平定 13
「やだ!やだ!やだ!!」
ブラッドの叫びが部屋に響く。
「何で俺が留守番なんだ!俺もシディと一緒に行きたい!!」
エクリュは苛々と爪を噛んだ。
それは自分のセリフだと怒鳴りつけたい。
ここ数日美咲はバーミリオンとカイトに乗って出かけてばかりだった。
美咲が作った湖は満々と水を湛え、そこから流れ出る川は周辺の大地を潤して枯れた土地を見事に蘇らせているのだが、その目を瞠る効果故に何故かそこは願いを叶える奇跡の湖として有名になった。
何でも湖面に向かい小石に回転をかけて投げて水面を3回以上跳ねさせると願いが叶うのだそうだ。
(水切りでしょう?!それって!)
あの後、湖の様子に気を配っていたカイトがそれを見つけ、人間っておかしな事をするんだなと美咲に言って来た時には思わず頭を抱えたしまった。
ただ、やっている事はともかく、そこで願われる内容は聞き捨てならないモノが多かった。
井戸が干上がりこのままでは一集落がまるまる無くなってしまうとか、家畜に伝染病が流行し全滅するとか、山火事が起こり、このままでは麓の街が焼け野原になってしまうとか・・・聞いたが最後とてもじゃないが放っておけないモノに美咲は敏感に反応した。
「ママ!!」
「美咲の好きにしたら良いわよぉ。」
美咲ったらぁ本当に優しい娘なんだからぁと苦笑しながら、でもとても嬉しそうな母に後押しされて美咲はそれらの願いを自分のできる範囲で叶えてあげようと東奔西走する。
正直今の美咲にできるのは、そのくらいだ。
コチニール王宮の動きが気にならない訳ではなかった。
今すぐ乗り込みたいという思いがある。
しかしそれは母によって止められた。
「力尽くはぁ、最終手段よぉ。」
確かに母の言うとおりだ。
美咲は・・・我慢する。
「しかし!」
バーミリオンは・・・我慢することに苛つかずにいられなかった。
焦るバーミリオンに母は釘を刺す。
「勝手に動いて私の邪魔をするならぁ、たっちゃんに言って今すぐ眠らせてぇ部屋に閉じ込めるわよぉ。」
グッとバーミリオンは黙る。
先日のブラッドの姿が思い起こされる。あんな目に遇うわけにはいかなかった。
「大丈夫よぉ。・・・私が失敗すると思うのぉ?」
挑発的に言われて慌てて首を横に振る。
それに・・・どこか母は苛立っているようだった。
バーミリオンにあたる言葉がいつもよりほんの少し厳しい。
「今の私をぉ煽っちゃだめよぉ。」
小さく囁かれた言葉に体が震える。
とてもそれ以上言葉が続かなかったバーミリオンは、黙って母に従う。
・・・従わざるを得ない。
美咲とバーミリオンはカイトと共にコチニールの民の願いを叶えるべく動くことになった。
もちろん中には美咲の精霊たちだけでは叶えられない望みもある。
家畜の伝染病は、アッシュの力を借りた。カイトも治癒魔法はできると言ったが何せ家畜自体が竜の気配に怯えて逃げ出してしまうのだ。治療どころの話ではなかった。
「本当に姫君はお優しいのですね。」
灰色の魔法使いは、最近以前にも増して美咲の世話をやいてくれる。
何でも育ての恩はとても返しきれないので次代の者にそれを注ぐのですと言われたのだが・・・何が何だかさっぱりわからなかった。
・・・皆の協力を得て、美咲は忙しく立ち働く。
そして、それに置いて行かれるブラッドの不満は大きかった。
だからといってブラッドを連れて行くわけにはいかない。
何故か美咲の精霊たちはブラッドと一緒に行くことを拒むのだ。
「あいつが行くのなら俺たちは行かない。」
4大精霊王たちにしてみれば、竜王子だって本当はお断りなのだ。ただカイトは絶対に精霊王たちを傷つけないと約束したし、前回の湖を作る際に精霊王たちの力を素直に認め賞賛したことから許容範囲に入れてやっているだけだ。
例え力を封じられていようとも魔物なんて絶対お断りだった!
(アッシュやタンはキレイに魔物の気配を隠せる。精霊王たちは光と闇の精霊王から2人が魔物だと聞かされていたが、自分たちの前で一度もその片鱗を見せない2人は人間にしか見えず、彼らを信用していた。)
「俺だってシディと一緒に行きたい!」
精霊王たちとブラッドの主張の板挟みになった美咲を助けてくれたのは、やっぱり母だった。
「・・・治癒魔法?」
「“ヒール”よぉ、美咲。ゲームでは凄く役だったじゃない。」
母は、ブラッドに治癒魔法“ヒール”を覚えさせたらどうかと言ってきたのだ。
どうもブラッドは魔法の力が強いらしい。それを利用して“ヒール”を覚えさせ皆の役に立たせたらいいと母は言った。
「タダ飯食べさせてるのも、いい加減腹立たしいしぃ、どうせ無駄な魔力をいっぱい持っているんだからぁ、使えば良いわぁ。」
「“ヒール”って美味しい?」
「食べ物じゃないわぁ。でもぉそれを覚えればぁ、美咲がとっても喜んでくれるわよぉ。」
「!・・・ホント!?」
美咲が喜ぶという言葉に、かじりつくように美咲に迫って確認するブラッドに、美咲はやっぱり憎めないわと思いながら優しく肯定の返事をする。
「本当よ。ブラッドがヒールを使えるようになって皆の役に立てば、私はもの凄く嬉しいわ。」
「もの凄く?!」
「うん!」
俄然やる気を出したブラッドとその隣で嬉しそうにしている美咲を、周囲の者は複雑そうに見詰める。
「・・・やっぱり血筋でしょうか?」
「見事な“タラシ”ぶりだよな。」
エクリュの言葉にカイトが応じ、バーミリオンは黙りこむ。
「自分たちもぉ同じだって自覚はあるぅ?」
自覚があってもどうにもならない3人に返す言葉はなかった。
そして場面は冒頭に戻る。
治癒魔法を覚えることになったブラッドだが、覚えるまでは今までどおりの置いてけぼりだ。
それに対しての不満をエクリュにぶつけていたのだ。
ブラッドの教師役を引き受けさせられたエクリュにしてみれば、とんだ貧乏くじである。
「だったら早く治癒魔法を覚えろ!お前が覚えれば僕だって姫様とご一緒できるんだ!」
とは言っても前途多難である。
エクリュが先ほどからどんなに言って聞かせてもブラッドは治癒魔法の“治”の字も使える様子を見せないのだ。
確かに強い魔力は感じる。
(強すぎだろう・・・)
エクリュが絶句するほど魔力を感じるのだ。(それでも竜王によってほとんどを封じた魔力である。)だがそれを・・・少しも引き出せない。
「どうしてわからないんだ?イメージだって言っているだろう?この肉に付いた傷を塞ぐ様子を頭に思い浮かべて見ろ!」
エクリュの手元にあるのは、“マレ”の肉の塊だ。食用のその肉に傷を付け、その傷を治せと先ほどから言い聞かせているのだがブラッドは少しも言うことをきかない。
「“マレ”は美味しくないからヤだ。食べるならもっと薄く切って焼いた方がいい。」
「誰が食べるって言った!!」
さっきからずっとこの調子なのだ。
どうすれば意志の疎通ができるのかエクリュにはさっぱりわからなかった。
「それじゃ、ダメよぉ。」
声がかかったのはエクリュが匙を投げだす一歩手前の時だった。
「・・・ママ。」
「まず、やって見せなくっちゃ。」
「やりました!傷つけた肉を元どおりにしてみせて、やり方を説明したら、肉は薄い方が美味しいって言ったんです!」
もう、泣きたい!泣いてもいいですかと叫びたい!
「まぁ、塊のお肉は嫌いなのぉ?」
なのに、母の言葉は、なお的外れで、エクリュはガックリと項垂れてしまった。
「うん!嫌い!固くて美味しくない!」
「好き嫌いはダメよぉ。」
案外草食系なのねと母は言う。
そういう問題じゃない!とエクリュは心の中で突っ込む。
声に出して母に突っ込む勇気はなかった。
「塊のお肉は煮込むと、とっても美味しいのよぉ。香草を入れて大きな鍋でトロトロになるまで煮て、最後に味を含ませるの。お口の中で蕩けるようよ。」
ゴクリとブラッドが唾を飲み込んだ。
思わずエクリュも想像する。
母の料理はどれも最高に美味しい。
「食べたい!!」
ブラッドが叫んだ。
「だったらぁ、そのお肉の傷を塞いで。お肉に傷がついているとキレイに煮込めないわぁ。」
うん!とブラッドは勢い込んで頷いた。
肉の塊を見て・・・あっという間にその傷が塞がっていく。
「え?」
エクリュが息をつく間も無かった。
手をかざすことも無く、意識を集中したようにも見えない。
何でこんなに簡単にできるのか・・・わからなかった。
「上手ねぇ。これなら美味しいお料理ができるわぁ。・・・エクリュの言うことを聞いて、もっといっぱい練習してね。そうしたらデザートに、なんでも好きなお菓子を作ってあげるわよぉ。」
「ホント!俺プリンが良い!!トロトロふわふわの奴!」
母はフフフと笑った。
「ブラッドはトロトロが大好きなのね。わかったわぁ大きめに作ってあげる。そしたら頑張れる?」
「うん!俺、何でもするよ!」
満足そうに母は笑った。
約束だと言って小指と小指を絡ませて、嘘をついたら針を千本呑ますと言って指を離した。
・・・一体何の儀式だろう?もの凄く怖そうだ。
「エクリュ、たいへんでしょうけれど頑張ってねぇ。美咲にはエクリュが一生懸命だったって教えてあげるわね。」
母の言葉にエクリュの目が輝いた。
既にエクリュの頭の中には、美咲がありがとうと手を握りしめてくれる未来が描かれている。
「はい!一生懸命頑張ります!」
満足そうに母はその場を離れる。
ブラッドの治癒魔法は、その日一日だけで飛躍的な進歩を遂げた。




