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竜の谷 4

時は少し遡る。


急に開いた穴に美咲と母が吸い込まれ消えた事実に残された者たちは騒然とした。


「ママ!姫君!!」


たった今まで2人が立っていた場所にタンは駆けより地面を叩く!

固い地面はびくともしなかった。


『親父!!』


小さな竜王子が他の竜たちが恐ろしさに身を竦めるような獰猛な怒鳴り声を上げる。


『安心しろ。どうやら無事に降りたようだ。とりあえずは合格だな。』


そんな息子の声を歯牙にもかけず竜王は満足そうに声を出す。

竜王子は唸った。


『あの人間は、俺が気にいって契約を申し込んだんだ!横からいらぬ口出しをするな!』


『・・・王族と契約する人間は、試練を受けなければならない。承知しているはずだ。』


『!・・・でも!』


『例外は無い。・・・お前は自分の選んだ人間を信頼していないのか?』


『それは・・・』


竜王子は悔しそうに下を向く。


『信じて待つが良い。お前にはそれしかできぬ。』


竜王の言葉に竜王子は従わざるを得なかった。


竜王と竜王子の会話でこの事件の理由を知った周囲の者たちは一様に顔を蒼ざめさせる。

とんでもない事になってしまった。


「クソッ!!」


バーミリオンが苛立たしそうに拳と掌を打ち合わせる。バシッ!と激しい音がした。


いまだ美咲と母が消えた場所に立っていたタンがアッシュの元に歩み寄る。

その胸倉を掴み上げた。


「何故姫君の遮蔽の魔法を解かせた!?本来なら今日はこのまま休息して、明日落ち着いてから契約してくれる竜を1頭1頭たずねるはずだった!そうしていればこんな事にはならなかったかもしれない!!何故急いだ!?」


タンの非難に、呆然と美咲と母の消えた場所を見えぬ瞳で凝視していたアッシュは、心ここにあらずといった風情で口を開いた。


「・・・ママが、」


「ママ?」


訝しそうに聞き返すタンに、アッシュは泣き出しそうに顔を歪めて答える。その姿は、いつも冷静な魔法使いからは想像もできないほど幼く頼りなかった。


「ママに信頼されていないと思い知らされて・・・ママの光を感じるのが苦しくなった。・・・わかっている。悪いのは私たちだ。信頼して欲しいなどと言える立場ではない。想いを向けて欲しいなどと願えるはずもない。・・・だが、苦しい。耐え切れない程に苦しくて・・・一刻も早く王城に行き、ママに元の世界に帰って欲しいと思った。・・・ママがいなくなれば、胸を締め付けるママの魂の輝きが目の前から消えれば、この苦しみはなくなるのだと思って・・・竜との契約を急いだ。」


「馬鹿な・・・」


呆然とタンは呟く。


アッシュもまた呆然としていた。

意図していた以上の事態となって、アッシュの望みどおり母の魂の輝きが目の前から消えた。

しかしアッシュの心は少しも楽にならなかった。

それどころか前より強い痛みを感じる。

消えてしまった輝きを”嫌だ”と叫ぶ自分を感じる。


「何故だ?タン。・・・何故私の心はこんなに苦しい?」


心底不思議そうなアッシュの姿が痛ましかった。


タンは目を逸らせる。

アッシュの気持ちはタンには痛いほどによくわかった。

アッシュを掴んでいたタンの手が離れる。


そんな人間を、感情を伺わせない空の青の瞳で見ていた竜の王が口を開く。


「試練を受ける者たちに、助け手としてそれぞれ1人を選び召喚することを許した。いずれお前たちの誰かが選ばれ喚ばれるだろう。喚ばれた者は覚悟して赴け。」


そうして美咲と母のおかれた状況を教えてくれる。その内容に人間たちの間から抗議の声が上がった。


「何という事を!」


「無力な女性をそのような過酷な場所に!」


上がった声を竜王は面白そうに遮る。


「あの者たちは、お前たちの言うような無力な存在には見えなかったがな。事実かなりの高さから落としてやったが怪我一つ無く着地した。小さな魔獣2匹の力だけで無傷で降りる者など滅多にいない。・・・それに目の前に我の顔を見て“悪趣味”とほざく女も初めてだ。」


竜王の言葉にヘリオトロープや騎士達が目を泳がせて視線を逸らす。先刻竜をペットのように撫でていた母子の姿が思い浮かぶ。・・・いかにも言いそうなセリフだった。


タンも複雑そうな表情を見せたが気を取り直して騎士たちに声をかける。


「ヘリオ、他の者たちも何時喚ばれても対応できるように準備しておけ。洞窟で獣相手なら十中八九喚ばれるのは騎士だ。誰が喚ばれても最優先は姫君とママの安全だ。それを忘れるな!」


命令しながらもタンは喚ばれるのは自分だろうと思っていた。自分は姫君の騎士だ。母に選ばれれば嬉しいとは思うがその前に姫君から喚ばれるはずだ。


そして残り一人は・・・


「ヘリオ、おそらくママはお前を選ぶ。準備しておけ。」


だが、タンの言葉に返ってきたのは否定の言葉だった。


「馬鹿言え、俺が喚ばれることなどあるものか。」


「何?」


ヘリオトロープは忌々しそうに舌打ちをする。

姫君はともかく母が自分を選ぶことなど絶対無いと断言できた。


(あの女がそんな素直な選択をするものか。)


一石で二鳥も三鳥も狙う女だ。既に自分に堕ちているヘリオトロープなど召喚するはずもなかった。


・・・そう、ヘリオトロープには自分が既に母に捕まっている自覚があった。


先ほどのアッシュの言葉にも何を今更言っているのだという忌ま忌ましさしか感じない。


耳元に先刻竜で飛んでいる最中に囁かれた言葉が蘇る。


「大丈夫よぉ。貴方たちの主と私の望みは最終的には相反しないわぁ。安心して私を好きになって良いわよぉ。」


冗談めかして言われた言葉がどれ程心臓に悪かったかわかっているのだろうか?

あやうく竜から落ちるところだった。


・・・主とは王のことだ。


王と彼女の望みは対立しないのだろうか?

王が彼女の娘を伴侶に望みこのままこの世界に留め置いても彼女はそれに逆らわないということなのか?


そうであって欲しいと思っている。


ヘリオトロープは彼らの王に思いをはせた。

たった1人で人間の世界を背負っている僅か18歳の若者。

美しく、思慮深く、全てに優れ、強大な力を持つ自分たちの王。

王に仕え、王の騎士であることはヘリオトロープの誇りだった。

王の伴侶は一人で立つ王を慰め支える唯一の存在だ。王が伴侶を望むのであれば何があってもその望みを叶えたい。

それはヘリオトロープの揺るぎない思いであったはずだ。


・・・なのに、もしも母が王の望みに逆らったらと考えてしまう。


その時自分は王の望みに反する母を切り捨てられるのだろうか?


そう思い悩むほど、既に自分は母に堕ちてしまっていた。

そこにあの言葉だ。

王と相反しないのならばヘリオトロープが思い悩む必要は無い。

母へと向かう想いを止める必要はないのだ。


そう思ったその瞬間、ヘリオトロープは完全に母に捕らえられた。


母は今更この事態を利用してヘリオトロープと絆を深める必要など微塵も感じていないだろう。


「ママは俺を召喚しない・・・」


苦々しくヘリオトロープが言った時だった。

一人彼らから距離をとっていたバーミリオンの体が光った。


「なっ?!」


驚愕の声が上がる中、シュン!と空気を震わせてその場から朱色の男が消える?!

召喚されたのだとわかった。


「・・・何故?」


タンが呆然と呟く。

何故自分が選ばれない?王の剣と呼ばれ、“運命の姫君”の騎士である自分ではなく、誘拐団に居たと言うあの氏素性もわからない男が、何故選ばれる?


「・・・姫君だろう。姫君はお前がママに心を寄せていることを知っている。自分が召喚するよりはママに召喚させようと思ったのかもしれない。」


「だとしてもどうしてあの男だ!?」


冷静なヘリオトロープの言葉にタンは憤る。

こいつには自分が選ばれなかったことに対する不満はないのか?


「あの男は誘拐騒ぎの時に実際に姫君を助けている。よく知りもしない騎士よりは実績のある者を選んだのだろう。」


ヘリオトロープには、姫君の考えが手にとるようにわかった。

自分より母に惹かれていると思われる男たちより現実に自分を守ってくれた男を頼るのは当然の事だ。


ある意味酷く単純で明解な思考。


そしてそれに比べ、はるかに複雑で捻くれているもう1人の考えは・・・


「ママは俺を選ばない。選ぶとすればタン、お前か、コーラル・・・」


珊瑚色をした甘いマスクの騎士は、その容貌に反してタンと並び立つほどの腕を持つ騎士だった。(しかも裏の顔も持っている。実に母好みだ。)


「さもなければ・・・」


ヘリオトロープの言葉の最中に光が1人の人物を包む。


やはりという思いと共にヘリオトロープはその名を吐き捨てた。




「・・・アッシュだ。」




盲目の魔法使いは、光と共に姿を消した。


「何故だ!?」


タンは叫び、ヘリオトロープに詰め寄る。


直接聞いてくれ、とうんざりしながらヘリオトロープは顔を顰めた。

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