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決戦 1

延々とどこまでも広がる青い海。

既に何処にも大陸の影はなく、島はおろか岩礁のひとつも見えない。

空は、青い。

抜けるような青い空の所々にベールのような薄い雲がかかっている。


海の青と空の青に挟まれて、同じ青を持つ2頭の竜に導かれた軍団が空を行く。


竜と魔獣、精霊が競うように空を飛ぶ白昼夢のような光景。

眼下の海の中にはクジラの様に大きな海獣が悠々と泳いでいた。

他にも無数の力ある生き物たちが付き従う。

深い海の中、どれほどの海獣がいるものか見当がつかなかった。



・・・バーミリオンは、これほどに広がる海を見たのは初めてだった。



コチニールも狭いとはいえ海岸線を持っている。海を見た事がない訳ではない。

ただ、人間は自国の近海を小舟で漕ぎ出る以上の術を持っていなかった。

海は、眼下を泳ぐ海獣たちの領域だ。

比較的小さな魚や海藻、貝等、人間の手の届く範囲の海の幸を採ることは許されても、それ以上の行為を海獣たちは人間に許可しなかった。

結果人間たちは誰一人遠洋に出たことがない。

たまにセルリアンの竜騎士たちが機嫌の良い竜に多少遠くまで乗せてもらうことはあったが、陸地が見えなくなるほどまでの遠くに出た者はいない。

何よりそんなに人間世界から離れれば、人間の体自体が外を荒れ狂う“力”に耐えられなかった。

果てなく広がる青一色の光景は、一見のどかに見えても、そこには見えぬ力が溢れている。とても人の身で耐えられる力ではなかった。


バーミリオンとてカイトの障壁に守られていなければ、おそらく今頃は意識を失い命の危機にあるだろう。

そしてそれは、竜王の背で同じように守られている母にも言えることだった。

人間2人は竜に守られ、この世界の人類初の景色を見ていると言えるだろう。


しかし、バーミリオンには感動している余裕などなかった。


心は・・・焦る。


カイトの背に乗っていても・・・抱き締める柔らかい体が側に無い事がたまらなく胸を痛くする。


「まだなのか?」


『あいつらに聞け!』


返って来るカイトの声も苛立ちを含んでいる。

カイトも同じように苛立っているのだ。

本当ならばバーミリオンなど乗せるのも嫌だった。

母の命令で渋々乗せているに過ぎない。

はやる気持ちを抑えつけ黙って命に従わなければならない苛立ちをバーミリオンにぶつけるカイトだった。


カイトの言うあいつらとは、先頭を行く竜王の両脇を飛んでいる蘇芳と橙黄の2人の魔物だ。

竜にも魔鳥にも乗らず、人の姿で宙を滑るように移動する魔物の姿はバーミリオンには奇妙に映る。しかしそれを気にするのはこの一行の中では彼だけだ。

誰も彼もが当たり前のようにそれを受け入れて、この2人の案内に従って移動している。

バーミリオンは、おかしいだろう?という声をのみこんでいた。

既に人間の常識をここに持ち込んでもどうにもならないことは学習した。


焦燥感にかられながら、睨むようにバーミリオンは前を見る。

カイトに掴る手に自然と力が入った。


そのバーミリオンの雰囲気を背に感じ取ったカイトが大きく息を吐いた。


『・・・あいつらの話では、もう少し行ったところの上空の外気圏に魔王の居城はあるらしい。・・・まぁ、宇宙空間でない分、少しはましだ。』


カイトは、先ほどのバーミリオンへの返事が多少八つ当たり気味だったのを少し反省した。


バーミリオンの焦燥はカイトの焦燥と同じだった。

同じ気持ちを抱える相手と反目し合っている場合ではない。


カイトは渋々ながらに情報を話す。

外気圏であれば大概の魔獣はついて来れる。宇宙空間まで行くとついて来られないモノもいるからなと説明した。


正直に言えば、バーミリオンは外気圏も宇宙空間もそれが何かわからなかった。

人間は狭い人間世界でしか生きられない。

この世界の人間にそんな知識があるはずがなかった。

しかしここで聞き返してはいけないと自重する分別は持っていた。

ただ教えてくれたことへの礼のみ伝える。


バーミリオンは連れて行ってくれるのならば、どこでもかまわないと思っている。

下手に機嫌を損ねて置いて行かれるわけにはいかなかった。




カイトの言葉どおり暫く進んだ場所で軍団は止まる。


「この上空だ。」


蘇芳が指差す空はキレイに晴れあがり雲一つ見えない。

そこに何かあるとは少しも思えぬ空にバーミリオンの眉は顰められる。


しかし不審に思ったのは、やっぱりバーミリオンだけのようだった。

他の誰からも疑問の声は上がらない。


「じゃあ、こっちは熱圏に本陣を構えましょう。あそこまで昇れば上とか下とか関係ないわぁ。数はこっちが多いんだからぁ多方面に陽動作戦を展開するわよぉ。元々魔物の統率なんて無いも同然なんだからぁ精神的に追い詰めて乱れたところを一斉攻撃で叩くわ。完膚なきまでに叩き潰して魔王を引き摺り出すのが目的だからぁ私の命令にちゃんと従うのよぉ。」


母の間延びした命令にバーミリオンは思わず脱力する。

言っている内容はまともなのに・・・もの凄く力が抜ける。

しかし何故かそう思うのはバーミリオンだけのようだった。


『主の命じるままに。』


竜王が厳粛に返す言葉に呼応するかのような熱気が周囲の全てのモノから上がる。


母は楽しそうに笑った。


「全軍にこれが私の・・・女神シャトルーズの“神軍”なのだと伝えなさい。・・・敵にもね。それがわかって私に逆らうものに容赦する必要はないわぁ。」


その言葉にますます大きな熱気が膨れ上がる。


・・・バーミリオンは、改めて気を引き締めた。


母が女神シャトルーズだったという事はコチニールを出る前に教えてもらっていた。俄かには信じられない話だったが、竜王や光と闇の精霊王に肯定されれば疑う余地はない。


バーミリオンはその言葉を信じた。


母は特に気にする必要はないわぁと笑った。


「今は、人間なのよぉ。・・・もちろん美咲もただの人間だわぁ。」


その言葉に安堵したバーミリオンは同時に不安も覚える。


美咲が魔王に攫われた事を思えば、人間でなかった方が安心できる。


そう言うバーミリオンを母はどこか嬉しそうに見詰めた。

この男にとっては、美咲の安全が第一で人間かどうかは二の次なのだいうことに満足感を覚える。


「美咲を助けたい?」


「当たり前だ!!」


「だったら連れて行ってあげるわ。そのかわり泣き言はなしよ。貴方はお荷物なのだから、しっかり自覚して私の命令に従うのよぉ。余計な事をして足を引っ張るようなら兵糧代わりに魔獣に食べさせちゃうから覚悟してねぇ。」


冗談だと思いたい母の言葉にバーミリオンは引き攣った笑みで頷いた。


・・・本気ではないはずだ。・・・多分。


とにもかくにも美咲を助けたいバーミリオンに否やはなかった。

神妙に頷き、全てをのみこんでこの場所まで来たはずだったが・・・




この後の光景はそのバーミリオンの度肝を抜いた。




母が・・・女神が笑って上空を指し示す。


その手に導かれるように、海の中から流線形の海獣がその巨体を表す。

まるで空を泳ぐように空を舞った。


しかもその数は増えるばかりだ。

何十何百の海獣が海中から現れる。

中には大蛇のように、うねうねとうねる体を持つモノや大きな胸鰭が羽のように進化して広げて空を飛ぶモノもいた。

数えきれない海獣が海から現れ水滴を雨の様に降らせながら上空へと上る様は、まるでそこから巨大な水の柱が立つようだった。


そして空中に待機していた魔獣や精霊がその周囲を固め、ともに上へと上り始める。


空を飛ぶものばかりではない。大地を走る者も軽々とそこに地面があるように空を駆けて行く。


非常識極まりないその大軍に・・・竜が加わる。


一際大きな咆哮を上げた竜たちは鱗を陽光に煌めかせ、次から次へと上空へ飛翔した。



今や、視界におさまり切らぬような太い柱となった上空を目指す大軍が空間を塗りつぶしていく。



バーミリオンの開いた口は塞がらなかった。


クスクスと笑う母の気配がする。


「魔物たちの慌てる姿が目に浮かぶわぁ。私に逆らう愚かさを思い知るといいわよね。・・・行きなさい、蘇芳、橙黄、白銀、黒金。貴方たちの同胞に自分たちが何を相手にしているのかを教えて来なさい。降伏してこちらに下る者は助けてあげるわ。それ以外のモノに遠慮はしないと伝えなさい。・・・先陣を任せてあげるわ。思う存分暴れていいわよ。」


クスクスと笑いながら言われる言葉が、何だかもの凄い悪の女王のセリフに聞こえるのは気のせいだろうか?


母の言葉に4人の魔物は揃って頭を下げた。


そのまま上空へと飛翔する。


怖ろしい規模のその軍団に・・・バーミリオンは心配になって母に声をかけた。


「・・・シディは?シディがいるのに攻撃しても大丈夫なのか?」


母は呆れたようにバーミリオンを見返した。


「平気よぉ。美咲は大切な人質なのよぉ。大事に守っているに決まっているでしょう。・・・あの子はね、優しい子なのよぉ。」


「・・・あの子?」


オウム返しのバーミリオンの問いに母はふわりと笑う。



「魔王よ。・・・優しくて、愚かな・・・私の息子。」



母の暖かな微笑みは・・・何故かバーミリオンの背筋を凍らせた。

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