平定 17
「?!・・・」
『!!』
バーミリオンとカイトが息をのむ。
「・・・バカを言うな。王は18歳だろう?お前より1つ上なだけだ。・・・お前の母親はいくつだ?」
冷静にバーミリオンが指摘する。
(あの女が18やそこらの子供に熱をあげている?!)
あり得なさすぎて笑えてくる。
もちろん美咲の前で笑うわけにはいかないから、必死に堪えるバーミリオンである。
美咲だってバカな事だとは思う!
だいたい母はいつだって年下趣味はないのだと言っていた。
・・・だが、鏡の中のあの顔は?
美咲を起こしたバリトンボイスの、あの響きは?
美咲は首をふるふると横に振る。
「どうしてそんなバカな事を考え付いたんだ?・・・説明できるか?」
頭ごなしに否定してもダメだと感じたバーミリオンの辛抱強い問いかけに、美咲は思い出した昨晩の事を話し出した。
昨晩・・・疲れて深く寝入っていた美咲の耳に届いた、どこか切ないバリトンボイス。
声は、囁いた。
「・・・名を呼んでくれ。」
低く艶やかに懇願する声。
美咲はその声に意識を揺り起こされる。
パチリと目が開き、声の聞こえた方を・・・母の寝台を見る。
暗闇の中、母の寝台の脇に佇む光の精霊王が微かな明かりを周囲に生んでいた。
夜、光輝はこんな風に限りなく静かに光を放つ。
その隣には闇が蟠り、見えぬがそこには闇の精霊王がいるのだろう。
あるいは光輝の強すぎる光を虚空が吸い取っているのかもしれない。
光と闇の精霊王が放つ仄かな光に照らされて母の寝台の様子が美咲の目に映った。
母は寝台に身を起こしており、その膝の上に小さな姿の竜王が乗っている。
母の肩にはぴーちゃんが止まっていた。
いつもの当たり前すぎる光景。
母は起きた美咲に気づかず俯いている。
左腕をわずかに持ち上げて、そこに嵌っている腕輪を見ているようだった。
栗色の髪が前に流れ、髪の隙間からのぞく、白く細いうなじにドキンとする。
母の赤い唇が腕輪に近づく。
触れる程に近づいて・・・唇が動いた。
・・・声は美咲の耳に届かなかった。
バリトンボイスは、名を呼んでくれと願っていた。
ならば母は王の名を呼んでいるのかも知れない。
美咲は、自分が王さまの名を知らない事に気づいた。
母は知っているのだろうか?
何時の間に?
その事実に戸惑って・・・何かの儀式のような厳かな夜の雰囲気にのまれて・・・美咲は何も言えず、そんな母の姿を、ただ見詰める。
・・・竜王が、ふと美咲を見た。
空の青の瞳が、昏く光って美咲を見詰める。
竜王が母に何かを囁き、母は顔を美咲に向けた・・・。
(!!)
美咲はビクリと震えた。
美咲に焦点を合わせるまでの、ほんの一瞬の母の瞳に・・・心が締め付けられた。
その時は何故かわからなかった。
何故自分が動揺したのか?
母の瞳に何を見たのか?・・・見てしまったのか?
今なら、鏡の中の自分を見た後の、今の自分ならはっきりわかるのに。
母は直ぐにいつもの美咲の母になった。
「どうしたのぉ?眠れないのぉ?」
「あ・・・うん。」
「ダメよぉ。美咲はママと違って昼間はあちこち飛び回っているんだから。ちゃんと休みなさい。」
母の優しい声に、ホッと安堵する。
母は寝台から降りて、美咲の方に歩いてくる。
いつもどおりの姿に安心して・・・美咲は口を滑らせた。
「王さまの声が聞こえたの。・・・王さま、眠れないの?」
母の足が止まり、その顔が見た事もないほど苦しそうに歪んだ。
思わず美咲は息をのむ。
「・・・王さまはね、寝ていないのよ。」
「え?」
「魔物が・・・昼夜問わず、ずっと攻撃しているから・・・眠る事ができないの。」
・・・母の言葉は苦かった。
言われた内容に美咲は驚く。
魔物の攻撃が始まったのは数か月前からと言っていた。
まさか、それからずっと寝ていないのか?!
「・・・大丈夫よ。王さまは強いから。半年や1年、眠らなくても平気なのよ。」
安心させるように言ってくる母の顔は笑っていて・・・でも目は苦しそうなままだった。
「・・・美咲に余計な心配をかけないでください。」
腕輪からバリトンボイスが流れてきた。
やはり先ほどの声は王さまの声で、母と腕輪で話していたのだと知れる。
「本当に大丈夫ですよ、美咲。私は強い。眠らなくてもかまわないのです。・・・でも夜は長い。貴女のお母さまに話し相手をお願いしていたのです。起こしてしまってすみませんでしたね。」
本当に申し訳なさそうに、バリトンボイスは優しく話す。
「そんな!そんなこと!全然平気です!」
「・・・優しいですね。」
いつもどおりにバリトンボイスは美咲に語りかけてくれる。
でもこの声の持ち主は、一人で人間世界を守って・・・ずっと寝ていないのだ。
確か拷問のひとつに眠らせない拷問があると聞いた事があった。どんな人でも1週間くらいで発狂するか死んでしまうと言っていたのではなかったか?
美咲は、王さまにかける言葉が続かなかった。
「寝なさい美咲。明日の朝は早いのでしょう?」
母が優しく言ってくる。
そうだった。明日はコチニールの西の端に行く予定だった。
「それは本当に悪い事をしましたね。寝なさい、美咲。何も心配しないで・・・“おやすみなさい”。」
優しい優しいバリトンボイスが夜の闇に染みるように響く。
美咲の意識がゆっくりと遠のく。
吸い込まれるように“眠り”が美咲を絡めとっていった。
「ジェイド。」
母の咎めるような声が、薄れる美咲の意識を掠める。
王さまは“ジェイド”という名前なのかと思って・・・美咲は眠りに落ちた。
バーミリオンに語り終えた美咲は、多分その時王さまに眠るように魔法をかけられて、そして同時に忘れるようにとの暗示もかけられたのだと悟る。
そうでなければこんな重要な事、思い出さないはずがない。
魔物の攻撃から世界を守るために眠らずに力を使い続け、なおも美咲に心配をかけないように暗示をかけた王の心遣いとその身を案じ、美咲は再び泣きたくなった。
そしておそらくそれを側近くで、ただ見守っている母の心を思う。
・・・哀しくて、切なくて・・・なのに何故だろう?・・・“嫌”だと思ってしまう。
母が王さまを愛していると思うだけで心が苦くなる。
苦しくて泣きたくなってしまう。
・・・自分は、王さまをフッたはずだ。
第一、バーミリオンを愛している。この心は間違いない。
王さまが誰を愛しても関係ないはずだ。
・・・だったら、母が誰かを愛しているということが気に入らないのだろうか?
そんな・・・我が儘な子供みたいだ。
(ママがパパと死に別れてから、もう10年以上経つのに・・・私、パパの顔も覚えていないのに・・・)
美咲の母は何時だって誰かにプロポーズされていた。美咲はそれを見て、良い人がいれば再婚すればいいのにと思っていたはずだった。
それくらいには大人になったはずだったのに・・・
(現実にママが誰かを愛していると思ったら嫌になっちゃたの?)
母の一番が自分でなくなるのが嫌なのだろうか・・・
(それとも、ただ単に、ママと王さまの年の差が嫌なだけ?・・・)
18歳の義父なんて考えられなくて当たり前かもしれない・・・
もう!何が何だか自分でもわからなかった。
頭の中がグチャグチャで・・・
心もドロドロで・・・
美咲は酷く混乱していた。
「・・・“ジェイド”?それが王の名前なのか?」
だから、話を聞いたバーミリオンが少しずれた反応を返してくれたことにちょっとホッとした。
バーミリオンは、そんなバカなと呟く。
「ジェイドはいけないの?」
何故名前などを気にするのかと思いながら美咲は聞き返す。
「・・・それは、失われた破壊神の名前だ。」
呆然としながらバーミリオンは答えた。




