事件 6
美咲は素早く周囲を見回し、いくつかある小屋の陰に駆けこむ。
遮蔽の魔法で姿を消しているとはいえ、自分では、見えないのだ。堂々と逃げ出す勇気はなかった。
小屋の陰から陰へ移って行くと後方から女が逃げたという怒鳴り声が聞こえる。
騒然とした騒ぎになった。
出来るだけ離れて比較的大きめな小屋の陰に入り込む。
心臓がバクバクいって緊張のあまり眩暈がした。
そのままそこに座り込む。
(こ・・・怖い。)
見つかったらと思うと生きた心地がしない。
(お、落ち着いて・・・ちょっと休憩)
無意識に手の中のモノをぎゅっと抱きしめて、それが一緒に逃げてきた青い生き物だと気づく。青い目は相変わらず美咲を見ており、美咲はその生き物をあらためて観察し首輪に目を止めた。
力封じの首輪と言っていた。じっくり見ると留め金が見える。簡単にはずれそうだった。
躊躇いなく美咲は留め金を外す。
何だかドン!という見えない衝撃を感じた。
「早く逃げて!」
美咲は手の中の生き物を放す。
青い生き物はびっくりしたようにバタバタと2〜3度羽ばたきをすると・・・唐突にヒュン!とその姿を消した。
首輪がカラコロと足元に落ちる。
(良かった。)
小さな魔獣が逃げられたことに美咲はホッと息を吐き、同時にまた言い知れぬ不安が襲ってくるのを感じた。
肩の上のポポを無意識に撫でる。
これ以上ないほどに毛布にすっぽり潜り込むイメージで動きを止める。
これで大丈夫。
見つからないはずだ。
一生懸命そう思おうとする。
ポポが心配そうに美咲の頬を舐めてきた。大丈夫よという思いを込めて柔らかい毛並を撫でてやると嬉しそうに尻尾を振る。
だが急に、その動きを止めて白い毛を逆立てた。
フーッと唸る。
「ポ、ポポ?」
「・・・見つけた。」
酷く面白そうな声が降ってきた。
「!ひっ!!」
悲鳴を上げそうになって大きな手に口を塞がれる。
「シッ!見つかりたいのか?」
後ろから抱きこまれて耳元に囁かれる。
ぞくっと体が震えた。
首をブンブンと振って否定すればようやく手がはずれて、恐る恐る美咲は後ろを振り返った。
「!!」
そこには、見事な朱色の髪があった。
同じ色の瞳が興味ぶかそうに美咲を見ている。
市場の奥で見た男だった。
状況からすれば美咲を捕えた男のはずだ。
慌てて逃げようとする。
美咲を抱きこんだ腕に力が入った。
「暴れるなよ。騒げば見つかるぞ。」
「見、見えるの?」
遮蔽の魔法は解いていないはずだ。何故わかるのかと聞けば、
「ああ。その程度の魔法、力のある者が見ようと思えば見つけられる。魂の輝きは綺麗に隠しているようだが、体を隠す魔法は見よう見まねだろう?」
言われてそのとおりなのでコクリと頷く。
見える人には見えるのかと思ってがっかりする。
それでは無事に逃げ果せる事ができない。
いや、もうすでに捕まってしまったのか。
「・・・助けてやろうか?」
そう思っていたから、その台詞にびっくりして相手を見る。
朱色の瞳が楽しそうに美咲を見ていた。
「え?」
「・・・俺は、良い稼ぎ口があるって言われてこいつらの仲間になったんだが、まさか人攫いだなんてヤバい奴らだと思ってもいなくてな、逆らうと面倒だから仕方なく言う事を聞いていたが、やっぱりどう考えたってヤバいだろう?・・・助けて逃がしてやるから俺を雇え。お前、魔法使いの連れがいたくらいだ良いトコのお嬢さんなんだろう?俺を雇って俺の身元保証人になってくれ。悪い話じゃないだろう?」
美咲は目を見開いて目の前の男を見詰めた。
最初の印象どおり端正な整った顔立ちで遊んでいそうな大学生に見える。
な、と言って笑いかけてきた顔はやっぱりステキだった。
「本当に助けてくれる?」
「大丈夫だ。俺にまかせておけ。」
美咲は迷ったが、背に腹はかえられないと申し出を受け入れる事にした。
男はニコリと笑った。
「俺は“バーミリオン”バーンって呼んでくれ。」
バーン、と美咲は口にする。
「私は、み・・・“オブシディアン”“シディ”と呼んで。」
自分の名前が相手に苦痛を与えることを思い出して、美咲は偽名を口にする。
「ふ〜ん。シディか。・・・それじゃ、シディ、しっかり着いて来い、俺から離れるなよ。」
そう言って男は飛び出した。
美咲たちの直ぐ後ろに気配を消して迫って来ていた誘拐犯たち2人をあっという間に倒す。
剣を抜いた様子も、剣を振るったところも見えなかった。
「!!ひっ!」
思わず美咲は息を飲んだ。
後ろにいただなんて少しも気づかなかった。
バーンがいなければ捕まっていただろう。
「こ・・・殺したの?」
「いや、気絶させただけだ。余計な恨みは買わないに限る。」
バーンの言葉にホッと安心する。
誘拐犯だろうと人が死んだりするのは嫌だった。
「・・・優しいんだな。」
バーンの言葉に首を振る。
自分が嫌なだけだ。優しいのではない。
バーンはこんな時にそんな事を思う自分を呆れているのだろうか?
「皮肉ってるの?」
「いや。純粋に感心した。・・・安心しろお前は俺が守ってやる。」
(うわっ!そのセリフは反則!)
こんな時なのに、顔がカァーッと熱くなる。
「ほら、早く来い!」
バーンは手招きして走り出す。
美咲は首を振って熱を振り払うと慌てて後を追った。
「女が逃げたぞ!」
「探せ!!」
周囲から怒鳴り声があがる。
美咲は必死に逃げ出した。
バーミリオンは強かった。
美咲は姿を消したまま、1人で歩いているように見えるバーミリオンの後ろについていくのだが、やはり見える人には見えるらしくすれ違う何人かは訝しそうに声をあげようとする。
その相手に対し、バーミリオンは素早く近づき声を上げられる前に確実に倒していく。
美咲などでは目で追うこともできない早さで倒すと、気絶した相手を物陰などに隠して何でもなかったように再び前に進む。
流れるような動きと技は見惚れるようだった。
「・・・すごい、キレイ。」
野生の獣を思わせる無駄の無い動きと、その動作に合わせて揺れる赤い髪に目が引き寄せられる。
「?・・・キレイ?俺のことか?」
思わず漏れた美咲の呟きに、訝しそうにバーミリオンは聞き返す。
「そう。すごく速くって、とても強いわ。とってもキレイな動きよね。」
純粋にそう思って褒めたのに何故かバーミリオンは嫌そうに顔を顰めた。
「はっ、人を痛めつける行為のどこが?」
どこか自嘲気味にバーミリオンはあざ笑う。
なんとか陣地の半ばまで逃げて来た時のことだった。
「・・・自分が強いのは嫌なの?」
美咲は驚いたように聞き返す。
今のセリフは自分の強さを嫌っているように聞こえる。
「・・・人殺しの技だ。」
バーミリオンは憮然と答えた。
美咲は目を瞬く。
「人殺し・・・」
呆然と呟いた。
目の前のバーミリオンを見る。
この人は一体どんな人なのだろう?と改めて疑問に思った。
良い稼ぎ口があるからと言われ誘拐団の仲間になったと言っていた。だとすればお金を稼ぐために雇われて働く用心棒といったところだろうか?良く言えば自由剣士。案外口の悪い母あたりならチンピラか破落戸よぉと言いそうだ。
(フリーター?・・・バイトってイメージじゃないわよね。)
きっと汚い仕事もやってきているのだろう。人だって殺してきているのかもしれない。ためらいの無い剣さばきは踏んだ場数とくぐり抜けてきた修羅場を物語っているのだろう。
そして自分のしてきた行為をバーミリオンは好きではないのだ。
美咲にはそう思える。
この世界のなんたるかをまだ知らない美咲には、バーミリオンのような生き方にどうこう言える立場ではない。
ただそんな美咲でもわかることもある。
・・・強い人間になるためにはそれだけの努力が必要だということだ。
魔力があっても一朝一夕には強い魔法使いにはなれない。剣技だって同じだろう。
才能があっても努力しなければ強くなれないに決まっている。
この人はどれだけ努力してここまでの強さを身につけたのだろう?
それなのに、強くなってこんなにキレイな動きをする人が、その自分の動きを嫌っているなんて酷く悲しいことだと思う。
美咲は考え込んだ。
動かなくなった美咲をバーミリオンは不審そうに見る。
やがて美咲は顔を上げた。
「ママは・・・私の母はねスポーツ観戦が趣味なの。」
突然話された内容にバーミリオンは目を瞬く。
「それこそスポーツと名のつくものなら球技や格闘技、個人競技も団体競技もどんなものでも、もの凄く楽しそうに見ているの。」
「・・・それが、どうした?」
「聞いてみたの。一体何が好きなの?って。・・・そしたらママは、その人たちの”努力”が好きだって。」
「?・・・”努力”。」
「うん。この場に立つまでのその人の”努力”が動きに現れるのだって。動きを見ればその人がどんなに頑張ってきたのかがわかるんだって。・・・私、バーンの動きが好きよ。」
「・・・好き?」
「キレイな流れるような動き。それがどんな目的でなんのために使われるものであったとしても、その動きとその裏の”努力”を嫌いになんかなれないわ。」
きっぱりと言われた言葉にバーミリオンは虚をつかれたようだった。
何度か朱色の瞳を瞬きさせて絞り出すように言葉を発した。
「・・・お前は変わっているな。」
どういう意味だと問いただそうとした時、大きなどよめきが起こった。
遠目だが、正面に“メラ”に乗って整然と並ぶ騎士たちが見える。
セルリアンの騎士団が現れて攻撃を仕掛けてきたのだ。




