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決戦 7

王が消えていくらも経たずに魔王が部屋に入ってくる。


すっかり目の覚めてしまった美咲は既にベッドから起き上がり着替えていた。


魔王の姿はいつもと寸分変わらない。

あまりにいつもどおりの様子に、本当に母が勝って魔王が負けたのかわからなくなってくる。


・・・しかしその疑問はすぐにとけた。


「おはよう。妹君。良い知らせだよ。母さんが此処に来る。早く迎えに行こう!」


浮き浮きと嬉しそうに近づく魔王に、美咲は不審な思いを隠せない。

母が来るという事は、王さまの言葉どおり母は魔物の軍に勝ったのだろう。

ということは、魔王は負けたのだ。


自分の軍が負けたのに何故魔王はこんなにも機嫌が良いのだろう?


さあ、早くと促されて手を引っ張られ、引き摺られる勢いでドアに近づく。


「ま、魔王さん!」


・・・魔王は不機嫌そうに立ち止まった。


「“兄さん”だろう?・・・君は確か、まだ随分と負けがこんでいるはずだよ?」


そんな呼び方に拘っている場合なのだろうか?


「・・・兄さん。ママが此処に?」


「そうだよ。ようやく勝ったんだ。遅いよね?“あんな魔物の軍”に母さんたら何をしていたんだろう?・・・あぁでも今の母さんは人間なのか。なら仕方ないのかな?」


美咲は愕然とする。


“あんな魔物の軍”というのは自分の軍のことではないのだろうか?


魔王は気にした風もなく美咲を引っ張って先を急いだ。

閉じ込められていると思っていたドアを開け、何の抵抗もなく廊下へ出る。

途端パッと光が差して美咲は目を瞬かせた。

何で?と思う暇もなくグイグイ引っ張られて行く。


美咲は知る由もないが、2人は久方ぶりに光の戻った王の塔の中庭に向かっていた。



「・・・魔・・・兄さんは、自分の軍が負けて平気なの?」



ようやくの思いで美咲はその問いを発した。


はやるように足を進めながら振り返りもせずに魔王は答える。


「平気だよ。あんな母さんに刃向かうような奴ら、どうなったってかまわない。」


思わず美咲は足を止めた。


「どうしたの?早く行くよ。」


少し苛立ったように魔王が振り返る。


「・・・だったら!どうして戦ったの!?魔物は貴方の命令で戦ったのでしょう?!」


美咲はわけがわからなかった。


魔王は人間世界を攻撃していた。

美咲は母の代わりに魔王に攫われて来たのだ。

そして、母を此処に呼び寄せるための人質にされたはずだ。

その思惑どおり、母は美咲を助けに来た。


魔物の軍を打ち破って!


なのに魔王は、その魔物の軍が敗れたことを何とも思っていないのだ。


・・・一体何のために母と魔物は戦ったのだろう?


「いやだなぁ。そんなことを気にしていたの?母さんは君を取り戻すために戦ったのだし、魔物は王である私を守るために戦ったんだよ。どちらも大切なもののために戦ったんだ。止めるわけにはいかないよね。」


そんなことはどうでもいいから急ごうと魔王は言って美咲を引っ張る。



美咲は・・・絶望しながら引き摺られて行った。



直ぐ目の前のとてつもなく美しい存在が・・・理解できなかった。

同じ言葉を話しているはずなのに・・・思いは通じない。

自分の考えとはどうにも相容れられない、存在。


戦いは・・・悲惨だ。犠牲が出て誰かが必ず傷つく。そんな戦いを自分のためにさせて・・・それをどうでも良いと言い切れる・・・人。


(・・・兄さん・・・)


待望の母の迎えのはずなのに・・・美咲は心が果てしなく落ち込むのを止められなかった。






中庭とはいえ、久しぶりの外の空気と光に美咲は目を眇める。


周囲を高い塔に囲まれているとはいえ、そこは十分な広さがあった。


(東京ドーム何個分?)


本来ならば此処は外気圏であり地上のような風景が広がるはずはない。

なのに、光はふんだんに差し込み、爽やかな風が吹き抜ける。短い草と可憐な花畑の続く草原はまるで映画のワンシーンのようだった。


この風景の全てが美咲のために用意されたものだということを美咲は知らない。


魔王にとってこの程度のことは、わざわざ教えるほどのことではなかった。


「ほら!来たよ!!」


魔王が空の一角を指差す。


陽光をはじき空と海の青を持つ竜が2頭降下してきていた。


(竜王さん・・・カイト!)


おそらく竜王の背には母が乗っているのだろう。


美しい空の青の竜は光と闇を両翼に纏い、海の青の竜はキラキラと様々な色を纏いつかせていた。

それは精霊王たちの色で、圧倒的な力の近づく気配に王の塔の空気が震える。


竜と精霊王に先んじてアッシュとタンとブラッド、そして美咲の見たことのないオレンジ色の髪と目を持つブラッドに負けず劣らず美しい男が宙から降りてきた。


「姫君!」


アッシュとタンが声を揃えて呼びかけてくる。


「シディ〜!!」


ブラッドは両手をブンブンと振っていた。


「アッシュ!タン!ブラッド!!」


美咲は、人間(・・)が宙を滑り降りてくるという事態に目を丸くしながら名前を呼ぶ。


(何で?アッシュの魔法なの?)


驚きながらも降りてきた4人に駆け寄ろうとして・・・魔王に腕をがっしりと捕まれた。



「・・・彼らは“魔物”だよ。そんなに迂闊に近づいて良いの?」



耳元に魔王が囁く。


「!?魔物!」


思いがけない言葉に動きを止めた美咲を、魔王は背中から深く抱き締めた。


魔王の細く繊細な指が美咲の首にかかる。

魔王の力をもってすれば、美咲の首など素手で容易く圧し折ることができるだろう。


それは、あからさまな脅しだった。


「動くな。」


魔王の静かな声に、アッシュたちは動きを止めた。


「・・・陛下。」


橙黄が苦しそうな声をもらした。


「橙黄。“対”が見つかって良かったね。」


魔王の声は、本当に嬉しそうで慈愛に溢れていた。心から喜んでいるのだということが嫌でもわかる。


唇を噛みしめて橙黄は下を向いた。


蘇芳も辛そうに魔王と美咲から目を逸らす。


いつでも何も考えていないように明るかったブラッドのその表情に美咲はびっくりした。


「彼らは、橙黄と蘇芳。“対”の魔物だよ。・・・そして君がアッシュとタンと呼ぶのは、“白銀”と“黒金”という意地悪な魔物だよ。・・・私は小さい時、彼らにうんと虐められたんだ。」


「リー!!」


アッシュとタンが怒声をあげる。


“リー”というのは魔王の愛称なのだろう。王さまは魔王の名は“リナリス”だと言っていたから愛称が”リー“というのは納得できた。


魔王はわざと体を震わせてみせる。


「ね?怖いだろう?彼らは竜族を滅ぼそうとしたこともあるんだよ。・・・気に入らなければ何でもするんだ。気をつけてね。」


「余計な事を姫君に吹き込まないでください!」


アッシュが声を荒げる。


本当のことだろう?と嘲るように魔王は言った。


彼らが言葉の応酬をし、美咲がどうしてよいかわからずに混乱している間に、2頭の竜がいよいよ近づいてくる。

竜の使う風の魔法で美咲の髪や衣服が、煽られ翻った。


「いい加減にしなさい。まったくぅ。」


風を越えて、こんな時でもどこかのんびりとした声が上から降ってくる。


「ママ!!」


「美咲〜ぃ!元気ぃ!?」


緊張感のない声が今までこれほどに嬉しかったことはなかった。


「ママ!ママ!・・・ママ!!」


竜王が圧倒的な迫力で美咲の目の前に降りる。

その後ろに竜王子が降りて、光と闇の精霊王と4大精霊王が顕現する。


うやうやしく身を屈めた竜王の背から母は滑るように降りてきた。

光と闇の精霊王が母の体を受け止める。


母は、美咲と魔王の目の前に立った。


「ママ!!」


「遅くなってごめんなさいねぇ、美咲。大丈夫だったぁ?」


魔王に首を掴まれて頷けない美咲は、それでもかすかに顎を引いて母の言葉に肯定の態度を表そうとする。


・・・涙で声が出なかった。


母は、そんな美咲をホッとしたように見詰めて優しく笑いかけてくれる。


美咲はこんな状況だったが、心の底から安堵を覚えた。

・・・母が居ればなんとかなると心から思えた。

いつだって美咲を助けてくれる無条件の信頼を寄せられる存在。

それが美咲にとっての母だった。




魔王は・・・美しい顔を複雑に歪ませて目の前の人間の女を見た。




(これが・・・母さん。)




かつての女神の美しさも威厳も何もないただの人間の女性。

魂の輝きもみすぼらしいほどに小さく弱弱しい。


本当にこれが、あの神々しかった女神なのか?


信じられないという思いと、大きな落胆。


そして沸々と湧き上がってくる怒りに駆られて目の前の小さな女を見て・・・




(!!)




息をのんだ!!


自分を睨み付けるキラキラと輝く大きな瞳。


強い意志と絶対の自信に裏打ちされた真っ直ぐな光が・・・魔王を射ぬく!


(・・・母さん!!)


魔王は・・・その瞳の中に、ようやくかつての女神を見つけた。


焦がれて焦がれて・・・ずっと求めていた自分を産んだ至高の存在。


たった今まで自分の中にあった怒りを打ち消して溢れてくる熱い想いに泣きたくなった。



「・・・母さん。」



遥かな時を越えて・・・子は母を呼ぶ。




母は・・・不機嫌そうに顔を顰めた。




「美咲を放しなさい。」




その言葉は、魔王に冷水を浴びせた。

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