平定 8
「水?」
「うん。そう。洪水になりそうな水を治めたでしょう?もの凄く大量の水があるのだけれど海に捨てちゃっても良い?」
ディーネの質問に美咲は、びっくりしてまじまじとディーネを見た。
確かに氾濫しそうな水の水位をいっぺんに下げたけど、まさかその水をディーネはこの小さな体に蓄えているというのだろうか?
身長20センチなのである。
ちっちゃくて可愛いお人形さんのような姿なのだ。
(どこに入るの!?)
どんなに見た目が可愛くともやっぱり精霊は精霊だったのだ。(しかも、精霊王なのだ!美咲は知らないけれど・・・)
「それはかまわないけれど・・・でも勿体ないわよねそんな大量の水。」
水不足のところなら喉から手が出る程欲しいだろう。
美咲はコチニールの地図を睨んだ。
「ママ、この内陸部の砂漠に雨を降らせたら暮らしている人は助かるかな?」
「そうねぇ。助からないわけではないでしょうけれど・・・ママなら一過性の雨より池とか沼とか湖の方が嬉しいわぁ。」
池と沼と湖ってどう違うのぉとか聞いちゃ嫌よぉと牽制しながら母は答えてくれる。
えぇっ!それは聞いてみたかった!と言いながら美咲は考え込む。砂漠に湖とか良いかもしれない。
「生態系とかの問題もあるしぃ、やっぱりこういうのって地元の人の意見も大切だからぁ、勝手にやっちゃダメよぉ。」
そうか、と美咲は考える。
人のいない砂漠に水を出現させても旅行者のオアシスくらいにはなるだろうが人々の暮らしの糧にはならないかもしれない。
それなら元からの砂漠ではなくて土地が不毛化しているような所の方が水は喜ばれるかも知れなかった。
(コチニールって農業国だって言っていたし・・・)
「ねぇ、バーン。過放牧や過耕作で砂漠化している場所はない?水源が枯渇したとかでもいいけれど。」
バーミリオンは美咲の質問に驚く。
本当にこの可愛い少女はどれだけ自分を驚かせたら気が済むのだろう。
「・・・キール地方の砂漠化が酷い。」
バーミリオンはコチニールの南部に広がる茶色の部分を指差した。
映像が拡大され干上がった大地に枯れかけて弱った低木がポツポツと生えている典型的な砂漠化された風景が映し出される。
「キールの先々代領主が耕作地を拡大しようとして森林を開墾した。多くの森林を燃やして、少しでも領地の収入を上げようと高く売れる作物ばかりを作り続けた。その結果、今では作物どころか草一本生えぬ地となって生活用水にも不自由していると聞いている。」
今のキール領主は思慮深い人物で何とかしようと努力しているんだがなとバーミリオンは話す。
「典型的な土地の不毛化ね。」
美咲は異世界でも人間は同じ過ちを犯すのだとちょっと悲しくなる。
「キールに水源を作ってもらえれば、みんな助かるだろう。」
頼めるかといってバーミリオンは頭を下げてくる。
「やだ!バーン止めてよ!そんな大したことじゃないし。余った水の有効利用なだけだもの。」
美咲は慌てると照れて赤くなった顔を隠すように砂漠化された映像を見詰めた。
「でも、どこが良いかしら?できればずっと水があった方が良いのよね。ディーネ地下水脈とかわかる?」
「もちろんよ。」
「ノン、湖を作ってそこまで掘り進められる?」
「どれほど深くとも可能だ。」
「スッゴォイ!頼りになるのね!」
手放しに褒める美咲の様子にディーネもノンも満更でもなさそうだ。
この調子なら立派な湖ができそうだった。
地下水脈の位置を聞いて、いくつか湖を作る候補地を決める。
「最終決定はやっぱり実際そこで暮らす人の意見よね。」
「当然でしょうねぇ。」
美咲の確認に母は笑って頷く。
光の精霊王にまた映像を繋げてもらう事を依頼して、美咲はバーミリオンに向き直った。
「キールの領主さんを知っている?」
バーミリオンは静かに頷いた。
「ああ。俺が一緒に行って交渉しよう。」
「お願いね。」
「頼むのは、俺の方だと言っているだろう。」
・・・バーミリオンは覚悟を決めていた。
コチニールに何の関係もない美咲がこれほどに頑張っているのだ。
例えどんな理由があろうとも自分が逃げるわけにはいかなかった。
「行こう。」
バーミリオンはしっかりと頭を上げた。
キール領主オールドは、何かが目の隅をかすめたのを感じて読んでいた書類から顔を上げた。
領主の執務室にしては狭い部屋は、一瞥で見渡せる。
落ち着いた色合いのアイボリーの壁を隠すのは、装飾よりも容量で選んだがっしりとした書棚だけの殺風景な部屋だ。
調度品などは何もない。
他にあるのは申し訳程度の簡素な応接セットと執務机と椅子だけだ。
部屋の様子はキール領地の厳しい現況をよく現していると言えた。
本がぎっしりと隙間無く詰まった書棚の前に若い男女が立っている。
扉の開いた気配はなかった。
それに気づけないような広い部屋ではない。
何より外からの客が使用人の案内無しに入ってくるなど有り得なかった。
警戒心も露わに声を上げようとして・・・その口が開いた形のまま固まった。
「!!」
侵入者の男の髪と目の色に気づいたのだ。
土地が枯れ財政が厳しいとはいえキールは古参の貴族だ。遡れば王族に娘を嫁がせたこともある由緒ある家柄なのだ。
年に一度は王都に出向き王に謁見している。
深緑の髪と目の男は忘れ得ぬ容貌をしていた。
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。
急いで男の前に行くとその場に跪いた。
「・・・グレン殿下。」
こみ上げる思いを堪えて頭を下げる。
失ってしまった自分たちの希望の王子にかける言葉は続かなかった。
「立ってくれオールド。今の私はただの傭兵でしかない。敬意は不要だ。」
困ったように男は言う。
隣で少女が驚いたようにそんな2人を見ていた。
「申し訳ありませんでした。」
立つどころかオールドは、ますます頭を下げて男に対して謝罪する。
「貴方が私に謝る必要などない。」
「窮状をお助けすることもできず、みすみす御身を危険な目に・・・」
「貴方が悪かったわけではない。私が迂闊だっただけだ。」
「ですが!あのような卑劣な!」
オールドの態度に男は、ほとほと困ったように天を仰いだ。
少女の目はますます丸く大きくなっていく。
「とりあえず頭を上げてくれ!今日はそんな話をしに来たわけではない!」
男の強い口調にようやくオールドは顔を上げる。
まだ跪いたままだったが、もうそこは諦めたように男は自分が此処に来た理由の説明を始めた。
「・・・運命の姫君。」
説明を聞いたオールドは信じられないように男の隣の少女を見詰める。
信じられないのはそれだけではない。
この枯れた領地に湖を作るというのだ!
少女は優しい笑みを浮かべると、領主である自分が見たこともない詳細な領地の地図を目の前に出現させて、その数か所を指し示した。
「この内のどれかであれば直ぐに恒常的な湖を作ることができます。湖から川を引くこともできますがどうされますか?」
「!・・・それは、もちろん!ぜひお願いしたいです!」
「では、そうしますね。場所は何時決めていただけますか?」
「明日にでも!」
「わかりました。では、明日またお伺いします。」
オールドは慌てた。
どこに逗留しているのか知らないが、ぜひ自分の城に泊まって欲しいと頼んだ。
豪勢なことなどできないが心ばかりのもてなしがしたいと心から思ったのだ。
男と女・・・バーミリオンと美咲は困ったように顔を見合わせて笑った。
「せっかくのもてなしを受けたいのだが私たちは実は此処に居ないのだ。」
苦笑交じりのバーミリオンの言葉にオールドは面食らう。
此処に居ないとはどういうことだろう?
「これはね、映像なの。」
ほら、と言いながら美咲は自分の手を応接セットの椅子に近づけた。
そういえば、驚きのあまり椅子を勧めもしなかったなとぼんやり思うオールドの目の前で、美咲の小さな手が椅子の背に当たって突き抜けた!
(?!)
「触ってみろ。」
バーミリオンがオールドの前に手を差し出す。
恐る恐るその手を取ろうとしたオールドの手は空をかいた。
「わかっただろう?私たちは此処には居ない。これは映像なんだ。」
「光の精霊王に姿を映してもらっているのよ。」
オールドは信じられない言葉に耳を疑う。
光の精霊王・・・と呆然と呟く。
それは伝説の中の存在ではなかったのか?
ならば椅子を勧めなかった事は不敬にはならずにすむなと何の脈絡もなく思う。
「明日来る。それまでに意見を纏めておいてくれ。」
バーミリオンがそう言って、彼らの姿はフッと消えた。
オールドは身震いしながら、たった今まで2人が立っていたその場所を暫く呆けたように見詰めていた。




