平定 31
母の理論に全員あっけにとられる。
どうせこの国には王太子がいるのだから、グレンを美咲のお婿さんに貰ってもかまわないでしょう?と母は言った。
“お婿さん”という言葉に美咲は状況を忘れて、ぼーっとなる。
(バーンが私の?・・・私一人っ子だし、そうかも・・・)
と納得しそうになり、美咲は慌てて飛んでいきそうな意識を呼び戻す。
「違うでしょう!ママ!!王さまが自分の伴侶として私を召喚したのであって、あくまで主体は王さまでしょう!?」
「どうしてそう決めつけるのぉ?王さまは、王の伴侶となる“運命の姫君”を召喚したのよぉ。なら、その“運命の姫君”の伴侶が王さまだわぁ。」
「・・・ママ!?」
美咲は頭が混乱した。
母の言い分は滅茶苦茶だ!
「王さまはどうなるの!?」
「そんなものママは知らないわよぉ。」
もう18歳なんだから一人で自立できるでしょうと無責任に母は言った。
美咲が大学を卒業するまで・・・いや、やもすれば結婚して子供を産むまで異世界召喚に応じられないと言っていた母のこの言葉を聞けば、王は呆れかえるだろう。
それとも腕輪を通して聞いていて、今頃1人で頭を抱えているかもしれない。
「グレンが・・・セルリアン王に?」
呆然とローシェンナは呟く。
「美咲をお嫁さんに貰うってことはそういうことよぉ。」
ローシェンナの頭も混乱した。
いや、周囲全てが混乱していたと言って良い。
そして、その混乱の中で・・・10歳の王太子ネープルスが、美咲の側に近寄った。
「ねぇ、貴女が本物の“運命の姫君”なの?」
ちょんちょんと美咲の服を引っ張って王太子が小首を傾げながら美咲を見上げる。
その可愛らしい様子に、混乱していた美咲も思わず微笑む。
何故か正妃が大きく息をのんだ!
美咲は膝を曲げて王太子と目線を合わせて頷く。
「えぇ、そうよ。」
「美咲!!」
母が警告の叫びを上げる!
「え?」
その後起こった事は、わずかな時間の間に立て続けに起こり・・・後でゆっくり振り返ってようやく、どういう事だったのかがわかるような混乱の中の出来事だった。
まず・・・王太子ネープルスの小さな手が伸びて美咲の手をガッシリと掴んだ。
美咲は、子供とはとても思えぬような強い力に驚いてネープルスを見る。
美咲と目のあったネープルスが年に似合わぬニヤリとした笑みを浮かべると、美咲の足元のポポが低い威嚇の唸り声を発した。
美咲の背筋に悪寒が走った時・・・突如現れたブラッドが、大きな声を上げてネープルスの肩を掴んだ!
「見つけたぁ!!こいつだよぉ!これで俺のお仕事は終わりだよね?やっとシディと一緒にいられる!」
「!?・・・離せ!!」
ネープルスが・・・いや、ネープルスに憑いた魔物が、自分に手をかけたブラッドを吹き飛ばそうと力をぶつけた!
しかし・・・ブラッドには効き目がなかった。
当然だ。・・・魔物は、魔物以外を弾き飛ばす力を使ったのだ。
「へ?・・・何?」
きょとんとしているブラッドをネープルスは愕然として見詰める。
「お前は?・・・魔」
発した言葉の途中で、アッシュが魔物を打倒す力をネープルスに向かって放つ!
「ぐっ!ううっ。」
ネープルスは苦しさに胸を押さえて蹲った。
(何だ?・・・この力は?たかが人間が何故?・・・)
力のとばっちりを受けたブラッドは、痛い!と叫んでネープルスを放して後ろに飛び退った。
「酷い!俺は言われたとおりにしたのに!」
ブラッドの抗議は誰も聞いてはいなかった。
自分を捕まえていた手が放れたのを感じた魔物は、痛みで動けないネープルスの体から抜け出した。
魔物は・・・黄蘗という名前だった。
黄蘗は、4年前退屈しのぎに人間の国に手を出して、その楽しさに・・・はまった。
人間は、呆れるほどに弱く愚かで・・・しぶといのだ。
特に、この国の王妃は、どんなに傷つき打ちのめされても必ず頭を上げてくる。
その姿に、ぞくぞくとした快感がこみ上げた。この女が、どこまでいけば折れるのか・・・確かめてみたい。
そう思った黄蘗は、ずるずるとこの国に居続けた。
魔王が人間世界を攻撃し始めた時、黄蘗は実は落胆したのだ。せっかくの楽しみを取り上げられてしまう。ぎりぎりまで楽しんでから帰ろうと思っていた黄蘗に、魔王からの命令が下った。
“セルリアン王の伴侶を見つけろ!”
魔物にとっては、絶対者である王からの勅命だ。
違えるわけにはいかなかった。
名のとおり鮮黄色の髪と目をした冷たい美貌の青年は、“運命の姫君”を・・・美咲を標的として襲いかかろうとする。
彼に必要なのは一瞬の間でよかった。
彼に命じられたのは“運命の姫君”を見つけること。
・・・見つけて徴を付けられればそれでいいのだ。必要なのはその隙だけだ。
美咲を守ろうとカイトと4大精霊王が顕現する。
しかし、わずかに黄蘗が早く美咲に迫った!
「?!」
あと少しで触れるという瞬間、黄蘗と美咲の間にバーミリオンが滑り込んだ。
・・・それは、人間には不可能な動きだった。
魔物より早く動くことなど人間にできるはずがない。
不可能を可能にしたバーミリオンの髪と目が、美咲には見慣れた朱色に染まる!
「黄蘗!違う!!本物の“王の伴侶”は、向こうだ!!」
朱色の髪と目の男が叫んだ!
「紅緋!」
黄蘗は、数年ぶりに感じた自らの“対”の気配にその手を止めた。
・・・紅緋は黄蘗の対の魔物だ。
魔物は、常に対で行動する。魔物が1人居れば、必ずそこにはもう1人の対の魔物が存在するのだ。
それは常識だった。
紅緋は、魔物には珍しく良識的な考えをする魔物だった。
理由もなく人間を混乱させる黄蘗の行動を自分の対ながら悪趣味だと思っていた。
もっとも、だからといって黄蘗を止めようとか窘めようとは考えない。
紅緋もやはり魔物なのだ。黄蘗に振り回される人間を哀れだとは思っても助ける必要性などはまったく感じなかった。
ただ、面白くもないことに突き合わされてうんざりしていた紅緋は、コチニールを逃げ出す第一王子に便乗しようと考えた。
この男の中に潜って人間の世界を見て回るのも一興だと思った。
黄蘗と紅緋は対とは言っても、互いの趣味嗜好がまったく異なり別行動が常だった。存在さえ感じられれば数年会わないことくらいどうということもない。
そして、同じ人間世界に居るということは、活動範囲の広い魔物にとっては十分に互いの存在がわかる側近くにいるのと同じことだった。
黄蘗と違い、紅緋は、憑きはしても一切表に出ることはせず第一王子の奥底に自らの存在を封じ、ただ傍観する。
変わり者の魔物は、常に無いこの事態を楽しんでいた。
第一王子の・・・人間の視点から世界を見て、感じる。
その心に同調し、一喜一憂する。
(・・・面白い。)
引き込まれたと言ってもいいだろう。
第一王子の・・・バーミリオンの悲しみ、喜び、怒り、その全てを共有した紅緋は・・・バーミリオンの恋心も共有した。
美咲へのバーミリオンの心は・・・甘かった。
まるで甘露のように紅緋の心に染みいる。
出会った時のほのぼのとした感情が徐々に愛へと変わる様も、その間美咲が王のものだと思い悩み苦しむ悲哀も、思いが通じ合った時の爆発するような歓喜も・・・全て紅緋自身の想いであるかのように感じられる。
紅緋は・・・バーミリオンを通し、美咲を愛していた。
少なくとも紅緋自身にはそう感じられた。
何故なら、どんなにバーミリオンの感情を共有しても美咲以外の他のものにはこんな想いは感じないのだ。
故郷や義母を思うバーミリオンの心を理解しても黄蘗の行っている事を止めさせようとは思わない。
弱者が強者に虐げられるのは魔物の世界では当然だ。そこに同情の余地はない。
だが美咲だけは、この少女だけは守りたいと思う。
美咲を害するわけにはいかない!
特に・・・誤解によってなど!!
「間違うな!黄蘗!見つけるべきは運命の姫君ではない!“セルリアン王の伴侶”だ!セルリアンの王が真実愛し、自分の伴侶にと望む者は・・・そっちの女だ!!」
紅緋の・・・バーミリオンの手が母を真っ直ぐ指差した!
バーミリオンの中でバーミリオンよりずっと冷静に事態を見ていた紅緋には、間違いようのない真実だった。
もう1人の魔物を警戒はしていても、よもやバーミリオンの中に潜んでいようとは思ってもいなかった母の周囲のものは、一瞬反応が遅れた。
黄蘗は・・・直ぐに自分の対の言葉を信じた。
そもそも疑う必要性がない。
対とは自分の絶対だ。
対の言葉に従い黄蘗の手は、母に伸びる。
・・・肩の上のぴーちゃんを落ち着いた動作で払いのけた母は・・・満足そうに笑っていた。
(?!)
その笑みにゾクリとした寒気が走るのを感じたが、黄蘗はもはや止まれなかった。
黄蘗の手が母に触れ、その触れた箇所から徴となる”光の柱”が立つ!!
母を呑み込み、王宮の建物を突き抜けて・・・はるか上空のセルリアン王の張った人間世界の障壁さえも貫いて、光の柱は輝く威容をこの異世界に明示する。
それは、黄蘗から魔王への目標だった。
此処に目当ての“王の伴侶”がいるのだという徴。
「!!」
竜王が黄蘗を床に叩き伏せた!
カイトはバーミリオンを羽交い締めにする。
光輝と虚空が母を光の柱から助け出そうと近づく!
「動くな!!」
母が命じた!
ビクッ!と震えた彼らは凍り付いたように動きを止める!
他の全てのものも息をのみ動きを止めた。
・・・母は笑った。
「よくやったわ、バーン。・・・いいえ、バーンの中の魔物。褒めてあげる。これで“魔王”に会いに行ける。・・・あの、愚かな子にね。」
『主!!』
・・・母が自ら進んで魔物の標的になったのだと気づいて、竜王は大地を震わすような声を上げた。
アッシュも駆けつけたタンも光と闇の精霊王もぴーちゃんも・・・たった1人で魔王と対峙しようとしている母の姿に、心の奥底から恐怖が這い上がるのを感じた。
他のどんなことにも恐怖など覚えない彼らが体の震えるのを止められない。
母は・・・今の母は、人間だ。
魔王の力の前にはひとたまりもない存在だ。
その母がたった1人で魔王の元に赴こうとしている。
・・・なのに彼らには止める術がない。
他ならぬ母が、彼らに動くなと命じたから・・・。
有り余る力を持つ彼らは、魔王が光の柱を目標に、彼らの唯一無二の大切な存在を攫おうと迫るのを、ただ震えて見守る以外できなかった。
美咲は・・・未だに混乱していた。
何が何だかわからない。
何故、カイトがバーミリオンを抑えているのか?
何故、竜王が突如現れた人を床に叩きつけているのか?
何故、みんなが強ばった顔で母を見詰めているのか?
(・・・なんで、ママはあんな光の中に居るの?)
光の中で母は・・・笑っている。
美咲は体が震えるのを感じた。
急に理解した。
母は何かをしようとしている。
あの母の笑顔は、1人で何かをしようとしている時の笑顔だ。
たいていそれは、美咲のためで・・・そして、危険なことなのだ。
(竜王さんのあんなに余裕のない様子、初めて見る・・・)
アッシュやタン、光と闇の精霊王も焦っている。ぴーちゃんなど混乱したようにグルグルと意味もなく飛び回っていた。
(止めなきゃ!!)
美咲は思った。
・・・美咲は、この中で唯一母の命令を無視できる存在だった。
母が間違っていると思えば、平気で無視したり逆らったりできる。
今もそうだった。
母をこのままあの光の中に居させてはいけない!
美咲はそう思った。
誰もが動けない中・・・美咲は、母に向かって走り出す。
驚愕して目を見開いた母の顔を見詰めたまま、光の柱の中に飛び込んだ美咲は・・・母を突き飛ばした!
それは、全てを承知して思うままに事を運び、その場を支配していたと思っていた母の・・・たったひとつの誤算だった。
光の柱から弾き飛ばされた母は、たった今まで自分の居た場所に立つ美咲を見詰める。
そしてその瞬間、光の柱を目標に伸ばされた魔王の力が到達した!!
世界のその一点に集中した魔王の力!
人間の王の障壁を破り、侵入し、柱の中の者を掴みとり・・・消える。
美咲は、あっという間に魔王に連れ去られてしまった。
「!!美咲・・・美咲!!・・・美咲っ!!!」
母の絶叫が響く!!!
それは、女神シャトルーズが、存在してから初めて発した・・・ただの母親の悲鳴だった。




