平定 2
「伴侶とならない?」
腕輪から聞こえるバリトンボイスは、予想に反してとても静かだった。
「はい。」
緊張して美咲は返事をする。のどがカラカラだった。
「・・・どなたかお気に召した方がいましたか?」
一瞬何を言われたかわからなくて・・・そして自分が誰か他の人を好きになって王様の伴侶になりたくないと言い出したのだと思われているのだと理解する。
「!いいえ!違います!!そうじゃないんです!・・・私、ダメな子で、全然ダメで、このまま王様の伴侶になっちゃいけないって思ったから!」
慌てて喚きだした美咲をバリトンボイスが落ち着いてと宥めてくる。
「ゆっくり私にわかるように最初から話してください。」
静かな声に促されて、美咲は深呼吸して話し始める。
精霊と契約したこと。
その契約の場に美咲を心配したバーミリオンたちが来たこと。
驚いた精霊たちが暴れて崖から落ちそうになった美咲を庇ってアッシュが代わりに落ちてしまったこと。
アッシュは助かったが美咲がその責任を強く感じていること。
美咲は一生懸命話した。
わかってもらえるかどうか、不安だったけれど、それでもわかって欲しかった。
美咲が話し終えても、暫く王は黙ったままだった。
美咲がその沈黙に耐えかねて、更に言葉を紡ごうと思った時、ようやく腕輪から声が流れてきた。
「・・・辛い思いをさせてしまいましたね。」
限りない慈愛に満ちた労りの声。
思わず美咲の目に涙が浮かんだ。
「今、貴女の側にいられず、貴女を抱き締められないことが・・・とても辛い。」
美咲の喉に重い塊がこみ上げる。
見えないことはわかっていたが、美咲はふるふると首を振った。
「・・・ママ、おられますか?」
「・・・いるわよ。」
「私の代わりに美咲を抱き締めていただけますか?」
「貴方の代わりなんかじゃなくても、私は美咲を抱き締めるわよ。」
母はそう言いながらも美咲の側に来て美咲を抱き締めた。
「ばかね。そんなことで自分を責めていたの?」
「だって・・・」
「私が姫君をお助けするのは当然のことですよ。」
何故か今夜の定時連絡にはアッシュとタンも同席していた。
いつも逃げ出すカイトも居て、竜王とぴーちゃんとポポと美咲の契約した4人の精霊と光と闇の精霊王もいる。
このため、今夜の連絡はいつもの美咲と母の寝室ではなく、もう少し大きめな客室といった雰囲気の部屋で行われている。
ブラッドは竜王に念入りに眠らされ別室に閉じ込められ、しかも外から鍵もかけられていた。
罰としてバーミリオンやエクリュも同じ部屋に入れられて、そこは臨時の反省室となっていた。
くうくうと暢気に眠るブラッドをどんよりと落ち込んで元気のない2人が恨めしそうに睨みつける陰気な部屋は、まるで監獄のようだったと面白半分で様子を見に行ったカイトが、行くんじゃなかったと後悔しながら教えてくれた。
「美咲の所為じゃなかったでしょう?」
母の言葉に首を横に振る。
「私が頼りなかったから・・・」
「そんなことないわぁ。美咲は同級生の女の子たちよりずっとしっかりしているって、ママ、学校の先生に褒められるのよぉ。」
自慢するように母は言う。
「そうなのですか?」
バリトンボイスの疑問の声に母は憤然としたように話しはじめた。
「そうよぉ。学校のお掃除とか先生のお手伝いとか他の子が嫌がることをきちんとしてくれるんですってぇ、お友達にも信頼があるって褒めてくれるの。」
嬉しそうに話す母の姿に美咲は頭を抱える。
それは成績や部活動なんかで目立った活躍のない美咲に対する先生なりの苦心の褒め言葉だろう。
「それにぃ、私のお手伝いもちゃんとしてくれるのよぉ。一緒にお料理したり、お風呂のお掃除をしたり、パパの仏壇に毎日お供えをするのも美咲がしてくれるのよぉ。」
「ママ!そんなの当たり前のことだから!」
「あら、違うわよぉ。ママの会社の同僚の人は、娘が何もしてくれないっていつもこぼしているもの。美咲はお弁当のおかずを用意しておけば自分でお弁当も詰められるじゃない。ママいつも、小山内さんはいいですねって羨ましがられるのよ!」
「ママ・・・」
会社で何の話をしているのだろう?
美咲は、穴が有ったら入りたかった。
周囲のモノたちも・・・微妙な顔をしている。
(親バカでしょう!正真正銘の!!)
だが、腕輪のバリトンボイスは、そんな話に本当に感心しているようだった。
「それは凄いですね。・・・私も学校の先生とやらにお会いしてみたいですね。」
「イケメンなのよね、美咲?」
嬉しそうに母は言う。
若くて格好良くて独身で、美咲を褒めてくれて、言うことないわぁと母は上機嫌だ。
腕輪から微かな冷気が漂ってきたようだった。
「そうですか・・・会社の同僚という方は?」
「バツイチのお父さんなのよねぇ。」
母はしみじみと言った。
料理も家事もバッチリできて、尚且つ仕事もできる理想の男なのだそうだが、かえって完璧主義が過ぎて奥さんに出ていかれてしまったのだそうだ。
見た目も悪くないのにねぇと母は同情する。
「私だったらぁ、そんなこと気にしないのにねぇって言ってあげると、凄く嬉しそうにするのよ。」
・・・周囲の空気がグンッと冷えた。
美咲は思わず自分の両腕をさする。
「親父!抑えろ!」
カイトが怒鳴る。
一体何を抑えるのだろう?
「・・・それは、その会社の同僚の方にもぜひお会いしなければなりませんね。」
貴方が会ってどうするのぉ?と腕輪に向かって母は呆れる。
「美咲は大丈夫よ。頑張り屋さんのママの自慢の娘だわぁ。」
母の言葉に美咲はやっぱり首を横に振る。
どんなに言われたって、アッシュが美咲のために危険な目にあった事実は変わらない。
母は大きく息を吐いた。
「頑固ものねぇ美咲ったら、誰に似たのかしらぁ。・・・あのね美咲、美咲がダメな子なのだとしたら、それはママの所為なのよぉ。」
美咲は目を瞬いた。
「美咲を育てたのはママだもの。美咲はまだ未成年なんだから責任はママにあるの。・・・それだから世の中には、“親の顔が見て見たい”なんて言葉があるのよ。」
「そんな言葉があるのですか?」
「そうよぉ。もっとも私は誰にだって、どうどうと顔を見せてあげられるけれど。」
偉そうに母は胸をはる。
「でも!ママ!私はもう、17歳なのよ!」
「まだ、17歳だわぁ。保護者の必要な年齢なのよ。・・・携帯を買うにしたって働くにしたって、たいていの事に保護者の同意が必要なの。結婚だってママの同意無しにはできないのよぉ。」
どうして携帯?結婚?母の思考の飛び加減に美咲は面食らう。
「だからね。美咲の責任じゃないわ。ママの責任よ。・・・美咲の頑張ろうって気持ちはとってもステキだけれど、無理に一人で何もかもを背負い込まなくても良いの。」
「ママ・・・」
「もっとゆっくり大人になりなさい。・・・そうねぇ。美咲、大学に入ったら一人暮らしをやってみる?」
またもや突然の母の提案に、美咲は驚く。
「美咲の第一志望の大学は、そんなに遠くじゃないし、家から通えば良いと思っていたけれど・・・一人暮らしやってみたい?」
それは、できればしてみたい事だったが・・・
「で、でも・・・大学の学費も高いのにアパートの家賃までかかったら・・・」
「大丈夫だって言ったでしょう。」
美咲ったらやっぱりそんな心配をしていたのねと母は顔を顰める。
しない訳にはいかないだろう。美咲は今までお金の不自由を実感したことはないが、何と言っても母子家庭なのだ。大学進学を許して貰えただけでもラッキーだと思っている。
できるだけ母に負担をかけたくなかった。
「心配いらないのよぉ。蓄えがあるって言ったでしょう。・・・それに、」
母はにんまり笑うと胸から鎖で吊してある黒曜石と水晶の直径2センチくらいのキレイな涙滴型の石を引っ張り出した。
光と闇の精霊王の眠っていた大きな石の核になっていた部分で、それを持っていれば精霊はそこに宿れるのだそうだ。
ちなみに美咲も4人の精霊の宿った魔鉱石をはめ込んだ腕輪を作ってもらっている。デザインもとても素敵なもので、できあがってくるのが今から凄く楽しみだ。
「この石を採る時に出た大きめな欠片をいくつかネコババしたのよ。きっと高く売れるわぁ。・・・安心してセキュリティの万全な良い物件を借りられるわよ。」
「ママ・・・」
美咲は、なんだかがっくり力が抜けてしまった。
勝手にそんな石を持ってきて良かったの?!
とか、
どうしてあの事態でそんな心の余裕があったの?!
とか言ってやりたいことが喉元まで迫り上がってきて・・・諦めた。
先刻までの悲惨なほどの覚悟が柔らかくなっていく。
別に母に説得された訳ではない。
今でもやっぱりあれは自分の責任で、自分は変わらなければならないと思っているが・・・そんなに自分で自分を追い詰めなくとも良いのかもしれないと思えてくる。
自分のできるスピードで変わっていけば良いのかもしれない。
「うん。一人暮らし、したい。」
「じゃあ、そうしましょう。もっとも、まず美咲が大学に受かることが大前提よ。受験勉強頑張ってねぇ。」
うっ!と美咲は詰まった。
痛いところを突いてくれる。
答えられずに口をもごもごしている美咲を楽しそうに見ながら、母は改めて腕輪に話しかけた。
「わかったぁ?美咲は貴方の伴侶にはならないわぁ。コチニールを平定してぇ魔王をやっつけてぇ私と元の世界に帰るの。良いわね?」
ざまあみろと言わんばかりに勝ち誇って母は腕輪を見たのだが・・・
「・・・一人暮らしをされるのですか?それは1年後?」
王の返事は・・・明後日の方向を向いていた。
「貴方は!人の話を聞いているの!?」
母が激昂する。
「あ?・・・あぁ、良いですよ。伴侶の話は白紙に戻します。魔王さえやっつけて貰えればかまいませんからね。・・・それで、一人暮らしは何時からですか?」
王は、平然と了承の返事をする。しかも興味は美咲の一人暮らしにしかないようだ。
あんまりあっさりと伴侶にならない話を呑まれて、美咲は拍子抜けしてしまう。
母は何だかギリギリと歯がみしそうな勢いだった。
「1年半後よ!再来年の春!!」
「そうですか・・・1年半。」
バリトンボイスが何となく嬉しそうな響きを伴って聞こえた。
(・・・何で?)
さっぱり理由がわからなくて美咲は首をひねる。
母はもの凄く忌々しそうだった。
「で?・・・エクリュやバーンに何か罰を与えるの?」
母の言葉に美咲はハッとする。
そうだった。
ブラッドは王の臣下ではない。
ただ単に保護されただけの一般人だ。あえていえば拾った美咲に責任が有り、彼の処分は美咲の心一つだ。(美咲には、ブラッドに何か処分をするようなつもりはなかったが。)
だが、エクリュはアッシュの弟子とはいえ王の臣下でもあるし、バーミリオンは美咲の警護として正式に王に雇われた人間だった。
彼らの不手際を王が処分するのは当たり前だった。
美咲は唾を飲み込んで王の言葉を待つ。
「そんな必要はないでしょう。・・・アッシュ、エクリュは十分に叱ってあげたのでしょう?」
王に名前を呼ばれたアッシュの顔が一瞬引きつった。
ほんの僅かな間なので美咲は気がつかない。
「はい。」
返事も随分と短く素っ気ない。
しかし王は気にした風もなかった。
実際エクリュは容赦なくアッシュに殴られていた。・・・そしてその後で、美咲を無事に洞窟の外まで連れ出した事を褒められた。
絶妙な飴と鞭の使い分けで、エクリュは「アッシュ様。」と目を潤ませる。
それを見ていた騎士たちはやはりアッシュだけは絶対怒らせまいと決意を新たにしたのだった。
「ならかまいません。バーミリオンという男も十分反省しているのでしょう?」
「はい!」
勢い込んで美咲は返事する。
クスクスと王様は笑った。
「では、私から特に何も言うことはありません。貴女が無事でさえあれば、それで良いのですよ。」
優しく言われて、美咲は飛び上がるほど嬉しかった。
彼らが罰せられでもしたらどうしようと心配していたのだ。
「美咲ったら、本当に優しい娘ねぇ。いいわよ、早くバーンとエクリュにお咎め無しだって教えてきなさい。」
「えっ?いいの?」
かまわないわよぉと母は言って、カイトに美咲に付いて行くように頼む。
何だか居心地の悪そうだったカイトは二つ返事で母の言葉に従った。
美咲はポポを抱き上げると「お休みなさい。」と王様に挨拶して他の皆にもすまなさそうに頭を下げてカイトと一緒に席を立つ。
美咲の4人の精霊は美咲について行こうとして、王に話が聞きたいからと呼び止められた。
じゃあ、話が終わったら来てねと美咲は言って出て行った。
室内には、母と竜王とぴーちゃん、アッシュとタンと精霊たちが残った。




