平定 30
晩餐会は何事もなく予定どおり進行していた。
国の威信をかけた豪華絢爛な夜会。
煌びやかな会場に見た目も味も一流な料理と飲み物の数々。その舞台を着飾って泳ぐ魚のように優雅に動く人々。
・・・美咲は、必死に笑みを張り付けてその中に立っていた。
時折、隣で美咲を支えるバーミリオンが心配そうに顔を覗き込んでくる。
目線だけで大丈夫だと伝えて再び挨拶に来る何十人目かの貴族の言葉に笑って頷いた。
(・・・何でこんなにいっぱい人がいるの!?)
美咲は頭の中で悲鳴を上げていた。
各人の名前なんて覚えられるはずもない。もう既に、どんな人の顔も同じに見える。
・・・帰還したグレン第一王子と運命の姫君に挨拶をしたい人々は引きも切らなかった。
逃げるように泳いだ目が、少し離れた場所でアッシュに腕を絡ませて優雅に笑う母の姿を捕える。
美咲のような引き攣った笑みではなく、咲き誇る花のような艶やかな笑みを浮かべて応対している母は、流石年の功と言うべきか・・・
(人生経験が違うのよね・・・)
心の内で溜息をつく。
面と向かってそんなことを言おうものなら烈火のごとく怒るだろうが・・・。
「運命の姫君さま・・・」
再び話しかけられて美咲は慌てて相手に向き直りぎこちない笑みを返す。
確かコチニールのなんとか大臣とかいう人だったはずだ。
「疲れたなら無理をせず休むと良い。」
耳元でこっそりとバーミリオンが囁きかけてくる。
「大丈夫よ。」
美咲も小さく囁き返す。
傍目には仲睦まじい恋人同士の様子に、周囲は暖かな目で見守り、これでコチニールも安泰だとあちこちで噂される。
晩餐会は、美咲には可哀相だが・・・始まったばかりだった。
母は自分に話しかけてきた背の高い老紳士に笑って言葉を返す。
「喜んで、リーフ伯。ぜひその魔道具を見せていただきにお伺いしますわ。」
(・・・いつかね。)
と心の中で付け足すのを忘れない。
「私の名を覚えていただけたのですか?」
老紳士リーフ伯は感激したように声を震わす。
母はにっこり笑った。
母に取って1度紹介された人間の名や顔を覚えることなど造作もないことだった。
しかもこの国の予備知識は十二分に得ている。母はこのリーフ伯の領地がこの国のどこにあって、どんな特徴を持っているのかはもちろんのこと、経営状態がどんな状況なのかさえ熟知していた。
次から次へと挨拶に来る者たち一人一人にどんな話題を振れば彼らが喜ぶのか、彼らの興味を惹くために何を餌にすれば良いのかも全て調査済みだ。
会社の営業課で常にトップの成績を上げて、人事課に移って後も未だ母を名指しで取引する顧客を多く抱える母の実力がいかんなく発揮された結果だった。
母は晩餐会が始まって幾何も経っていないこの時点で、既にコチニールの有力貴族の多くを自分の虜にしていた。
「・・・恐ろしい方ですね。」
そんな母の側に、正妃がやってくる。
言われた言葉はキレイにスルーして、母は軽く一礼して正妃を迎えた。
「ご招待いただきありがとうございます。」
「こちらこそ、いらしていただいて幸いです。」
女性2人は無難に挨拶を交わした。
そんな2人に美咲が気づいて、バーミリオンを促すと、こちらに近づこうと歩み寄り始めた。
母親2人は、仲良く並んでこちらに向かってくる若い2人を眺める。
「・・・若いって良いわよねぇ。」
「ええ、本当に。」
思わず意見の一致を得て、2人は顔を見合わせクスリと笑う。
「私から見れば、貴女さまも十分お若いですわ。」
「そうとも限らないわよぉ。」
ローシェンナは母から返された言葉に何故かそれは本当の事かもしれないと感じる。
自分から見ればまだ十分若いこの女性に、自分より遥かに格上の貫録を感じるのは気のせいではないだろう。
一国の王妃として、ローシェンナは対峙している相手を見誤るような事はしなかった。
だからこそ下手な駆け引きは危険だと頭の中で警鐘が鳴る。
相手をどうにかする前に自分が手玉に取られそうだった。
小さく息を吸い込むと、ローシェンナは直ぐに本題に入った。
「貴女はあちらの“運命の姫君”のお母さまだとお聞きしました。」
「えぇ、そうなの。似ているでしょう?」
確かに顔立ちは似ているかもしれない。
しかし素直なあの少女と、煮ても焼いても食べられそうにないこの女性の性格は、天と地ほども違うとローシェンナは思う。
それを顔には出さず同意するように頷けば、母の顔はパッと明るくなる。
その様子に苦笑しながらローシェンナは、はっきり言った。
「貴女のお嬢さまを・・・グレンの花嫁にしていただけませんか?」
・・・これは、正妃にとって賭けだった。
あの少女が本物の“運命の姫君”であれば当然この申し出は断られるはずだ。セルリアン王の伴侶をコチニールの王子の花嫁になどできるはずがない。
反対に万が一でもこの話を受けるようならば考えられない事ではあるが、本物の“運命の姫君”はこちらの女性なのだ。
返答いかんでどちらが本物なのかを調べることができる。
それなりに大きな声で申し込まれた正妃のこの言葉は、周囲の者や丁度近づいて来ていた美咲とバーミリオンの耳にも届いた。
「義母上!」
慌てたようにグレンが声を上げる。
周囲の者もこぞって聞き耳を立てた。
母はクスリと笑った。
「娘は“運命の姫君”なの。もちろん知っているのよねぇ?」
「はい。」
知ってはいる。
それが本当なのか?
そして、目の前のこの女性は何なのかを確かめたいだけだ。
噂どおり、彼女もまた“運命の姫君”なのだろうか?
怖ろしい力と不思議な魅力のある、この女性の正体が正妃にはわからなかった。
母は、正妃の答えに満足そうに頷く。
「そう。わかっているのならば、良いわよぉ。美咲をお嫁さんに、させてあげる。美咲もグレン第一王子が好きだしね。・・・ただし、条件が2つあるわぁ。」
「ママ!?」
思いもよらぬ母の答えに美咲は焦って呼びかける!
(それは!確かにバーンは好きだけど!でも、まだ結婚なんて!!)
何を考えているのだと、人の波をかき分けて母の元へと急ぐ。
あっさりと許可を出されてローシェンナは驚く。
(なっ?・・・では、こちらが本物の“運命の姫君”なの?)
驚きながらも表面上は冷静に聞き返す。
「条件とは?」
母の唇は魅惑的な弧を描いた。
「まず、1つ。・・・この国を私の支配下に置く事。」
正妃の目は、これ以上はないほどに大きく見開かれた!
周囲から驚愕と非難の声が上がる!
「別に、特別おかしなことではないわぁ。私の”力”は見たでしょう?遅かれ早かれこの国は私のモノになるのよぉ。それが、力づくか取引の上かの違いでしかないわぁ。・・・大丈夫。貴方たちの身分は保証してあげるわよぉ。今までどおり国を治めなさい。・・・私の支配の元でねぇ。」
そう言った母はおもむろに両手を広げる。
母の動きに合わせてアッシュと反対側の母の隣に人型の竜王が現れる。その両脇に光と闇の精霊王が顕現した。
圧倒的な力を纏う存在が、人々に無言の圧力をかける。
ポポがいつの間にか美咲の足元にすり寄って、ぴーちゃんが母の肩にとまっていた。
ローシェンナは顔を蒼ざめさせる。
しかしそれでも気丈に母を睨み付けた。
「・・・もうひとつの条件とは?」
母はその様子を楽しそうに見た。
「グレン第一王子をセルリアンにいただくわぁ。」
「え?」
これには、王妃やコチニール側ばかりでなく美咲やバーミリオンも驚いた。
母が何を言っているのか、意味がわからない。
当然でしょうと母は言う。
「美咲はぁ、“運命の姫君”なのよぉ。美咲の伴侶はセルリアンの王だわぁ。グレンが美咲と結婚するのなら、・・・セルリアンの王はグレンだわぁ。」
母の言葉は、コチニール王宮に・・・間延びして響いた。




