決戦 8
母は少しも変わらない我が子を無表情に見詰めた。
本当に少しも変わらない。
(成長していないわよね。)
竜王は、母が惚れ惚れするような男になったのに、我が子はいつまでも子供のままだ。
まるで別れたあの時に、時を止めてしまったかのように・・・
それだけショックが大きかったのだろうが・・・
母は大きくため息をついた。
魔王はビクリと体を震わせる。
まるで泣き出しそうな目で母を見て・・・その表情を凍らせた。
(本当に・・・困った子。)
母は再びため息をついた。
魔王は母の、自分を無表情に見る目と、大きなため息に・・・心を決めた。
感動の再会を期待していたわけではない。
自分は母の転生を邪魔した。
結果意図したわけではないとはいえ、転生の時期を遥かに遅らせ、しかも異世界に飛ばしてしまった。
母の苦しみは想像を絶しただろう。
しかも自分は父を、母の半神の守る世界を攻撃し・・・苦しめたのだ。
大きな力を持ったとはいえ、今はただの人間の父を容赦なく攻撃した。
その事によって父が母を呼び寄せるのを狙ったのだが、その目的、手段共に母の怒りを買うに十分なはずだ。
許してもらえるなどと思っていなかった。
ならば、当初の予定どおり母を力づくで手に入れ、従わせるだけだった。
それだけが未来永劫母を手に入れるたったひとつのやり方だ。
魔王はそう信じていた。
「彼女は大切な私の人質です。放すわけにはいきません。」
美咲を抱く手に力をこめて、魔王は冷静に母に言葉を返した。
竜のままのカイトの物騒な唸り声が周囲に響く。
「魔王さん!」
美咲が非難するように声を上げた。
「黙れ!」
魔王は怒鳴る。
母は・・・三度ため息をついた。
「勝負はついたでしょう?もう勝ち目はないのよぉ?大人しく美咲を放しなさい。」
魔王は、薄く笑った。
「まさか魔物の軍が負けたくらいで僕が何もできないと思っているの?・・・こんなちっぽけな勢力で僕を抑えこめるとでも?・・・母さん、ボケたの?」
母は頭を抱えた。
「いい年をして、僕は止めなさい!・・・ったく。」
気がつかずに昔の話し方に戻っていた魔王は、顔を朱に染める。
「御託はいいから、さっさと美咲を放しなさい!!貴方の処分はそれからよ!!」
母の言葉に、魔王はカッ!となった。
「いい加減にしろ!!ただの人間に、なってしまったくせに!!・・・一人では何の力も持たない人間なんかに!!!」
怒鳴ると同時に、魔王は“力”を振るった!
それは、転移の力だった。
自分ではなく、特定の他のモノを強制排除する力!!
この場から、自分以外の、“力”を持つ存在を全て居城の外に吹き飛ばし、入って来られないようにする“転移”と“絶対障壁”の力だった!!!
・・・その場から、魔王以外の“力”ある存在が消え失せる。
竜王が、カイトが、精霊王やアッシュやタンといった魔物たちの全てがいなくなる。
・・・魔王は自分の目の前に、たった一人で立つ人間の女を見詰めた。
「カイト!みんな!!」
魔王の腕の中で美咲は絶望したような声を上げた。
それもそうだろう。母と美咲に力を貸してくれる存在が全て消えてしまったのだ。
(此処に居るのは、何の力もない私とママだけ・・・)
これではどうしたって魔王には勝てない。
魔王はクツクツと笑った。
「残念だったね、母さん。当てが外れて。此処は僕の城だ。気に入らない奴らなんか置いてやる義理は無い。・・・ねぇどうするの?もう母さんを守ってくれるモノはいないよ。・・・可哀相だね人間は。どんなに足掻いたって何の力もない、虐げられるだけの存在だ。今の母さんはそんなモノなんだよ。」
上機嫌に笑う息子を・・・母は無表情に見返した。
「言いたい事はそれだけぇ?・・・だったら早く美咲を放しなさい!何度言ったらわかるのぉ?」
のんびりした言いようは魔王を馬鹿にするかのようだった。
何一つ慌てたところのない母の態度に魔王は再び怒鳴った!
「虚勢を張るのもいい加減にしろ!!自分一人では何の力も持たないくせに!・・・それとも僕が母さんの言葉なら何でも黙ってきくとでも思っているのか!?・・・僕はもう!母さんに従ってばかりの子供じゃないんだ!!」
激昂した魔王は美咲を放し、母に向かって手を伸ばす!!
美咲は・・・息をのんだ!!
・・・美咲は先刻から混乱の極みに居た。
まず、降りてきたアッシュやタン、ブラッドを魔物だと言われて混乱し、後から降りてきた母が・・・魔王と、母と子として対峙していることにもショックを受けた。
確かに魔王に話は聞いていた。
寝起きに王さまから、それを認める話も聞いた。
それでも美咲は・・・心のどこかでそれを信じたくないと思っていたのだ。
母は美咲の母で、美咲は母のたった1人の娘で・・・自分たちは世界で2人だけの親子のはずなのだと、心の中で思っていた。
(ママは・・・私だけのママじゃなかったの?)
美咲はそんな自身の感情に混乱し、呆然として成り行きを見守っていた。
魔王に拘束され・・・見守る以外できなかった。
しかし、今、美咲は魔王から解放され、状況を見る。
逆上した魔王が美咲の母に向かっている!
竜王やアッシュやタン、精霊王もいない。
誰も母を助けてくれる人は、いないのだ。
・・・王さまの言葉が脳裏に蘇る。
王さまは言った。
万が一の時。美咲が自身を犠牲にしても魔王を止めたいと思うような時があれば使え・・・と。
その名で呼べば少しの間でも魔王を拘束できると言って・・・美咲に魔王の真名を教えたのだ。
美咲は・・・魔王の手が母に届く寸前、叫んだ!
叫んでしまった!
「止めて!“リナリス”!!」
・・・魔王がピタリと動きを止める。
驚いたように、母が美咲を見詰めた。
「止めてください!“リナリス”兄さん!ママに触らないで!!」
魔王は・・・ゆっくり美咲を振り返った。
無表情にジッと美咲を見詰める。
美しい顔が美咲に向けられ、完璧な形の唇が笑みを刻んで開いた。
「・・・誰に聞いたの?」
全てを魅了する瞳が美咲を射ぬく。
「“母さん”・・・とは、話をする機会はなかったよね。僕に知られずに君と接触できる存在?・・・“父さん”かな?まぁ、“父さん”なら可能かな?」
父さんなら、やりかねないよねと魔王はクスッと笑う。
「・・・それで?君は、僕の名を呼んで、どうするつもり?」
「ど・・・どうって?!」
魔王は1歩1歩美咲に近づき、美咲はジリジリと後退る。
「真名を呼ぶんだ。契約したいのだろう?僕を縛り付け、跪かせたい?・・・いいよ。契約してあげる。・・・“美咲”!」
魔王は、美咲の名を呼んだ瞬間、眉をギュッと顰めた。
本当にこれが想像を絶する痛みを耐えている表情なのか?美咲は王の言葉に不信感を覚える。
しかし、それより何より、美咲は自分の体の中に熱い感触が膨れ上がるのを感じた。
・・・それは、自分が魔王と名を交換し契約した証だった。
「あっ・・・」
「美咲!!」
美咲は胸を押さえて蹲り、母が心配して声を上げた。
「ははっ!完了だ!・・・契約は成った!これで僕は君の“モノ”で・・・そして君は僕の“モノ”だよ。“美咲”!一生僕に縛り付けてあげる!!」
痛みを堪えて魔王は・・・リナリスは高らかな哄笑を上げる。
真名を交わして契約したと言っても美咲と魔王には明らかな力の差がある。
カイトやポポ、4大精霊王たちのように美咲に対してはっきりとした敬愛がなければ、どちらがどちらを支配するかなど火を見るよりも明らかだった。
美咲は絶望に顔を歪める。
リナリスは、なおも笑い。
「・・・そんなこと、させるわけないでしょう。」
母の呆れたような声が響いた。
リナリスが驚いたように振り返ろうとして・・・
「バーン!!」
母の呼び声に、突如姿を現したバーミリオンがリナリスに剣で斬りつけた!!
「!?・・・バーン!!」
美咲は、思いがけない人物の登場に驚きの声を上げる。
バーミリオンの剣は、過たずリナリスの肩から胸を切り裂いた!
そのまま美咲に駆け寄ると美咲を抱き締め、庇うようにかかえこんだ。
「美咲!!」
痛みに顔を顰めながらしっかり美咲の名前を呼ぶ。
「バーン!バーン!!バーン!!!」
美咲は、驚愕と安堵と喜びに心をグチャグチャにしてバーミリオンに縋り付いた。
「貴様!!」
斬り付けられて・・・しかし、すぐさま治癒魔法で自らを癒しながら、バーミリオンに向かおうとしたリナリスは、手遅れになるまで気づかなかった。
背後から近づいた母が・・・彼の首にカチャリと金属の首輪を嵌めるのを。
「!?・・・母さん?!」
慌ててリナリスは自らの首に手を当てる。
そこには固く冷たい感触があった。
それと同時に、自分の体から”力”がスーッと抜けるのを感じる。
治癒魔法が途中で止まりズキズキとした痛みが肩から胸を走る!
「何を!?」
「カイト!!」
母が高らかに竜王子の名前を呼ぶ!
張ってあったはずのリナリスの障壁を破って、海の青の竜が現れた!!
「踏み潰しちゃいなさい!!・・・死なないようにね。」
申し訳程度に付け足された最後の言葉をカイトが聞いたのかどうか・・・
カイトの鋭く大きな爪が、リナリスの傷ついた肩を、尚傷つけてそのまま地面に押し倒す!!
リナリスは、カイトの竜の足に抑えつけられ、爪で地面に縫い付けられた!!
慌てて抵抗しようと”力”を使おうとして・・・リナリスは愕然とした。
(“力”が・・・使えない?!)
どうあがいても・・・“力”が自分の中から出て来なかった。
倒れ、磔にされたリナリスを母は上から覗き込んだ。
「力封じの首輪ですってぇ。人間って変わった物を作るわよねぇ。」
それは、以前カイトを封じていた首輪の改造バージョンだった。
「?!」
そんなバカなとリナリスは思う!
たかが人間の作った物などに自分の力が封じられるはずがない!!
リナリスは首輪そのものを壊そうとした。
「無理よぉ。首輪には貴方の知っている4大精霊王たちが、昔、宿っていた石を嵌めたのよぉ。ただの石塊と言ったって精霊王が宿れるほどの石なのよぉ。それを3つも付けたのだもの。破れるはずがないわぁ。」
特注品なのよぉと母は偉そうに胸を張る。
コチニール随一の魔道具士が、母の注文に張り切って首輪を作ってくれたのだった。
バカな子ねぇと母は、リナリスを見下ろした。
「貴方は人間を侮り過ぎたのよ。力あるモノを遠ざけてそれで自分が勝ったと思い込んだ。・・・アッシュ、白銀が目くらましの魔法をかけて、バーミリオンを・・・ただの人間を潜り込ませていたことに気がつかないだなんて・・・マヌケにも程があるわぁ。」
まぁ多分そうじゃないかと思って、この作戦をとったのだけれどと言って母は頭を抱える。
まんまと引っ掛かった我が子に、頭痛が止まらなかった。
絶大な力を持つ魔王は・・・彼が侮った人間と人間の作った物によって、その身を拘束されたのであった。




