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平定 10

竜は、眼下の豆粒のような小さな存在に、ふと気を惹かれた。


上空高くを飛ぶ自分たちに向かってブンブンと手を振っている。

この地に住む人間が、自分たちを恐れをこめて見上げる以外の行動を取るのを見たのは初めてだった。


眼下の人間に向かって高度を下げていく竜に、仲間の竜が、どうしたと聞いてくる。

気になる人間がいるから先に行ってくれと言うと、あっさり了承されて離れて行く。


元来竜は群れて行動する生き物では無い。

独占欲が強い竜は気に入ったモノや獲物を仲間と共有すると言う意識がないのだ。

竜自体とても強い生き物で1頭でも生きていけるという事も関係しているだろう。

もちろん明確な上下関係はある。竜王を頂点とした強さのみを基準とする縦の組織は、今回の様に共同して事に当たる際に完璧に機能する。

だが、それ以外の事に対しては竜同士互いに干渉するようなことはない。

特に今はコチニールの映像を送るという任務を完了して帰還する途中だ。

自分がどんな行動をとろうとも気にする仲間はいなかった。


竜にブンブンと手を振っていた人間は、実際にその竜が自分の元に降りてくる姿を見るといささか慌てたようだった。


顔を引き攣らせて緊張し・・・しかし、そこから逃げ出す様子は見せない。


竜はその人間から5〜6メートルくらい離れた場所に降りた。そのくらい離れなければこの人間は自分の姿を視界に入れきれることができないだろうと思えた。


人間は・・・子供だった。


男の子だ。10歳くらいに見えたが竜には人間の年齢はわからない。

ただ、子供だということは、わかった。


『何用だ?』


吠えるように竜が言う。


子供は・・・まず、竜の威容に息をのみ、次いで竜が人間の言葉を話したことに驚いた。

顔を真っ赤に紅潮させ、口をぱくぱくさせて手足を無茶苦茶に振り回していたが・・・竜が辛抱強く待ってやると、やがて落ち着いて言葉を話した。


「俺!俺!!・・・お礼が!したくて!!」


『礼?』


訝しげに竜は聞き返す。


「うん!!俺、の・・・俺の父ちゃんは、こないだ川に流されそうなところを、”グレン様”と“運命の姫君”と”竜様”に助けてもらったんだ!!竜様にのっけてもらって川島から!連れて来てもらった!」


竜は、ああ、と思った。


確か数日前スレートの命令で川の中州から人間を乗せて助け出した仲間がいたと聞いた。

“グレン様”というのは聞いたことはないが、その時いた人間の名前なのだろう。


『それは私ではない。』


竜の返事に、子供は随分と落胆したようだった。

人間に竜の区別などできないのだろう。

確かに人間を助け出した竜の内の1頭は自分に似た赤系統の色をしていたなと思い出す。

自分はそれよりも黄みがかったオレンジに近い色を持っている。


人違いならぬ竜違いかと、なんとなく竜も落胆する。

・・・何故、落胆したのかはわからなかったが。


「・・・それでも、いいや!おんなじ竜様の仲間なんだろう?・・・もし、あの場所に竜様がいたなら、竜様が父ちゃんを助けてくれたんだよね!?」


縋りつく様に子供は言って竜を見上げた。


竜は、一生懸命自分を見る、その子供の視線が何だか心地よかった。


子供は・・・ちっぽけな人間だ。


“力”の欠片も見当たらない。もっとも人間の力などは竜に比べればどんなに強い者でもお粗末としか言えないレベルではあるのだが。

魂の輝きも決して強くない。小さく弱弱しい・・・しかしキレイな色だなと竜は思った。


この竜は・・・どちらかと言えば、あまり派手ではない静かな輝きを持つ魂を好んでいた。

だから先日、“運命の姫君”が竜の谷に来た時に、この竜は姫君よりもオーカーに乗っていた、もう一人の人間の魂に惹かれたのだ。


姫君の契約者になろうと次々と声を上げる仲間と違い、もう一人の人間に契約を申し込もうとしていたのに・・・なんとその人間は竜王の契約者となってしまった。


あれには、もの凄くがっかりした。

しかも竜王はその人間に近づく竜を噛み殺すと宣言した。


その言葉が本気かどうかなど直ぐにわかる。


竜はその人間を諦めざるを得なかった。


・・・この子供の魂の小さな美しさは、あの時の人間にはとても及ばぬがそれでもこの竜の好みにあった。


『そうだな。そこに私がいたなら、私がお前の父親を助けただろう。』


竜の返事に子供は無邪気な笑みを浮かべる。


その笑みも可愛らしいと竜の目には映った。


「あの・・・その・・・これ!」


子供は大切そうに自分が首からぶら下げていた袋の中から小さなモノを取り出した。

両掌に乗せて、懸命に腕を伸ばしてそれを竜に見せてくる。


それは木で彫られた小さな竜だった。


いや、多分竜のつもりなのだろうという物体だった。

子供は竜などよく見た事がないのだろう。

おそらく父親を助けてもらった時が、間近に竜を見た最初で唯一の事で、その後は今この瞬間まで地上から見上げる以外の機会はなかったはずだ。


それは竜と言うよりは鳥のようで、しかもなんだかずんぐりとしたフォルムをしていた。


「俺、魔道具士の見習いで、まだ、魔鉱石には触らせても貰えなくて、これは練習用の木で作ったんだけど・・・俺、頑張って立派な魔道具士になって、いつか一番高い魔鉱石で、もっと凄い竜を作るから!・・・その、これは、その時までの・・・約束の証っていうか、借金の形っていうか・・・そ・の・・・。」


竜は子供の声が段々小さくなり、竜に向かって差し伸べられている手がぷるぷる震えてくる様子を面白そうに眺めた。


ふと、その手に目をとめる。


手は傷だらけで、荒れていて、子供の暮らしが楽ではないだろう事を如実に物語っていた。

しかもその木彫りの竜もどきを彫る際に傷つけたのだろうか、指先についた真新しい傷に申し訳程度に布が巻き付けて有り、そこには血が滲んでいた。


子供は、竜の反応が無い事に、呆れられたのかと思い精一杯伸ばしていた手を恥ずかしそうに引っ込めようとして・・・顔を上げた。


「!!」


怖ろしい竜の巨大な顔が直ぐ近くにあった。


息をのみ、体がピシリ!と固まる。


竜は巨大な口を子供の手に近づけて、器用に小さな木彫りの竜もどきを鋭い牙にそっと咥えた。


『・・・確かに、受け取った。』


竜の言葉が聞こえて子供は驚く。


口には間違いなく自分の作った木彫りの竜が咥えられている。

どうやって話しているのだろうと不思議に思った子供は近づいた竜の恐ろしさを忘れた。

竜は人間の言葉を声として発声していなかった。

頭に直接話しかけているのだが、もちろん子供にそんな知識はない。


口が動いていないのに竜の声が聞こえる事に驚いていた子供は、自分の手の傷がすっかり治っている事に気がつかなかった。


『・・・子供、名は何という?』


竜が尋ねる。


「俺?俺はミントって言うんだけど。」


『それは呼び名だろう?真の名だ。』


真名は誰にも言ってはいけないと親から言い聞かせられていたけれど・・・


「メンテだよ。」


子供は・・・メンテは竜に真名を告げた。


そうしたいと思ったのだ。


『メンテ、私の名はコラフだ。私に呼び名をつけろ。』


「名を?・・・俺が?!」


メンテはびっくりして聞き返す。


『そうだ。そうすれば私は”お前の竜”になってやれる。』


「俺の・・・竜?」


メンテは訳がわからなかったが・・・何となくそうしなければいけない気がして言われるままに名を考えた。


「・・・キャロットはどう?」


恐る恐る提案する。


『・・・可愛い名だな。』


竜が返事をするまでには少し間が空いた。


「えっ!ゴメン!・・・ダメだった?!俺考え直すよ、竜様、待って!」


『キャロットだ。メンテ、お前がそう付けてくれたのだろう?』


竜が・・・キャロットがそう言った途端・・・メンテの心の中に互いの名が甘く響く。


名を交わし契約が成ったのだが、メンテにはその知識はなかった。


『メンテ、お前が呼べば私は何時でも来てやろう。お前の望みを叶えてやろう。その代わりお前は、大人になったら私の側にいるのだ。』


巣立ちをしていない子供を攫う訳にはいかない。

それは竜王と人間の王との取り決めに反する。

だからキャロットはメンテの巣立ちを待つことに決める。


「へっ?・・・でも俺、魔道具士に。」


『その魔道具士とやらは竜が側に居てはいけないのか?』


「え?え?・・・どうだろう?いけなくはないと思うけど。」


『ならば決まりだ。我が”契約主”よ。私はお前の竜だ。・・・何時でも呼べ。お前の声ならば私に届く。』


キャロットは一方的に言うと、言う事は言ったとばかりに、その場はそのまま飛び去ってしまう。


メンテは・・・心配した父親が捜しに来るまで呆けたようにその場に立っていた。




それは、コチニールで行われた初めての竜との契約だった。




後に事情を知ったこの地の領主は、若い頃セルリアンに留学したことがあり、竜との契約を常々羨ましいと思っていた人物だった。

これも”グレン王子”と“運命の姫君”の御導きだろうと、この事実を殊の外喜ぶ。

メンテに呼ばれて度々この地を訪れるようになったキャロットは、その強い魔力でメンテの住む領地内の多くの問題を解決し、田畑に実りをもたらし人々を癒した。


その内キャロットに興味本位でついてきた他の竜が別の人間と契約を結ぶ。




これは、コチニールに、竜が根付き始めた一番最初の物語。

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