19 井上観察日記
**今回は書店アルバイト井上君視点のお話です。
俺のバイト先の本屋には色んな人間が集まってくる。お客だけでなくそこで働く人々もユニークで中々の粒揃いだ。
昔、男を取り合って平手ビンタをライバルにおみまいした伝説のおばさん。
引き篭もりで3年ぶりに社会復帰した根暗のオタク。
週1どころか月1位しか顔を見ない就活中の学生。
俺を軽くストーカーしている女子大生。
中でも特に気になるのは社員の並木さんだ。
書店には社員が2人いる。店長と並木さんだ。店長は50代のおっさんで、本店から来るマネージャーの顔色ばかり気にしている残念な中年だ。シフト作成から雑用の一切を並木さんに丸投げして、どんなに店が忙しくても定時で帰って行く。
顔の皮と腹の脂肪が分厚い典型的な中間管理職の日常を地でやっている。
そんな店長の尻拭いをしているのが並木さんだ。
彼女はとにかく動いている。何だか知らないけど無駄に動き回っている。子どもが熱が出た、気分が鬱だと何かと休みがちなバイトの穴を埋めているのも並木さんで、俺がシフトに入るとき彼女を見ない日は無いのだから相当働いていると思う。
最初は真面目な人なんだな、と感心していた。
休憩室に置いてあるタオルは常にきれいに洗濯されているし、制服代わりのエプロンのほつれもいつの間にか直されている。
そう言う給料に反映されないどうでもいい気使いを当たり前に出来てしまう人なのだ。たまにはおっさんが労いの言葉を掛けてあげたらいいのに、残念なおっさんは気付かない。
けれどよく見ると並木さんは真面目なんだけど、何処か抜けていると言うか、面白いキャラを持っていた。
さっき来た客が俺の手を握った事に驚いてたけど、並木さんだって何回か握られている。本人がそうは思っていないだけで実は確信犯で握られている。
「お釣り渡すタイミングが悪いのかな?」
トンチンカンな反省をして、また同じ事が起きると慌てて手を引っ込める。客の奴は、にやけ顔だ。
お客の悪業に気付かない並木さんを見ると先行きが心配になる。
この人は『バツ2』くらいの子持ち中年にほだされて、なんとなく結婚して一生苦労を背負わされる運命なんじゃないだろうか。
俺のことを気の毒がっている場合じゃない。なんか流され易そうな性格も狙われる要因だろう。
店長なら絶対ごみ捨てなんて行ってやらないが、仕方ない。
今日は俺が行こう。
「ごみ捨て行ってきます」
店の外は暗い。そして寒い。やっぱり気使いなんて俺らしくないかと後悔する。
「お疲れ。外は暗くて物騒だから君が来たの? 感心だね」
さっきカウンターでクレーム言った客だ。何だか知らないけど挑発的な言い回しが気に入らない。
「なんスか。俺に用でもあんの?」
「あると言えばあるかな」
「あんたもしかして、帰宅難民の元カノを泊めちゃう人? それかこの前突然現れた雌キツネの今カレ?」
「頭の良い奴は嫌いじゃないよ」
そう言ってポケットから名刺を差し出してくる。
「もしまた雌ギツネが現れたら連絡してほしい。もちろん並木さんには内緒でね」
それだけ言うと帰ろうとする。なんか悔しくてちょっと意地悪してみたくなる。
「雌ギツネだけでいいんスか。小バエもウロウロしてんスけど!」
振り向きもしないで手を振る。
そうかよ。小バエ如き目じゃないのかよ。その自信はどっから来るんだよ。ムカつく野郎だ。
店内に1人でいる人を思い出し慌てて戻る。
「寒かったでしょう? ありがとう。今度は私が行くからね」
そう言って何時ものように笑う並木さん。何でかツンと胸が痛んだ。
---ナンダ、コレ---
まるで心を見透かしてその存在を知らしめる様に、握り締めた名刺がかさりと音を立てる。
「俺の観察眼もまだまだだな」
「え?」
「なんでもないっす。閉店準備します」
狙われているのは哀れな子羊。
狙っているのは、
雌ギツネ。
セクハラ変態。
駄目男。
そして猫の皮をかぶったオオカミ。
どうせ食べられるなら、どれにする? 選択は子羊にある。
だけど、選択の権利はオオカミによって放棄されつつある。
なんにせよ気の毒なのは並木さんだね。