拾いもの 2
その後アッシュが念入りに調べ、行き倒れのイケメンが正真正銘記憶喪失の人間の男だという事が判明する。
近くに集落は無く何故こんな何もないところに大きな穴が開き、この男が倒れていたのかは不明だが、とりあえず次の目的地までは男を連れて行くことに決まる。
「本当は近くの街に置いていきたいのですが既に此処に立ち寄ったために予定が遅れています。今日の宿泊場所である城まで休憩なしで飛ばなければなりません。残念ながらこの男のために寄っている時間はありません。」
溜息混じりにアッシュが言う。
「・・・ごめんなさい。」
自分が勝手に降りたために遅くなったのだと思って美咲は謝る。
「姫君が謝る事はありません。姫君の優しさに皆感じ入っています。・・・本当にお優しい。」
美咲に向けられる暖かなアッシュの笑みに救われる。
しかしアッシュの優しさは行き倒れの男には向けられなかった。
嫌々ながら騎士の一人であるピーコックが男を一緒に乗せようとしたのに(ヘリオトロープに命じられたピーコックは、どんな美人でも男を乗せるのは嫌だと文句を言ったが脅迫まがいに引き受けさせられた。)男は事もあろうに美咲の背にへばりついて美咲から離れようとしなかったのだ。
当然アッシュをはじめとした周囲の男たちから向けられる男への視線は険しくなる。
もはや誰一人、男を自分の竜に乗せようと言うものはいない。
此処に置き去りにしたいというのが男たち全員の総意だった。
記憶喪失の男は、どうやら気づいて最初に見た美咲しか信用していないようだった。
「刷り込みじゃなぁい?」
それはぴーちゃんでしょうと美咲は思う。
人間に対して刷り込みだなんて失礼にも程がある。
しかし実際問題、男は美咲から離れない。
「私が乗せるわ。」
ついに美咲は言った。
「ダメだ。」
言下にバーミリオンが断じる。
「どうして?竜は3人でも乗れるのよ。」
「そういう問題じゃない!身元もわからない男を一緒に乗せられるか!」
「バーンに言われてもねぇ。」
母が苦笑しながら呟く。
バーミリオンは少し怯んだが自分の主張を引っ込めなかった。
今回ばかりは他の者もバーミリオンの意見に賛成する。
男を後ろに庇って対峙していた美咲はなんだか泣き出しそうになってしまった。
皆が自分の安全を考えて言ってくれていることはわかっている。でも、記憶を失った人を見捨てるような真似はしたくない。
戸惑う美咲を助けてくれたのは、やっぱり母だった。
「大丈夫よぉ。要はその“行き倒れさん”が美咲に危害を加えられないようにすれば良いだけでしょう?」
“行き倒れさん”って何?と思ったが、藁にも縋る思いで母の言葉を聞く。
「美咲、“行き倒れさん”に名前をつけてあげなさい。」
美咲を除く全員がハッとする。
この世界のモノは全て真名を持っている。
もちろんこの身元のわからない男にも真名はあるだろう。
だが彼は記憶喪失だ。
真名はおろか呼び名さえも忘れている。
つまり男は今産まれたばかりと同じ真っ白で名前のない状況なのだ。
この時点で男に名前をつければ、それは真名と同等のものになる。
男を縛り付け従える事が可能となるだろう。
「名前?」
「そうよぉ。何時までも”名無しの権兵衛さん”じゃ可哀相でしょう?」
”名無しの権兵衛さん”?”行き倒れさん”じゃなかったのだろうか?
しかし、それもそうかと思った美咲は、それ以上深く考えることもなく男を見る。
バーミリオンはそんな美咲を慌てて止めようとした。
名前を失った者に新たに名前を付けるなど軽々しく行って良いものではない。
しかし制止の言葉を告げようとしたバーミリオンは・・・母の鋭い眼差しに動きを止められた。
・・・剣士である自分が、ただの女性でしかないはずの母の一瞬の眼差しに気圧される。
そんなはずはない!・・・母の後ろで無言の圧力を放っている竜王の所為か、それとも昨晩告げられた言葉の所為だとバーミリオンは思おうとする。
そして気づく。・・・気づいてしまう。
自分の背後でアッシュやタンも咄嗟に声を上げようとして、同じように母の眼差しに止められたのだという事に。
(・・・なんて女だ。)
バーミリオンの背中を悪寒が駆け上がる。
この女の目の前で美咲に縋り付く名の無い男にバーミリオンは・・・同情した。
この世界の者ならば皆名前を付けることの恐ろしさを知っている。
だが美咲は知らない。
そして、母はおそらく知っていて美咲に名を付けることを促した。
美咲は・・・この世界風でいくのならこの男の纏う色に関係する名前が良いのだろうとなんとなく思う。
しかしこんな赤黒い色を美咲は知らない。
(赤紫?マゼンタはもっと明るいわよね?)
色の名前など美咲はよくわからない。
考え込んで、最初に見つけた時に血がでていると間違えたことを思い出す。
(血液検査の時に採血された血の色に似ているのよね。)
「ブラッドはどうかな?」
血って確か英語でブラッドじゃなかったかなと思いながら口にする。
「良いんじゃないのぉ。」
母は無責任に頷いた。
少なくともぴーちゃんやたっちゃんよりマシだろうと美咲は思う。
後ろを振り向いて、美咲の背中に張り付いていた男と向き合う。
「貴方の名前はブラッドよ。それで良い?」
「・・・ブラッド。」
男が呟いた。
その途端男の体が微かに光る。
それは男にブラッドという名が真名として植え付けられた印だった。
「たっちゃん!」
母の鋭い声に竜王が答える。
『命名の儀を我が見届けた。我は竜王。世界の力の一角を成す者。名付けられた真名は名付け親のモノとする。我の力と存在にかけてそれを証する。』
男・・・ブラッドが胸を押さえてその場に膝をついた。
「大丈夫?!・・・ママ!竜王さん!何をしたの?」
『真名を他の者が利用できないようにお前に縛り付けただけだ。・・・皆に知られてしまって勝手に契約されてはたいへんだろう?』
竜王の言葉に美咲は目を見開く。
(・・・真名?)
考えもなしに名前を付けてしまったが、あれは真名だったのか?・・・全然わからなかった。
確かにそうであれば竜王のしたことは必要で正しい事なのだろう。
しかし、アッシュやタン、他の者の表情は苦い。
「・・・惨いことをする。」
バーミリオンが我慢できずに吐き捨てるように言った。
「惨い?」
美咲は驚いて見返す。
「真名を新たにつけるということは、それまでの真名を捨てさせるのと同じだ。そいつは今までの自分を無にさせられたんだ。・・・死んだも同然だ。」
「死んだ・・・?」
美咲は呆然とする。
(そんな!・・・)
そんなつもりではなかった。
「・・・姫君の安全のためには仕方のないことです。」
アッシュの言葉が無情に響く。
「違う!私!そんなつもりじゃ!!」
叫ぶ美咲を・・・母が後ろから抱き締めた。
「大丈夫よぉ。たっちゃんにその子の真名と美咲を結んでもらったでしょう?美咲が望めば今つけた真名は消すことができるわぁ。そうすればぁその子は元に戻れるの。・・・死んだんじゃなくって眠っただけよ。」
「ホント?」
「ママが美咲に嘘をついたことがあってぇ?」
・・・いっぱいあると美咲は思う。
だいたい、嘘をついたことがないという事自体が嘘だ。
それでも・・・
「・・・うん。ママを信じる。」
母を信じようと美咲は思う。
何時でも美咲はそうしてきた。
そしてその信頼を裏切られた事はなかった。
「良い子ねぇ、大丈夫よぉ。ママは何時だって美咲の味方よぉ。美咲を悲しませたりしないわぁ。」
娘を抱き締めながら、母は余計な事を言ったバーミリオンを睨む。
バーミリオンは唇を噛み、目を逸らす。
母の冷たい視線は、それなりの場数を踏んでいるはずの騎士たちでさえ肝の冷える思いがした。
・・・母が美咲に言ったことは決して嘘ではなかった。
竜王が名付けに立ち会った事により真名は美咲のものとなると同時に竜王の支配下にも入ったのだ。どのようなことも竜王の意志ひとつで行えた。
それに元々この魔物の力と記憶を封じたのも竜王だ。
戻そうと思えば何時でも戻せる。
ただ、母とすればこの魔物は、このまま此処で殺されても仕方のない存在で、真名を戻してやるつもりなどひとつもなかった。
美咲が見つけていなければ、いずれ確実に王の力で殺されたはずだ。
何の準備もなく敵地に飛び込み意識を失うような間抜けな敵に、かける情けはなく利用価値もあるとはとても思えなかった。
娘を煩わせるだけの存在。
それでも美咲が拾ったからには面倒をみなければならない。
竜王の呆れた視線を感じる。
どこかの腹黒王ならまた甘やかしすぎだと余計な事を言いそうだ。
・・・美咲をぎゅっと抱き締める。
自分を繋ぎ止める者。
18年前を思い出す。
ギリギリに追い詰められ、いつ何時存在を失ってしまうかもわからなかった不安定な自分を。
あの時美咲を身ごもり産んでいなければ自分は確実に死んでいただろう。
美咲がいなければ今の自分はいなかった。
それだけは間違いない。
自分を繋ぎ止め、自分を生かす者。
自分が甘やかせる限りは甘やかしてやろうと思う。
いずれ自立させなければならないことは、わかっていても・・・
「出発しましょう、美咲。早く行かないとぉ夕食が食べられないかもしれないわよぉ。」
もう、ママったらと美咲は呆れた様子を見せながらそれでも笑って母から離れる。
不安そうなブラッドを優しく導きカイトの元に移動した。
慌ててバーミリオンが後を追う。
小さくため息をついて母は竜王の元へ戻る。
竜王の背に乗ってありがとうと呟くとその背に優しく手を這わせた。
小さな手から我が身に広がる大きな喜びに竜王は恍惚とする。
『子離れしたら、我と連れ添ってくれるか?』
母はクスクスと笑った。
親離れではなく子離れのあたり、竜王はよくものを見ている。
「結構候補者がいっぱいいるからぁ、競争率は厳しいわよぉ。」
それに当分、先出しと母は答える。
『・・・それはどうかな?』
竜王は力強く飛び立った。
我が子の背に乗る“運命の姫君”をじっと見詰めた。
我が子の求愛行動の一番の障害は間違いなく自分の主だろう。
そして自分の一番の障害はあの姫君だ。
母の心を得るためには決して傷つけてはいけない”障害”。
・・・それでも方法はある。
あの姫君が母以上の存在を見つけ母の腕の中から巣立っていけば良い。
我が子がその存在となれば良いと思っているが・・・
竜王は母ほど子煩悩ではない。美咲さえ親離れするのなら相手は我が子でなくてもかまわないと思った。あの朱色の男でも・・・最悪今拾った美しさだけは評価できる魔物でも。
『魔物を封じた礼だが・・・』
「なぁに?」
『我がしてもらうのではなく、できれば我がお前にしたい。・・・人型になって。』
母はきょとんと目を瞬いた。
「それはぁ、私のお礼になるのぉ?」
『ああ。』
「なら良いわぁ。好きにして。」
もっとも毛づくろいは無理でしょうけどねと母は楽しそうに笑った。
密やかに竜王も笑う。
誰にも先んじられたくない。
竜の独占欲は・・・とても強かった。




