勉強 5
翌日アッシュは予定どおり一足先に竜の谷に飛び立つ。
「姫君のお目にかなう竜を集めておきます。」
アッシュの乗る竜は体高が5m体長は長い尻尾(3mくらいあった。)をいれなければ4m。翼を広げた体幅は10mはある長い首と鋭い牙の恐ろしい顔をしたファンタジー映画のラスボスに出てきそうな立派な竜だった。
見送りに出てきた美咲と母を見つけると面白そうに顔を近づけてきたが、ぴーちゃんが羽を逆立てて威嚇すると驚いて首を引っ込めた。
『これは、めずらしい、朱・・・』
話し出した竜の声を、途中でぴーちゃんの『ぴぃぴぃ!』という鳴き声が遮る。
竜は黙り込み、ぴーちゃんはその竜を睨みつけた。もの凄く大きな竜とその竜に比べれば消し炭みたいなぴーちゃんの睨み合いは何故かぴーちゃんが押しているように見える。
しかしそのぴーちゃんを美咲の母はピシッと叩き落とした。
ペチャと地面にぴーちゃんが激突する。
「相手の話を途中で遮っちゃダメでしょう!」
メッと怒った母にぴーちゃんがパタパタと飛びついてぴぃぴぃ鳴きながら纏わり付く。
「ごめんなさいねぇ。竜さん。」
美咲の母はそんなぴーちゃんをうるさそうに追い払いながら、なんだか呆然としている竜に謝った。
『あ、あぁ、いや。・・・貴女が人間の王の伴侶か?』
竜の言葉は昨日までの美咲であれば心を傷つけられただろうが今は平気だった。
「違いますよ。スレート。“運命の姫君”は隣の女性。彼女は姫君の母君です。」
竜はスレートという名前のようだった。
スレートは改めて美咲に目をやる。
美咲の肩にいたポポは、震え上がって美咲の背に隠れた。小さな魔獣として実に正しい反応だと思う。
『・・・ああ、確かに。見事な魂をしているな。』
遮蔽の魔法を使っているのだが、それでも見えるようでスレートが感嘆の声をあげる。
「ありがとうございます。」
美咲は笑った。
アッシュは少し驚いたような様子をみせ、ついで嬉しそうに礼をする。
「姫君、では出発します。この城には私の結界が張られています。絶対に城からお出にならないように。今日は大人しくエクリュと勉強されて明日竜の谷にお越しください。向こうでお待ちしています。」
・・・実は美咲はここへ来た当初から城の外へ出てみたいと言ってはアッシュやタンを困らせていた。
アッシュの言葉はそんな美咲に釘を刺す意志があった。
(そんな事言われたって、せっかく異世界に来たのに!)
城の中だけでは異世界トリップが満喫できないと美咲は不満に思っていた。
しかし、この場は殊勝に、はいと答える。
アッシュは限りなく疑い深そうに美咲の返事を聞いた。
「エクリュ、わかっていますね。決して姫君に籠絡されないように。」
エクリュにも釘を刺して、アッシュはスレートに騎乗して空へと飛び立つ。
竜が飛び立つ際には魔法を使うのだそうだ。魔法の力を借りてほんの2〜3回羽ばたくだけで竜はその巨躯を空高くへと舞い上がらせる。素早く無駄の無い飛翔は見惚れるほどに美しかった。
くるりと城の上空を旋回し、スレートは一直線に東へと向かって飛び去る。
(ファンタジーだわ。)
美咲はエクリュに急かされるまで竜の去った空をいつまでも見ていた。
エクリュが講師の今日の勉強はこの世界の生き物の事だった。
様々な力の荒れ狂うこの世界には種々雑多な信じられないような生物が居る。
「一番数が多いのが、ポポやぴーちゃんのような魔獣です。」
緊張して頬を紅潮させながら美咲に講義するエクリュは・・・とっても可愛い。
母はそのエクリュの姿を見ているだけで癒やされるわぁと一緒に講義を受けたがったのだが、そんな母の様子を何だか不機嫌そうに見ていたタンに誘われて、騎士の訓練を見学に行った。
「可愛い子も捨てがたいけれどぉ、やっぱり筋肉隆々の男の戦いには敵わないわよねぇ。」
という母の発言にエクリュが肩を落とす。
「ママは、年上が好みだから。」
思わず慰めた美咲の言葉に、
「なら、アッシュ様もタン様もママの好みではないのですね。」
とエクリュが言ったのはタンへの意趣返しであったのだろうか?
アッシュもタンもともに28歳。
母より年下だという事がわかった時は2人とも随分と愕然としていたものだった。(美咲を産んでいるのだから年上なのは自明の理だと思うのだが、どうもその事実と母の見かけを別のものとして考えていたようで、いやあねぇと言ってコロコロ笑った母を信じられない様に見ていた。)
エクリュの発言にタンが思った以上のショックを受けていたのが哀れを誘った。
そんなやりとりもあって、美咲はエクリュの個人授業を受けている。
「魔獣は、魔力の強い獣の総称です。この世界の生き物はみな多かれ少なかれ魔力を持っていますが、普通の人間やただ単に獣と呼ばれる存在はその魔力を外へは使わず自分たちが生き延びるためだけに使っています。」
力の荒れ狂う世界では、その力に抗って個を保つだけでもたいへんなのだそうだ。普通の人間や獣の魔力は無意識に自分という存在を力から守ることだけに使われる。
「人間の中でも魔力が強く自分を保つ以外の力を使える者が僕やアッシュ様のような魔法使いになります。タン様は騎士ですが魔法も少しお使いになれます。魔法剣士と呼ばれています。」
一生懸命なエクリュの説明に美咲は真剣に頷いて返す。エクリュは嬉しそうに笑った。
「魔力を外に使える獣が魔獣です。小さな虫から大きな大型獣まで全ての総称です。セルリアンに住む魔獣は王の制御した質の良い魔力を好む大人しい種族が大半です。大方の魔獣が人間の魂の輝きを好んでいますから人の召喚に応え契約を結ぶ事が可能です。」
魔獣にとって人間の魂の輝きはうっとりするほど魅力的なものらしい。主食ではないが美味しいおやつ、嗜好品の類いに価するのだろうか?契約し側に居るためならば使役されても文句はないのだそうだ。
「もちろん外の世界には人間などなんとも思わない強大な魔獣もいます。ただ幸いなことに、本当に人間などなんとも思っていないのでかかわることが無いのです。」
強大な魔獣にとっては世界の一カ所にへばりつくようにして生きている人間などものの数ではないのだそうだ。
なんだかそれはそれで面白くないような気がする美咲である。
美咲の不機嫌を察したエクリュが話題を変える。
「次に多いのが精霊です。」
精霊というファンタジー色満載の言葉に美咲は反応する。その様子にエクリュはホッと息をついた。
「この世界のありとあらゆる物に精霊が宿っています。大地、水、空気、光等々精霊はそれらの力の化身です。ただそこにあるモノから、強大な力を内包し個として確立されたモノまで様々な精霊が存在しています。」
個として確立された精霊はただ単に力の集合体であるゆえに生き物の意志に引きずられるという。人やその他の生き物の願いや思いに引かれ、やがて惹かれて自らの中に心を持つのだと。
「その為に精霊は人間と契約し人間に力を貸してくれます。精霊と契約する際に必要なのは強い思いです。」
(うっわぁ〜、なんだかステキ!強い思いが必要なんてロマンだわ!)
乙女思考で盛り上がる美咲を我に返らせる母がいない今、美咲はたっぷりと甘い思考を堪能する。
うっとりする美咲に流石のエクリュもちょっと引き気味だった。
「聖獣を代表するのは竜です。」
気を取り直してエクリュは説明を続ける。
「獣と言うには知能が高く、むしろ我々人間など及びも付かない知性と経験、力を持つ存在です。」
昨日ぴーちゃんがそうじゃないかと疑惑に上がった神獣も聖獣の一種だそうだ。
竜は人間に好意を持ち積極的に関わってきていることからよく知られているが、あとの聖獣は、火の鳥同様伝説の中にしか存在しないモノだそうだ。
「竜、火の鳥、麒麟、玄武等々、竜以外は誰一人見た者はいません。」
いなかったのですが・・・とエクリュは言葉を濁す。
美咲はアッシュを見送る際に母に叱られすっかりしょげ返って母の髪の中に逃げ込んだ赤いヒヨコもどきを思い出す。
(ない、ない、絶対ない!)
あれが火の鳥だとしたら他の神獣に対する認識が全部地に落ちてしまいそうだ。
「ぴーちゃんは、魔獣よ!」
断言する美咲に、そうですよねと同意するエクリュ。
ぴーちゃんがくしゃみをしたかどうかはわからなかった。
「魔物は?」
この世界の生き物に関する説明は終わりましたという雰囲気を漂わせたエクリュに、ふと気づいて美咲は質問する。
確か一番最初にアッシュが世界の説明をしたときに魔物と言っていたような気がする。
エクリュはギクリとしたようだった。
「ま・・・魔物は姫様の知る必要のない生き物です。」
(知る必要のないって?)
目を瞬いてエクリュを見詰める。
エクリュはあからさまに動揺した。目を泳がせて不自然に視線を逸らせる。
美咲はその様子にため息をついた。
おそらく魔物は美咲に教えては都合の悪い生き物なのだろう。
(危険があるとか、命を狙われているとか、そんなところかな?)
母があれ程危険はないかと念を押していたのだ、危険な生き物の存在など教えたくないに決まっている。
(多少の危険は覚悟の上なのにな・・・)
美咲は一人ごちる。
異世界トリップに冒険はつきものだ。
心躍る物語の主人公になったのだから多少の危険はあるだろうと思っている。
そんな美咲の考えがいかに甘く、無分別な子供なのかを教えてくれる母はこの場にはいなかった。
それにしてもと、美咲はエクリュを見る。
(魔物なんて生き物はいませんとか、神獣と同じくよくわからないのですとか言って誤魔化せば良いものを・・・)
エクリュって嘘をつけない子なのねとある意味感心する。
・・・とても素直な子でつけ込みやすそうだ。
美咲は心の中でニヤリと笑った。
エクリュの背中に悪寒が走る。
「知る必要のない・・・ね。ふぅ〜ん。まぁ良いわ。魔物のことを教えてもらわない代わりに、他の事を教えてくれる?」
嫌な予感にエクリュの顔が青ざめる。
「城の外の事を。・・・もちろん現地調査でね。」
そう言って、エクリュの姫様はとても可愛らしく笑った。