竜の谷 8
「姫君!ママ!!」
タンの声が響く。
薄暗かった洞窟から急に明るい外に移動させられて、美咲は一瞬目がくらみ何も見えなくなった。
咄嗟に瞑った目をゆっくりと開ける。
目の前に心配していたのだろう憔悴しきったタンの姿があった。
「ご無事ですか?」
「・・・ありがとう。大丈夫です。」
安心させるように返事をする。本当は美咲より母の方が心配なのだろうに生真面目な人だなと思う。
「大丈夫よぉ。バーンやアッシュが頑張ってくれたものぉ。」
気の抜けるような母の返事にタンの表情が傷ついたように歪んだ。
美咲はその表情を見て、自分の騎士なのにタンを呼ばなかった事に罪悪感を抱く。
「あの・・・その、ごめんなさい、タン。私、ママがタンを呼ぶと思って・・・その。」
「あらぁ、いやだ。騎士が2人いてもどうにもならないでしょう?美咲が騎士を呼べばママは魔法使いを呼ぶにきまっているわぁ。」
罪悪感の欠片も無い母の台詞に美咲は頭を抱える。
(もう!ママっ!空気読んでよ!!)
心の中で盛大に文句を言いながら、美咲は恐る恐るタンの様子を伺う。
タンは・・・何だか驚いたように母を見ていた。
「騎士が呼ばれたから魔法使いを?」
「そうよぉ。タンも魔法を使えるけれどアッシュほどではないでしょう?あの場には魔法使いがどうしても必要だったのよぉ。」
あっけらかんと言われた内容にタンの力が抜ける。
母が必要としていたのが騎士ではなく単純に魔法使いだっただけであって、アッシュと自分という人間を比べて、自分よりアッシュを選んだわけではないのだとわかって、今の今まで心の中でグルグルと蟠っていた重苦しい気分が消えていく。
我ながら単純だなと呆れてしまう。
「そいつの言うとおりだ。今回の件では魔法使いが必要だった。」
バーミリオンが母の言葉を肯定するが・・・言い終ると同時に、その言葉を聞いてホッとするはずのタンに鞘のついたままの剣で思いっきり肩を突かれてグッ!と呻いて蹲るはめになった。
「ママに対して“そいつ”とは何だ!」
怒りを露わにするタンに文句を言おうとするが、タンのみならずアッシュや他の騎士たちも冷たい目で自分を見ている事に気づいたバーミリオンは喉元まで出かかった悪態を飲み込む。
とんだ貧乏くじだと思ったが、美咲が大丈夫?と心配そうに肩に触れて来るので機嫌を直す。
「大丈夫だ。」
立ち上がりさりげなく美咲に触れようとしたバーミリオンと美咲の間に、竜王子が飛び込んできた。
バーミリオンは舌打ちをする。
『無事か?』
「・・・王子。」
海の青の瞳が心配そうに美咲を見ていた。
美咲は安心させるように小さな竜に笑いかけてやると手にしていた竜玉をそっと差し出した。
『!?・・・これは!』
「あなたのもので間違いない?」
竜王子は・・・コクンと首を縦に振った。
『俺の封じられた力だ。』
『受け取り契約を交わすが良い。その娘は試練をくぐり抜けた。』
竜王の満足そうな声が響く。
『・・・良いか?』
何故かこの期に及んで俺様なはずの竜王子は・・・弱気に聞いてきた。
「どうしたの?」
『俺と契約するために、お前には迷惑をかけた。・・・嫌われても仕方ない。』
申し訳なさそうに言われる言葉に美咲は驚く。
案外まともな感覚をしているのねと失礼ながら思った。
少なくとも竜王よりは余程ましだ。
(うん!やっぱり私は竜王子の方が良いわ。)
「そうよ。もの凄く苦労したの!死ぬかと思ったわ。」
わざと怒ったように言ってやる。
竜王子がしゅんと項垂れた。・・・尻尾までダランと垂れてしまう。
美咲はクスリと笑った。
「・・・だから、せっかく手に入れた竜玉を無駄になんかしないわよ!きっちり契約してもらうから。」
そう言うと美咲は竜玉をグイッと竜王子に押しつける。
青い瞳が驚いたように見開かれた。
『俺で良いんだな?』
「そう言っているでしょう。」
竜王子は何度か瞬きをして・・・竜玉を受け取った。
光り輝く竜玉が王子の体に溶け込んでいく。
竜王子の体が目映い光を放ち、せっかく視界を取り戻した目がもう一度くらんで・・・ようやく再びもどった時、美咲の目の前に海の青の髪と瞳をした背の高い格好良い男の子が立っていた。
(!・・・えっ?)
美咲とほぼ同年代に見えるその男の子の瞳は、猫のような縦長の瞳孔と大きな虹彩だけで白目はほとんどない。
・・・竜の瞳だった。
「竜の姿に戻るとお前を潰してしまうかもしれないからな。」
爽やかに笑うと人型(しかも凄く美咲のタイプ!)になった竜王子は、見惚れるような所作で美咲の前に跪いた。
『俺の名はメリルーン。お前の竜だ。俺に呼び名をつけろ。』
頭の中に声が響く。自分だけに真名が告げられたのだとわかる。
感動しながら美咲は考える。それ程悩むこともなくひとつの名前が口から滑り出た。
「海門」
海の色を持った自分だけの竜。
突然の召喚で遊びそこなった海を思い出させる青を持つもの。
竜王子“カイト”は、ふわりと笑った。
「良い名だ。気にいった。その名を受けよう。俺はカイト、お前の竜だ。」
跪いたままカイトは美咲を見上げる。
「・・・ありがとう。私の名前は美咲っていうのだけれど、何だか王様の守護がかかっていてママ以外は呼べないみたいだから、“シディ”って呼んで。」
美咲は早口に名乗る。
万が一カイトが美咲と呼ぼうとして痛かったりしたら可哀相だ。
カイトは不思議そうにしたが、とりあえず素直に“シディ”と呼んだ。
声が甘く美咲の心に響く。
(名を交わすってこういう事をいうのね。)
胸の中に生まれた暖かな感触に美咲は確かにカイトと契約したのだと感じた。
美咲が笑って頷くとカイトは嬉しそうに立ち上がり、手を伸ばすと美咲を・・・抱き締めた!
「?!・・・カイト!」
「人間の体など不便なだけだと思ったが案外良いものだな。お前は抱き心地が良い。」
「ちょ、ちょっとカイト!」
「じっとしていろ。」
そう美咲に命令するとカイトは美咲の体を堪能するように、なお深く抱き締める。
・・・やっぱり俺様王子だった。
美咲がなんとかカイトの腕から抜け出したところで(カイトは随分不本意そうだったが)竜王が声を上げる。
『我が子の契約は成った。次は我の番だ。我が契約者よ。我に竜玉を渡せ。』
竜王が見ているのは間違いなく母で・・・母はもの凄く不機嫌そうな顔で竜王を見返していた。
「契約者?」
タンが不審そうに呟く。
ヘリオトロープや他の騎士たちも一様に驚いたように竜王と母を見る。
竜たちも皆、息をのんだ気配が伝わった。
(?!・・・うっわぁ〜、ママ、凄く怒っている。)
美咲は心なしか蒼ざめてその場から一歩下がる。
母は滅多に怒らないが、怒ると物凄く・・・怖い。
触らぬママに祟りなしだ。
美咲は少しずつ距離をとった。
「私はぁ、契約者なんかになるつもりはないわよぉ。」
予想どおり不機嫌な声を母はあげる。
『・・・移動の足は必要だろう?』
畏れ多くも竜王様が母の足になってくれるというのだろうか?
しかし母は少しもありがたそうではなかった。
「いらないわよぉ。他の竜に乗せてもらうからぁ。」
フォッ!という音と風が起こる。竜王が笑ったようだった。
『お前を乗せる竜などいない。・・・我がお前に触れる竜を、全て噛み殺したいと思っているかぎりな。』
とんでもない内容に周囲の者が、竜も人間も一様に蒼ざめる。
「あらぁ、オーカーはもう私を乗せてくれたわよぉ。貴方はオーカーを噛み殺せるのぉ?」
母の言葉にオーカーの強面な竜の顔が引き攣ったように見える。心なしか冷や汗も流れているようだ。
「おい!!」
堪らずヘリオトロープが声を上げた。
『我と会う前のことまで責めようとは思わぬ。だが、お前がそれを望むのであれば、どの眷属であろうとすぐさま屠ってみせよう。』
竜王の言葉に全ての竜の体が震える。
母は額に皺を寄せて、可愛らしい顔を嫌そうに顰めた。
「心の中までぇ悪趣味なのね。」
『そうだな。一目見てお前の魂を手に入れたいと願うほどには悪趣味だ。』
竜王の答えに母はますます嫌そうになる。
「だったら最初からそう言って私に“お願い”しなさい!騙し討ちみたいに美咲と一緒に試練を受けさせて!美咲が私の足を掴まなかったらどうするつもりだったの?!」
母の憤りに竜王は笑う。
『どの道、娘を追って落ちるつもりだったであろう?その程度の動きは読めるぞ。』
竜王の言葉に美咲は目をみはった。
「ママ・・・」
母はぷいっと横を向いた。
『我もお前のその優しい心が欲しい“お願い”が必要だと言うのなら“お願い”しよう。』
竜王はそう言うと長く大きな首を地に着くほどに下げた。
誰にも頭を下げたことのない竜王のその姿に、竜たちの中に動揺が走る。
『お前に願おう。我と契約し我を使役せよ。我はお前の傍に有りお前と生きることを望む。お前の輝く心の一片が我に向くことを願う。我の心を捕えた者よ。我に名を与えよ。』
轟く竜王の声が響き、周囲の全てが静まりかえる。
まるで世界中の全てが竜王の言葉に耳をすませているかのようだった。
「・・・まるで、プロポーズみたいね。」
ママがポツリと呟いた。
小さく肩を竦める。
その様子から母の怒りがとけた事を察し、美咲はホッと息をつく。
「・・・仕方がないわねぇ。嫌々だけど竜玉も手にしたことだし契約してあげても良いわぁ。名前を寄越しなさい。呼び名を付けてあげる。・・・ただし、言っておくけれどぉ、私は大型犬より小型犬の方が好みよ!そのデカい図体をなんとかしないと連れて行きませんからね!」
竜王は・・・笑った。
母が差し出した竜玉を黙って受け取る。竜玉が王の体に吸い込まれ、空の青が益々深くなった。
今までも十分強かったのにそれ以上に封印された力があったのだろうか?
それを取り戻した竜王はどれ程に強いのだろう?
竜王はそのまま無言で母と心の中だけで名のやりとりをしたらしい、やがて母が頷いた。
「ママ、なんて名前にするの?竜だからって“りゅうちゃん”とか“ドラちゃん”は止めてよ!」
思わず美咲は言った。ヒヨコに“ぴーちゃん”と命名した母だ。充分考えられる事態をできれば避けたい。特にママが呼ぶ“ドラちゃん”は某猫型ロボットを思い出すので絶対避けてもらいたい!
「え〜っ?どうしていけないのぉ?」
母は不満そうだったが、仕方なく考え込んで・・・やがて口を開いた。
「“ターコイズ”はどう?トルコ石よ。綺麗な青色よね・・・略して“たっちゃん”。」
だからどうして略すのだ!
竜王にちゃんづけはないだろう!
そうして“たっちゃん”という名前で、美咲は思い出す。
母は双子の男の子の活躍する野球マンガの大ファンだった・・・。
「私のカイトを“かっちゃん”にするのはダメよ!」
母はえ〜っと不満そうに口を尖らせた。
やっぱりそのつもりだったのかと美咲は母を睨み付ける。
「まぁ、良いわぁ。貴方の名前は“ターコイズ”、“たっちゃん”よぉ。私のことはママと呼びなさい。」
今更他の呼ばれ方も面倒くさいわぁと母は言う。
そして母は手を差し出す。
「“たっちゃん”おいで。」
竜王の体が光り、みるみる縮んでいく。
光がおさまった時にはそこに以前の竜王子のような小さな空色の竜がいた。
「きゃあぁ!やっぱり可愛いぃっ!最初に王子様を見た時にぃ絶対これだって思ったのよねぇ。ママ、鍋猫やティーカッププードルに憧れていたのよぉ!」
そう言うと母は“たっちゃん”をぎゅっと抱き締める。
「飛ぶ時以外はぁこのサイズでいなさい。そうすればぁ抱っこしてあげるわよぉ。」
『ママがそうしたいのならば。』
“たっちゃん”は満更でもなさそうに母の腕の中に納まった。
「・・・ママ。」
疲れたような美咲の呟きが全員の思いを代弁していただろう。
・・・竜との契約は、無事?終わった。




