山脈 8
満足そうに頷くと、母はアッシュの服に手をかける。
闇に染まった灰色のローブを躊躇いなく脱がせた。
そのまま下着も捲りあげ、手を抜き足を抜き頭からすっぽり脱がせる。
アッシュの均整のとれた美しい裸体は、その3分の2ほどが闇に染まり黒に侵されている。
その様子に母は痛ましそうに眉をひそめる。
一糸纏わぬ産まれたままの姿に、躊躇いなく母は・・・その手を這わせた。
首筋を優しく撫で、ゆっくりと手は肩から腕へ触れていく。
黒く染まった肌は、母の手で白く蘇り、何度も何度も触れた箇所はほんのり赤く色づいていく。
母は生気の溢れてきた肌を嬉しそうに見詰めた。
少しの黒も残さぬように母の手はアッシュの体の隅々までに触れていく。
まるで愛撫するように・・・腕から手、男の割に細く長い指の一本一本を丁寧に撫で、爪の先までをも擦る。
魔法使いなのに鍛えられた胸に、手は触れた。
胸の頂に指先が触れるとアッシュは「ん・・・ぅ。」と息を漏らした。
母は死んだようだったアッシュから反応のあったことが嬉しくて・・・しつこく頂を弄る。
「あ・・・っ・・・」
小さく身じろぎし、声をもらす姿に満足そうに笑うと・・・手を腹部へとずらした。
引き締まった平らな腹を丁寧に摩る。
何度も何度も小さな手は、ゆっくり優しく・・・執拗に、晒された肌を撫で上げる。
時折小さなうめき声をあげながら、無抵抗な体はその手を受け入れる。
やがて・・・アッシュの上半身から黒い染みが消えた。
うっすらと赤く染まる白い肌は、扇情的なまでに美しい。
・・・止まる事の無い母の手がアッシュの腰にかかった時・・・背後からタンが引き離すように母をギュッと抱き締めた。
「黒金?」
「・・・私が闇に落ちれば良かった。」
タンは、背後から母に覆い被さるように抱きついて耳元で切なそうな声を絞り出す。
母はため息をつくと、自分の腹部に回されたタンの手に手を重ねた。
「貴方が闇に染まったら、どこからが闇でどこまでが本来の色か区別がつかないから困るわ。」
「ママ!」
からかいの言葉にタンは拗ねた声を上げる。
「私の“黒金”、貴方たちは私の対の“魔物”。私にとって貴方たちは同じモノ。・・・どちらもとても愛しい子。」
「・・・知っている。」
「ならばヤキモチは止めなさい。私が“白銀”に触れることは貴方に触れるのと同じこと。ほら、私に貴方たちを愛させて。」
タンは渋々と腕を緩める。
母は体の向きを変えると、タンと向き合った。
「口を開けなさい。」
言われるままに開かれる口に・・・母の白く細い指が侵入する。
そのままタンの口中を指はなぞった。
「ふっ・・・う・・・」
指はゆっくりとタンの口中を丁寧に拭う。
タンが苦しくないように、指は舌に絡まって転がすように舌の上で動く。
やがて唾液にまみれた母の指が引き出されると・・・その指先に白い真珠のような玉が摘ままれていた。
「貴方の中に混じった白も白銀に返さなくてはね。」
息の上がるタンの体は先ほどより、確かに黒くなっていた。
母はその真珠をアッシュの口元に運び口の中にねじこむ。
コクリとアッシュの喉が動いて・・・真珠が飲み込まれる。
アッシュの白い体がますます白く輝いた。
再び母の手は・・・アッシュの体を撫で始める。
腰から足のつま先へ、足の指の一本一本を拭って・・・そして体の中心へ。
触れぬ箇所はどこも・・・無かった。
タンの力を借りて、アッシュの体は裏返され背中から尻、足の裏にも母の手は触れる。
全てに母の手は触れ、アッシュの闇を拭い落とす。
母の手が最後の箇所から離れた時・・・そこには真っ白に輝く白銀の魔物が横たわっていた。
母が満足そうに微笑む。
母を抱えるタンも呼応するかのように漆黒に染まっていた。
白銀と黒金・・・母の育てた対の魔物。
取り戻せた完全な姿に喜びが込み上げる。
(ああ。でも、仕上げがいるわね。)
母はタンを、完全な黒金をもう一度振り返る。
母を見る漆黒の瞳は熱情に潤んでいた。
その口の中にもう一度手を入れようとした母は・・・力強い男の手でその華奢な手を捕まえられる。
「私から渡す。」
そう言うと、黒金の唇が母の唇に重なった。
(!!・・・)
荒々しいキスをされる。
縋り付くような、貪りつくすような、想いの丈を込めたキス!
無理矢理口をこじ開けて、舌が突き入れられてくる。
母の舌を絡め取った舌は、そのまま口中を蹂躙した。
(・・・ああ。)
黒金の自分への想いに翻弄される。
自分を失った飢えを満たそうと、自分に縋り付いてくる激しすぎる想いを・・・受け止める。
自分がここまでの飢えを与えてしまったのだという自責の念が母にはあった。
暫く好きにさせて・・・黒金の口から目当ての力を引き出して・・・虚空に目をやった。
今にもタンを射殺しそうな目をしながら、母からの絶対邪魔をするなという言いつけに従っていた虚空は、主の無言の命令を受け嬉々として自らの手から闇の鎖を顕現させ、油断していた黒金の体を巻きとった。
「グッ!!ガッアア!!」
その体をきつく拘束し、母から無理矢理引きはがした。
「そのままぎゅうぎゅうに締め付けてやりなさい!」
「ママ!」
わざと冷たく言うと、もう黒金には目もくれず白銀の方に向き直る。
まだ横たわったままの白銀の閉じられた両目にキスをして黒金から渡された力を与えた。
ふるふると白銀の瞼がふるえる。
やがてゆっくり開けられた瞳は唇と同じ真紅で・・・その焦点は、はっきりと母に向けられていた。
「見える?・・・白銀?」
「・・・シャトルーズ様。」
視界を取り戻した白銀の目の前に、栗色の髪の小さな女性の姿が映る。
以前の神々しいまでに美しかった女神とは似ても似つかない小さく華奢な人間の女性。
魂の輝きも・・・強大で全てを惹き付け放さなかった恐ろしいほどの力が全て無くなって、まるで別人のような静かな光になっている。
でも、わかる。
自分が自分の“主”を見誤ることなど有り得ない。
だからあれ程惹かれたのだと今ならわかる。
「・・・ママで良いわ。」
母の満面の笑みに、耐え切れず涙を零した白銀は・・・母に縋り付いた!!
「お会いしたかった!」
ボロボロと泣きじゃくる白銀の頭を撫でる。
「困った子ね。」
「嫌だったのです。離れるのは嫌でした。自由になれと仰られましたが、自由になどなりたくなかった!貴方がおられなければ私たちの生に意味など無い!一緒に連れて行って欲しかった!離れてみて、その想いを確信して、転生して来られたらそう願おうと黒金とお待ちしていたのに・・・」
貴方は戻られなかった!と酷く傷ついた瞳で白銀は俯く。
母は凄い力で抱きつかれたまま上を向いてため息をついた。
「待つなと言ったでしょう?」
「嫌です!」
理屈のない“嫌”には敵わない。
裸の男が泣きながら縋り付いているだなんて、自分はどんな悪女になったのだと頭を抱える。
「主を困らせるな。」
不機嫌そうな声が割って入った。
「・・・目覚めたのですか?光輝。一生眠ったままで良かったものを。」
白銀は光の精霊王を冷たく見据えた。
2人の精霊王と対の魔物は・・・仲が悪かった。同族嫌悪ではないかと母は思っている。
「あぁ、お前のおかげで主に呼んでもらえた。そこは感謝する。」
「私の?」
「お前は虚空の領域に落ちたのだ。救い出して闇を払うためには我らの力が必要だった。」
白銀は・・・アッシュは、自分が何をしていたのか思い出した。
「姫君は?!ご無事ですか?」
「ええ。アッシュ、貴方のおかげよ。ありがとう。」
「そんな、当然の事です。・・・ご無事で良かった。」
「そうね。・・・でも、私には貴方も大切なのよ。二度とあんな危険な真似はしないでね。」
母はアッシュの額に自分の額をくっつけると至近距離でしっかり言い聞かせる。
対の魔物が小さかった頃からの母のやり方だった。
「・・・シャトルーズ様。」
アッシュの頬が赤くなる。
「ママだと言ったでしょう。今の私は何の力も無いただの人間なのよ。」
「・・・力を取り戻されれば。」
「そんなつもりはないわ。このままで十分よ。このままコチニールを平定し、魔王を退治して美咲と元の世界に帰る。・・・それが今の私の望みよ。」
元の世界に帰ると言ったとき、アッシュの顔が歪み、光の精霊王も顔を伏せる。
「何故です!?シャトルーズ様は元々この世界の神。誤って異世界に転生されただけです!帰られる必要はどこにもない!」
闇の精霊王の鎖をまだ引き摺りながらタンが叫ぶ。
母は困ったように笑った。
「今はただの人間なのだと言ったでしょう。」
しかし、と食い下がるタンを見詰める。
「それとも・・・貴方たちは、ただの人間の私には協力できないとでも言うの?」
タンの動きがギクリと止まる。
ただの人間だと言う女性からのプレッシャーに、魔物と精霊王の背中に冷たい汗が流れ落ちる。
母はクスリと笑った。
途端に張り詰めていた空気が霧散する。
「協力してくれるぅ?」
甘ったるい声が響いた。
「私たちが断れぬ事など、わかっていらっしゃるくせに・・・」
恨みがましいタンの声に笑い声が上がる。
「力の無い女はぁ、図々しくて狡くて汚いのよぉ。そうでなければ守りたい者を守れないわぁ。・・・そして、力のある男はそんな女に振り回されてやらなくっちゃ。そんな男の甲斐性に女は惹かれるのよぉ。」
「・・・私にも惹かれてくださいますか?」
必死にアッシュが懇願する。
「もちろん。私が離れたくないわぁって縋るような男になりなさい。」
そうすれば一緒にいられるかもしれないわよぉと無責任に母は言う。
「とりあえずぅ、服を着なさい。露出趣味の男は嫌われるわよぉ。」
少なくとも私の趣味じゃないわぁと母は言う。
「え?・・・!!」
アッシュは己の姿を見て・・・羞恥に固まった。
今の今まで気づいていなかったらしい。
「!?なっ・・・なっ?」
何でと言いたいのだろうが、その前に服を着ろと言いたい母である。
魔物なのだから一瞬で着られるはずだ。
あたふたと狼狽えるアッシュに、他の者たちは呆れたように目をやり、母は軽やかな笑い声を上げた。
何だか昔に戻ったようで・・・笑う母の目尻には涙が滲んでいた。




