事件 5
美咲は、自分の頬をペロペロと舐める暖かな舌の感触に目を覚ました。
「・・・ポポ。」
寝過ごしたのだろうか?何だか頭が重くてお腹のあたりが痛い。
体の下の感触が固かった。
ようやく、自分が固い木の床の上に寝ていた事に気づく。
「え?・・・な、んで?」
目の前は板壁で、見上げた天井が随分低い。
城の中の自分と母に与えられた部屋で無い事は間違いない。
薄暗い部屋は周囲の様子を教えてくれなかった。
「あ!気がついた?!」
突然女性の声がする。
声がした方に顔を向けて・・・
「えっ?!」
そこには、美咲のような少女から、母よりずっと年上の婦人まで5人の女の人がいた。
「大丈夫?なかなか目を覚まさないから心配したのよ。」
20代半ばくらいと思われる女性が美咲に話しかけてくる。
美咲は訳がわからなかった。
ポポをぎゅっと抱きしめて不安そうにその人を見返す。
「こ、此処は?」
「移動式の小屋の中よ・・・私たち、誘拐団に攫われたのよ。」
「!?えっ?」
思わず目を見開く。
「貴女は4刻ほど前に、気絶したまま運ばれてきたの。自分が何をしていたのか覚えている?」
言われて美咲は記憶を探る。
「私・・・市場で買い物をしていて。奥に小物のお店があるって言われて・・・」
「やっぱり・・・私たちもほとんど同じよ。市場で買い物をしていて、言葉巧みに人気の無い方に連れて行かれて捕まったの。」
悲しそうにその人は言う。
「ああ!どうなるのかしら、私たち!」
別の女性が嘆いた。
「嫌よ!私、もうすぐ結婚するのよ!ようやく1人の人に決めたのに!」
そう言うのは美咲と同じ年頃の少女だった。その年でもう結婚するのかと驚いて、そんな場合ではないと思い直す。
(誘拐・・・そんな!)
ほんの気晴らしに異世界探検に出ただけなのに、とんでもない事になってしまった。
顔が蒼ざめる。
脳裏に母と、決して城の外に出るなと言っていたアッシュ、生真面目そうなタンの姿が思い浮かぶ。
ふと思いつく。自分は1人ではなかったはずだ。
「!?エクリュ!エクリュは!?」
美咲を慕う可愛い姿が見えない。
彼はどうしたのだろう?
「誰かと一緒だったの?貴女は1人で運ばれてきたわよ。」
最初に美咲に話しかけてきた女性が教えてくれる。
そんな!と思う。
エクリュは大丈夫だろうか?
無事に逃げたのならよいが、捕まったとしたら・・・
最悪のケースを考えそうになって慌てて首を横に振る。ああ見えてエクリュも王に使える魔法使いなのだ。そんなに簡単にやられるはずがない・・・と思おうとする。
アッシュもタンも美咲が攫われたとわかれば一生懸命探してくれるはずだ。城には騎士団もいるのだ。きっと総力を挙げて捜索に当たってくれる。
(大丈夫・・・)
きっと助かると信じようとして・・・心配そうな母の顔が浮かんだ。
(・・・ママ、きっと心配している。)
美咲の母はのんびりしているように見えて、美咲の事に関してだけは結構心配性だ。
美咲が行き先を告げずに外出し、帰りが遅くなると必ずメールを寄越す。
少し・・・いや、かなりうざいと思うけれど、それだけ愛されているのだと思えばそうそう文句も言えない。
きっと今頃パニックを起こしているかもしれない。
(タンやアッシュを困らせているんじゃないかしら・・・)
そう思うと、いてもたってもいられなくなってしまった。
何とかできないかと周囲を見回す。
四角い小屋は出入り口が一つ、小さな窓が一か所の殺風景で狭い部屋だった。
家具も何もないが、部屋の隅に小さな檻があり、中に青い生き物が丸まっているのが見える。
「あれは?」
「魔獣らしいわ。見た事がない種族だけれど力封じの首輪をしているから捕まったのではないかしら?・・・貴女のそれはノルボでしょう?可愛いわよね。私も今度お父様に買ってもらうことになっていたのに・・・」
「?!・・・魔獣って売買されているの?」
驚いて美咲は言った。てっきりみんなポポやぴーちゃんのように召喚されて契約して一緒にいるのだと思っていたのに。
「それじゃ、魔法使いしか魔獣を持てないじゃない。普通の人はお金を出して手に入れるのよ。貴女のノルボだってそうでしょう?」
呆れたように言われてしまった。
魔獣と言っても力の弱いものはただの獣とそれほど変わらない。人間の魂の輝きを好む魔獣は召喚された魔法使いと契約を結ぶモノとは別に、物理的に捕まって人間の傍に居るモノも多いのだそうだ。むしろ数的にはそちらの方がずっと多い。そしてそんな魔獣は金銭で取引される。魔獣も酷い扱いをされない限りそれに不満はないそうだ。
ただ、中には違法だが無理矢理捕まえる場合もある。その時に使うのが力封じの首輪だ。珍しい種類の魔獣はそうして高額で取引されるのだそうだ。
「・・・そんな。酷い!」
「そうね。でも今は魔獣どころではないわ。私たち自身が攫われて売られてしまうのよ!」
ノルボを買いたいと言っていた女性の悲痛な嘆きに自分の立場を思い出す。
確かに魔獣に同情している場合ではなかった。
「な、何とか逃げ出せないの?」
その女性に聞いてみる。
だが絶望的な顔で首を横に振られてしまった。
「この出入り口の向こうに男が2人立っているの。時々中を確認するのだけれど外国人みたいで言葉が通じないのか何も喋らないのよ。」
(?言葉が通じない・・・)
と考えて、彼女たちが翻訳魔法を使えないのだとわかる。先ほどの話からしても彼女たちは魔法使いではないのだろう。そう言えば女性はそれほど強い力を持つことが無いと聞いたような気がする。
そして翻訳魔法から遮蔽魔法を思い出して・・・それを習った時の母を思い出した。
確か、毛布を頭から被ったイメージを使って姿をすっかり消したのだ!
(私にもできる?!)
「お願い!ちょっと私を見ていてください!」
近くの女性に頼んでから遮蔽の魔法を強くする。
母の言っていたとおり頭からすっぽり毛布を被るイメージを頭に描く。
「!?えっ!・・・ちょっと!どこ!どこへ消えたの!」
(やった!)
成功したようだ。
毛布をストンと落とす。
「きゃっ!」
突然現れた美咲に他の女性たちが驚いた。
「?!・・・貴女魔法使い?じゃあ、一緒にいるのは契約した魔獣なの?」
「確かにポポは私と契約した魔獣ですけど、私は魔法使いではありません。ただ、少し魔法が使えるだけです。でも、これで逃げ出してみます。逃げて助けを連れて来ます!」
女性たちの顔が希望にパッと明るくなる。
「でも・・・大丈夫?見つかったら。」
一番年上の女性が心配そうに言ってくる。
「そうしたらまた捕まるだけで今と変わりありません。だったらやるだけやってみます。」
「そう。・・・そうね。気をつけてね。」
「はい!」
美咲はもう一度姿を消す。
ポポも一緒に美咲の肩に乗った。
「見えませんか?」
「え、ええ。わかっていても不思議だわ。」
その言葉に力づけられる。
ふと思いついて、部屋の隅の小さな檻に近づいた。
中の青い生き物が静かに美咲を見る。遮蔽の魔法をかけていてもこの生き物には見えるようだ。檻のカギは棒をスライドさせるだけの人間には簡単に開けられるものだった。
檻を開けて中の生き物に手を伸ばす。
少し抵抗するような様子を見せたが、大丈夫よと言うと大人しくなり案外素直に抱き上げられた。
綺麗な海のような青色の生き物は、大きさは随分小さいが竜に似た形をしていた。
「一緒に逃げよう。」
美咲の言葉に青い瞳が瞬きする。
美咲が見えない女性たちは、突如檻が勝手に開き、出されたと思った生き物がフッと消えてびっくりする。
その反応にちょっと笑いながら美咲はしっかり言った。
「外の人達を呼んでください。」
「気をつけてね。」
もう一度そう言うと、女性は覚悟したように口をキッと引き結び、ドンドンと出入り口を叩いた。
「たいへんよ!!開けて!開けて!!」
やがてドアが開き外から男が覗き込む。
「何だ?うるさい。」
翻訳魔法を使っている美咲にはやはり言葉がわかる。
「いないのよ!一人いなくなったの!わかる!!」
言葉のわからない女性たちが口々に叫ぶ。
男は胡乱そうに部屋の中を見・・・驚きに顔を強張らせた。
慌てて女性たちの数を数えはじめる。
「どうした?」
もう1人が中を覗いた。
「1人足りない!!」
「!?なんだと!!」
2人が部屋に入ってくる。
隅の檻には気がついていないようだ。
美咲は開け放したままの出入り口に駆け寄り、ドアからそっと外へ滑り出た。




