16 過去の記憶
**今回は貴志視点のお話です。
大学を出て社会人になると学生時代には許されていた事が世間の常識に反する事だったと気付かされる場面に多く出くわす。
出来る限り人間関係に煩わされたく無い俺は、本当に付き合いが狭く、特定の友だちとしかつるんで来なかった。
お付き合いで出たくも無い合コンに参加するとか、顔を立てる為にゼミの手伝いをするとか、いわゆるコネ作りなど一切した事がなかった。
そんなものを当てにしなくとも自分の実力だけで充分だったからだ。
昔から要領は良かったと思う。
勉強もそんなに頑張らなくても出来たし、運動も得意だった。見た目のせいでいい人そうに見えたのも影響していたと思う。
とにかく世間は俺にやさしかった。
しかし会社と言う組織は個人プレイを嫌う傾向がある。どんなに実力があり、能力を持っていても見方がいなければ何も出来ない。目上の者を敬い、例え人間の屑でも上司であれば全力で守らねばならない。そうして一段ずつ階段を登らなければ足元をすくわれて奈落の底へ真っ逆さまだ。
男の嫉妬の恐ろしさを嫌と言うほど見せられた。
そんな毎日を癒してくれたのは学生時代から付き合っていた彼女だった。
短大を出て一足早く社会人になっていた彼女は1年目のサラリーマンの激務を理解し会えない日々にも文句を言わず黙って見守ってくれた。
でもいつからだろう。その優しさや、我が儘を言わない控えめな態度を物足りなく思う様になってしまったのは。
会いたいときに会うことも出来ずやっと一月振りに会っても自分から俺を求めることはなかった。俺のことを本当に好きでいてくれてるのか不安になる。
学生時代から変わることの無い「藤堂君」と言う呼び方。
少しずつ距離を感じる様になった。
そんな時にあの人は現れた。
強烈なメスの匂い。
男を誘う挑発的な視線。
自分の持てる物すべてを投げ出して欲しいものを手に入れる貪欲さ。何もかもが彼女と真逆の存在。
その女が俺に向かって呼び掛ける。
「藤堂君」
愛しい彼女と重なり合う俺を呼ぶ声。
---俺は誘いに乗った。
俺たちの行為に愛は無い。なのに溺れていく。水底に何処までも落ちて行く。落ちて行く度に愛しい彼女の姿が過ぎる。
俺を見て。
早く救い上げて。
私を捨てないでと縋ってみせてよ。
けれどそのどれもが叶わなかった。彼女は耳を塞いで、見ない振りをして何も言わずにある日俺の前からいなくなった。
自分の馬鹿さ加減に反吐が出る。
どうして言いたい事を言えなかったんだろう。すがって許しを請えば優しい彼女は許してくれたはずだ。甘えるなんて、男のプライドが許さなかった?
---そうじゃない。
舐めていたんだ。世間も、彼女も。
失くして初めて気づかされた彼女の大きさ。
俺は抜け殻になって、最低の男に生まれ変わった。
「ひかり、ごめん」
今も言えずにいる言葉を思い出の彼女に告げる。
今度は間違えないから、許されるならもう一度呼んで欲しい。
---藤堂くん---
彼女の柔らかく暖かい声で。