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黒と赤の獣  作者: 広科雲
3/12

三、赤の魔女

 季節はずれの台風が、建てつけの悪い山小屋を左右に揺らしている。窓枠はガタガタと今にも壊れそうな悲鳴をあげ、扉の隙間からは風が鷹の鳴声に似た音をたてて室内に侵入し、暴れまわる。

 ハーツは大量の汗を流しながらうめき声をあげていたが、不意に目を覚まし、剣を求めて視線と腕を走らせた。

 右手に馴染んだ感触を得て、ハーツは息をついた。右肩に、しびれと鋭い痛み。

「起きたのかい?」

 「!」ハーツは上体をおこし、剣を構えた。

「あはははは、まだ寝ていなよ。くっついたばかりの腕が、ポロッととれちゃうよ」

 黒の大刀『暴風(テンペスト)』のさきに、赤毛の若い女がいた。粗末な造りの丸太テーブルで酒を飲んでいる。カタギではなさそうだ。派手な服装と濃い化粧が違和感なく慣れ親しみ、夜の女の雰囲気を醸しだしている。しかし、ハーツが彼女をカタギと見なかったのは、右手中指で妖しい光を放つ指輪に気づいたからだ。現在では時代遅れとなっている、詠唱系魔術の媒体である。

「何者だ?」

「名前かい? そうねぇ、ブラディとでも呼んでちょうだい。……あら、即興にしてはいい名前だわ」

 女はわらった。

「……もう一度だけ訊いてやる。何者だ」

「あらあら、『災厄』ハーツともあろう者が一度コケにされても辛抱してるわ。よっぽど今の体力に自信がないのね」

「ふざけるなァ!」

 ハーツは立ち上がり、女めがけて剣を振るった。

 が、切っ先は彼女の眼前でとまった。ハーツがとめたのではない、動けなくなったのだ。

「……何をした?」

「あんたがコルデの村でやられたのと同じ。〈ばく〉をかけたの」

「やはり魔術師か」

「そうねぇ、そういうことにしておきましょう。あんたにとって、あたしがどんなモノだろうと関係ないはずよ。まぁ、今のところ敵ではないから安心して寝てなさい」

 「〈みん〉」ブラディの指輪からみどりの光があふれ、ハーツを包んだ。

 ハーツはうなり声をあげ必死に抵抗を試みるが、彼の精神力を持ってしても魔力の誘いには勝てなかった。あるいは体調さえ万全であれば、耐え切ってみせたかもしれない。

「ふふ、予想以上かしらね」

 ブラディは疲労を感じて自らもテーブルに突っ伏した。たった二発の魔法に、精神力が底をついてしまった。

「これなら、もしかして……」

 つぶやくその声は自分自身にすら聞こえないほど、ささやかなものであった。


 次に彼女が目覚めたとき、立場は入れ替わっていた。まったく何がどうなったのか、彼女は両手両足を縛られ、目隠しをされ、床に転がされていた。右手中指にはめられていた指輪の感触も、ない。

「なに? ハーツ、何をしたの!」

 頭上方向から、嘲笑を含んだ声が返ってきた。

「魔術師といえど縛ってしまえば何もできねぇだろ。さんざんナメた口をきいてくれやがって……」

「何が目的なの……?」

「それはこっちが聞きてぇな。なんでオレはこんな山小屋にいるんだ?」

 ハーツは女の荷物から保存食の干し肉をとりだし、かぶりついた。

「……コルデからボロボロになって立ち去ったあんたは、この近くで倒れたのよ。それを助けて、ついでに腕をくっつけてあげたんじゃない。いわばあたしは命の恩人よ」

「ふーん、そうかい。で、なんでオレを助けた?」

「あんたの力が欲しいからさ。あんたと組めば、あたしらは最強さ。その力をどこかの国なり組織なりに高く売りこめば、いい金銭かねになると思わないかい?」

 「金銭! 金銭か!」ハーツは嗤いだした。ブラディはカッとなって、「何がおかしんだい!」と怒鳴った。

「オレは金銭なんぞいらねぇ。欲しいものは力ずくで手に入れる。『買う』んじゃねぇ、『奪う』んだよ」

「だけど、権力は奪えないわよ。個人の力じゃ太刀打ちできないものを手に入れるには、権力が必要なのさ」

「権力ゥ? いらねぇな、そんなもん。だいたい、賞金首なんぞ誰が高く買うっつーんだ」

 ハーツは酒をビンごとあおった。

「あんた、フェルダンへ行くんだろ?」

「それがどうした」

「売りこむ先は、何も人間でなくてもいいんじゃないのかい?」

 「ほぉ」ハーツは、彼女の発言に興味をおぼえた。

「人間が気に入らないなら、魔物と手を組むのもいいさ。最近、魔物たちはずいぶんと統制がとれた行動をしている。それはつまり、魔物のなかに指揮をとるモノがいるってことだろ? そいつに力を見せつけて、売り込むってのはどうだい」

 「なるほどな」賞金首は、喉を潤してから剣をとった。

「つまりお前は、オレを利用してのし上がりたいわけだ」

「あんたにだって悪い話じゃないだろ。賞金首として一生狙われるよりはマシになるってもんだ」

「鎖につながれて他人に利用されるのが、賞金首よりマシだとォ?」

 殺気を感じ、ブラディは焦った。ハーツの信念が、自分の野望とまったく交差しないのに今さらながら気づいた。これ以上の誘惑はかえって裏目に出ると悟り、ブラディは一転、ハーツの突き放しにかかった。

「わ、わかったわよ。もうどこへなりと行けばいいじゃない。せっかく助けてやったのに……!」

「助けてやった……?」

 「あ」ブラディの血の気がひいた。さきほどよりも、重い殺気が充満していた。

「誰が助けてくれと言った? 勝手に恩をきせておいて、見返りに力を貸せ? ふざけるなよ」

「ちょっと、何するつもりよ、ねぇ!」

 目隠しをされていても、腹部にかかる金属の圧迫感は、殺意とともに彼女に伝わった。

「自分で判断し、望んでやったことを、善意だとかぬかして喜ぶのはかまわねぇ。だがな――」

 ドン!

「見返りだとか求めた時点で、それは善意じゃねーんだよ」

「う、ああ……」

 腹部を裂き、内蔵をえぐり、背骨を砕き、背中を貫通した黒の大刀を、ハーツはもてあそぶようにこねくり回した。そのたびにブラディは喘ぎもだえたが、逆流する血液に、悲鳴さえあげられずにいる。

「痛てぇか? それじゃ本当の善意ってやつを教えてやるよ」

 ハーツは剣を引き抜いて、上段にかまえた。

 「死んどけ」振りおろされた『暴風』が、美しかったブラディの首をはねる。

「楽に死ねてよかったな。手助けできて嬉しいぜ。あばよ」

 いつの間にか通りすぎていた台風のあと、熱く照らされた太陽のなかをハーツは歩いていった。彼を見つめる影が上空にあるのを気付きもせずに。

「やはり思ったとおりの男だったわね」

 赤毛の奥で、金色の瞳が狂喜に輝いていた。


 港町コンコスは、海路を使う他国商人との貿易や海水浴客目当ての観光事業、それに漁業が主な収入となっている。三大財源のひとつ、観光客が増えはじめる七月をまえに、宿や商店では忙しく準備が進んでいるところであった。

 数年ぶりの懐かしい潮の香りに、ミレイユはまだまだ子供だったころの楽しい海水浴と遊覧船での小冒険を思い出し、頬をほころばせた。

 スラブレストのディーン騎士団本部を出発したのは、辞令を受けた翌日六月一六日、馬を借りてコルデ村にたどりついたのは一八日夕刻である。ハーツの姿はすでになく、宿の主人よりコンコス経由でフェルダンへ向かったという情報を得て、彼女は翌早朝に村を出た。「なぜあんなヤツを野放しにしておくんだ!」と怒鳴られたのが、ミレイユには多少こたえた。野放しにしているわけではない、もしそうなら、ここに五〇人以上の死体があるわけない、と言いたいのを我慢して、低頭して平謝りする自分がまた、情けないなと思った。

 コルデからコンコスまでの道中、騎士団認可の賞金稼ぎの死体を一〇体ほど発見した。コルデへむかう途中でハーツと遭遇したのか、コルデから追っていったのかはわからないが、死体を検分したところ鋭利かつ広刃な物で一撃されていたので、まず『災厄』の仕業に間違いはないだろう。殺害されてそれほど日数も経過していないようであった。また、コンコスからやってきたある隊商は、大きな黒い剣を持つ若い男に食料と馬を奪われたという。隊商のリーダーがハーツを知っていたので、逆らったりせずに最小限の被害ですませたと話を聞き、彼女は安堵したものだった。

 ようやくコンコスへたどりついた安心からか、それともにぎやかな街並みに触発されたか、ミレイユは仕事を忘れ、スラブレストでは味わえない海産珍味の物色に励んだ。「お腹がすいてたら仕事にならないしね」と弁解しても、彼女の素性など誰もしらないので叱る者はいないのだが。

 胃袋が充分すぎるほど膨らんでからミレイユは仕事にかかった。まずはコンコスのディーン騎士団と契約を結んでいる宿に顔を出す。宿の主人は、身分証を見せられても彼女がディーン騎士団捜査官であるのをにわかには信じられなかったようだ。

「まぁ、あんたが誰でもいいが、『災厄』ハーツがこの街にいるなんて話、聞いてないぜ」

「まさか。わたしはコルデから来る途中、目撃証言も得ているのよ」

 「そう言われてもな」体格のいい中年マスターは、ミレイユに飲み物を出しながら肩をすくめた。

「とにかく、この街も広いからな。ハーツが船にのるために来てるのなら、船着き場を捜すべきじゃないのか?」

 「そ、そうね」ミレイユは自分が捜査に関してはスブの素人であるのを思い出し、赤面した。

 宿から緩やかな坂道を二〇分ほど歩いて、港にたどりつく。客船・漁船・貨物船などが、取り決められた区画に整然と並んでいる。豪華客船に心躍らせる観光客待機所、威勢のよい声を響かせる魚市場、巨大な木箱と穀物袋を積み上げている貨物倉庫、それぞれの活気がくっきりとしたコントラストをつくっているのが、ミレイユには面白かった。

「おっと、仕事しごと、っと」

 ハーツ専属捜査官は、手近な観光客待機所から聞き込みを開始した。

 手配書を片手に尋ね歩いてみるが、良い返事は一つもなく、あきらめて貨物船のターミナルへ向かおうとしたとき、中型の帆船まえに人だかりができているのが目にとまった。

「沿岸警備隊? それにあれは――!」

 信じられない光景を目の当たりにしたミレイユは、数秒の自失をあじわった。職務を思い出し、あわてて人混みに近づいていく。

 なるべく目立たぬように集団を観察すると、やはりハーツの姿があった。沿岸警備隊一〇数名に囲まれ、笑みを浮かべていた。

(まさかここで闘い?)

 ミレイユは混乱をきたした。ディーン騎士団の一員、それもハーツ専属捜査官に任じられた手前、ここでなんらかのアクションを起こさねばならないのは充分にわかる。けれど彼女には、どうにかするだけの実力がまるっきりなかった。

 どうしようどうしよう、と独りであわてていると、どうもおかしい点に気づいた。

(あれ、なんでみんな剣を抜かないんだろう? それにハーツ、だれかと話してる……?)

 警備隊の壁に包まれるように、ハーツと若い男性がいた。ミレイユの視線はしぜん、若い男へと流れる。

(あれは、エンバス子爵の秘書官じゃないの!)

 ミレイユの記憶には、以前、ディーン騎士団の会議で出会った彼の顔が克明に刻まれていた。三等事務官に成り立てだった彼女を、小間使いと勘違いしたいわくがある。名前はそう、ウォンとか言った。その彼が、ハーツとなにやら親しげに会話をしている。彼女のパニックは加速をつけて増していった。

 (なんでどうしてどうなるの?)知恵熱に倒れそうになるのを必死でこらえ、ミレイユは聞き耳をたてた。

「……船員にはよく言い聞かせておきましたので、どうぞガストバまでの船の旅、お楽しみ下さい」

「そうさせてもらうぜ」

 ハーツは背を向けて、船に乗りこんだ。

 『船の旅』と耳に入った瞬間、ミレイユはハッとした。エンバス子爵は、ここコンコス一帯をしめるエンバス領の領主。あの子爵の秘書はハーツが港に現れるのを知って、もめ事を起こす前に『災厄』を領土から追い出そうとしているのではないか?

 ハーツを乗せた船を見送り、港から離れたウォンのまえにミレイユは立ちふさがった。

「キミは……、ディーン本部のミレイユ・ライナー事務官」

 ウォンは一瞬だけ、うろたえた表情をした。

「覚えておいてくださり、恐縮でございます。あなたに一つ、うかがいたいことがあります」

「なんでしょうか?」

「なぜハーツに船を与えたのですか?」

「……見ていましたか。これはとんだところを」

「笑ってすませる話ではありませんよ。これはディーン騎士団の、いえ西部連合に対する犯意です」

「そうかもしれませんね。では、あなたはどうしますか?」

「え?」

「この港にはいま、沿岸警備隊をふくめて二〇〇名ほどの兵隊がいます。彼らに死んでこいと、あなたは命令できますか?」

 「それは……」ミレイユは口ごもった。二〇〇名もいれば勝てるだろうとは、彼女は言えなかった。『災厄』ハーツは、手練れであるはずの賞金稼ぎたちの攻撃を何年にもわたってしのいできた猛者なのだ。どれだけの兵力と作戦を用いれば捕まえられるのか、彼女にもわからないでいる。

「わたしは自衛手段として、彼を迎え、何事もなく送り出した。ただそれだけですよ」

「しかし!」

「それほど言うのであれば、あなたがハーツを捕まえたらどうです? あなたはディーン騎士団の一員なのですから」

 ミレイユにはショックであった。ウォンの言葉は正しい。騎士団の一員であるなら、まず自分が率先してハーツをとめなければならないはずなのだ。実力があろうとなかろうと、それが与えられた義務と責任なのだから。

 しかし彼女にはできない。なによりもまず、勇気がなかった。えらそうに他人にとやかく言う権利ははじめからなかった。

「失礼、言い過ぎました。あなたは単なる事務員でしたね。……ここでの出来事を公表するのはかまいませんが、あくまでこれはわたし個人がしたことです。エンバス子爵は何もご存じありませんので、その点だけはご理解ください」

 「……はい、わかりました」ミレイユはつぶやく。精一杯の虚勢であった。

「あなたが何をしにここへ来たかはわかりませんが、もしハーツを追うというのならば、もう一隻、船を出す手はずになっています。そちらに乗船されますか?」

「え?」

「わたしも賞金首をタダで逃がしはしませんよ」

 ウォンはミレイユの肩を、ポンと叩いた。


 調査経過報告書を送るヒマもあればこそ、ミレイユはウォンとともに船上にいた。

 穏やかな波と、それに付き従う心地よい潮風ですら、彼女の緊張をほぐしてはくれない。遠くを走るハーツを乗せた船を凝視したまま、手つかずのリポートにインクのシミを拡げていた。

「おちつきませんか?」

 ウォンが陶器のカップを差し出してきた。香りからしてアルコールであるとわかる。独特の深い紫。

 「ええ、少し……」あいまいな返事をして、いただきます、とカップを口に当てた。唇に触れる程度たしなみ、カップをさげる。

「うまくいくでしょうか?」

「いくと信じていますよ。でなければ、あの船の乗員は無駄死にすることになります」

 「そうですね」やはりあいまいに応じ、視線を前方の船に戻した。

 ハーツを乗せた船には二〇人ほどの船員が同乗している。ただの二〇人ではない。全員が一級の海兵であった。ハーツの隙をうかがい、拘束あるいは殺害するのが第一目的である。もしそれが看破されたときは、タルにつめた油に着火して船ごとハーツを沈める。よしんば溺死しなくとも、『暴風』と呼ばれる大刀を持ったまま泳げるわけがない。武器のないハーツならば勝率は一気に跳ね上がるというものだ。

 ウォンは自信にあふれた声で「ハーツの最期が近づいていますよ」と言う。ミレイユもそうあって欲しいとは望むのだが、彼ほど自信はもてなかった。

 港を出て一〇時間、ハーツを乗せた船を除き、周囲に人口的な光は見えなくなった。

 深い夜の闇は、海を魔物に感じさせる。落ちたら最後、二度と浮き上がれないのではないか、海の底から無数の手が伸びてきて、深い深い海底に引きずり込むのではないか、そんな想像さえミレイユは抱いた。

「動きが見えます」

 見張り台に立っていた船員が、甲板のウォンとミレイユに声をとばした。二人は同時に船縁からのりだし、先行する帆船を凝視した。

「むこうの船員を救出できるよう、いつでも準備しておけ」

 ウォンはそれだけ指示すると、望遠鏡をのぞき込んだ。

「……奇襲は失敗か」

 ミレイユの背筋に、悪寒がはしった。


 ハーツは甲板で空を眺めていた。夜の海は星がよく見える。感傷的になって眺めているのではない。船の針路があっているか、たしかめるためである。

 「どうやら方向はあってるようだな」皮肉っぽく笑い、近くにいた船員を呼び寄せ「ガストバまでどれくらいだ?」と問う。

「はやければ明後日には到着します」

「そうか……。この船に女はいねーのか?」

「おりません」

 ハーツは舌打ちし、最後に「メシを持ってこい」と言ったきり、また空へ視線をもどした。

 待つこと一〇分、彼専用の料理が個室へと運ばれた。報せをうけハーツが戻ってみると、一〇皿以上におよぶ海鮮料理が所狭しとテーブルに並んでいる。めずらしく機嫌が良さそうに、彼は食事を開始した。

「……おい」

 扉の外でひかえていた船員が、ハーツに呼ばれて顔をだした。

「オレ一人じゃ食いきれねぇ。おまえ、食え」

「え?」

「え、じゃねぇ。食えと言ってんだ」

「で、ですがそれはハーツ様のための特別料理でございまして――」

「古い手だなァ?」

 船員はハーツの異常な目の輝きに、恐怖を感じて壁に貼りついた。

「な、なんのことで……」

「毒を盛ろうたって、そうはいかねぇ。こちとら慣れてんだ、一口舐めればわかるんだよォ!」

 『暴風』が壁を突き破って、廊下に剣先をのぞかせた。赤と黒の液体が、床にしたたり落ちる。

 破壊音を聞き、船員が通路に駆けつけてみると、ハーツが怒りをあらわにいつでも斬りかかれる体勢をとっていた。

 「どうしたのか?」ごった返す通路をかきわけ、船長が殺気をまとうハーツの前に現れた。

「どうしたもこうしたもねぇ。オレを毒殺しようなんざ、いい度胸してるじゃねぇか」

「毒殺? まさか、料理に毒でもはいっていたと?」

「ああ、そうだ」

 船長は表情を固くしたまま、テーブルに近づいた。部下が血塗れで床に崩れ落ちているのを見て、顔をしかめる。

 それでも何も言わず、彼はフォークをとって蒸しあげたエビを口に運び、一〇数回噛んだのち、飲み下した。そうして全皿の料理を一口ずつ毒味し、フォークを戻した。

「別段なにもございませんが」

「……へ、そうかい。それじゃ味付けが悪かったんだな」

「それは失礼をいたしました。次回からはそのようなことがないよう、料理長に申しつけておきます」

「そうしてくれ」

 ハーツは感心なく、テーブルについて食事を再開した。

 船長は首をふり、息絶えた船員を運ばせて部屋をでた。

「船長、ヤツをこのままにしておくのですか?」

「あわてるな。鼻がきくようだが、これで料理を平らげるだろう。麻痺薬入り特別料理をな。遅効性だから寝ているうちに身体が動かなくなるはず。しとめるのはそれからだ」

「船長はだいじょうぶなんですか?」

「こういうこともあろうかと、毒を含ませた部分とそうでない部分を分けておいてもらった。死んだ船員にも教えておいたはずなんだがな」

 「思った以上に手の早い男らしい」船長は忌々しげに舌打ちし、全員に持ち場へかえるようにうながした。

 深夜、当直をのぞいて寝静まっているはずの船内は、今日にかぎって異様な興奮と殺気に満たされていた。

 船員はコンコス海上警備隊の戦闘装束に衣替えし、手には細身の剣を握る。

 「いっせいにかかれ」船長は間違えようのない命令を出し、隊員はうなずいた。

「行け」

 号令につづき、扉が蹴り開けられ、隊員がベッドめがけて殺到する。

 が――

「やかましいぞ、テメェらァ!」

 反対側から、爆風が吹き荒れた。数名の隊員が投げ出され、直撃を受けた一名が顔をえぐられ即死した。

「よぉ、こんな時間になんの用だ?」

「きさま、無事なのか……?」

「ああ? このとおり元気だぜ。うまい料理をたらふく食ったしなァ。ただし、半分はなぜかオレの舌が受け付けなくてな、捨てちまったよ」

 「なんてヤツだ……」隊員は尻込みし、船長は驚愕に身体を震わせた。

「いい線までいってたが、オレは騙せねぇ」

「かかれ! この狭い部屋では、あんなデカイ剣は思うように扱えん!」

「そんなのクソ喰らえだァ!」

 ハーツは迫り来る敵にかまわず、「爆砕」を叫んだ。床も壁も家具も粉砕し、隊員を吹き飛ばす。

「ふ、船ごと自殺するつもりか……」

「かんけーねェって言ってんだよ。さっさとくたばっちまえ!」

 『暴風』はハーツの意思をうけ、喜々として人殺しを楽しんでいるように見えた。悪魔の舞踏が繰り出されるたび、一人、また一人、人間が肉塊と化していく。

 船員たちは追いやられ、甲板へ出た。

 「オレをコケにした代償は大きいぜェ」ハーツは悠々と彼らを追い、声高に嗤った。

「オレたちがいなくなれば、操船は不可能だ。おまえもいずれ死ぬぞ。それでもいいのか?」

「関係ないといったはずだぜ。オレは気にいらねぇからおまえらを殺すんだよ」

「こ、こいつは、狂ってる……」

 「けっこう!」ハーツの剣技は、彼の昂揚にあわせて冴えわたるようだ。真一文字の横薙ぎは、手近な三人の上半身をきれいに跳ね飛ばしていた。

「よぉ、船長はどうしたい? 一人でさっさと逃げたのかよ?」

「……フン、オレたちは死ぬだろう。だが、お前も道連れよ」

 ドン!

 船底から爆発が起き、衝撃で船が大きく揺れた。

「用意のいいこったな。船ごとオレを始末するってわけかい」

「そうだ」

 ススまみれの船長が現れると、ハーツはつまらなそうな顔で彼を睨んだ。

 「さて――」船長が船員に退去命令を出そうとしたせつな、彼の身体から頭部がきえた。

 唖然とする隊員たちも、次の瞬間には同じ境遇にたたされていた。

 ハーツの周囲には、もう生をもつ人間はいなかった。

 「つまんねぇマネしやがって……」ハーツは『暴風』をおろした。

「オレもここで死ぬのか。……まぁ、オレはオレの望むまま自由に生きた。満足だぜ」

「あきらめのいい男ね。でも、あんまり早死にされるとおもしろくないのよ」

 「だれだ?」ハーツは声のした天空を見上げた。

「あたしよ。このまえは首を切断していただいてありがとう。貴重な体験だったわ」

「……魔女か。もう一度殺されたいらしいな」

「あんまり驚いてないみたいね。せっかくの感動の再会なのにさ」

 「魔女に理屈なんぞいらねぇさ。だいたいてめぇ――」ハーツはブラディの右手を指さし「オレが縛ったときから指輪がなかったぜ。おおかた身代わりでも使ったんだろ」

「フフ、頭のいい男は好きよ」

「それで今度は何しに来やがった?」

「もちろん勧誘よ。あたしに手を貸せば助けてあげるわ。ここで死ぬのとどっちがいい?」

「ここで死ぬ」

 ハーツは間髪入れず言い切った。理由を問われた彼は、以前と同じ返答をした。オレは自由に生きて、死んでいくと。

「ガンコねぇ。まぁ、いいわ。あんたなら、泳いででも陸地にたどり着けるでしょう。そのときにまた会いましょ」

 魔女ブラディは、ウィンクを残して消えた。

 ハーツは女の影で見えなかった星空を眺めながら、自嘲した。

「へ、オレは泳げねーよ」

 周囲では、船体の爆ぜる音が彼を包みつつあった。

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