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勉強 1

「やぁっ!もう、入らない!」


切れ長の黒い瞳を潤ませ美咲は悲鳴を上げた。

落ち着いた雰囲気の広い一室に置かれたアンティーク調のソファーの上。

美しいアッシュの顔を間近に見ての悲鳴である。


「もう少し頑張ってください。」


アッシュも辛そうにお願いする。


「嫌よ。ダメ・・・もう無理よ。」


いやいやと美咲は首を横に振る。


「・・・姫君。」


アッシュは深くため息をついた。


「仕方ありません。休憩にしましょう。」


「やったぁ〜!」


美咲は万歳と手を上げて、大喜びで立ち上がるとその場で両手をグンと伸ばした。

ついでにグルグルと手足や首を回す。


「肩こったぁ。」


心底疲れたような美咲の声にアッシュが苦笑を漏らす。


あれから3日が経っていた。


冗談無しに王都に行かなければ帰れないとわかった美咲と母は、否応も無くこの世界に適応しなければならなくなった。

母は1日でも早く王都へ行きたがったのだが、この世界の事を何も知らないままに出立するのは危険だとアッシュとタンに説得された。

しかも“運命の姫君”は、王の元に行く前にいくつかの試練を受けなければならないらしい。

それを聞いた母は、とんでもないと怒ったが、そんなに危険な事ではありませんとアッシュとタンに必死に宥められてなんとか機嫌をなおした。


(面倒くさい・・・)


美咲は思う。母がいなければもっと物事は淡々と進むのに、とんだ手間暇だと感じる。

しかもそう言われてこの世界の事を勉強しなければいけないのは美咲なのだ。母は所詮他人事だ。美咲は今もアッシュからこの世界の地理について講義を受けていた所だった。


青の国セルリアンは“シャトルーズ”と呼ばれるこの大陸で一番大きな国だ。

南を海に面し、西にコチニール、東にクロムというそれぞれセルリアンの3分の1程度の大きさの国に挟まれている。北には更に小さな国々の集ったウイスタリア連合国がセルリアンと国境を接している。

このセルリアンを中心とした10にも満たない国がこの世界で人間の住む場所の全てだった。


この世界は真実、魔法の世界なのだ。


アッシュは、セルリアンを力の満ちる国だと言った。

だがその表現は事実とは微妙に違う。

セルリアンは“王の力によって人が制御できるように抑えられた力”が満ちる国だった。


この世界には荒々しくも力強い凶暴な力が満ちている。そしてその力を我が物顔で振るう精霊や聖獣、魔物、魔獣が闊歩している世界だ。


人間にはこの世界の力はそのままではとても扱いきれない力だった。


力に押しつぶされ徐々に数を減らし、絶滅の危機に瀕していた人間に突然変異のように救世主が現れる。

それがセルリアンの王だった。

セルリアンの王の一族に、無秩序に荒れ狂う力を人間の使える力に制御する力を持つ者が現れた。その者は当然のように王となり、その力は子に引き継がれる。代々の王によって制御された質の良い力が人の住む世界に満ちる。

その力を使う事で人間はかろうじてこの世界に居場所を得、人外の者達と協定を結び暮らしていた。


セルリアンは王の直接治める国。周辺の国はセルリアンの王の力の余波に縋る国々だった。


それが今日の勉強の内容で、既にこの段階で美咲の頭はいっぱいいっぱい。これ以上の知識は頭に入らないとアッシュに訴え休憩させてもらったのだ。

夏休みに補習以外でこんなに頭を使うとは思わなかった。

思う存分手足を伸ばしている美咲の傍らに、アッシュ以外でこの部屋にいたもう一人の魔法使いが近づいてくる。


「姫様、大丈夫ですか?」


「エクリュ。ありがとう。大丈夫よ。」


美咲の言葉にホッとしたように優しく笑う美少年。

“エクルベイジュ”うすい赤みの黄色という名を持つアッシュの弟子の少年である。

年は多分美咲より2つ3つ下、中学生というイメージがしっくりくる。名前のとおりやや明るいベージュ色の髪と目を持つ少年は可愛いアイドル系の顔立ちで勉強に追立てられる美咲の癒やしとなっている。


しかもこのエクリュ、美咲にとてもなついているのである。


“運命の姫君”と紹介される前の初対面の時から美咲を見て頬を染め、紹介されて後は“姫様”と呼んでまるで足下に纏わり付く子犬のような勢いで美咲に接してくる。あまりの慕いように、アッシュが“運命の姫君”は王の伴侶になる方なのだと改めて言い聞かせなければならないほどだった。


言われたエクリュは少し悲しそうに目を伏せる。


「でも、僕が勝手にお慕いするのは大丈夫ですよね。見返りが欲しいわけではないのです。ただお傍にいたい。・・・ダメですか?」


小さな声でそう訴える。


美咲はもちろん良いわよと返事した。こんな美少年断るはずもない。アッシュやタンが自分より母の方に惹かれているのが明らかなので尚更嬉しかった。


アッシュは嘆息した。


アッシュ曰く、美咲は眩しいほどに輝いているのだそうだ。母の光は落ち着いて美しく、美咲の光は他を圧して煌めく太陽のようだと言う。どちらに惹かれるかは好みの問題だろうという事だった。


「それに姫君は我が王の伴侶となられる御方です。そのような目で見られるはずがありません。」


美咲が母ばっかりモテて狡いと拗ねた時に返された言葉だった。


「エクリュはまだ子供です。姫君の放つ眩しいほどの光に魅了され夢中になっています。暴走させないように目を配りますがご迷惑がかかるようなら言ってください。対処いたします。」


対処って何?とは思ったが、ともかく慌てて大丈夫だと伝える。せっかく自分を慕ってくれる美少年を離してなるものかと思う。


「本当に姫君はお優しい。“ママ”が心配されるのもわかります。」


美しい微笑み付きのアッシュの言葉に美咲は引きつる。

美咲が“ママ”“ママ”と連呼したためにアッシュもタンも母の名前が“ママ”なのだと思い込んでしまった。

焦って“ママ”というのは母親のことで名前ではないと説明したのだが、母自身が“ママ”でいいわよぉと言ったので“ママ”という呼び名が定着してしまった。最初は“ママ様”と様を付けようとするのでなんとかそれだけは止めてもらった。

アッシュやタンがママと呼ぶ度になんとも言えぬ違和感が背中を走る。美咲はそれを必死に我慢していた。


しかし不思議だったのはママが母だとわかっても、アッシュとタンの母への態度が変わらなかった事だ。


いやむしろ変わらないというよりかえって態度が積極的になった。

父の存在を確認されて、死んでしまっていないと告げたときの2人の控えめではあるが嬉しそうな様子に美咲は思わず疑問をぶつけた。


「ママが子持ちの未亡人でもかまわないの?」


だって2人とも見惚れるようなイケメンなのだ。

アッシュは目が見えないとはいえ魔法のおかげで普段の生活に不自由は感じさせない。かえって神秘的な印象が魅力的だし、何とかしてあげたいという母性本能が煽られる。

タンは戦神もかくやという肉体をしている。その胸に抱き締められ縋り付きたい願望を抱かせる男だった。


そんな引く手数多に見える2人がどうして美人とはいえ子持ちでそんなに若くない(美咲視点)母に惹かれるのだろう?


しかし肝心の2人は美咲が何でそんな質問をするのか心底わからないようだった。


「ママが姫君のお母様でいらっしゃるということは、ママは子を成せる力を持った女性だという証明です。プラスになりこそすれマイナスの要因になることはありません。」


美咲はポカンとする。


・・・この世界は、そもそも女性の数が少なく、また女性の中でも子供を産める力を持った存在が少ない世界だったのだ。


「人の生きられる地域が少ないのが原因なのかもしれません。」


アッシュは言った。


世界の中でも限られた場所にしか住めない人間は人口を増やすわけにはいかない。

女性と男性の比率は1:2。その3分の1の女性の中でも子を産める女性はさらに2分の1だった。つまり子を産める女性と男性の比率は1:4なのだ。女性が子供を産めるのは10代半ばから40代まで。

そう考えれば子を産める女性の希少価値がよくわかる。


だから子を産めると証明された女性はとても大切にされる。

奪い合ったり独占したりなど言語道断だ。何よりも尊重されるのはその女性の意思。女性に認められて初めて男は子孫を残せる。


母は美咲という子がいることによってますますその価値を高めたのだった。

しかも母の年齢はまだまだ子を産める年齢だ。

母はこの世界の男性にとって十分魅力的な女性だった。


一方美咲はそれら全ての条件を満たしても別扱いらしい。


「“運命の姫君”だけは例外なのです。姫君は王のためだけの存在です。その爪の先から髪の毛の一本に至るまで全て王のものなのです。」


・・・だというのにエクリュときたらとアッシュはため息をつく。


美咲へのエクリュの想いは決して実らぬ思いだった。


エクリュへ微かな罪悪感を抱きながらも、美咲は自分の全てが王のものだと言われて胸がどきどきする。


先日王の絵姿を美咲は見せてもらった。


実物の魅力の十分の一も表せていないとタンは酷評したが、その絵は十二分に美しかった。

描かれていたのは天上の神々だってこうは美しくないだろうと思えるような美貌の主だ。

絵からは窺い知れぬ背の高さは、高いと思えるタンと同じくらいあるそうだ。剣技の腕もタンと張るそうで細身ではあるが鍛えられた肉体をしていると教えてもらった。魔法の力は言うに及ばない。未だかつて無い力の持ち主だとアッシュは言い、その魂の輝きは深く美しく引き込まれるようだと言った。


聞けば聞くほど完全無欠な人物だ。


そんな人が自分の伴侶。


美咲は心が舞い上がるのを止められなかった。

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