平定 1
無事に戻って来たアッシュに美咲は飛びついた。
「アッシュ!」
「姫君。」
いつもどおりの灰色の魔法使いの姿に心の底から安堵する。
「ご心配をおかけしました。」
小さく首を横に振る。
「ありがとう。アッシュ。・・・私のせいで、ごめんなさい。」
「姫君のせいではありませんよ。私が対応を誤ったのです。もっと颯爽とお助けする予定だったのですが・・・」
少し格好悪かったですねとアッシュは照れたように笑う。
違うと美咲は言いたかった。
自分のせいなのだと言って泣いて謝ればアッシュはきっと優しく許してくれる。
だからこそ、それはできなかった。
笑って許してもらって、それに甘えるようでは自分は変わることができない、。
代わりに美咲はそんな2人を微笑みながら見ていた母に向き直った。
「ママ、アッシュを助けてくれてありがとう。」
母は目を瞬く。
「改まって、どうしたのぉ?」
「うん。・・・ねぇ、ママ、コチニールの平定ってどうやるの?」
美咲の表情が違った。
側に居たバーミリオンが驚いたように美咲を見る。
母は少し黙って・・・口を開いた。
「それを聞いてどうするの?」
「私も手伝いたい。・・・足手纏いかもしれないけれど、本当は私がしなくちゃいけないことだと思うから、やりたい。」
・・・美咲は考えたのだ。
強くなるためにはどうすれば良いか。
強い精霊と契約すれば何とかできると思っていたけれど・・・結果として美咲は何もできなかった。
ならば、どうすれば良いのだろう?
剣の稽古をしたり、魔法の訓練をしたり・・・もちろんやらないよりはずっと良いし、やらなければいけないことだと思うけれど・・・今の美咲に一番必要なものは・・・“心”だ。
何事からも逃げない“心”。
考えてみれば、美咲には、まだまだ”経験”が必要だった。
それを実感した。
だとすれば、この国で王様の伴侶になってずっと守られて生きていくのは・・・違う。
元の世界に帰り学校に行って勉強して、いろんな事を”経験”して大人になる。
王様の伴侶になるのだとしても、それは美咲が大人になってからでなくては美咲のためにもこの国のためにもならない。
心底そう思った。
元の世界に帰るためにコチニールの平定が必要なのなら協力したい。
・・・本当は、自分でやらなくてはと思うけれど美咲にそこまでの力はない。
平定なんてどうすれば良いのかもさっぱりわからないのだ。
出来もしないことをやりたいと言うのは自分の我が儘だ。自分の我が儘で他人を危険な目にあわせるかもしれないような愚はおかせなかった。
・・・でも母を手伝うくらいならできるはずだ。
できないからと諦めるのではなくできる範囲で力を尽くしたい。
そこから始めたいと・・・美咲は思った。
「お願い!」
「平定って、一国を征服することよ。戦争と同じよ?・・・できるの?」
母の重い言葉にも「うん。」と答える。
覚悟はしたのだ。
バーミリオンは顔色を悪くし、何かを言おうとするかのように口を開け・・・美咲の顔を見て、黙って閉じた。
母を見ていた美咲はその様子には気づけない。
美咲の真剣な目を母はジッと見返して・・・フッと笑った。
「王様をふる覚悟はついたのね?」
美咲は思わず動揺する。
(あの美形を・・・ふる?!)
そんな、もったいない!
・・・でも、コチニールを平定するということはそういうことだ。
美咲は・・・コクリと頷いた。
もの凄く残念だと思いながら。
母は、とっても嬉しそうに笑った。
「大歓迎よぉ、美咲。凄く助けになるわぁ。ママと一緒に頑張りましょうねぇ。」
上機嫌な母にまた抱き締められるかなと思った美咲は、母が目の前に差し出した手をびっくりして見詰めた。
「握手よ、美咲。握手しましょう。」
恐る恐る差し出された母の手を握り返す。
ギュッと握り替えされて、ブンブンと振られた。
一方的に抱き締められるのではなく、対等の立場として交わされる握手に、美咲は心の底から嬉しさがこみ上げるのを感じていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ところどころ雑草が生い茂った手入れの行き届かない農地に山から吹き下ろされた冷たい風が吹き荒ぶ。
遠くに放牧されている“マレ”と呼ばれる牛に似た生き物が哀れっぽい鳴き声をあげる。
痩せすぎて乳もろくに搾れない生き物は当然食肉にもならないが、ただマレがいれば他の野生の小動物が近づいて来ないから、それだけのために飼っているだけの家畜だった。
もっとも餌もほとんど与えられない本当の放し飼いの状態を、飼っていると言えるのかどうかはわからない。
見る者の心を陰鬱とさせるような貧しい農村の風景が、茫漠と広がっていた。
痩せて荒れた土地にしがみつくように、それでも懸命に土を耕していた男たちは・・・地面を動く大きな影に驚いて空を見上げた。
「!!」
竜だ。
数頭の竜が陽光を遮り彼らのはるか上空を飛んでいく。
それはここ数日で頻繁に見られるようになった光景だった。
それまで彼らが竜を見たことなど数える程しかない。
此処、コチニールのように王の力の加護が少ない地には竜のような高位の聖獣は滅多に訪れなかったのだ。
それがここ最近度々姿が見られるようになった。
しかも今のように数頭からときには十頭ほどの隊列で上空を通り過ぎていく。
雄大な姿に見惚れると共に何事があったのかと、最近の人々の話題はそれに纏わるものばかりだった。
「うちの倅が昨日町から帰ってきたんだが・・・」
話し出した初老の男の息子は、この痩せた土地だけでは暮らしていけないと早々に見切りをつけ、町で魔道具士の見習いになった人物だった。今ではそこそこの稼ぎをあげられるようになっている、男の自慢の息子だ。
「セルリアンに“運命の姫君”が現れたんだと。」
周囲の男たちが感心したような声を上げる。
もっとも彼らは“運命の姫君“がどんな存在で何をするのかもわからない。何となく偉そうな名前に感じ入っただけだ。
それでも男は気をよくして話し続ける。
「“運命の姫君”が現れると、世界の力が強くなり安定して満ちあふれるんだと。」
美咲が聞けば、どこからそんな根拠のない話が広まったのだと怒り出すかもしれない話は、今では信憑性を持ってそこかしこで噂されている。
確かに“運命の姫君”を得て、王の力が安定して強くなれば同じ事なのかもしれないが・・・
「それで竜が浮かれて、こんな僻地にまで飛んできているのか?」
「少しはこの辺にも力の恩恵があるのかなぁ?」
あって欲しいと男たちは思う。
労働力はあっても、痩せた力の無い土地は実りが少なく、かけた労力に見合う収穫を得られたことがなかった。
「どうせ、セルリアンにだろう?王の加護を持つ豊かな国が益々豊かになるってだけの話さ。俺たちには何の恩恵もない。」
男たちの1人が投げやりに話す。
彼は何かに期待するには疲れすぎていた。
「それがな・・・“運命の姫君”はどうやら2人現れたという話だ。」
何故か声を潜めて、話し始めた男は言った。
「2人?・・・どっちかが偽物なのか?」
「そういうことじゃないらしい。2人ともセルリアンの騎士たちに大切に守られていると言っていたぞ。」
2人か・・・と男たちは思う。
何で2人もいるのかと思う心の中から・・・何故その2人ともをセルリアンが独占するのだという不満が頭をもたげてくる。
富める隣国は、彼らの妬みの的だった。
「力のある女が王の伴侶になれば、その国には女が多く産まれるとも聞くぞ。」
女・・・と彼らは思う。
女性がステータスシンボルとなるこの国では、彼らの暮らすような貧しい農村は女性の数が常に不足している。時には争いや諍いの種にもなる深刻な問題だった。
「何とか・・・」
1人の男が言いかけて・・・口を閉じる。
あまりに大それた望みは口を出すのが憚られた。
しかし、考え無しに望みを口にする者もいる。
「何とかそのうちのお1人を、うちの国にもらえないものかな?」
口にされた望みは、強い願望となって他の者にも伝染する。
「・・・王太子殿下はまだお若い。」
王と正妃の間にはなかなか男子が産まれず、王太子は今年10歳になったばかりだ。
「流石に陛下のお相手にと言うわけにはいかないだろう?」
国王は60を過ぎている。
4年前にも王子が産まれているから夫となれないわけではないが、“運命の姫君”ほどの高貴な女性の相手としては不敬と言わざるをえないだろう。
「・・・グレン様がいらっしゃれば。」
1人の男の呟きに、他の者たちは皆、目つきを鋭くし、怯えたように周囲を見回す。
「滅多なことを言うな!誰かに密告されたらどうする?!」
グレンとは数年前に宮廷の権力争いで敗れ追い落とされた第一王子だった。
人物にも能力にも優れ、父王の信頼も厚く民から慕われていたが、グレンが優秀であればあるだけ正妃にとっては目の上の瘤で・・・数年前に誰が見てもわかる冤罪をきせられて宮廷から姿を消していた。一説には殺されたとも言われており、その後一切噂を聞かない。グレンの話をしたものは正妃の一派から酷い迫害を受けると言われており誰も口にできないというのが真相だ。
「無事でおられれば、今年で22歳になられるはずだ。」
「だから、話すなと言っているだろう!」
“運命の姫君”の相手として申し分の無い王子であったはずなのにと心の内で男たちは思う。
王の子は、他は臣下に嫁いだ娘が一人と正妃の妹である新たな妾妃の産んだ今年4歳になる弟王子だけだ。
この弟が産まれたためにグレンはますます疎まれて失脚させられたと言われている。王太子に万が一があってもグレンの出番はないのだから、いらないと正妃は言い放ったそうだ。
適齢の王子がいなければ、”運命の姫君”の相手として名乗りをあげることもできない。
今頃国王は歯噛みをして悔しがっているかもしれない。
この国は、ついていないのだと男たちは肩を落とす。
重いため息をつくと、辛く苦しく、その割に収入の見込めない作業に、男たちは戻った。
遠くで“マレ”が、力の無い鳴き声を上げた。




