自由は奪われていた。
「なにをするの!」
「決まってるでしょ? ハーツ様のもとへ、あなたを連れていくのよ」
「ハーツ、様……?」
「ええ、あのかたは大陸を征服する偉大な王となるの。魔物の楽園をつくるために、ね」
「あなたはいったい……」
「ウフフ…、生け贄となって死んでいくあなたにはどうでもいいことよ。約束どおり、ハデに死なせてあげるわ」
傷の手当と事務的手続きに一日を忙殺されたディーン騎士団第一級犯罪捜査係一等捜査官ソゥルと専属事務官レイルズは、七月五日午後になって、ようやく今後の方針をかためた。大見得をきった手前、ボア将軍に頼るわけにもいかず、フェルダン伯直属の騎士団に応援を求め、再度アーリマン捕獲を立案した。
昼食をすませ、二人は山岳にほど近いフェルダン伯爵の居城を訪れた。
情勢からか、門番兵はソゥルたちの身元と用向きを高圧に確認した。どうにか入城許可を出されたのは、半時間ほども審査を受けてからだ。
「どうも様子がおかしいな」控え室へ通されたソゥルは、レイルズと二人だけになるとポツリと漏らした。なにがです、と反問してくる事務官に「妙に居心地が悪い。まるでアーリマンの館のような……」
「兵士たちが殺気立っているからでしょう。このような状況ですからね」
「その殺気もどことなく変なのさ。なにがどうと言えないけどな」
「疲れているんですよ。精神的にも、肉体的にも」
「……そうだな」ソゥルは大きく息をはいた。ふと脳裏に、本部の三等事務官ミレイユ・ライナーの顔が浮かんだ。元気だけがとりえな彼女の、ちょっとした仕草や表情が思い出され、少しだけ癒されたような気がした。今頃なにをしているだろう、本部で書類に囲まれ、目を回しながら整理に追われているだろうか。それともまた何か失敗して、一等事務官に怒られているのだろうか……
二度のノックが、ソゥルの心地よい想像を打ち消した。
案内人にうながされ、愛用の『金剛尖刀』を腰に差しなおし、ソゥルは待機室を出た。再びイヤな気配が彼を包んだが、黙って案内に従った。
伯爵の執務室へ二人が通されると、城主は無関心に用向きを確認した。
「アーリマンという、犯罪者を統率している者がいます。彼は人間ではなく、魔物でした。我々は逮捕に失敗し、多くの犠牲者を出しました」
「なるほど、それでわたしにどうして欲しいのかね?」
ソゥルの頬が敏感に跳ねた。フェルダン伯爵らしからぬ発言である。ディーン騎士団顧問を務める人間の言葉ではない。
「兵をお貸し願いたい。アーリマンは魔物襲撃にも関わっています。逮捕し、情報を得るべきだと思います」
「なるほど……」
老いてなお気骨ある――はずの――紳士は、うなずいたまま眼を閉じた。
沈黙の長い時間を、ソゥルはいらだちに震えて過ごしたが、堪えきれなくなり怒号した。
「伯爵、何をためらうのです! あなたの愛する街が焼かれ、民が傷ついているのですよ。あなたが立たねばならない時でしょうに!」
「ためらう?」伯爵の瞳がソゥルを射抜いた。組まれた指によって口元は見えなかったが、薄く笑っていた。
「わたしはためらってなどいないよ。今の情況は、わたしたちが望んだものなのだから」
「なんですって?」
「むしろ君たちが邪魔なのだ。いっそ死んでくれると助かるのだがね」
伯爵の声と気配が大きく変化をはじめた。生あるものではなく、まるで人形のように身体が揺れている。
ソゥルとレイルズが危険を察知し、たがいに得物を構えたとき、伯爵の頭上に昏い波打つ球体が現れた。
捜査官と事務官のみならず、伯爵も突然の事態に声も出なかった。
球体は大きく膨らみ、中心から黒く長い物体が伸びてきている。
「……!」
音? いや、声らしきものが球体より発せられた。よく聞き取れなかったが、男の怒声のようだった。
「……っのヤロ……!」
言語はわかった。大陸西方語だ。
「そこか、そこにいやがるのかァ!」
今度ははっきりと聞き取れた。憎しみに満ちた叫びが部屋にこだまし、球体から黒い大刀と若い男が半身を現した。
「あ、あなた様は!」
驚愕に声をあげたのは、伯爵であった。頭上に魔物ですら畏れをなす形相をした男が、尋常でない大きさの剣を振りかぶり墜ちてきた。
「お待ちを、ハー……!」
「死んどけ、クソがァ!」
男は落下の威力を加えて、伯爵を縦に斬り裂いた。肉を潰し、骨を砕き、内蔵をぶちまけ、フェルダン伯爵は死んだ生物となった。
荒い息をはきながら大刀についた血を打ち払い、『災厄』の名を持つ男が死体を見下す。
「あん……? なんだコイツは? アーリマンとかいうヤツじゃねぇな」
彼の眼下で、初老の白人男性は無骨な姿をした赤肌の人型へと変わっていった。ハーツが今まで殺してきた魔物によく似た生物であった。
「ハーツ……?」レイルズが呆然とつぶやくと、『災厄』が振り返った。
「なんだお前ら? コイツの知り合いか?」
ハーツは久々に人間を見て、興奮がさめたようだった。人心地ついた、と、そんな心境であろう。
反対に、ソゥルとレイルズの困惑は大きなものになっていた。伯爵と信じていた人物が殺され、しかも正体が人間ですらなかった。それにディーン騎士団の天敵ともいえる『災厄』ハーツが空から湧いてきた。これはもう、立派なパニックの原因となりえる。
ソゥルは自分を落ち着かせるために深く呼吸し、状況確認を会話で行った。
「知り合いのつもりだったが、魔物がすり替わっていたらしい」
「なんだそりゃ? ……まぁいい、この世界に戻れたなら、あいつをぶち殺すだけだ」
「ハーツ、今の変な球体はなんだ? どこからやってきた?」
「ああ? なんだよテメェ、なれなれしく呼びやがって」
「あいさつが遅れたな。ディーン騎士団のソゥルだ」
「ほう、今度のヤツはなかなかまともそうじゃねーか。あの女も別の意味で捨てがたがったがな」
ハーツはソゥルに向け、『暴風』を構えた。
ソゥルも『金剛尖刀』を抜き、ハーツの全身を視界にとめた。
「オレは今、メチャクチャ機嫌がワリィ。邪魔するなら殺すぜ」
「本来の目的とははずれたが、賞金首を逃がすわけにもいかないのでな」
「そうかよ、なら死ね!」
ハーツの瞳とアザが赤く光る。殺意は身体を通して大刀へ伝わり、破壊の力となって具現した。
ソゥルは後ろに飛び退き、石床をも砕く一撃を避けた。
「逃げんじゃねぇよ。どっちが強ぇかハッキリさせようぜェ」
とても身の丈ほどの刀を扱っているとは思えなかった。ハーツはまるで棒きれのように『暴風』を振りまわし、ソゥルのいた場所を破壊しながら迫っていった。
ソゥルには、一対一でもハーツと対等に戦える自信があった。だが実際に目の当たりにして、彼は冷や汗を流した。ハーツの戦闘力がこれほどとは想像もしていなかった。
『災厄』が力をつけたのは魔界での戦闘の産物であった。以前の彼なら、ソゥルと対等といえたかもしれない。暗黒の地へ墜ち、不眠不休で闘い続け、魔物を喰らい、神経が狂うほどの緊張感と環境にさらされ、ハーツは急激に成長していった。その成果は、ハーツ自身も驚くべきものだった。
「〈白穿〉」
ソゥルの専属事務官として戦闘以外のすべてをサポートしてきたレイルズが、ハーツの異常な力に圧倒され、沈黙を破った。左腕に刻まれた呪文が合い言葉に反応して光を生み出す。光は収束し、魔力の弾丸となってハーツを襲う。
ハーツにとって死角からの攻撃であった。避けられはしない。
しかし『災厄』は魔力弾の接近を感知し、あまつさえ笑って受けとめた。絶句するレイルズとソゥルを前に、当たった箇所をほこりでも払うように撫でる。
「なんだこりゃ? 魔界のモノの攻撃は、こんなもんじゃなかったぜ」
「そんな……。貫通はしないまでも、タダですむわけが……」
「身体で覚えたんだよ、死なねぇために必要な能力ってのをよ。そして――」
「殺す技術もだ!」ハーツは『暴風』をただまっすぐに、レイルズに向かって伸ばしていた。ハーツの身体から赤い風が発生し、渦を巻き、大刀へそそがれていく。
何が起きたのか理解する間もなく、レイルズはハーツを至近距離で凝視していた。
鈍痛が続き、それから電撃のような痛覚の悲鳴が全身を駆けめぐった。
「これくらい見切れよ、ノロマ」
耳元でささやくハーツの言葉によって、レイルズはようやく理解した。自分の左腕が切断され、床に転がっているのを。
事務官は絶叫をあげ、自らがつくった血だまりに膝をついた。
「レイルズ!」
ソゥルが二人の間に割ってはいる。ハーツが避けもせずに右の金剛尖刀を受けたので、捜査官は左手にあるもう一振りで黒の賞金首を貫こうとした。
ハーツは笑みさえ浮かべて、ソゥルの一撃を空振りさせた。
「そんな短ェ武器じゃ、オレにはとどかねーよ」
「なら、のばしてやるさ!」
金剛尖刀が光を発し、槍となってハーツの心臓へ飛び出す。
さすがに虚をつかれたハーツは、舌打ちしながら左掌で穂先を受けとめた。
しかし光槍は成長をとめず、なおも最凶の賞金首を仕留めるために疾走をつづける。
「さかしいんだよォ!」
ハーツは絶叫した。赤い殺気が青へと変化し、ハーツの瞳が雷光を放つ。圧倒的で、かつ純粋な怒りの力が、周囲を爆発させた。
ソゥルはもちろん、レイルズも爆風に吹き飛ばされた。多くの闘いに参加し生き延びてきたソゥルでさえ、あまりに突然すぎて受け身もままならなかった。もし飛ばされたさきにソファーがなければ、衝撃だけで一命をおとしていた可能性があった。
「ふざけやがって……。オレの邪魔をすんじゃねーよ……」
ハーツは肩がおおきく上下するほど荒い呼吸を繰り返した。彼自身が、なぜこのようなエネルギーを発散できたのかわかっていなかった。キレて、我を忘れた瞬間、枷がはずれたようだった。うまく説明できないが、内在する力が怒りで暴発した――彼はそう認識した。
あくまで暴発だ、制御できなきゃ意味がねぇ。ハーツは吐き捨てた。しかしながら、自分の内に強大な力が眠っているというのは悪い気分ではない。すべてを思うままにするほどの力! なんと愉快であろうか。
「……これであの憎たらしいアーリマンを、挽肉にしてやれるぜ」
ハーツは笑いの衝動が抑えられなかった。負荷に耐えられなくなった肺から少量の血があふれ、口からこぼれても彼は笑った。ときにむせ込みながら、息も絶え絶えに、彼は笑う。ハーツにとって、それが生の実感であった。
「ハーツ様、お迎えにあがりました」
女性の声を聞き、ハーツは昂揚感をおさえつけた。
「魔女か。よくもオレの目の前に出てこれたもんだな」
「アーリマン様が地下の祭壇でお待ちです。ご案内いたしますので、おいでください」
「そうか、まずはあいつを殺せってことだな。いいだろう、ヤツを始末してから、お前だ」
ブラディは頭をたれたまま、微動だにしなかった。
忠実な召使いを演じる女に、ハーツは鼻をならし、ついていく。
賞金首と魔女が消えた部屋でソゥルはようやく立ち上がり、レイルズを捜した。身体中に痛みはあるが、致命的な傷がなかったのが幸いであった。その分を相棒が肩代わりしたのか、壁際に転がるレイルズは、うずくまったまま意識を失いかけていた。
「レイルズ、しっかりしろ!」
「捜査官……わたしの左腕を……。今ならまだなんとか……」
ソゥルは返事もせずに部屋をかけずり、事務官の左腕を探した。幸運なことに、腕は机に守られ形をとどめていた。
捜査官はレイルズに呼びかけ、左腕を身体に添えた。片腕の事務官がとぎれそうな声で「〈生命の息吹〉」と唱えると、心臓あたりから光があふれ、左腕を引きつけるように身体と密着させ、傷口をふさいだ。
さらに二度、〈生命の息吹〉と呼ばれる契約魔法を発動させ、レイルズは外傷を完全に癒した。
「あと一度は、捜査官に」レイルズは自分を支えているソゥルにふれ、魔法の加護を与えた。彼の痛みも充分に軽減されたのが、傍目にもわかる。
「ありがとう、助かった」
「それはこちらのセリフです。ですが、わたしはもう、体力も魔力も使い果たしてしまいました。これ以上はお手伝いできそうもありません」
「ああ、わかった。ここもどうやら魔物の手に落ちていたようだが、ほうっておくわけにもいくまい。ハーツとアーリマンの関係も気になるしな。独りで逃げられるか?」
「なんとかやってみますよ。わたしもディーン騎士団の一員なんですから」
レイルズは弱々しく微笑した。
「それじゃ、オレは行く」
「はい、お気をつけて」
ソゥルは金剛尖刀を拾いあげ、ハーツたちの消えた通路へと走っていった。
「わたしはまだまだ、ソゥルさんの片腕には不足ですね……」
レイルズはため息をつき、彼らと反対側の扉を静かに開いた。




