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黒と赤の獣  作者: 広科雲
1/12

一、望むまま自由に

 深く暗い森のなかで、女の喘ぎ声が静寂をぶち壊す。

 はぜるたき火に照らされ、女の顔はよりいっそう赤く映え、おおいかぶさる男は興奮を高めた。

 絶頂を迎えようとしているのか、女の細い腕が、想像もつかぬほどの力で強く男を求める。

 荒い息が耳元をなぶり、男は欲求を満たすために動きを激しくした。

 男が吼えるように息を吐き出し、感応するように女も叫ぶ。

 二人の絶頂を合図に、森の静寂が新たなざわめきにうち破られた。

 乾いた風切り音が脱力する二人に向かって走る。一つや二つではない。正体は鈍く光る鋼を冠した幾本もの矢だった。

 男はあふれる殺意の影と殺意の結晶に気付いた。

 女を抱きしめたまま地面を転がる。木々が彼らの進路に立ちふさがると勢いよく立ち上がり、女を引き剥がした。

 呆然とする女の前で、二〇ほどの矢が地面に突き刺さった。

 事態を悟り、女が声をあげて男に飛びつく。彼はうざったそうに顔をしかめた。

「出てこい、どうせ賞金稼ぎだろ」

 武器も防具も、服すらもまとわぬというのに、男は高圧で挑戦的であった。

 闇の中から弓をかまえた人間たちが姿をみせる。

 裸の男女をとりかこむ無表情な敵群のうち、意匠を凝らした胸当てをつけたスキンヘッドが一歩踏みだした。

「『災厄』ハーツ、一〇〇万金貨の賞金首、いただく」

「女と遊戯あそんでるところを狙うとは、やり方がダセェな」

「寝こみでも油断しないおまえには一番効果的だろ。おまけに自慢の長刀すら持ってねぇときたもんだ」

「そうだな、さっきのが唯一の機会だった」

 男は微笑わらう。寒気を覚えるほどの狂気をにじみだしながら。

 スキンヘッドは自分よりも体格も年齢も劣る青年に、一瞬だが恐怖を感じた。

「やれ!」

 いたたまれなくなり、早口で号令をかける。

 周囲の賞金稼ぎたちが一斉に矢を放った。

 ハーツは回避しようした。抱きついている女もついでに助けてやろうとしたのだが、彼女は彫像のように身体をかたくし、体重を地面にかけていた。

 「フフ……」女は薄く笑っていた。

 よこしまな笑みを見た瞬間、ハーツの頭のなかで何かが弾けた。

「オレの、邪魔を、するのかァ!」

 ハーツの瞳と額のアザが血色に輝きだした。と、同時に、全身の筋肉が盛りあがり、殺意にあふれた熱気が彼の周囲に渦巻く。

 彼はもう、その場から退避しようとは思わなかった。

 十数の矢が、一〇〇万金貨の賞金首に突き刺さる。

 否、そう見えただけであった。

 矢は一つとしてハーツに触れなかった。すべては、彼が右腕で掲げる女の身体に埋まっていた。

 運がよかったのか悪かったのか、ハリネズミのようになっても女はまだ生きていた。右眼を貫かれ、左手の指がちぎれ飛び、美しかった白い腹部から血を流し、豊かな右胸をえぐられても、即死にはいたらなかった。

「カーリス!」

 絶叫をあげたのはスキンヘッドだった。声帯が狂ったように嗚咽おえつを漏らし、身体をふるわせている。

「なかなかいい女だったぜ。この三日間、楽しませてもらった」

 ハーツは痙攣けいれんする女の頭から手をはなし、地面に解放した。いくつかの矢がさらに深くめり込んだのか、カーリスと呼ばれた女の身体が一度大きく跳ねた。

「キサマぁぁ!」

「オレを盾にしようとした。だからオレもこいつを盾にした。それだけのことだ」

「殺してやる、殺してやるぞォ!」

「言ったろ、さっきが唯一の機会だったと」

 ハーツは力をこめて拳をにぎりこんだ。女を抱く以上の快楽的興奮がとめどなく湧きあがり、笑みがとまらない。

「おまえら死ぬぜェ!」


 『巨人が造りし街』(スラブレスト)と呼ばれる、グレストキア大陸西部地方ガガーリン王国首都には、西部連合により運営されている国際警察機構『ディーン騎士団』の本部がある。西部連合などといっても各国の絆は深くはなく、国際警察機構にしても情報の共有をしているだけで、国を越えての捜査は行われていない。

 それでも相手が犯罪者となれば職員単位では勤勉となるようで、ここでは連日、犯罪者の手配書が作成され、また抹消されている。抹消される理由の多くは賞金稼ぎによる犯罪者の拘束、あるいは防衛的殺害によるものだ。

 近年、グレストキア西部諸国間での戦争はなく、安定した時代と言われている。が、あくまで比較級的平和であって、国内における犯罪や内戦、未だ出没する魔物の襲撃、原因不明の災害等、問題はあとを絶たない。

 その一部である人的災害を効率よく解決するために産み出されたのが、懸賞金制度である。この制度により、凶悪犯と認定されている者が相次いで検挙されるようになった。

 検挙率の高さに注目した西部連合は、軽犯罪者にも懸賞金をかけるようになり、今ではディーン騎士団に登録されている賞金首は大小あわせ三千名を越え、賞金稼ぎも年々増加して一万を数えるまでになっている。

 なお、これまでの最高額は一五〇万金貨(リスル)の『狂僧』カルベラであるが、彼は一月ほど前に首が上がった。これにより現在最高賞金首は、一〇〇万金貨の『災厄』ハーツとなっている……

「『災厄』の居所がわかったって?」

 白のロングコートに青いサングラスをかけた男が、資料に埋もれてペンを走らせている女性に声をかけた。

「ああ、ソゥル、久しぶり」

 女性は造った笑顔で男にあいさつをする。一見してわかるほどに疲れた表情をしていた。

「いけないな、ミレイユ。若い娘にそんな顔は似合わないぜ。どうだい、お茶でも飲みに?」

「ナンパなら余所よそでやってちょうだい。ハーツの件で、こっちはこのとおりの忙しさなの」

 国際警察機構『ディーン騎士団』本部第一級犯罪捜査係三等事務官という長い肩書きを持つミレイユ・ライナーには、専用の個室が与えられていた。部屋のなかは窓の隙間をのぞいて、壁一面の本棚と、資料がつまった木箱で埋めつくされている。足の踏み場もないとは、まさにこの三等事務官室をさす言葉だ。

 第一級犯罪捜査事務官といえば聞こえは良いが、つまるところ三等事務官などは雑用係もいいところで、書類整理をしているか、情報収集に奔走しているかのどちらかである。本日は『災厄』ハーツの資料整理、彼を追っていた賞金稼ぎの登録抹消が主な仕事となっていた。

 「登録抹消?」ソゥルは机のうえの賞金稼ぎリストに赤い×印がつけられてるのを見て、手を伸ばした。

「勝手に資料を見ないで!」

 ミレイユが用紙をひったくる。

「クロバルトって言えば、昨年、五〇万の賞金首をあげたよな。ガガーリンでは有名なハゲオヤジだ」

「そうよ。二二名の部下と、愛人らしい女性を引き連れていったわ。結果はこれを見ればわかるでしょ」

「生存者は?」

「同行した検分役だけがなんとか無事だったけど、実戦隊は全滅。それは凄惨な現場だったそうよ。遺体の確認にも数日を要するほどにね。……堂々と町中を歩き、堂々と罪を犯し、堂々と消えていく。なのに誰もハーツをとめられない。『災厄』とはよく言ったものだわ」

 ミレイユのため息は重かった。クロバルトとそれほど親しかったわけではないが、何度か仕事上で面識もあり、人間的にキライでもなかった。たしか、彼の出かけの言葉は「『災厄』を片づけたら、隠居して店でも出すからよろしくな」ではなかったか。なんの店かはついに知れなかったが、無類の酒好きだったので酒場でもやるつもりだったのだろう。けれど彼は、もう永遠に酒を楽しむことができなくなってしまった。

「で、ハーツの消息は?」

「クロバルトがハーツの捕獲作戦を実行したのが一〇日前、ノーティア街道あたりらしいわ。そして検分役の第一報が届いたのが六日前。途中でハーツの目撃情報はなかったらしいから、ノーティア街道を南に向かったと思われるわね」

「なるほど、街道を西に進んでいればこの街だからな」

「ええ、だから南のコルデ村に立ち寄ると推測して、四日前、各市町村に情報を流したわ」

「賞金稼ぎへの依頼ではなくてか?」

 ミレイユは、また深くため息をついた。

「推薦できるような人が近くにいなくてね。ただでさえクロバルトが失敗したばかりだし」

「金と名誉にはやる若者たちに期待、ってとこか」

「そういうこと。それでも数十人がコルデに向かっているとしらせがきてるわ」

 二人のあいだにしばしの沈黙が流れた。功名心だけの人材には、『災厄』を防げはしないと確信していたからだ。そしてそれを口にしてはいけない立場に、二人はいる。

 「それにしても」ミレイユは話題をかえた。

「ソゥルはいつ戻ったの? むこうの捜査は終了?」

「今朝早くに戻ったんだが、またトンボ返りさ。今までの調査報告書の提出と、人員追加の嘆願にな」

 ソゥルは『ディーン騎士団』第一級犯罪捜査係一等捜査官である。主な仕事は賞金首の捜査で、実戦部隊として前線に立つこともある。一等捜査官だけあって、戦闘術・魔術・犯罪知識に洞察力と、すべてにおいて抜群の能力をもち、とくに統率力と判断力をかわれて組織的な犯罪捜査の現場指揮を請け負うことが多い。

「今でも五〇人の捜査官が派遣されているんでしょ? まだたりないの?」

「それが、根っこのほうがけっこう深くてな。内偵捜査だけでもあと一〇人はほしいとこだ」

 実戦部隊としてはあと五〇人だな、とソゥルは笑った。

「なんにしても、なるべく早く終わらせてね。そしてハーツの捕獲にまわってちょうだい。ソゥルなら勝てるでしょ」

「勝てるかどうかわからないが、手合わせはしてみたいもんだな」

 ソゥルは手を振って、ミレイユの仕事場から出ていった。

 残された金髪の事務官は名残惜しそうに彼の消えた扉を見つめ、手を組んだ。

『大地と豊饒の女神』(アデスネイラ)よ、ソゥルをお守り下さい」

 深く祈りを捧げたのち、彼女はいつも思う。『大地と豊饒の女神』を信仰する自分が、『光と法の神』(ディーン)をシンボルとする場所で仕事をしているのは、なにかおかしいのではないか、と。けれど彼女の答えはいつも決まって「ま、いいか」であった。別に神官騎士団じゃないんだし、悪いことをしてるわけでもないしね。ミレイユは、普段はそんな娘であった。


 スラブレストより南西へ一八〇アスラード、徒歩旅程で五日ほどのところにコルデ村はある。

 人口一〇〇〇人足らずのささやかな村は、ガガーリンでも一、二を争うほどの高級茶の産地だ。また、ノーティア街道と南の大都市コンコスをつなぐ宿場町としても広く知られている。ゆえに、黒髪の大刀を背負った風来坊が街道沿いの宿に姿を見せても、驚く者はいなかった。

 木造三階建ての、まず景気の良さそうなと表現できる宿の一階では、テーブルを埋め尽くすほどの客が昼食をとっていた。家族連れの行商人やすでにできあがってる鉄鎧の男、二人の世界にドップリ浸かっている若いカップル、あからさまに雰囲気の悪い男たちの一団など、統一性を欠く組み合わせが一〇テーブルほど。

 新参者に眼をむけ、驚きに席を立ったのは行商人家族の主人であった。言葉を発しようとして口を開き、そのまま閉じられなくなったようだ。

 息子らしき若い男が父親の異常に気づいて視線をとばし、彼もまた父親にならった。

 黒髪の男がカウンターにつくと同時に、二人は家族に耳打ちをしてそそくさと宿を出て行く。彼らの座るテーブルの側には、賞金首の手配書が貼られた壁があった。その席についていたことで、一家は難を逃れられたのである。

 背中にかかる黒塗りの大刀をカウンターに立て掛け、黒髪の『災厄』は酒場の主人に命令した。

「食い物と、有名なコルデの茶を持ってこい」

 「!」主人は、一目で彼が『災厄』の二つ名を持つ現在最高賞金首であるのに気付いた。

「オレを知ってるようだな。なら、さっさとしろ」

「か、かしこまりました」

 使いなれない言葉で主人は答え、あわてて厨房へと消えた。それからたった一分で、できうるかぎりの料理を並べたのは見事といえる。

 酒場のなかは静まり返っていた。主人の様子から事態を悟ったようである。ハーツにもっとも近い場所にいた若いカップルはたがいを引きよせて身体をふるわせ、怪しげな一団は成り行きを見守り、もっとも賢明な者は音も立てず宿を出ていった。そしてもっとも愚かであったのは、酒の効果で自分を見失っていた酔っぱらいである。

 腕にもそこそこ自信があったのかもしれない。巨躯の男が、自前の戦斧を手にハーツの背後に立った。

「よぉ、にーちゃん、賞金首だってなぁ」

「だったらなんだ?」

「んじゃぁ、オレの酒代になってくれやァ!」

 安定しない足つきで手にした戦斧を振りあげ、酔いどれ戦士は叫ぶ。

「オレの邪魔をするのか」

 ハーツの瞳が、烈火に燃える。

 一瞬で背後の男の首に右手をめり込ませ、一秒で頸骨をへし折る。指が首に突き刺さり、鮮血が周囲に飛び散った。

 それを機に、酒場に絶叫と混乱がわきあがった。

 わめくだけの女に、腰を抜かして逃げられぬ男、危険を感じ剣を抜く者や、一目散に出口へ走りだす者、反応は様々であるが、平常心を保っている人間はいない。ただ一人、逆の意味で平常ではない女性がカウンターの端にいた。彼女はウェーブがかった長い赤毛の奥で、スリルという興奮に思わず微笑をこぼした。

「うるせぇぞ、メシぐらい静かに食わせろォ!」

 ハーツはかつて人間であった物体を壁に投げつけ、手についた赤黒い液体を近くで怯える女の服でぬぐった。

「テメェも騒ぐんじゃねぇ。声を立てたら殺すぞ」

 震えながらも女は何度もうなずいた。助けを求めて連れの男へ視線をむけると、彼は這って逃げていた。

「ほんとうに『災厄』だな。たかが酔っぱらいにキレやがって」

「なんだと?」

「賞金首ハーツ、情報どおりに現れたな」

 武装した一団が得物を手に、ハーツを取り囲んだ。

「外へ出ろや。この店はオレのなじみなんでな、迷惑はかけたくない」

 アゴをしゃくる男の言葉に、ハーツの額のアザがさらに赤みを帯びた。

「殺し合いに場所を選んでんじゃねェ!」

 ハーツの右手がカウンター脇にあった黒の長刀をつかみ、一振りする。酒場の常連客だった賞金稼ぎは、鼻から上を床に転がし、身体を血の噴水とした。

 ハーツに対する残り四人は一歩後ずさる。彼の身長とほぼ同程度の長い得物を軽々と振りまわし、あまつさえ一瞬にして人間の頭を切断してしまう剣技。それらを目の当たりにして、硬直する身体に反し、彼らの脳は活発に情報を復習しはじめた。ハーツが今までに殺害した人数は、老若男女問わず千をこえ、壊滅した町や村も一〇ではきかない。気に入らないものは粉砕し、立ちふさがる者すべてを斬り捨てる。それは誇張ではない。ディーン騎士団の資料に偽りはなく、賞金稼ぎの誰もが知る事実。若き賞金稼ぎたちは『災厄』の力に、はやる血気を氷結させてしまった。

「どうしたよ、かかってこいよ」

「う、あ……」

「震えて声もでねぇか。だったらはじめから、オレの邪魔をするんじゃねェ!」

 血しぶきが、四つの身体からほぼ同時に噴きあがった。

「オレはオレの望むまま、自由に生きてんだ。邪魔するなら相応の覚悟をしてこいや」

 顔にかかった鮮血を拭い、ハーツはカウンターに座り直した。人血にまみれたローストチキンにためらいもなくかぶりつく。

 その様子を宿の外からうかがっていた影がある。

 そそくさと立ち去った影は、村の中心にある広場で仲間と合流した。

「失敗だ。誘い役がやられた」

「ほんとうか? ったく、男一人まともに連れてこれねーのかよ」

「どうする?」

「罠に連れこめなくとも、こっちは五〇人だ。のりこむとしよう」

 二人は広場を囲むように配置された五〇人の仲間を召集し、作戦の変更をつげた。魔術師一〇名、弓兵一〇名,戦士三〇名という、たった一人の人間を倒すには大げさすぎる部隊であった。

「ヤツが宿をでたら問答無用で〈縛〉(ばく)にかけ、矢を放て。乗じて戦士隊がトドメをさす」

 「おう!」という威勢のいい返事が広場にこだまし、賞金稼ぎたちはハーツのいる宿へとむかった。

 ハーツはコルデ茶を愛でることなく一息で飲み干し、荒々しくコップをおいた。

「最近、魔物が出たという話はないか?」

 生気の抜けた顔でハーツを見守っていた宿の主人は、突然の質問を理解するのに数秒を要した。どうにか理性を働かせ、震える声で「たしかフェルダンの街がこのところ不穏だと聞いております」と答えた。

 ハーツは沈黙したまま、宿の主人を睨んでいた。

「……あの、なにか?」

 「ふざけてんのか?」ハーツの右腕がうなりを上げ、主人の喉元に剣が当てられた。

「訊いた質問に答えるだけなら阿呆でもできるんだよ。こんな店やってんなら、補足くらいほっといてもしろ」

「も、もうしわけありません!」

 主人は血相を変えて奥に引っこんだかと思うと、手に大きな巻紙を持って戻ってきた。

 テーブルに紙が拡げられる。ガガーリンの地図であった。

「ここがこのコルデ村で、そしてここがガガーリンもっとも西にある都市フェルダンです。経路としましては、ノーティア街道を西にスラブレストを経由して陸路で行くか、南のコンコスから船に乗ってガストバ、そしてフェルダンへ出るかです。船ですと、一見遠回りに思えますが、山越えがないぶん早くつけるはずです」

 「そうか」ハーツは当然のように地図をまるめてベルトに挟み、剣をかついだ。

 背を向けて宿を出ようとするハーツに、「お気をつけて。またお越し下さいませ」と主人は深くお辞儀をした。

「やればできるじゃねぇか。気に入った、また来るぜ」

「あ、ありがとうございます……」

 冷や汗で床をぬらす主人の心境などつゆ知らず、ハーツは宿をでた。それに続いて赤毛の女が出ていったのだが、主人は無銭飲食をとがめる気力すら持たなかった。残された六つの遺体と、引きつけをおこして倒れている女性を見て、ただただ嘆くだけであった。


 「かかれ!」

 叫び声を聞き、ハーツの身体は瞬間的に戦闘モードへと切り替わった。

 しかし俊敏と剛力を誇る肉体は、彼の意志を無視していた。

(なんだ、動かねぇ!)

 「魔法か?」と焦りにとらわれた賞金首に、「矢をはなて!」という声が届く。

 大きく舌打ちするハーツだが、弓を掲げる敵には動揺が見えた。

「そこの女、どけ!」

 「はいよ」ハーツの背後で、女のひょうひょうとした声が聞こえた。いつの間に背後につかれたのだろう。油断など微塵もなかったはずだが、まったく感づけなかった。が、こうして魔術に捕われておいて油断がなかったとは、考えてみればこっけいのかぎりであったが。

「……なめられたもんだぜ」

「アンタはその程度だったってことさ」

 立ち去り際、若い女は嘲笑わらった。

 「なんだとォ?」『災厄』がキレるには、充分な一言である。

「撃て!」

「ふざけやがってェェェェェ!」

 ハーツの瞳が、額のアザが、血色に燃える。猛獣をおさえてつけていた魔術の鎖が、音をたてて引きちぎられた。

 矢が迫る!

 「爆砕!」狂気の獣は吼え、剣の切っ先を地面に突き立てた。

 言葉どおりの爆発が地面を砕き、土石を巻きあげる。彼を中心に周囲一〇歩はすべてがえぐられ、上空に昇っていった。もちろん彼の背後にあった宿屋も例外ではない。壁がはがされ、床がめくられ、家具が粉砕されていく。

 彼に襲いかかる一〇本の矢など、この局地的暴風に比べれば爪楊枝にも劣った。

「ウ、ウソだろ?」

 賞金稼ぎたちの中から蒼白なつぶやきが漏れた。今さらながらに『災厄』の力を知り、彼らは浮き足だった。

 爆風がおさまり、土砂の雨が降りそそぐなか、ハーツは敵の数と能力を計算していた。

「どこをどう見てもザコばかりだな。だが、刃向かった以上、殺す!」

 戦士隊がかたまる一角にハーツは駿足でとびこみ、剣をひと薙ぎ。

 鋼鉄でよろわれた男たち数名が、文字通り真っ二つに切断された。

「魔法でヤツをとめろォ! 全身でなくていい、右腕と右足だけに集中して動きをとめるんだ!」

 指揮をとっていた男が魔術師に向けてどなる。やるべき仕事がはっきりと与えられ、彼らはく指示に従った。

 「うおっ?」ハーツの動きが鈍った。

 賞金稼ぎたちから歓声がわく。生け捕りなど生ぬるい方法はとらない。殺しておかねば安心できない。彼らの思いは共通で、トドメをさすべく一斉に剣がきらめいた。

「なめんじゃ、ねぇ!」

 叫んでみたが、身体の自由はかえってこなかった。せめて剣の持ち替えができれば闘いようもあったが、右指は固く封じられていた。

 ここで終わるのか。彼の心は恐怖に凍りついた――りはしなかった。絶望など感じない。ただ、ムカツクだけだ。

「ネチネチ小賢しいマネしやがってェ! 真正面からぶつかってこいやァ!」

「吼えるんじゃねぇ。そういうのを負け犬の遠吠えって言うんだ」

 戦士の一人が、動きの鈍いハーツの右腕を叩き斬った。黒い大刀ともども、地面に血まみれの腕が転がる。

 「!」傷みではない。怒りによって、『災厄』の二つ名を持つ男の顔がゆがんだ。

 賞金稼ぎたちから嘲笑がわきあがる。

 うずく右肩と狂わんばかりの怒りが、螺旋となってハーツのなかで一つの光景を浮かび上がらせていた。彼が生まれる以前、現実にあった一つの光景を……

「……お前らか」

 ハーツはつぶやいた。

「あ? 言いたいことがあればはっきり言ってみろよ!」

 もっとも側にいた戦士が、剣の柄でハーツのこめかみを殴りつけた。鮮血をまきながら『災厄』は地面に転がった。

 「お前らなんだな?」ハーツは立ち上がろうとした。

 さすがに何か感じるものがあったのか、二〇名からの戦士たちは、尻込みをはじめた。

「ト、ドドメだ。トドメをさしちまおうぜ!」

 たった一人の身動きできない負傷者に、幾十もの剣が突き立てられようとしていた。

「オマエラカァ!」

 ハーツの正面にいた男は、顔面を捕まれたところまでは覚えていた。そのさきは、記憶を必要としない場所へと墜ちていた。

「オマエラガ、オマエラガァァァァァ!」

 ハーツは自分の右腕を拾い、腕ごと黒の剣を振るった。右足の束縛は解けぬままなので動くことはできなかったが、剣の切れ味と振り回す力は尋常ではなく、触れるものすべてを切り裂いていった。

「魔法はどうした? 左腕を封じるんだよ!」

 そんな声を聞くまでもなく、魔術師隊は行動しようとしていた。だが、気がつくと一人減り、二人倒れ、いつの間にか魔術師隊は死体となって地面に墜ちていた。

「な、なにが起きたんだ?」

 誰も答える余裕はない。自分の生命をつなぎとめる術を探すので、みな精一杯であった。

 魔法の束縛から完全に解放され、魔獣は破壊に狂った。

 覚悟を決めて闘いを挑む者、逃げだそうと試みる者、ハーツはそのどちらも許さなかった。ある者は爆砕され、ある者は切断され、ある者は蹴殺された。

 賞金稼ぎ五〇名が屍と化すまで、時間にして五分。また、巻き添えをくった民家は、全壊一、半壊四、これにより一般人一四名が重軽傷を負っている。

 人型の台風は、周囲に動く者がなくなったのを知ると剣をおろした。いつのまにか右腕は地面に転がっており、もみくちゃに踏まれた痕を残していた。

「どいつもこいつも、ふざけやがって……」

 剣を地面に突き立て、ハーツは自分の右腕を拾った。

「ふざけやがってェェェェェ!!!」

 望むまま自由に生きる獣が、天に唾するように咆吼した。

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