決戦 9
いつの間にか周囲には竜王や精霊王アッシュやタンたちが戻って来ていた。
力封じの首輪を嵌めた瞬間からリナリスの張った障壁は無効化されていたのだ。
だからカイトも直ぐに母の声に反応できたのだった。
本当はリナリスを踏み潰す役は竜王がしたかったらしいのだが、今回はカイトが頑として譲らなかったらしい。
美咲を攫われてカイトの怒りは頂点に達していたようだ。
当の美咲はバーミリオンに痛いほど抱き締められている。
あまりの急展開に頭がついていっていないようだった。
「・・・本当にジェイドは甘いわよね。」
母は困ったように嘆息する。
「あなたと美咲を契約させるだなんて・・・ここであなたを殺したら契約した美咲だって衝撃を受けるじゃない。本当に・・・どうしてこんな回りくどい謀ばかりするのかしら。」
リナリスは驚いて目を見開いて固まる。
母の頭痛は酷くなるばかりだ。
美咲もびっくりして目を瞬いた。
王さまは美咲と母を助けるためだけでなく、我が子である魔王を助けるためにも魔王の真名を教えたというのだろうか?
(・・・やっぱり、お父さんなんだ。)
美咲の胸の中になんだか暖かいモノが生まれる。
美咲はとことん父親という存在に弱かった。
王さまに対して好意的な思いまで生まれてしまう。
しかし美咲のこの感想を知れば竜王たちは目一杯否定するだろう。
王が助けたいのは我が子ではなく、我が子を手に賭ける母親の方だと。
自分たちも同じような理由で魔王の助命嘆願を行ったので王の思惑はよくわかった。
騙されるんじゃないと美咲には声を大にして言いたい。
「美咲。」
母が美咲に呼びかける。
まだバーミリオンに抱き締められたままの美咲は何?と答えた。
バーミリオンに、もう大丈夫だからと腕を解いてもらう。
バーミリオンは実に渋々と美咲を放した。
「“この子”をどうしたい?」
「え?」
母の言う”この子“とは魔王の事だろう。
「聞いたのでしょう?“この子”とママのこと。・・・魔王は、ママの前世の時の子供なの。ちょっと行き違いがあってヒネてこんなになっちゃって、みんなに迷惑かけまくちゃったのだけれど・・・今回の一番の被害者は美咲だわ。美咲の気の済むような罰を“この子”に与えるわ。」
(罰・・・?)
美咲は驚いて、魔王をしみじみと眺めた。
自分を攫い、自分を騙し、自分を監禁した人。
今回の戦いの元凶で、そのくせそれを何とも思っていなくて・・・でも、とても可哀相な人。
魔王はカイトの爪の下で傷つき血を流して、呆然としていた。
自分が人間に敗れた事がまだ信じられないのかもしれない。
戸惑うような美しい瞳が美咲を見た。
まるでどうしてよいかわからない子供のような瞳が、自分の命運を握る少女を魅入られたように見詰める。
美咲は小さく息を吐いた。
「カイト、とりあえず放してあげて。」
『シディ!いいのか?』
カイトは不満そうに唸る。
「どうせ逃げられないのでしょう?傷も治してあげてね。」
カイトは、シディは優しすぎると文句を言いながら魔王の上から足をどけて、ついでに治癒魔法をかけてやった。
魔王の傷が見る見る塞がる。
ついでに血もキレイにしてもらった。
美咲はホッと息をつく。
どんなに酷い人だって傷ついたまま放って置くなんて、美咲にはできなかった。
魔王はゆっくり体を起こした。
まだ地面に座り込んだままで不安そうに美咲を見る。
美咲は・・・母に向き直った。
「ママ、魔王さん・・・ううん、兄さんとよく話し合って。」
母は驚いたように目を見開いた。
「・・・兄さんは確かに悪い事をしたけれど、でもそれはママを失いたくなかったからだわ。私、ママと兄さんはもっとよく話し合うべきだと思うの。」
「美咲・・・」
「ちゃんと話して!そしてちゃんと相手の話を聞いてあげて!・・・お願い!ママ!」
美咲は真摯に頼んだ。
本当は、美咲は、今だって魔王を自分の兄と・・・母の息子だと認めるのはイヤだ。
母には自分だけの“ママ”でいて欲しい。
例えそれが我が儘だとわかっていても。
・・・でも、それでも、魔王は母の子供なのだ。実の親子がすれ違ったままだなんてダメだと思う。
(そんなの誰も幸せになれない!)
何よりも美咲はみんなに幸せになって欲しかった。
・・・特に自分の母には。
だから美咲は思いの全てをこめて、母を見詰める。
母は呆気にとられたように美咲を見返して・・・感極まって美咲を抱き締めた。
「もうぅっ!!美咲ったら、なんて良い子なのっ!!流石っママの娘だわっ!!ママ、幸せよっ!!!」
ぎゅうぎゅうと美咲を締め付けて・・・美咲を窒息させようとした。
周囲のモノはみんな・・・魔王まで、そんな2人を羨ましそうに見る。
「ママ!ギブッギブッ!!・・・死ぬわ!!」
美咲は見かけによらず力のある母の抱擁に情けない悲鳴を上げる。
母は、「ありがとう。」と美咲の耳元に囁くと美咲を放し、魔王に・・・我が子に向き合った。
「・・・ごめんなさいねリナリス。私はあなたがそんなに傷つくとは思わなかったの。」
母の言葉に魔王は・・・リナリスは、ぎゅっと唇を噛む。
母はその唇に、傷つくから止めなさいと手を伸ばして触れた。
リナリスはビクリと体を震わせる。
「・・・こういう事は・・・神が世界を愛おしんで力を溜めすぎる事は、神々の間では時々起る事なのよ。」
母は静かに話しはじめる。
え?と美咲は思った。確か魔王はそういった事は異端な事だと言っていたのではなかったのか?
確かに魔王も驚いたように母を見返していた。
「時々とは言っても、永遠に存在する神の時間の時々だから、まぁ、あなたたちにとっては、無いも同然のことでしょうけれど・・・」
一番最近は地球かしら?と母は言う。
美咲はびっくりして目を瞬いた。
「地球もあちこちに神の伝説が残っているでしょう?でも今現在は、いない。地球も同じよ。かつて神が共に暮らしていて、力が溜まりすぎて神が離れた。・・・地球の神々は転生したり地球を壊したりせずに、ただそこから離れる道を選んだ。・・・私たちにも、その選択肢はあったのだけれど。」
離れたくなかったのよねと母は話す。
「神々にとって稀とはいえ、有るケースだから私もジェイドもそれほど深刻にとらえなかった。あなたがイヤがっていたのは知っていたけれど、こんなにも苦しむなんて思いもしなかった。」
苦しんだあげく、こんな事をしでかしてしまうとも・・・と母は言って、目を伏せる。
母の手が伸ばされて、魔王の顔に触れる。
真っ直ぐに目と目があった。
魔王は掠れた声を出した。
「・・・イヤだったんだ。」
「うん。」
「母さんと・・・父さんが転生するなんてイヤだった。」
「・・・そうね。あなたはそう言ったわ。私たちがもっと真剣にあなたの言葉を聞くべきだった。」
「キレイで強い、僕の母さんと父さんの体が消えて無くなるのはイヤだ!僕を抱き締めて、撫でてくれた優しくて柔らかい体が冷たくなって・・・消えて逝った。あんな思いはもう二度としたくない!!」
母はゆっくりと我が子の頭を自分の胸に抱きこんだ。
「辛い思いをさせたわね。」
リナリスの目から・・・涙がポロリと零れ落ちる。
「”母さん“!!いなくならないで!!」
自分の胸に縋り付いて泣く我が子を、母は静かに抱き締める。
「・・・時が経てば、また同じことが起きるわ。」
母の言葉にリナリスは、はじかれたように顔を上げる。
イヤイヤをするように首を横に振った。
悲壮なその顔に流れる涙を母は優しく手で拭る。
「まだまだずっと先の事だけれど・・・もしも、その時もまだ、あなたが私たちから離れたくないと思うのならば・・・今度は一緒に連れて行ってあげるわ。」
リナリスは目を見開く。
母をジッと凝視した。
「一緒に転生しましょう。同じ時、同じ場所に産まれるか・・・そうでなければ私が先に産まれて、またあなたを我が子として産んであげても良いわ。・・・それで良い?」
リナリスの目から・・・また涙が溢れた。
泣き虫ねと母に言われながら、涙が止まらない。
「・・・それって、“父さん”が、とっても嫌がりそうだね。」
泣きながら、そんな事を言った。
「そうね。・・・ジェイドは私を独占したがるから・・・でも、良いでしょう?“父さん”の嫌がる事をするのは、リーが大好きな事じゃない?」
「うん!」
泣き笑いの表情で、リナリスは大きく頷く。
「・・・母さん!・・・ごめんなさい。・・・大好き!」
言ってリナリスは母の体に抱きついた。
母も優しく我が子を抱き返す。
美咲も、“少し”もらい泣きして涙を浮かべていた。
何故“少し”なのか・・・
(だって・・・)
確かに感動的な場面だった。
・・・母が35歳とはいえ実年齢より、はるかに若く見えて、リナリスが魔王という立場に相応しい立派な成人男性に見えなければ。
なんだか、その場面は若い女の子と、その子に別れないでと泣いて縋る情けない大人の男との修羅場のようだった。
美咲は心の中で、もったいないとため息をつく。
更にもったいないと思えることが起こる。
我が子との感動の名場面を適当に切り上げた母が、美咲にこれで良い?と聞いてきたのだ。
美咲は涙を袖で拭きながら、うんと頷く。
母は、じゃあ次ねと言って地面によいしょと座り込む。
「?どうしたの・・・母さん?」
まだ母との余韻に浸っていたリナリスが尋ねる。
母は、どこかボーッとしていたリナリスの首根っこを掴むと・・・そのまま体をグイッと引き倒し、自分の膝の上にうつ伏せ状態で乗せた。
「え?・・・母さん!?」
そのままリナリスの着ていた丈の長い上着を捲りあげると・・・彼のお尻を思いっきり叩いた!!
「!!・・・痛いっ!」
リナリスの悲鳴に構わずにバシバシとお尻を叩き続ける!!
突如目の前に繰り広げられた、母が成人男性のお尻を叩くという行為に美咲は目を白黒させる。
「ったく!バカな子なんだから!!あなたは、やって良い事と悪い事の区別くらいつかないの!?・・・いったい、いくつになったの!?」
怒りながら母は、リナリスのお尻を叩く行為を続ける。
「止めて!!母さん!ごめん!!・・・恥ずかしいから!!・・・っ痛ぃっ!!」
リナリスは真っ赤になって、羞恥と痛みに叫んだ!!
美咲は・・・両手で顔を隠した。
(・・・イタすぎる。)
魔王に、とっても同情してしまう。
実は・・・美咲にも母にお尻を叩かれた経験があった。
あれはまだ小学校の低学年の頃。
近所の友達にとても背の低い子がいた。ターナー症候群ではないかとその子の家族はとても心配していたそうだが、そんな病気など知らない美咲はその子と喧嘩したあげく、その子に向かって「チビ!」と叫んだのだ。
・・・その場で直ぐに母に捕まった。
抱き上げられてお尻を思いっきり叩かれた!!
人の身体的特徴を罵るのは最低の人間だと言われて、わんわん泣いても許してもらえなかった。
結局、当のその子とその子のお母さんが間に入って、とりなしてくれたのだが・・・あの時のお尻の痛みは罪悪感と共に今も胸に深く刻まれている。
母に叩かれたのは後にも先にもその時だけだ。
指の隙間から、リナリスを見ながら美咲は、母の手を心配した。
お尻を叩くのは・・・叩く手も痛いのだ。
特に今の相手は、成人男性だ。
多分お尻と同じくらい・・・それ以上に母の手は痛いのだろう。
(ママ・・・)
美咲の心は複雑に揺れた。
結局お尻叩きは、母の手を心配した竜王によって止められ、赤く腫れ上がった母の手は竜王の治癒魔法で治された。
リナリスのお尻は誰も治してくれない。力封じの首輪も、暫く反省しなさいと嵌ったままだったので、リナリスは自分でも治すことができず痛いお尻を抱えることになった。
母は晴れ晴れとした表情で美咲を見た。
「とりあえず、魔王討伐は成功よね?」
魔王軍をやっつけて魔王を懲らしめたのだ、文句なしの成功だろう。
美咲はコクリと頷く。
「凱旋よ美咲!セルリアンの王の城に行って、私たちの世界に帰りましょう!」
母の言葉にハッとした。
顔を上げて・・・バーミリオンを見る。
バーミリオンが・・・カイトが、精霊王たちが苦しそうに美咲を見ていた。
・・・そうだった。
魔王を倒したのだ。
美咲と母は、これで堂々と元の世界に帰れるはずだった。
(・・・帰る?みんなと・・・バーンと別れて?)
目的を遂げたはずなのに・・・美咲の心が重く沈む。
帰ると聞いて驚いて、母に帰らないでと詰め寄る魔王と、それを叱りつける母の騒動を遠くで聞きながら・・・美咲は呆然と立ち尽くしていた。
作者は、体罰を推奨するわけではありません。
不快に思われた方には、心からお詫びを申し上げます。
すみませんでした。




