平定 5
「貴方の子ではないわ。」
母は即座に王の言葉を否定する。
「遺伝子上はね。・・・だが、あの時君を抱いたのは私だ。」
「・・・俊之兄さんだわ。」
「体はね。君の敬愛する、兄妹のように育った親戚のお兄さん。その体を借りて、私は君と繋がった。・・・世界を越えて。それしか互いの不在に壊れそうだった君と私を救う術はなかった。・・・美咲の父親は、精神的には私だ。」
母は唇を噛みしめる。
18年前。
・・・異世界に生まれて、ずっと自身の半神と心を寄せた仲間を捜して・捜して・・捜し続けてきた母は・・・17歳になった年に、ようやく自身の半神が生まれたことを感じた。
そして、その瞬間に・・・絶望した。
半神は自分の元いた世界に人間として転生したのだ。
いくら力があると言っても人間の赤子に世界を渡る力は無い。
成長して力を溜めればまだしも、現状では無理だ。
そして既にその時、それまでの時間を気の狂ったように捜し続けていた母の心は、もはや壊れる寸前だった。
世界を渡る方法は異世界トリップしかない。
しかし半神が成長し異世界召喚を行えるようになるまでには20年近い年月がかかるだろう。
その前に・・・いや、今この瞬間にも母の心は壊れて無くなってしまいそうだった。
もう、待てない!
母の悲鳴は世界を震わせた。
絶望したその母の心を救うためと、母が同じ世界に居ない事に憤り世界を壊しそうな勢いだったジェイドを鎮めるために、自分の体を使えと提案したのが、母が兄妹同然に育った血の繋がらない親戚の俊之だった。
俊之は産まれつき体が弱く成人するまで生きられないだろうと言われていた人間だった。
一日のほとんどをベッドの上で過ごし、なのにどんなに苦しい時も穏やかに微笑むことのできる心の強い男だった。
俊之は、母の、自分の前世は異世界の女神で半神を捜しているのだと言う荒唐無稽な話を信じてくれた、たった1人の人間だった。
毎日毎日、半身を捜し疲れて帰ってきて見つからない事実にベッドの脇で顔を伏せて泣く母の頭をずっと撫でてくれた優しい人だった。
そして、あの日絶望した母に「結婚しよう。」と言ったのだ。
自分の体を貸すからその半神に憑依してもらって子供をつくるといいと笑って言った。
「子供を持った女の人は強いよ。子育てしていれば、あっという間に20年くらい経ってしまうよ。」とあっけらかんと言って、その場で結婚までの段取りと結婚後の生活と自分が亡くなってからの生計の立て方まで考えてくれたのだ。
馬鹿な事を言うなと怒った母を痩せた腕で抱き締めて、「愛しているよ。」と囁いた。
母が己の半神しか求めていないと知っていて、母の自分に対する敬愛が兄に対するものでしかない事を知っていて、それでも自分は母を愛しているのだと告げてきた。
だから結婚できて体だけでも母と繋がることができるのなら幸せだと言った。
母が自分の子を産んでくれるなんて信じられない程の僥倖だと笑った。
母が壊れてしまう事は絶対に嫌だとも。
「俺と結婚しよう。そして君は愛する人と繋がって子供を産むんだ。君をこの世界に生かしてくれる子供をね。」
・・・母は結局その提案を受け入れた。
受け入れざるを得なかった。
既に自分の心は限界で、ジェイドの荒れ狂う心も限界で、そうする以外道はなかったのだ。
(俊之兄さん。)
確かにそういう意味では、美咲は王の子と言えるのかもしれない。
しかし・・・
「美咲は俊之兄さんの子よ。美咲の父親は兄さんだけなの。」
そう思って今まで育ててきた。それ以外の何物でもない。
第一、自分の父親が異世界の元破壊神だなんて美咲が可哀相すぎる・・・
(それ以前に母親が元異世界の最強女神だという事は、気にしないことにする。)
なのに・・・
「私が召喚に応じないからと言って美咲を召喚して・・・貴方は勝手に美咲に男をあてがおうとしたわね?!」
「私は父親だ。娘が幸せになれる男を捜す権利がある。・・・それに君が、美咲が結婚して子供を産んでからでなければ召喚に応じないなどと言い出したからだろう。」
王は憮然として言った。
20年はかかると思われた異世界召喚をジェイドは18年で可能とした。
その連絡が来て直ぐにでも帰って来て欲しいと言われた時に、母はもう少し待ってほしいと答えたのだ。
「せめて美咲が成人してから。・・・いえ、ダメね。大学を卒業して就職してからじゃないと・・・ううん。やっぱり結婚式に両親ともいないなんて可哀相。結婚して出産の時だって母親がいた方がずっと安心できるはずだわ・・・」
すっかり娘を溺愛する母親となった母の答えを聞いたジェイドが、多少強引な手段に出たとしてもそれを責めるのは酷かもしれなかった。
時を同じくして魔物が人間世界に総攻撃をはじめる。
王として人間世界を守るためにも”運命の姫君”の召喚と称して美咲を召喚し、こちらの世界の王が見込んだ男たちの誰かを娶せようと王は考えたのだ。
もちろん元より自分の伴侶とするつもりはなかった。
そんなものは口実で、異世界トリップに憧れている娘の心情を利用して、こちらの世界の誰かと相思相愛になってくれれば良いと思ったのだ。
・・・ようするに、以前竜王が母への障害となる美咲が母以上の存在を見つけて巣立ってくれないかと思ったのと同じことを考えて・・・実行したのだ。
王も竜王も、そういう意味では同レベルだった。
話を聞いていた竜王は、何とも言えない表情で黙り込んだ。
「あと数年が待てないだなんて。」
「数年ならば待った!どう計算しても数年ですまないから強引な手に出たのだ。」
確かに大学を卒業するまでであっても順調にいったとして5年以上かかる。王のやった事はともかく、その危惧は正しいのかもしれない。
周囲の者もどことなく王に同情的な雰囲気を漂わせ始めた。
アウェーの空気を母は敏感に感じ取る。
「・・・もう、良いわ。どの道今更どうにもできないし、やる事は変わらない。コチニールを平定して魔王を討って、とりあえず向こうに帰る。良いわね?」
強引に話を打ち切ろうとした。
いう事を聞かなければ美咲にばらしてやると脅そうと思っていた。
しかし意外にも、あっさりと王は頷いた。
「かまわない。・・・そのかわり、1年半後に美咲が一人暮らしを始めたら、シャル、君はこちらの世界に帰ってくるんだ。」
強い口調で王は言う。
しかし、その口調とは裏腹に王の目は不安に揺れ、縋りつく様に母を見ている。
母は唇を噛みしめた。
それは、言われるだろうと思っていた条件だった・・・そして、のまなければならない条件だろうとも。
此処に来た当初であれば決して頷かなかっただろう。
しかし・・・
周囲を見る。
竜王、火の鳥、アッシュとタンと光と闇の精霊王。そして手の中の石塊。
大切な・・・大切なモノたち。
みんな自分を待っていてくれた。
そして・・・自分の半神。
(なんて目で、人を見るのよ。)
体が熱くなるのがわかる。
「・・・わかったわ。」
母の返事に竜王が再び母を抱き締めた。
両脇から光と闇の精霊王が抱きつき、その更に外からアッシュとタンが縋り付いてくる。ぴーちゃんが「ママ、ママ」と言いながら母の周りをクルクルと飛び回り・・・王はそれらを、物凄く不機嫌そうに・・・しかし目の奥に隠しきれない喜びの光を宿して見詰めた。
「シャル、早く王城に来い。」
万感の想いを込めた王の言葉に母はそっけなく答える。
「コチニールを平定したらね。」
「・・・それですが、コチニールを平定する必要はあるのですか?」
我に返ったアッシュが疑問に思っていたことを質問した。
コチニールの平定は母への試験であったはずだ。しかし既に母が女神であったこと、そして母には自分たちや竜王、光と闇の精霊王が協力することがわかっている。
しかも王は、母の半神である存在だ。
試験などそもそもの初めから必要のない事だったはずだ。
「私たちには無いわね。」
母の返事に目を瞠る。
「私たちには・・・?」
「美咲とそして・・・バーミリオンとコチニール自体に必要なことなのよ。」
美咲が成長するために自分で考え自分で出したコチニール平定という答え。それを実現させてあげたい。
そしてそれよりも、おそらくコチニールと言う国自体に平定されることが必要な理由がある。
そうでなければ王がそんなことを言い出すはずがなかった。
「やはり人間になっても、私のシャルは最高だ。」
楽しそうに王が言う。
「当然でしょう?この程度の事で褒められても嬉しくないわぁ。」
そう言いながらも母はふわりと笑う。
以前の女神とはまるで違う容貌で・・・そっくり同じ笑みだった。
竜王が、アッシュとタンが、光と闇の精霊王が、そして、ぴーちゃんが母の前に跪く。
「我らが女神の望むままに。」
小さな人間の女性は・・・満足そうに頷いた。
ママの正体がすっかりばれた、このお話でママ寄りのストーリィはとりあえず一段落します。
次話からは、美咲中心のお話となっていきます。
美咲ファンの方お待たせしました。
ママファンの方、ご安心ください。ママの強さは永遠に不滅です。
(いや、そこが一番の問題なのでしょうが・・・)




