山脈 7
注:しつこいようですが、このお話はBLではありません。
えぇ、絶対違います!
「虚空。貴方の領域に落ちた者を連れてきなさい。」
「我が領域に落ちる者は多い。」
自分の命令に言葉を返した闇の精霊王を母は冷たく睨み据える。
「“役立たず”と言って欲しいの?」
「主の命を違えたくはない。・・・主の言葉を耳にして我がどれほど喜びに打ち震えているか・・・どう言えばわかってもらえる?」
「口ばかり上手くなって・・・」
母は憮然と呟く。
「・・・探すのは、アッシュ。灰色の魔法使い。・・・今の姿はね。」
忌々しそうな母の言葉を虚空は聞き返す。
「今の姿?」
「そうよ。お前が彼を違えるはずはないわ。探しなさい!アッシュを・・・私の“白銀”を!」
虚空は闇そのものの瞳を見開く。
「“白銀”が我が領域へ?」
その口調は・・・嫌そうだった。
「行きなさい!」
母の命に頭を下げると精霊王の体が闇に溶ける。
一瞬の後、そこには何もなくなった。
「ママ・・・」
ようやくタンが呆然と声を発する。
タンはまだ、アッシュの落ちた崖を見詰めたままだった。
母と精霊王とのやり取りに驚き愕然としていいはずなのに、タンは、どこかそれらが直接頭に入っては来ないような隔たりを感じていた。
頭に霞がかかっているかのように、思考がまとまらない。
タンの頭の中にあるのは、アッシュが消えてしまったというその事実だけだった。
何とか美咲を反射的に抱きとめたが、それがなければ自分がアッシュを追って崖下に飛び込んだであろう自覚がある。
(・・・失ってしまった。)
タンはこの亀裂が何か知っていた。
これは、底の無い虚無への入り口。
どれ程探ろうともこの亀裂に到着点は無く、ここに落ちたモノは二度と見つからない。
果てしなき闇へと続く穴。
この亀裂に落ちて助け出された者などいない。
(アッシュも・・・)
その現実を受け止めながら・・・タンの体から全ての気力が失われる。
アッシュは共に王に使える同僚だった。
互いに互いの力を認め、同じ年齢ということもあって多少仲良くはしていたが、殊更に親しい訳ではない。
今回“運命の姫君”の召喚とその警護という同じ任務を与えられ協力してきたが・・・あえて言えばそれだけの関係のはずだ。
なのに、今の自分のこのショックは何だ?
・・・呆然とタンは思う。
まるで唯一無二のモノを無くしてしまったような喪失感と虚脱感。
タンはアッシュを失ってしまった衝撃とそれに対する自分の反応に呆然自失としていた。
「タン。」
そのタンに母が近づき優しく抱き締めてくる。
母の小さな手がタンの鍛えられた肉体に触れる。その手が優しくタンを撫でた。
「大丈夫よ。今“虚空”に迎えにやらせたわ。直ぐにアッシュを助け出してくるわ。」
「・・・アッシュを?」
「ええ。そうよ。大丈夫よ。タン・・・私の“黒金”。・・・貴方の“対”は生きて戻るわ。」
“黒金”と呼ばれて・・・その名がタンの体に染み入る。
(あぁ、そうだ。)
自分は“黒金”だ。
そう呼ばれていた。
他ならぬ“主”のこの声で。
「私の“黒金”。私の“魔物”。貴方の“対”は私が助けるわ。安心なさい。」
「・・・シャトルーズ様。」
黒金は、かつて彼が仕えていた”主”の名を呼んだ。
この大陸を創世した、大陸と同じ名を持つ“女神”の名を。
母は・・・久方ぶりに聞いた、かつての自分の名が自分の心に苦く沁みていくのを感じる。
人間として転生する以前の・・・既にこの世界のどこにも存在しない”神”の名前。
「それは失われた名前。・・・ママと呼びなさい。タン。」
それにあながち間違いではないわと母は言う。
母は親を失った”対の魔物”を気まぐれに拾い、名を付け育てた“昔”を思い出す。
もはや遠い・・・随分“昔”の事を。
タンにとって自分は確かに育ての母だった。
・・・今の自分はただの人間だ。
しかもこの世界の者でもない・・・何の力も持たない人間。
「主よ。」
光輝が戻ってきて母の隣に跪く。
「他の精霊たちを大人しくさせなさい。結界を張って、決して誰にも邪魔されないように。」
母の命令に光輝は素直に頷き従う。
もはや何の力も持たぬ自分の命令に・・・
真名は知っている。
おそらく自分は、今この世界に古くから君臨する力あるモノの、ほとんどの真名を把握している。
だが、力持たぬ身に強大な力持つ真名は毒にしかならない。
今の自分にあるのは・・・“かつての自分”を恋い慕うモノたちの想いだけだった。
竜王、火の鳥、光と闇の精霊王。
・・・そして自分が育てた“対の魔物”。
何の力も持たない、ただの人間の自分をそれでも慕い従ってくれるモノ。
・・・失う訳にはいかなかった。
深淵に続く崖下から、闇の精霊王がその手に黒い塊を抱きかかえて上ってくる。
「白銀!!」
タンの叫びは苦渋に満ちる。
虚空に抱えられたアッシュは、既に灰色の魔法使いではなかった。
その体のあちこちが闇に蝕まれ黒く染まっている。どす黒い顔は息をしているのかどうかもわからないような様相だった。
虚空はアッシュの体を母とタンの前に横たえる。
かすかに胸が上下してまだ生きている事を伝えた。
母はホッと息を吐く。
アッシュの傍らに膝をつくと自分の手が汚れるのもかまわずその額に手をあてた。
アッシュを蝕んでいた闇がザワリと蠢き母の手に纏いつこうとして・・・虚空に止められる。
「我が主に触れるな。」
・・・闇は恐れるように母の白い手から離れていった。
「・・・虚空。」
「我には無理だ。既に白銀は闇に喰われている。喰われて染まった部分は我の力では元に戻せない。」
「そうでしょうね。」
母は顔も上げない。
「光輝。私の手に貴方の力を宿しなさい。」
「・・・人の身には重いだろう。」
「やりなさい!光輝、貴方が直接触れるのは今の白銀には強すぎる。闇に染まった体ごと消えてしまう。・・・これ以外に方法はないのよ!」
母の命令に・・・光輝は従う。
永の時を眠って待ち続けた主の一言一言に胸を高鳴らせながら・・・逆らう事などできなかった。
光輝が母の手に触れて・・・母の手が光を帯びる。
強すぎる光の力は、人の身に負担を強いているだろうに母の動きは少しも変わらなかった。
そのまま光輝と虚空に周囲の警護を任す。
決して邪魔をしないように言い聞かせ・・・
「苦しいでしょう、白銀。今綺麗にしてあげますからね。もう少し我慢してね。」
優しく幼子に言い聞かせるように母はアッシュに呟いた。
「黒金、私のお腹に手を回して。・・・私を後ろから支えなさい。私が闇に引き込まれないように、しっかりとね。」
言われるままにタンは、母の後ろに座り込み母を後ろから抱きかかえる。
ギュッと力を込めた。
母の手がアッシュの顔を撫でる。
優しく汚れをぬぐうように、その手は顔中をこする。
母の手が触れたあとから・・・どす黒かった色が薄れていく。
2度3度とこすれば闇は抜け、白い肌が現れた。
額に、鼻に、頬に・・・唇に、母の手は丁寧に滑っていく。
顔色はまだ悪いものの、白く美しい顔が戻ってくる。
顔を全てキレイにすると、母の手はアッシュの髪を梳いた。
1本1本を愛でるように手櫛で丁寧に長い髪を梳る。
黒い色が落ち・・・そこに、灰色ではない白銀の髪が現れた!
これこそが本来の白銀の色だ。決して灰色などではない。
そして、本来の黒金は・・・・茶色ではなく漆黒だった。
彼らは互いの色をそれぞれ少しづつ相手に混ぜられていたのだ。
そうして互いに、互いの力を封じる。
おそらくは、“王”が魔物である彼らを転生させて自分に従えるために。
「私の“白銀”。戻って来なさい。・・・互いに互いの色で力と記憶を封印するだなんて悪趣味を、どうしてあんな奴に許したりしたの?・・・貴方たちを初めて見たときの私の憤りを想像することができる?」
優しく優しく髪を梳きながら母の声は思いだした怒りに震える。
本当にあの時は、怒りで目も眩むかと思ったものだった。
「王が・・・そうして力を封じて転生しなければ、決して貴女には巡り会えないと・・・」
抱き締めた母の首筋に顔を埋めながらタンが答える。
母の怒りが・・・タンは嬉しかった。
「そんな言葉を鵜呑みにしたの?」
「どのような言葉でも呑みました。貴女に会えぬ転生など何の意味も無かった。」
「私に執着するなと、あれ程言い聞かせたのに・・・」
母は自分が転生を決めた際に、自分に従うモノたちを全て解放したのだ。
決して自分の後を追わぬよう、そして自分を待たぬように言い聞かせて転生の輪に加わった。
何もアクシデントがなければ、自分は再びこの世界に力有る者として、そう時を置かずに生まれ変わったはずだった。
しかし、実際には“何か”が起こり、自分は予定よりも遙かに遅れ、しかも異世界に何の力も持たぬ人間として生まれ変わった。
いつまで待ってもこの世界に転生してこない自分を、このモノたちは絶望しながら待ったのだろう。
その隙をあの“王”につかれて記憶と力を封印されてしまった。
自分に仕えるただの人間として2人を側に置き、“王”は何をしようとしたのだろう。
(・・・いや、解かりきった答えか。)
母は・・・溜息をつく。
アッシュの髪を梳いた母の手に、黒く煌めく輝石が残る。
母はその黒い輝石を掌の上に乗せたままタンの口元へ差し出した。
母に両手を回したまま、タンは直接母の手へ吸い付くようにその輝石を飲み込む。
タンの茶色い髪が・・・少し黒く染まった。
母は何度か同じ行為を繰り返す。
アッシュの髪が全て白銀に輝いた時には・・・タンの髪は漆黒に染まっていた。




