山脈 5
美咲を助けたアッシュは、美咲の代わりに亀裂の中に落ちて行った。
「アッシュ!アッシュ!!アッシュッ!!・・・」
後を追うように崖に近づく美咲を後ろからタンが抱いて止める。
深い亀裂の底は、変わらぬ闇に覆われてアッシュの姿は少しも見えなかった。
「!・・・ママ!ママ!!アッシュが!!・・・私を庇って!」
美咲の声は悲鳴となって嗚咽が混じっている。
今見たことが信じられない。
こんな高さから落ちて人は無事でいられるのだろうか?
それに亀裂にわだかまるあの闇は何だろう?アッシュを飲み込み不気味に蠢いているように見えるあの闇は・・・
(こんな!!・・・イヤッ!!)
自分を助けたためにアッシュが崖から落ちて死んでしまうなんて・・・受け入れられなかった。
「ママ!!!」
わかっている。
母に言ってもどうにもならない事は。
ついさっきも反省したばかりだ。
それでも・・・わかっていても、美咲が縋る先は母で・・・母しかいなくて・・・。
「・・・ママ。」
美咲はボロボロに泣いていた。
母が美咲の傍に来る。
亀裂を覗き、美咲の頭に静かに手を置いた。
「大丈夫よ。」
優しい声が響いた。
「ママ。」
それだけで、美咲は落ち着く。
絶望的な状況の中で心が落ち着いていく。
母が大丈夫だと言えば、絶対大丈夫なのだ。
理屈なんて何も無い。
あるのは今までの事実だけだ。
「こうなっては仕方ないわね。・・・美咲そこを動かないでね。」
もう一度美咲の頭を撫でると母は台地の中央へ向かう。
未だ荒れ狂う精霊をまるで存在しないかのように真っ直ぐに歩んで行く。
不思議と母にぶつかる精霊はいなかった。
母は、あの大きな黒曜石と水晶の前に進み出た。
「美咲、タン、目を瞑りなさい。」
静かな声が響く。
2つの石の前に立つ母は凛として美しく、うっとりと見ていた美咲は、母の声に少し残念に思いながらも目を閉じた。
母が言うからにはそれは必要な行為なのだ。
「光あれ!」
母の声が朗々と響いた。
響いた瞬間、洞窟内に爆発するような光がカッ!と溢れた!!
閉じた目の裏にまで激しい光が差し込む。
目を瞑っていて良かったと思う。瞑っていなければ間違いなく目をやられて暫く視力が戻らなくなったことだろう。
「光ありて、我が目の前に姿を現せ!」
母の言葉が続く。
光りがぐるぐると乱舞した。
「出でよ!!」
鋭い母の声に従い、生き物のように光が一点に集中する。
全ての光を集めて・・・その場に1人の男が現れた。
光が集中し落ち着いた事を感じて美咲は恐る恐る目を開ける。
そこに見たのは、光り輝く神の姿だった。
そうとしか思えない、信じられぬほど神々しい姿がそこにある。
「まさか・・・」
美咲の前に美咲を守るように浮いていた火の精霊サラが呆然と呟く。
「・・・光の精霊王。」
水の精霊ディーネが言葉を続けた。
(光の精霊王?)
美咲が口をぱくぱくさせて、言葉を発することができない内に母の次の言葉が響いた。
「闇よ凝れ!」
途端周囲に闇が満ちる。
目の前のサラや他の精霊・・・それどころか自分の手さえも見えない真の暗闇。
・・・ただ一点闇の中で光る光の精霊王とその前の母の姿だけが闇に浮かぶ。
「闇、凝りて我が前に額づけ!」
母の声は傲慢な命令を告げる。
闇が一点に集まり始めた。
「来い!」
全ての闇が凝集され・・・そこに闇のごとく黒い男が現れる。
「闇の精霊王!」
風の精霊シルが叫ぶ言葉は・・・半ば美咲の予想したとおりだった。
大地の精霊ノンが、ゴクリと生唾を飲み込む。
「何故だ?光と闇の精霊王は彼らの”主”を失って永遠の眠りについたはずだ。」
ノンの問いに答えられる者は誰もいなかった。
2人の精霊王が静かに母の前に跪く。
「主よ。」
声がピタリと揃った。
「光輝、私の娘を橋の向こうへ。・・・あの愚か者共の元へ連れて行きなさい。」
母が光の精霊王に命令する。
名を告げた様子も何もないのに、まるで知っていたかのように母はその名を呼んだ。
光の精霊王は頭を下げ、立ち上がると美咲の元に近づき呆然としているタンから美咲を取り上げてその腕に抱え上げる。
側に近づけばますますその神々しさと光り輝く美しさに圧倒される。
お姫様抱っこをされて、しかし美咲は必死の思いで母に言葉をかけた。
「ママ!」
「大丈夫よぉ美咲。ママはアッシュを助けてからタンと追いかけて行くわぁ。美咲は先にバーンたちと帰ってちょうだい。」
「ママ!私もママと一緒に居る!」
「ダメよぉ。この精霊たちは、突然現れたバーンたちに驚いたの。彼らが少しでも早くここから居なくなるのが一番良いのぉ。・・・ブラッドは美咲が一緒でなければ帰ろうとしないでしょう?」
本当はバーンやエクリュではなく、魔物のブラッドに驚いたのだがそれを美咲に言うわけにはいかない。
「サラちゃんだっけ?あなたたちも美咲と一緒に行って、美咲を案内して外へ行ってね。」
サラたちは顔を見合わせる。
確かに美咲とは行きたいが、しかしそこには魔物がいる。
「大丈夫よぉ、“あれ”は封じてあるの。あなたたちでも十分にやっつけられるわぁ。・・・それに、あんなものに怯えているようでは美咲の側にはいられないわよぉ。・・・美咲の側には竜の王族がいるのよ。」
母の言葉にサラたちは顔を強張らせる。
「あなたたちが、なんでそんな姿をとっているのか知らないけれどぉ、いつまでも本性を隠しておけると思わない事ねぇ。」
母の言葉に精霊たちはギクリと体を強張らせた。
母の視線は精霊たちに、自分たちの秘密をばらされたくなければ余計な事は言うなと明確に語っていた。
あれって何?と美咲は思うし、母の言葉も気になるが、それよりアッシュの方が心配だった。
「ママ、アッシュは本当に大丈夫?」
「心配いらないわぁ。・・・行きなさい。」
母の最後の言葉は光の精霊王への命令だった。
精霊王は美咲ごと空に浮き、そのまま滑るように空中を滑空し亀裂を飛び越えバーミリオンたちの元へ飛ぶ。
4人の小さな精霊も一瞬の逡巡の後その後を追った。
魔物は恐ろしかったが、それよりも光と闇の精霊王が“主”と呼び、額ずき仕える母の方が・・・怖かった。




