レースをしよう
ソーヤとコレットの生活は始まった。
コレットとの暮らしは、当初思っていたほど、問題のあるものではなかった。
あれ以来、追手が来たことはないので、危険な目にもあっていない。
コレットは家事もしてくれるし、最近では美味しい物を食べたいという理由から覚え始めた料理も、日に日に上達し、今では一日の楽しみになるほどだ。
ソーヤの暮らしは悪くなるどころか、むしろ、コレットのおかげで、向上したとも言える。
ただ、問題なのは、ソーヤが出かけると、必ずといって良いほど、コレットが付いて来ることだ。だから、周囲の人間は、そんなコレットのことをソーヤの恋人として扱い始めた。
「今日も仲良いな」
ジェットボードの練習を、ライドランドでしていると、シュウが声をかけて来た。
「違うよ先輩。コレットはただのストーカー。仲が良いわけじゃない」
「あらあら、酷いわね。せめて、金魚の糞とでも呼んで欲しいわ」
「……それは良いのか?」
皮肉で言ったのだが、自虐的に返されたので思わず聞き返してしまった。
「付いて来ることを嫌がられているストーカーよりは、マシじゃないかしら?」
コレットは首を傾げながら答える。
「まぁ、犯罪者よりはマシな表現かもしれないけど、あまり良い表現じゃないな。恋人だって言い張ってれば良いと思うぞ、コレット」
シュウがそんなことを言ってくる。
「では、コホン。……恋人だもの。仲良くて当然じゃない。……ポッ」
咳払いをしたのち、頬を染め、恥じらうように言うコレット。無駄な演技が上手くなったものだ。わざとらしいことこの上ない。
「やっぱりな」
「やっぱりな、じゃないよ」
ソーヤは頭痛がして来そうで、思わず頭を押さえて呻いてしまう。
そんな姿をシュウは不思議そうに見てくる。
「お前は、何でコレットとのことをそんなに否定しているんだ? 綺麗だから良いじゃないか。……嫌いなのか?」
「嫌う? 別に嫌っているわけではないけど」
嫌いなら、コレットのことをとっくに家から追いだしている。
一緒に暮らして一ヶ月くらいは経っているが、あまり嫌な気分になったことも少ない。嫌なのは、恋愛関係としてからかわれることくらいだけで、むしろ、一緒に居るのが楽しいとすら思えている自分も感じたりする。
なら、何故必死に否定するのか?
コレットが興味深そうにこちらを見て来ていた。
ソーヤも少し考えてみる。
コレットは決して嫌いではない。むしろ好きだと思う。しかし、これは恋愛感情なのだろうか?
「う~ん。恋人って言うより、家族って感じに見ているからかな?」
そう、コレットは家族なのだ。ソーヤにとって母親が大切なように、コレットもまた同じ様に大切になった。
それは一緒に住まうことになったからだ。そこに恋愛感情などないはずだ。
「……家族。では、私がお姉ちゃんかしら?」
「いや、むしろ妹だろう」
「えぇ?」
訳がわからないと言った感じで驚くコレット。
「いやいや、確かに見た目は年上かもしれないけど、コレットの方が子供っぽい反応が多いんだよ」
「いつまでも子供の心は忘れない。それが私のスタンスなのよ」
コレットは力一杯、胸を張って答える。
「はいはい、わかったよ。コレットお姉ちゃん」
ソーヤは呆れ、皮肉を込めて答える。
「わかればよろしい」
納得したように頷き、頭を撫でて来るコレット。
「いや、今のは、完全に馬鹿にされていただろう」
シュウは二人のやり取りに苦笑する。
「ああ、そう言えばソーヤに言っておくことがあったんだ」
シュウは思い出したように言ってくる。
「何ですか?」
「今度、レースをするんだ。ジェットボードのな。お前も上手くなってきたし、レースに出ないか?」
シュウの言葉にソーヤは驚いて絶句する。
「――マ、マジかい。出る。絶対出る。出さないって言ったら、先輩を殴り殺して、先輩の代わりに出る」
「物騒だな、おい」
シュウは苦笑しながら、携帯端末を弄くる。
「俺を誘うってことは、ライドライドなんだよね」
「ああ」
ジェットボードのレースには、トリックトリックとライドライドがある。
トリックトリックは、決められた区間内で、パフォーマンスを魅せることで評価を競うレースだ。
どれだけ速く区間内を走りながら、パフォーマンスを見せるかが鍵となる。
遅ければそれだけ減点され、早過ぎればそれだけパフォーマンスを見せられない。綿密な計画を必要とするレースだ。
ジェットボードは一人でも、パフォーマンスとして成り立つが、どうしたって複数の人間でしたパフォーマンスの方が、迫力があり凄い技を見せられるだろう。だから、トリックトリックを個人でやることはほとんどない。つまり、一人であるソーヤには向かないレースなのだ。
それに比べ、ライドライドは純粋なレースだ。誰よりも速く、目的地まで行くだけのレース。確かに仲間がいれば楽かもしれないが、仲間が必ずしもいなくてはいけないというわけではない。
「じゃあ、お前の参加登録をしておいたから、後で、詳しいメールをお前に送っておく。それと、トウジも誘っておいてくれ」
「トウジを?」
「ああ、お前、仲良いだろ?」
シュウの言葉に、ソーヤは首を傾げる。
「あれは仲良いと言うのかね?」
ソーヤ自身からは良く話しかけはするが、トウジにとって興味のない話題だと、軽く無視される。まぁ、慣れ合う気はないのだろうけれど、果たしてそれは、仲良いと言えるのだろうか?
「仲良いだろう。あいつが人とまともに話すのは、お前ぐらいだぞ」
「そうね。私ともあんまり話してくれないし」
シュウの言葉に、コレットも同意する。
そうか。それなりに気に入られてはいるんだなと、ソーヤは少し嬉しくなった。
折角のライバルなのだから、いがみ合うより、認め合う関係でありたいとソーヤは思う。
「じゃあ、わかったよ。トウジには俺が伝えておく」
「おう、頼んだ。あれだけの実力者だからな。俺達の試合にも張りが出るってものさ」
シュウもトウジの実力を認めているのだろう。トウジが出ることを想像して、シュウは嬉しそうな顔をする。
しかし、そんなシュウを見て、ソーヤは眉根を寄せる。
「張りねぇ~。……勝つ気はないの?」
相手が自分に勝てないと最初から決めてかかっている奴だった場合、そいつとレースするのはつまらない。そう言う奴は無茶をしないし、元々競おうともしないのだ。
そんなのレースをする意味がない。参加するだけで意味があるなんて、ソーヤは思っていない。
勝てないと思われているのはソーヤではないけれど、トウジだって同じ思いのはずだ。気分が良いわけない。
ソーヤの言わんとしたことが通じたのか、シュウは不敵な笑みを浮かべる。
「舐めんなっつの。もちろん、勝つ自信はあるさ。奴がどんなに強かろうが、所詮個人でしかない。俺達のチームにかかればイチコロよ」
自信を持って言うシュウに、ソーヤも嬉しくなる。
「はは、良いね。じゃあ、俺がまとめてぶっ潰してやんよ」
「出来るもんなら、やって見やがれ」
二人は軽口をたたき合いながら、楽しげに笑う。
「良いわね。男達は楽しそうで」
その光景をコレットはつまらなそうに、欠伸交じりに見ている。
コレットは、レースは何となくは楽しそうだと思ってはくれているかもしれないが、それでも、直接関わってはいないので、仲間外れのような気分になるのだろう。
「なら、コレットは賭けでもしないか?」
コレットの呟きを聞いたソーヤはそんな提案をしてみる。
「賭け?」
コレットが首を傾げると、シュウが頷く。
「そうだ。レースには賭けが付き物だ。誰がレースで優勝するかを予測して、それを当てれば、金が入る。まぁ、人気のある奴は倍率が低いけどな」
「ふ~ん。でも、それって、チームと仲良い人には有利じゃないかしら?」
コレットが眉を寄せる。
「まぁ、実力が見れるからな。でも、レースの勝敗は実力だけが全てじゃないぞ」
シュウの説明に、コレットは曖昧に頷く。
「うん、まぁ、それもそうなんだけど、チームとかなら、他のチームへの妨害役がいるじゃない。仲が良ければ、誰が妨害役か教えてもらえるわ。それはずるくない?」
そう、チームの戦いには妨害役がいる。ライダー達はブロッカーと呼んでいるのだが、ブロッカーは他の仲間へのアシスト役だ。だから、ブロッカー自身が優勝することはまずない。賭ける者にとってブロッカーがわかれば、他の者より、優勝者を当てる可能性が高まることだろう。
「なるほど、そのことか。それは大丈夫だ。優勝はチームさえ当てればいい」
「そうなんだ。じゃあ、私はトウジに賭けよう」
「えっ? そこは俺じゃないのか?」
シュウとコレットのやり取りを聞いていたソーヤは、驚いたような声を上げる。
「いや、むしろチームのことを聞いてたんだから、俺らかとも思ったよ」
シュウも肩を竦めて答える。
そんな二人をコレットは鼻で笑う。
「女はね。お金に関してはシビアに考えるものなのよ。チームでもないし、たいした腕のないソーヤ少年はまず除外」
「酷っ」
コレットの冷徹な判断に、ソーヤはショックを受ける。
「そして、チームの場合は他にも賭ける人が多いだろうから、倍率が下がるわ。なら、個人で出場して、更に実力がトップクラスのトウジを選ぶのは当然でしょ」
自信有り気にニヤリと笑うコレット。
「もう少し、情が欲しい」
ソーヤは現実を逃避するように遠くを見る。
ライドランドの中を少し探すと、トウジはいつも通りの場所に居たので、すぐに見つかった。
「やあ、トウジ」
ソーヤが声をかけるが、練習中のトウジはチラリとこちらを見た後、無視して練習を続ける。
「やっぱり凄いわね。トウジの走りは」
コレットが、トウジの走りを見て感心するので、ソーヤも頷く。
「そうなんだよな。技のつなぎが自然で、無理をしていないんだ。いつでも、どんな状況でも技を繰り出せそうな感じがする」
「そうね。体の動きだけでなく、ジェットボードの魔素の流れまで自然だもの。ソーヤ少年とでは、天と地もの差があるわ」
コレットは、トウジの走りを魔素という面からも見ているようだ。ソーヤには魔素の流れが見えないので、その面に関しては首を捻らざるをえない。
というか、トウジとの実力差は理解しているつもりだけれど、はっきり比べられると、あまり気分が良くない。
それでも、ソーヤはその気持ちを飲み込んで、コレットに尋ねる。
「……俺はそんなにぎこちないか?」
「ふふ、ぎこちないわね。今、ソーヤのできている技だって、私の目から見たら、ほとんど魔力によって無理矢理行っている感じよ。だから、トウジよりソーヤの方が、ジェットボードに無茶をさせているようなものよ」
「……そうなんだ」
「ええ、そうよ。同じ技でも、ソーヤはトウジの二倍近くの魔力を使っているもの。ジェットボードの軌道を修正する為に」
「へぇ~」
ソーヤは感心すると共に、納得してしまう。
トウジの真似をして走る練習を今でも良くするが、必ずと言って良いほどソーヤの方が、立ち上がりの速度が圧倒的に遅い。トウジのジェットボードの性能が自分より遥かに上なのではないかとも考えていたが、自分のジェットボードは最新モデルだ。そこまで差があるものだろうかと、不思議に思っていた。
しかし、コレットの言葉で理解できた。
普通に自分の魔素の使用に無駄があるのだ。だから、立ち上がりに使うだけの魔素がもたないのだろう。
「ふむ。そこら辺を改善しなくてはいけないということだな」
これからは、使用する魔素量を抑えて、技を行う練習をして行こうとソーヤは考える。
考え込んでいたら、コレットが背中をトンと押す。
「トウジも休憩するみたいよ。レースの話をして来なさいな」
見ると、コレットの言う通り、トウジは休憩し始めている。いくら、トウジとはそれなりに話せる中になったとは言え、まともに話してくれるのは休憩中だけなのだ。練習中は、稀にしか話しかけて来ない。
「なぁ、トウジ。先輩達が今度レースやるんだけど、お前も出ないか?」
ソーヤはトウジに近付いて話しかける。
「レース?」
トウジにとっても興味深かったのだろう。しっかりと反応してくれる。
「おうよ。ジェットボードのレースさ。俺も初めて出るんだよ。ワクワクが止まんねって感じさね」
「それに俺も出ろってことか。……しかし、レベルが低くてつまらなそうだ」
中々、口の悪いことを言ってくる。
トウジの実力なら、そう感じても仕方ないかもしれないけれど、それで引っ込むわけにはいかない。今はまともにやったら勝てないことはわかっているけれど、トウジとレースをしたいと言う気持ちは、ソーヤの中にだって強くある。
だからソーヤは挑発的な視線を送る。
「でも、先輩達はチームを組んで、トウジ対策を練っているって話だよ。いくらトウジが強くとも、チームには勝てないだろうってさ」
「……つまり、お前もそのチームってことか?」
トウジは更につまらなそうな顔をする。
失望されたのかもしれない。結局、自分の力で勝とうとせずに、仲間の力を借りることに。しかし、勝手に勘違いして失望してもらいたくはない。
「別に俺は、先輩のチームに入ってない。今回は個人だ。俺の作戦は、先輩のチームとトウジが潰し合っているところを、漁夫の利的に優勝を掻っ攫う。それが俺の作戦さ」
トウジは吹き出すように笑いだす。
「はは、お前は面白いな。俺の想像とは違うところに行く。正直、人の力に頼るところは気に入らないが、それでも、お前の誰にでも勝つって姿勢は気に入っているよ」
「じゃあ、出るのか?」
「ああ、出てやるさ。そして、ソーヤの先輩だろうと、ソーヤ自身だろうと、全員ぶっちぎってやる」
トウジはニヤリと今までの冷静な表情とは違った、肉食獣が浮かべるような凶暴な笑みを浮かべる。
その笑みに、ソーヤは背中がゾクリとする感覚を味わう。
それは恐怖だろうか? それとも武者震いだろうか?
どちらかは良くわからなかったが、それでも、楽しみだとソーヤは思う。
トウジとは、レースの詳細を後で伝える為に、携帯端末の連絡先を交換し合った後、ソーヤは練習に打ち込み始める。
今までよりも、集中して。
「最近、特に頑張っているわね」
数日が経ち、コレットが感心したように言う。
「まぁね。目標もできたし、何より二人に勝ってやるとは言ったものの、実際、今の自分の腕じゃ、勝つのはかなり難しい」
「そうね」
コレットはあっさり同意したので、ソーヤは苦笑してしまう。
もう少し、気を遣った発言をしても良いではないかと思うけれど、コレットがあまりそう言ったオブラートに包むような人ではないのも知っている。
だからこそ、ソーヤもコレットには本音で話せるんだとも思う。
「これでも結構上手くなったぞ。多分、先輩とならまともにやっても良い勝負はできると思うんだ」
ソーヤは肩を竦めながら言う。
「あら、そうかしら? シュウの走りも見たけど、ソーヤ少年より上手いわよ。けど、ソーヤほど無茶をするタイプじゃないわね。だから、勝機はその部分」
「……そうか。まぁ、無茶しないで勝てるなら、その方が良いんだけどな」
自分の実力の低さを痛感する。つまりは、無茶をしなければ、先輩にも勝てない程に弱いということだ。そして、トウジには、無茶をしても勝てない。
「さてと――あれ?」
ソーヤは練習を再開しようとするが、ジェットボードが全然動かない。ジェットボードが壊れたかと、ソーヤは焦る。
しかし、壊れたと言うよりも、自分の送っている魔力が、ジェットボードに届かず、空回りしているような感覚だ。いつも、ジェットボードと接続すると感じる繋がりを感じない。
「コレットが何かしているのか?」
「まぁね」
コレットはあっさり頷く。コレットに魔力の干渉をされるというのは、こういう感覚なんだと、ソーヤは思うけれど、何で干渉されたのかがわからない。
「何で邪魔するんだ?」
ソーヤは眉を寄せて尋ねる。
「練習し過ぎ。レースやる前に、体壊すわよ」
どうやら、心配されたようだ。
ソーヤは自分の体の状態を確かめる。体中は転んだりして痣だらけ、ずっと練習していたので疲れも溜まっている。動こうと思えばいくらでも動けるとは自分では思うのだが、確かにやり過ぎなのかもしれないと考え直す。
コレットの言う通り、レースの前に体を壊したら、元も子もないだろう。
「そうだな。今日は練習を止めて帰るか」
「それが良いわ」
ソーヤの言葉に、コレットは頷くとジェットボードは普通に動き始める。
コレットの能力を思い知る。頭ではわかっていたが、実際に受けるとなると魔素の操作の凄さと、怖さが本当にわかる。
そう、怖いのだ。
今まで自分の思い通りに動かせた物が動かせなくなる喪失感。それが思い通りにならない。その感覚を例えるなら、今まで普通に歩けたのが、急に歩けなくなったような感覚にも似ているだろう。
そんなことが出来る相手が、目の前にいる。それは怖いことだ。
「誰が練習を止めるかい」
ソーヤはそう言ってジェットボードで走り始める。そして、次の瞬間、ジェットボードの動きがまた止まる。
「はいはい、馬鹿やってないで帰るわよ」
まるで子供に言い聞かせるようにコレットはそう言って、ソーヤの腕をずるずると引っ張っていく。
別にソーヤ自体、これ以上練習する気はなかったのだが、わざとふざけて、コレットの能力を怖いと思ったことを振り払いたかったのだ。
いつもの練習から帰る途中、コレットとともにショッピングモールに寄り、夕食の食材を買い込む。
「買い込み過ぎじゃないか?」
ソーヤは買い込んだ食材が入った袋を重たげに持ってぼやく。
ジェットボードに乗っているからという理由で、荷物をすべて持たされた身としては、多過ぎる荷物にうんざりしてしまう。
「安売りしてたから、買い溜めをしたのよ。その方がお金の節約になるでしょう? というか、ソーヤ少年もママさんも、お金の節約とか、あんまり考えないわよね」
コレットは呆れたように言う。
「ん~、別に俺も母さんも、そこまで金の必要な暮らしをしているわけでもないしね。ジェットボードが欲しかった前ならまだしも、今は金をケチる必要なんてないし」
ソーヤにとってもシキにとっても、普通に生活するだけのお金があれば良いと言うのが本音だ。ソーヤとしては、ジェットボードを手に入れた今、他にお金をかける趣味は特にない。シキに至っては、仕事が趣味なのではないかと思っている。
そして、シキは高級取りでもあるし、ソーヤの父親も単身赴任先の都市で、普通に働いている、なので、ソーヤの生活は金銭面で困るどころか、むしろ、普通の家庭より裕福だと言える。
「これだから、お金持ちは困る。いつお金が必要になるかわからないんだから、いざという時の為に、お金は溜めとくべきなのよ」
コレットがため息を吐きながら言う。
「いやいや、お金を使った生活に縁遠そうなコレットに言われるとは」
「え?」
ソーヤの言葉に、コレットは少し驚いて、不思議そうに首を傾げる。
「いやだって、コレットは病院だか施設だかに籠ってたんでしょ? お金を使った生活とかは、ここに来てからが初めてなんじゃないのか?」
ソーヤのイメージでは、コレットの居たところは、非人道的な研究所的な施設だと考えている。そこで、金銭面を学んだとはあまり考えられない。
しかし、コレットは不満そうな顔をする。
「お金は使ってたわよ。毎日食べていた食事だってタダじゃないもの」
コレットの言葉に我が耳を疑う。
毎回食べていたって、パンとスープ、それに栄養剤だとコレットは言っていたはずだ。そんなものは、普通に支給されていると思っていたのだが、どうやら違うようだ。
コレットは生きる為の質素過ぎる食事を、支給されていたのではなく、買っていたと言うのか。
「じゃあ、お金はどうやって手に入れていたんだ?」
「え? そんなのは、研きゅ――じゃなく、お医者さんの言うことを――でもなく、親に支給して貰っていたのよ」
……なんてわかり易い嘘だろう。
今、考えた感バリバリだ。しかも、親にお小遣いとして貰っていたのではなく、支給して貰っていたという時点で、普通におかしい。コレットは正直なのではなく、嘘が普通に下手なだけなのかもしれない。
コレットの漏れ出た事実から推測するに、おそらくコレットは何かの実験をさせられていて、それを果たしたら、成功の報酬としてか、協力したお礼かは知らないが、お金を貰っていたのだ。そしてもし、言う通りに果たさなかったら、お金を渡さず、食事を買えない状況に追い込むのだ。
人に言うことを聞かせるには、何がしかの相手が求める対価があった方が、効率が良い。だから、研究者達は、お金と言う報酬を渡すことで、研究対象が、自主的に言うことを聞いてくれる状況を創り出そうとしたのだろう。
そう理解できてしまって、ソーヤは吐き気がするほど胸糞悪い気分になる。
食べるのが好きなコレットからしてみれば、もっと好き放題食べたかったことだろう。しかし、いつも少ししかお金が貰えず、常に我慢している不憫な姿が目に浮かぶ。
どうして、コレットはそんな目に合わなくてはいけないんだ。
顔も知らない研究者だけれど、人を殺したいほどムカつくと思ったのは初めてだ。
「どうかしたのかしら? 眉間に皺なんか寄せちゃって」
コレットがソーヤの眉間を突いて来る。
「何でも無い」
鬱陶しそうにソーヤはそれを払いながらも、気持ちを切り替えることにする。
確かにコレットの境遇を思うと、それを無理強いした相手が腹立たしく感じるものの、それでも、コレットは今、目の前にいる。
昔のことに拘るのではなく、今を楽しめれば良いではないか。どんなに願ったところで過去は変われない。しかし、未来は決まってはいないのだから。
そう考えていると、コレットが立ち止まっていることに気付く。
「どうしたよ」
尋ねるが、コレットは一点をジッと見つめて答えないので、ソーヤもコレットの視線の先を見る。
特に他とたいして変わらない公園があるだけで、そこで子供と言うには少し大きめの、ソーヤと同い年くらいの少年達が、馬鹿みたいに笑っている。
何をしているんだろうか?
いつもだったら気にも留めないけれど、コレットが何に興味を持ったのかが気になる。
少年達は、何かを投げつけては笑っている。では、何に投げているのだろうか?
視線を転じると、そこには清掃用のゴーレムが、投げつけられても文句も言わずに、投げつけられた物を拾っている。
最低だな。
ソーヤは眉根を寄せる。だが、偶にあることだ。ああ言った、モラルのない人間がゴーレムを傷付ける対象にして、馬鹿騒ぎを行う。
そして、ゴーレムは何をされても文句は言わない。当たり前だ。ゴーレムに意志はないのだから。
嫌なものを見たという気分になり、ソーヤはコレットの方へと視線を戻す。
――あれ?
そこにはコレットはいなかった。
慌てて周囲を見回すと、コレットは公園の中に入ろうとしているのが見てとれる。
「……何をしてんのさ」
ソーヤは顔を顰めて追いかける。
正直、ああ言ったモラルの低い連中と関わると、余計なことにしかならない。
彼らのような人間の多くは自分の愚かさを理解していないし、自らのしていることを恥もしないので、反省をしない。それだけでなく、あろうことか自分達の勝手な理論で正当性を訴えてきたりすらする者もいる。
今、公園にいる馬鹿どもが、そんな手合いでないことをソーヤは祈るばかりだ。というかその前に、コレットの目的が奴らでないことを先に祈るべきかもしれない。
「止めなさい。あなた達」
先に祈らなかったのがいけなかったのか、やはりと言うべきか、コレットは少年達とゴーレムの間に入って、少年達を睨みつける。
「何だ、お前?」
少年達はいきなりの乱入者に戸惑ったように目配せし合い、一人が訝しげに尋ねて来る。おそらく、その少年が、このグループのリーダーなのだろうと、ソーヤは目星を付ける。
「私はコレットよ」
律儀に答えるコレットに、ソーヤは呆れてしまう。
「それより、このゴーレムを傷付けるのは止めなさい」
「何だよ。別に俺らが何したって俺らの勝手だろう? なぁ?」
仲間達に同意を求めるように少年が尋ねると、仲間の少年達はゲラゲラと笑いながら、全くだと口々に同意する。
「あなた達が何をしようと勝手だし、興味無いわ。けれど、ゴーレムは関係ないわ」
「あん? ゴーレムなんて、俺達人間様の役に立ってこその存在だろう? 別に何したって良いじゃないか」
「ふざけないで。ゴーレムが可哀そうじゃない」
コレットの言葉に、少年達は驚いたように目を丸くして、一拍おいて笑いだす。
ソーヤも残念ながら、少年達と同じ側だ。さすがに少年達のように笑いだしはしなかったけれど。
ゴーレムに意志はない。
そんなことは誰でも知っている。そう、誰だってだ。例え、コレットが世間とズレていたとしても知らないはずがない。
それなのにコレットはゴーレムが可哀そうだと言うのだ。少年達が笑いだすのも無理はないとも思う。
納得できても、コレットが馬鹿にされている光景を見るのは腹立たしく感じるけれど。
「くくっ、ゴーレムが可哀そうね。そりゃいい」
少年のリーダーは笑いをかみ殺し、コレットを値踏みするように見る。
「コレットって言ったっけ? 俺らは別に暇さえ潰れれば良いんだ。ゴーレムにちょっかいを出していたのも、ただの暇潰しだ。つまり、あんたが俺らを楽しませれば良いのさ」
周りの少年達がニヤニヤと笑う。
ああ、やっぱり嫌な流れになったと、ソーヤは頭を抱えたくなる。
このままいけば、争いになることは確実だ。ここはコレットを抱えてジェットボードで、全力で逃げるべきかと、ソーヤは考える。その場合は、折角買った食材を置いて行くことになるけれど、それは仕方ない。
しかし、ソーヤが行動に出るより先に、コレットが先に口を開く。
「良いわ。遊んであげる」
コレットが妖艶ともとれる笑みを浮かべて言う。
ソーヤは予想外の発言に、絶句し、動くを止めてしまう。
「へへ、話がわかるじゃねぇか」
少年達が答えて、下卑た笑みを浮かべ、無防備にも近付いて行った少年の一人が、二メートルほど吹っ飛ばされていた。
誰もが訳がわからず目を丸くする。
「ほら、次は誰かしら?」
コレットが構えながら尋ねる。
「何しやがるんだ。てめぇ」
少年達の一人が、コレットに仲間をやられたのだと理解すると、怒鳴って殴りかかって来た。
コレットはそれを冷静に捌いて、蹴りを相手の腹部に放って、先程の少年と同じように吹っ飛ばす。
「マジかい」
普通に自分より強いかもしれないと、コレットの意外なまでの強さに驚いてしまう。
少年達はさすがに警戒したようだ。
警戒されたら、どんなに強かろうと、多勢に無勢。相手はまだ、六人いる。勝てるわけがない。
ソーヤはため息を吐く。普通に戦えば勝てない。しかし、それも自分が手を貸せば話は違う。コレットもそれがわかっていて、こちらをチラリと見て来る。
ソーヤは買い物袋を置き、ジェットボードの魔導エンジンを活性化させる。
「えっと、どこの誰とも知らない人達。これ以上やるのなら、骨の一つや二つ、折れる覚悟はしてね」
「何だよ、てめぇは」
少年達のリーダーは、睨みつけて来る。
「コレットの保護者だ」
「保護者は私」
「あいあい」
文句を言って来るコレットに、ソーヤは苦笑する。
「ふざけてんじゃねぇ」
実の所、運動神経の高く、探偵見習いとして荒事を経験してきたソーヤは、喧嘩もそれなりに強い。
少年達が殴りかかって来る。しかし、その動きは遅く感じる。人の動きに反応できないで、ジェットボードなどやってはいられない。コレットを守らなくて良いとわかった今、ソーヤはジェットボードを走らせる。
少年達はジェットボードの動きに戸惑うが、ソーヤは気にせず、ジェットボードで足を払い、踏み倒し、轢いて行く。
気付いた時には死屍累々、とは言わないが、痛みに呻きながら地面に倒れ伏す少年達。
さすがにやり過ぎたかもと、ソーヤは苦笑する。というよりも、自分よりコレットの方がやり過ぎだ。
「何、やっちゃってんのさ」
「何って、遊んだのよ。私は得意なのよ、格闘技」
コレットは軽く肩を竦めて答える。
正直恐ろしい。
遊びが格闘技って、下手に、コレットと遊ぼうとするのは止めようと、ソーヤは心に決める。
「さて、久しぶりに体を思いっきり動かしてすっきりしたことだし、帰りましょうか」
「……ああ、そうだね」
ソーヤは頷き、先程、少年達にゴミを投げつけられていたゴーレムの方を見るが、既にゴーレムは居なくなっている。
作業をどこかで続けているのだろう。
ゴーレムには意志がない。決められたプログラムをただ実行するのみだ。
例え、目の前で自分自身の性で起こったいざこざがあったところで、ゴーレム自身には関係なく、興味もなく、ただ決められたことを実行する。
何故、コレットはそんな存在に同情するのだろうか?
「コレットはゴーレムが好きだったりするのかな?」
先を歩くコレットの背中に声をかけるが、コレットは歩みを止めない。
話したくない内容なのかもしれないと、それ以上聞かず、コレットの後ろを付いて行く。
何故だか、コレットに話しかけ難い雰囲気になり、ソーヤはそれ以上話しかけることも出来ず、黙々と帰宅の路を進める。
家の手前で突然コレットは立ち止まる。
「……好きではないわ」
コレットがそう言って振り向いて来る。
最初、ソーヤは何のことかわからなかったが、先程聞いたことだと、すぐに思い当たる。
「そうなのか?」
「ええ、人間の命令に唯々諾々と従うゴーレムを見ていると、苛立ちを感じるわ」
コレットは不機嫌そうに顔を顰める。
「なら、何でゴーレムを助けようとしたんだ?」
ソーヤは不思議でならなった。ソーヤもゴーレムが嫌いだ。ならば、関わり合いたくないと、普通は思うはずだ。
ソーヤの家庭は裕福だ。普通に少し裕福な家庭なら、雑用をさせる為にゴーレムを家で持っていたりもする。シキも例に漏れずゴーレムを買おうとしたが、ソーヤは盛大に反対したものだ。それなのに、コレットはゴーレムを救うために、自分から関わったのだ。ソーヤならば絶対にやらないだろう。
しかし、コレットは何でも無いことのように肩を竦める。
「私がゴーレムの立場だったら、あんなことされたら嫌だもの」
「……いや、まぁ、そうだけど」
確かに自分がゴーレムだとしたら、あんなことはされたくない。と言うか、意志のあるソーヤからしてみれば、あんなことされたら、万死に値すると言わんばかりに逆襲したことだろう。
コレットはゴーレムに対して、自分だったら嫌だなと、同情したのだ。つまり、コレットはゴーレムと自分は対等な存在だと考えていると言うこと。
ソーヤだって、他の人と比べれば変わった考えを持っている。
ゴーレムのような魔法生物を、他の人々は道具として扱っているが、ソーヤには道具として見ることができないのだ。
つまりソーヤも、コレットと同じように魔法生物を対等な存在として見ているのだ。
しかし、それはコレットと正反対の考え方だ。
コレットは魔法生物を自分と同じような存在として考えている。だからこそコレットは、人の命令をただ聞くだけのゴーレムに苛立つ。逆にソーヤは、魔法生物を全く理解できない存在として嫌悪している。
同じ方向を向いているようでいて、考え方が根本から違う。
どうして、そんな風に考えられるのだろうか?
それは……。
「ソーヤ少年はさ。大切な人しか守らないでしょ?」
ソーヤが尋ねる前に、コレットが機先を制して話しだす。
「ん? まぁ、……そうだけど。ていうか、何故それを?」
「ふふ、一緒に住んでればわかるわよ。ソーヤ少年がどんな考えを持っているかくらいね。そして、私を守ってくれるってことは、私を大切に思ってくれていることもね」
「……っ」
何か言うとして押し黙ってしまうソーヤに、コレットはクスクスと笑う。
ソーヤは恥ずかしさに顔が赤くなるのを実感する。
笑い終わると、コレットは真剣に見詰めて来る。
「私はね。なんだかんだ言いながら、優しいソーヤ少年が好きなのよ」
思いがけず、真剣なコレットの口調にソーヤは戸惑う。
「私はあなたに嫌われたくないの。だから、……これ以上は聞かないで欲しい」
コレットが危惧する、ソーヤに嫌われそうな理由。
……もしかして、コレットは魔法生物なのか?
聞いてはいけないのだ。聞いて欲しくないのだ。
そして、ソーヤだって知りたくない。
コレットが言いたくないと言うのなら、それを無理矢理聞き出すつもりはないと、自分に言い聞かせる。
ソーヤ自身、コレットには嫌われたくないし、嫌いたくも無い。
「わかった、聞かないよ。というか、俺はコレットが追われている理由だってちゃんと聞いていないんだから、秘密の一個や千個、気にしたりしないさ」
ソーヤは冗談めかして言うと、コレットは微笑む。しかし、どこか寂し気でもあった。
「へぇ。レース出るんだ」
学校の休み時間中、カナエにレースの話をすると、カナエは興味深そうな顔をする。
「先輩に誘われてね。ついに俺の実力が明らかに」
「あまりの弱さに、泣き叫ぶ?」
「酷いな。これでも策はあるんだ。上手く行けば、優勝さ」
ソーヤは不敵な笑みを浮かべる。
「そいつは見物ね。その日に予定がなければ、私も見に行くんだけどなぁ」
「ん? 予定があるのか?」
「まぁね。私だって色々と、忙しいのよ。と言うか、塾よ。うちの親は、良いとこに進学させたいみたい」
「普通の親なら当然だろ。この機会に、しっかり勉強したまえ」
上から目線で言うソーヤに、カナエは嫌そうな顔をする。
「うわ、ウザッ。自分がちょっとは勉強できるからって」
「頑張ってるからね。けど、最近はジェットボードに力を入れ過ぎて、あんまり芳しいとは言えない」
「ざまぁみろと言いたいけれど、……でも、その分、楽しそうよね。コレットが来てからなんて、特に」
「まぁ、そうかもな。コレットとは見た目は綺麗なお姉さんって感じなのに、子供っぽいから見ている分には、面白いよな」
「ふ~ん。面白いのは見ている時だけ?」
「関わっていると、保護者みたいで、気疲れすることも偶にあるので、素直には万歳できない」
「そっか。でも、面倒だと思いながらも、なんだかんだで私には、ソーヤが楽しんでいるように見えるよ」
「そう?」
「そう。……私の位置が、取られた気さえする」
「カナエの位置ね」
思ってみれば、コレットが来る前は、いつも一緒に居るのはカナエだった。それが、今ではコレットになっている。
昔からの腐れ縁だったのに。
そう思うと、少しばかり疎遠になっている気がして、寂しくもある。
「なぁ、今度、暇な時にでも、遊びに行かないか? ちょっち、遠出してさ」
「うん。それは面白そう。じゃあ、今度、どこか行こう。しっかり、計画立てときなさいよ」
「俺が?」
「当たり前でしょ。立案者なんだから。――よっし。そうとなれば、塾は、それを楽しみに乗り切るわね」
カナエは、とても嬉しそうだった。
ソーヤはコレットと会って以来、久しぶりにコウガの下へ行く。
「おじさん、久しいね」
「おぅ、また、バイトしに来たかな?」
バイトを辞めてからのお決まりの台詞を言って来る。
「はは、もう、勘弁さ」
ソーヤは肩を竦める。
コウガの仕事は、給料が良いとは言え、その分、危険がいっぱいだ。正直、大きな目標でもない限り、したい仕事ではないだろう。
「そっか。そいつは残念だね」
特に残念そうでもない感じで、コウガは肩を竦める。
「コレットちゃんは一緒じゃないのか?」
「フラれたかな」
ソーヤも冗談めかし肩を竦める。
そう、今日は珍しく、コレットは一緒に来ていない。珍しいことではあったけれど、それも良いかとも思う。コレットにしても、いつまでもソーヤの後を付いて回るわけにもいかないのだ。
まぁ、理由がジェットボードのレースで行われる賭けについて、詳しい話をシュウに聞きに行ったというのが、あんまり褒められたことではないけれど。
「で、ソーヤは何しに?」
コウガが尋ねてくるので、ソーヤは自慢げに胸を張る。
「明日、下層区域でレースがあるのさ。その下見がてら、コレットを追っている奴らは、わかったかどうかを聞きに来たのさ」
「わかったら、おじさんから連絡するさ」
「つまり、まだ、わかっていないってことか」
ソーヤは残念そうに眉を寄せる。
「まぁねと言いたいとこだけど、おおよその結論は出ている」
「それはどこ?」
「アルバントさ」
コウガが疲れたように言う。
アルバント。
都市エレバムで最も力を持った企業。
元々、魔導学の祖である方のコレットは、この企業に属していたらしく、魔導学の発展と共に同じ様に発展してきた、昔からある大企業。その影響力は他の都市にすら及ぶ。
「マジかい」
可能性の一つとしては上げられていたが、実際にその可能性を改めて示唆されると、どうしようもなく、絶望的な気分になる。
都市の法律は全て、国際連合ワールズの法律で統一されている。そして、警察などの公的機関は、そのワールズから派遣された人達によって運営されているのだ。
……建前上は。
今では都市としての独立化が進み、ワールズの法を順守しない都市が増えて来ている。
特にこの都市、エレバムのように、一つの企業が力を持った都市では、それが顕著に現れる。
力を持った企業はワールズと癒着し、法律を捻じ曲げた。
同等の力を持つ企業が他にもあるならば、ワールズとの癒着を企業同士牽制し合い、そうなることもないのだが、エレバムにある力を持った企業は、アルバントだけだ。
つまり、この都市では、アルバントは好き放題できると言うことだ。
大衆の面前でもない限り、企業としてなら、人を殺したところで問題にはならないだろう。少しの目撃証言程度なら、アルバントは確実に罪を握り潰せる。
ソーヤは考える。
コレットを追っているのが、アルバントならば、この都市にいるのは危険だ。
彼らの目がどこにあるのかわかったものではない。
今まで良く見つからなかったものだとすら思える。
「おじさんとしては、ソーヤがレースに出ると言うのも反対かな」
「え?」
「今までどうして見つからなかったのかはとても幸運だった。しかし、レースはそうはいかない。生中継と言うわけではないだろうけれど、レースの様子は、後でネットに流されるんだろう? 相手が目にする機会が増えるな」
「……あぁ」
ジェットボードのレースは、ローテムのような環境でもない限り、基本的に許可が下りない。だから、無許可で行うので、生中継をしようものなら、警察が介入して邪魔をされるだろう。だから、生中継はしない。しかし、ジェットボードのレースはエンターテイメントとしても優れているので、レースが終わった後に編集され、ネット上に公開される。
つまりコウガは、レースの映像で、ソーヤがアルバントに見つかる可能性を危惧しているのだろう。
「でもさ。狙われているのは俺じゃなくてコレットだろ? 俺の顔なんてあんまり見られたわけじゃないから、大丈夫じゃないか?」
「そうかね? おじさんは心配症だから、出ない方が良いと思うんだけどね」
コウガは心配そうに言うが、ソーヤとしてはあまり譲れる問題でもない。
初めてのレースなのだ。これを逃したら、次のチャンスがいつになるかはわからない。
夏甘でのレースは非常に少ないのだ。
「俺はジェットボードの為なら、命を賭ける覚悟はあるんだ。アルバントに脅えていたら、いつまで経っても、レースには出れないよ」
それこそ、この都市から出ない限り。
そして、都市に出るのも今となっては怪しい。
都市を出ようとするには、そこには入出都市検査がある。国際連合ワールズによって国の括りが無くなり、入国検査などは亡くなったはずなのだが、今ではそれが都市単位で行われるようになった。
犯罪者や、違法な物を外に出したり入れたりするわけにはいかないからだ。
そして、他の都市に逃げられたら厄介だと思っているアルバントの監視も、そこでは目を光らせていることだろう。もし、ソーヤの顔を見られていると言うのなら、ソーヤは都市を出ることもできない。
つまり、コウガの意見が正しく、ソーヤの顔がバレているのなら、今度のレースは、レースができる最初で最後のチャンスである可能性も含んでいる。
「そうかい。そこまで言うなら、これ以上止める気はないけれど、あまり、姉さんを悲しませないでくれよ」
「うん。わかってる」
ソーヤは頷く。
「なんとびっくりよ」
レースの当日、レースの行われる場所に向かう途中、コレットはテンション高く話しかけて来る。
「……で、何がびっくりなんだ?」
ソーヤとしてはレースの為に集中したいので、静かにして欲しい。なので、多少、うんざりした顔をしてコレットに顔を向ける。
コレットは特に気にした様子もなく、話し始める。
「賭けの倍率なんだけど、意外なことに、トウジの倍率は高いのよ」
「へぇ~、それは何故だい?」
「何でも、トウジ自身は試合に出たことがあんまりないらしくて、知名度が低いみたい。同じライダーの間では実力を知られているけれど、賭けを行うのはライダーじゃなくて、レースを見ることが好きな人達だからね」
「なるほど」
「そう、だから、大金ゲットね」
コレットがガッツポーズを取る。
「ていうか、やっぱりトウジに賭けたのか」
「当然よ」
力一杯頷かれたので、ソーヤは皮肉でも言おうと思っていたが、どうでも良くなってしまった。
ソーヤに対して、悪いという感情が全くないのだ。そんな奴に何を言ったところで無駄でしかない。
「まぁ、俺はできる限り、コレットを悔しがらせてやるさ」
ソーヤがそう言うと、コレットは不思議そうに首を傾げる。
「どうやって?」
「あん? そんなの俺がトウジに勝ってに決まっているじゃないか」
「それは無理よ」
コレットが断言するので、ソーヤは不貞腐れたように不機嫌な顔になる。さすがに勝てないと断言されるのは気分が良いものではない。
しかし、コレットは気にした様子もなく微笑む。
「だって、ソーヤ少年が勝ったら、確かに私は損するかもしれないけれど、とても嬉しいもの」
「なっ」
コレットの言葉にソーヤは赤面する。コレットの言葉は嬉しい。けれど、面と向かって言われると、恥ずかしくて仕方ない。
「ったく」
ソーヤは自分の動揺を隠すように、そっぽを向いて先をさっさと歩き出す。それをコレットはクスクスと笑いながら後ろを付いて行く。
下層区域のスタート地点、小さな廃ビルの上には、多くのジェットライダーがいた。三十人程のライダー達。その中にはトウジの姿もある。
全て、このレースの出場者だ。
これだけのライダーが揃っている所を、実際に見たのは初めてだ。
ソーヤはワクワクして来るのを感じる。
「どうよ。調子は?」
シュウが話しかけて来た。
「絶好調だよ。早く始まって欲しいくらいだ」
そう言ってソーヤは、運営の準備をしている人達を見る。
このレースの運営する人達は、何か連絡を取り合って、まだ準備をしているようだ。
同じ下層区に使われなくなった教会があるのだが、そこがゴールであり、賭けをしている人達の会場にもなっているらしいのだが、そこと連絡を取り合っているのだろう。コレットもそっちの方へ行った。
そっちの会場が、準備に手間取っているのかもしれない。
早く始まって欲しい。
ソーヤは落ち着かず、周りをキョロキョロと見回す。
「まぁ、張り切り過ぎて、失敗すんなよな」
ソワソワとしているソーヤを見て、シュウはそんな注意をする。
「わかってんよ。先輩」
ソーヤはそう答えるが、自分の気持ちを落ち着けることはできなかった。楽しみで楽しみで仕方ない。自分が抑えられないほどに。
しばらくして、運営者から魔法生物アイリモを手渡された。
アイリモは追尾型カメラの魔法生物だ。ジェットボードと同じように、自らの魔力を登録することで、登録された魔力を持った者を、追跡し続ける。
「これに、自分の魔力を登録してくれ。それであんたの走りの映像を見て、反則かどうかを見定める」
「ああ、わかった」
誰も見ていないからと言って、反則行為をされてはレースとして成り立たない。だからこれは、その対策としてのアイリモであり、そして何よりも、レースを視聴者に見せる為に、走りを記録する必要がある。
レースは個人のチームが協力しただけでは開けない。必ず、スポンサーがいる。だから、視聴者を意識することも必要なのだ。
ソーヤは他のライダーと同じように、アイリモに魔力の波長を登録する。
それを見届けると、運営者はルールを説明し始める。
ジェットボード以外の魔導機械を使わない。殺すことが目的の妨害はしない。武器の使用の禁止。大体の禁止事項はこんなところだ。
後は、距離にして三十キロほど先にある教会に、誰よりも早く辿り着いた者が勝者となる。
ライダー達は思い思いの位置に立つ。
辺りには緊張感が漂う。
運営者のスタートを誰もが今か今かと待ち続ける。
運営者が何事か携帯端末で話しあうと、手を大きく上げ、カウントダウンを始める。
「十、九――」
いよいよ、レースが始まる。
ソーヤは今日、一度も話さなかったトウジの様子を窺う。
「五、四――」
いつもと変わらない涼やかな顔をしている。こちらは緊張とワクワクでどうにかなりそうだと言うのに、随分余裕だ。
「一」
ソーヤはニヤリと笑う。
「零」
吠え面を掻かせてやる。
ソーヤを含めて全てのライダーは、運営者の合図と共に勢い良く飛び出す。
当初は誰もが同じ道を行く。
そんな中、ソーヤは目にする。
トウジがシュウのチームのブロッカーに囲まれるのを。いや、シュウのチームだけではない。他のチームの何人かが、トウジの走りの妨害できる位置を取り始めている。
トウジは警戒されているのだ。この場にいる誰よりも。
ソーヤはそれを誰よりも羨ましく思う。
警戒されているということは、裏返せば、それだけトウジの実力は認められているということだ。それに比べて自分はどうだろうか?
周りには誰も邪魔はいない。
自由な走りを許されている。
自分とトウジでは、どこまでも差があるのだ。
ソーヤは悔しく思うが、それを表に出すことなく噛み殺す。
誰もが認めてくれないのなら、このレースで認めさせれば良い。
悔しいが、ソーヤがトウジに勝てる可能性も、他のチームのブロッカーが、トウジを妨害するからこそなのだ。
今は自分に実力がない。だから、ソーヤは他のライダーを利用して、伸し上がる。
ソーヤはそうと決めると、トウジのことを意識から締め出して、自分の走りに集中する。
次第にライダー達のコースがバラけて行く。
このまま、屋根を飛び交う者。
地面に降りて、道を通る者。
そして、何か策があるのだろう。見当違いの方向に走っていく者までいる。
ソーヤはその中で、一番後者、他の者とは違う道を行く。
下層区域を流れていた用水路を沿うように造られた道を走る。その行方は、教会への方向とは違う。しかし、ソーヤにも策はあるのだ。
コウガの探偵業を手伝い、下層区域を駆けずり回ってきた。この場にいる誰よりも、下層区域に詳しい自信がある。
下層区域の用水路沿いの道を進み、すぐに、目的の下水道への入り口を見つける。
ソーヤは躊躇なく下水路に入り、整備用の通路をジェットボードで勢い良く進んで行く。
地上には、教会へ向かう真っ直ぐな道はない。
建物の高さはまちまちだし、途中には広場もある。あのまま真っ直ぐ、屋根を飛び交うことはまず不可能。そして、下を通る道には、人通りの多い場所がいくつかあり、大きな障害となる。おそらく、早めに全く違う道を通った人達は、人通りの多い道を避けるために、遠回りをしたのだろうと、ソーヤは考える。
しかし、地下は違う。さすがに教会までとはいかないが、コースの半分以上を直線で進める道があるのだ。そして何より、障害物がない。
それは、体力を無駄に使うことも無く、時間のロスも全くない。この道を通れば、誰よりも先んじることができる。最初に遠回りをするだけの価値は、十分にある。
害虫駆除と、汚物の浄化をしている魔法生物ジェルにさえ気を付ければ、後は真っ直ぐ走るだけなので、つまらないことこの上ないのだけが、問題だ。しかし、これは勝つ為の作戦だと、ソーヤは自分に言い聞かせる。
しばらく走っていると、ソーヤは気付く。
少し離れた自分の後方を走る者の存在を。
首だけ振り向いて後ろを見るが、下水路は薄暗く、姿までは見えない。
それでも誰かはいるのは確かだ。小さくではあるけれど、ソーヤ以外のジェットボードの音が確実に響いている。最初は自分のジェットボードが反響しているだけかと思ったが、明らかに違う。
相手はこの道を知っていたのだろうか?
それとも自分に付いて来たのか?
ソーヤはそんなことを考えるが、振り払う。
考えたところで答えなどではしないし、どっちにしろ、状況は変わらない。ならば、今考えるべきは、どう対処すべきか。
相手がソーヤの妨害をしようと考えているのなら、既に襲いかかってきていることだろう。おそらく、相手も余計な体力を使いたくないと考えているか、ソーヤのことを道案内として必要としているのかもしれない。
ソーヤは警戒しながらも、現状維持の姿勢を貫くことにした。
相手は必ずどこかで仕掛けてくるはずだ。しかし、この下水道と言う場所で戦いを挑めば、確実に、小細工無しの技量の比べ合い。そうなると、負ける可能性が高いだろう。ソーヤは自分の実力を理解している。
下水路を走り続けて、十分ほど。
ソーヤは目的の出口にカットターンの要領で、急に飛び出す。
後ろを走っていた奴は、急な動きに反応できす、出口を通り過ぎるのを期待したのだが、相手はしっかりと反応した。しかし、その動作は慌てているようで、ソーヤよりもスムーズでは無い。
自分より腕が低いとは、ソーヤは考えない。
どうやら、ソーヤのことを追って来ていたようだ。だから、出口だと言うのに、相手は準備ができておらず、反応が遅れたのだろう。
「くそ」
ソーヤは自分の思惑通りに行かなかったことに、毒づき、覚えたてのクライムロールで用水路の壁を駆け登る。
もうここからは、近道はない。後は、他の者と同じ条件。後は、ひたすら目的地へ向かって走るだけ。
ソーヤは、道路を走る。
手近な建物の屋上まで上ることを考えはしたが、飛び交うより、整備された道を通った方がしっかりとした走りができるはずだと、ソーヤは道路を選ぶ。
人や車は少ない。運が良いとソーヤは思う。
通り過ぎる人々は驚いた目をこちらに向けて来る。
しかし、ソーヤは気付いていた。人の目は自分だけでなく、ソーヤの後ろにも向かっているのだと。出口で手間取っていたとは言え、そんなのはたいした差では無い。すぐに追い付かれることはわかっていた。
ソーヤは後ろを窺うと、少し離れた所にシュウがいた。
「付いて来たのは先輩だったってわけか」
普通に地上を走って来たのなら、今、この場にいるわけがない。だから、下水路で後ろを走っていたのは、シュウだったのだろう。
「お前が下層区域に詳しいのは知っていたからな。道案内させてもらった。まぁ、結構賭けだったけどな。危うく、出し抜かされそうにもなった」
シュウがニヤリと笑って、距離を詰めて来る。
ジェットボードにとって、相手の後ろに付くと言うことは優位なことだ。
相手への妨害だって後ろからの方がやり易いし、何より、相手の体が風避けとなるので、前を走る人よりも、体力も消費魔素も少ない量で、同じスピードを維持できるのだ。
ソーヤはシュウを振り切ろうと、スピードを落とさない範囲内で、ジグザグに走るが、シュウは余裕で付いて来る。
悔しいが、ジェットボードの腕はシュウの方が上だ。
下水道で余計なロスをしたのに、こんなに早く追いついて来れたのが、何よりもの証。シュウは、ソーヤの思った以上の実力のようだ。
「くう」
ソーヤは曲がり角で、自分の限界近くまでスピードを上げて曲がってみた。しかし、後ろのシュウは、余裕で付いて来る。
どうやら、スピードを損なわずに逃げ切ることは出来そうにない。
しかし、一度でもスピードを落とせば、シュウはソーヤに執着することなく先に進み、ソーヤがスピードを立て直した頃には、シュウに追い付くことはできなくなってしまうだろう。
シュウの思う壺だ。だけれど、こちらから仕掛けなくてはいけない。
シュウからは、特に仕掛けてくることもなく、ジワジワとプレッシャーだけをかけて来る。しかしそれは、いつでも仕掛けられると言うこと。
正直、ピンチだ。
だが、ソーヤは笑みを浮かべる。
自分の限界に挑む。
だからこそ、面白い。
レースらしくなったと、ソーヤは思う。
あまり隙だらけに真っ直ぐ走ると、攻撃される可能性もあるので、ジグザグな走りを続けながらも、なんとかできないかをソーヤは考える。
振り切ることは不可能に近い。ならば、直接攻撃して妨害するしかない。それも、避けられることなく、確実にだ。
だが、攻撃を仕掛けて来ない所を見るに、シュウは防御に徹している。今、攻撃を仕掛けても、それを読んで避けられる可能性は高い。後ろに攻撃するには、それだけ動作が必要だ。つまり、後ろへの無理な攻撃を仕掛ければ、その分、動きを読まれるし、避けられ易い。
ふと、ソーヤは思い出す。コレットが言っていたことを。
シュウは無茶な走りはしない。そして、ソーヤが勝つには、無茶をするしかないと。
無茶か。
ソーヤは内心で呟き考える。
すると、ある考えが浮かぶ。
ソーヤは考えを実行する為に、早速行動に出る。
今から行う方法は、失敗すれば怪我もするし、確実に負けるだろう。それでも、何もしないよりは良いと、ソーヤは思う。
怪我が怖いと諦めて、負けるくらいなら、ジェットボードをやりはしない。
シュウを連れながら、今から行う作戦に、適した場所をソーヤは考える。
少しだけ遠回りになるが、シュウはソーヤの道選びを信じて、付いて来るだろう。そこはある意味賭けだが、所詮、無茶をするのだって、上手くいくかわからない賭けだ。ならば、賭けるだけ賭けておこう。
ソーヤは迷わず走る。
目的に向かって。
本当だったら曲がるところでソーヤは曲がらずに進むと、予想通り、シュウは付いてきた。
まず、一つ目の賭けには勝ったと、ソーヤは内心で笑みを浮かべる。
そして、少しして、目的の場所が見えて来る。ソーヤは意を決して曲がる。
そこには長い直線がある。人通りのほとんどない、寂れた商店街の大通り。
ソーヤはその大通りに入ると共に、ジェットボードに大量の魔素を送る。
トップスピードを出す為に。
ただ、真っ直ぐ走る。ただそれだけだと言うのに、暴れ馬のようにコントロールが効かなくなるジェットボード。それでもソーヤはしっかりと走る。大通りの中を。
シュウはそれでも付いて来る。
ソーヤは笑みを浮かべる。作戦通りだ。
その大通りの先にはT字路があり、右に曲がれば元の通るべきだった道に合流するのだが、今のソーヤの出しているトップスピードでは、T字路の急なカーブは曲がれない。それは、後ろを付いて来ているシュウにしてもだ。
シュウはこの道を知らないのだろう。この大通りは、ゆるい上り坂になっているので、走っている身としては、先にあるT字路は見えない。知らなければ対応できない。そして、このままいけば、壁にぶち当たって、リタイアだ。
シュウはソーヤの選んだ道を信じて、安心してトップスピードを出している。ソーヤに出来るのなら、自分にもできるだろうと考えて。
だが、そうはさせない。
ソーヤにできないことが、果たして、シュウにはできるのか。これは、そう言う勝負だ。
制御のほとんど利かない状態で壁に突っ込んだら、防護の魔法が働いているとはいえ、間違いなく大怪我だ。そんなの普通の神経で、できるものではない。シュウならまず、選べない選択。だからこそ、ソーヤは実行した。
わずか十数秒で大通りを通り過ぎる。
壁が近付いて来るのが見える。
それと共に、ソーヤは後輪を滑らせ右に曲がろうとする。
ジェットボードのタイヤが悲鳴のような高い音を上げながら、地面をこすりつけてスピードを下げて曲がろうとするが、スピードは完全に落ちることなく、壁が近付いて来る。
後ろのシュウも絶望的な声を上げて、必死にスピードを落とそうとしているのがわかる。
曲がり切ることは出来ない。しかし、ソーヤは角に立っている道路標識の柱を掴む。
指がちぎれそうな感覚。
肩が外れる程の衝撃。
ソーヤは意識が飛びそうになるのを必死に堪え、柱を軸にして、強引に曲がりきった。
後ろでは、壁に当たる鈍い音がする。
見ると、シュウは倒れて呻いているのが、チラリと見える。
シュウの事が少し心配になりもするが、ソーヤは先を急ぐ。
居た所で何の役にも立たない。
ソーヤにしても、右腕が心臓の鼓動と同じペースで、意識が飛びそうな激痛を放って来るのだ。手など貸せる状況では無い。
それにソーヤは、シュウがああなるとわかっていながらやったのだ。ここで足を止めるくらいなら、最初からやらなければ良い。
普通の人なら、絶対にしない無茶。
それが、ソーヤの武器であり、危うさでもある。
ゴールの教会まで、後少し。
なんとかゴールまで意識がもつことを祈りながら、ソーヤは腕の痛みに脂汗を流しながら、ジェットボードを走らせる。
下水路を通って出来た差は、今更覆せるものではない。
確信を持って思う。
後は走り切るだけで勝てる。
痛みに頭が朦朧となりながらも、とにかくソーヤは走る。
ここを曲がれば、後は直線だと思った瞬間、空から何かが飛んできた。
まずい。シュウの怪我は、たいしたことなかったのか。
ソーヤはそう思ったのだが、目の前に現れたのはシュウではなかった。
「……なんで」
ソーヤはあまりのことに茫然と呟く。
そこに現れたのはシュウではなく、トウジ。
他のライダー達に妨害をされていたはずなのに、既にここまで来たと言うのか?
信じられない気持ちでトウジを見詰める。
しかし、どんなに現実を疑ったところで、目の前にいるトウジが消えるわけではない。トウジは間違いなくここにいるのだ。
凄いとしか言えない。
多くの妨害を避けて、どんな方法でここまできたのかはわからない。それでも、その方法は下水路を通るような簡単なものではないはずだ。
それでこそトウジだと思う。それでこそ、目指す価値があるのだとも思う。
だけど、ムカつく。
トウジの実力に腹が立ってくる。
自分がトウジに勝てないことは知っている。だからこそ、まともに戦うことをせず、つまらないのを半ば覚悟して、下水路と言う絶対勝てるであろう道を選んだのだ。
それなのに、トウジは何事もないかのように前を走っている。
ソーヤは自分の実力の無さへの怒りを、トウジへ向ける。
腕の痛みも忘れて加速し、トウジの後ろに近付きバランスを崩そうと、無事な左腕を伸ばす。しかし、その腕がトウジに届く前に、トウジの姿は消えていた。
いや、違う。飛んだのだ。
スラッシュロール。
後方宙返りでソーヤの上を飛んでいき、後ろに回り込もうとしている。ソーヤにしてみれば消えたようにしか見えない。
しかし、ソーヤは状況を正しく理解はしていないものの、トウジが後ろに回り込もうとしているのを、直感的に理解する。
瞬時に判断したソーヤは、スピンロールを行いながら、後ろに向かって回し蹴りを放つ。
だがその蹴りは当たらなかった。トウジは更に後ろに下がることで軽々と避ける。それに引き換え、ソーヤは、慣れないことをやったのでバランスを崩し、転んでしまう。
思い出したように襲いかかる痛み。
意識を持っていかれそうになりながら、ソーヤはトウジを見る。
トウジの顔は驚いているようだった。
後ろに回り込めば簡単に勝てると思っていたのだろう。しかし、スラッシュロールの着地と同時にソーヤからの蹴りが飛んできたのだ。
もう少しタイミングが早ければ、トウジは蹴りをまともに受けていただろう。
しかし、そんなものはソーヤにとって何の慰めにもならない。
トウジはすぐに魔力を注いでスピードを取り戻すと、先を行く。だが、ソーヤにはそれを追うだけの体力は残ってはいない。もう、起き上がるのがやっとなのだ。
既に教会は目に見える。しかし、もう、追うことのできない自分。
トウジの圧倒的な強さ。
それを凄いと思うし、それでこそトウジであり、ジェットボードの奥の深さだとも思う。けれど……。
「くそっ」
ソーヤは自らの無力さを惨めに思う。
レースが終わる。
新人のソーヤが、個人で二位となったのは、大快挙と言える結果だった。周りは驚き、称える中、ソーヤ自身は素直に喜べる気にはならなかった。
会場になった教会では、軽い立食パーティーが開かれていた。とはいえ、上品なものではなく、適当にテーブルに広げられた料理や飲み物を、適当に食べて騒いでいるようなものだ。教会の中には、うるさい程の音楽が流れている。
トウジは興味がないのか、すぐに帰ってしまった。
ソーヤも帰りたい気分ではあったけれど、シュウに誘われた手前、すぐに帰ることはさすがに気が引けた。
レースが終わってから、心の中に形にならないモヤモヤとした気持ちが湧きあがり、それを振り払うことができず、他の人と同じように素直に騒ぐ気持ちにはならない。
コレットが近付いて来る。
トウジに賭けたコレットはさぞかし喜んでいることだろう。予想通りトウジは一位になり、どれだけ儲けたことだろうか。
コレットはソーヤの前に立つと、思いっきりが顔面を殴って来た。
無防備にもコレットの拳を受けたソーヤは、殴り倒される。
痛いよりも何よりも、いきなりのことにまず、困惑しかない。
「な、何を?」
「馬鹿。この馬鹿」
コレットを見上げると罵倒して来た。
本当に訳がわからない。
「何なんだよ」
ソーヤは立ち上がり、少々苛立ちながらも尋ねると、コレットは睨んで来た。その目には、薄らと涙が溜まっていながらも、怒りが込められている。
殴られたのは自分なのに、何故か自分が悪いことをしたような気が、ソーヤはしてくる。
「……な、なんだよ」
気勢を殺がれたソーヤは躊躇いながら再度問う。
コレットが動く。また、殴られるのではないかとソーヤは身を強張らせるが、次の瞬間、抱きしめられていた。
「へ?」
もう、ソーヤは何が起こったのかすらわからない。
「……馬鹿。無茶し過ぎなのよ」
とても心配しているような口調。
「……無茶?」
何のことだろうと首を傾げる。
「ふぐぅぅぅ」
怪我をした左腕に激痛が走る。
コレットが握ったのだ。
ソーヤの腕は折れてまではいなかったが、骨にひびが入っている。更に言うなら、筋がかなり傷んでいるらしい。魔導装置で治療はしてもらったが、軽い怪我ならまだしも、ここまで大きな怪我だとすぐに治りはしない。魔導装置の治療はあくまで、本人の治癒能力を高めるだけだから、回復するまでにはそれなりに時間がかかる。とりあえず、今日は無理。
「……どんな無茶をしたかは思い出したかしら?」
ニッコリと微笑みを浮かべて聞いて来るコレット。ソーヤはあまりの痛みに脂汗がダラダラと流れて来る。
「お、思い出しました。すいません。だから、放して頂けませんか?」
そう言うと、コレットはすぐに放してくれた。
「……全く。無茶をし過ぎなのよ。一つ間違えていれば死んでいたわよ」
「そんな、大げさな――痛たたた、って、痛いってマジで」
ソーヤは明るく言うので、それが気に入らなかったコレットは、またも腕を掴んで来た。
大げさだと言ったが、実際はそうでもないことを、ソーヤは理解している。
曲がるタイミングに柱を掴めなければ、壁に激突していたし、当たり所が悪ければ、死んでいる可能性も無くはない。いくら防護の魔法がかかっていようと、完全に無事でいられるはずがない。だからこそ、シュウを心配したのだ。
「……全く、懲りてないわね」
コレットは呆れたように言うが、どこか悲しそうでもある。
心配されたのだと、ソーヤは今更ながら思う。
「ごめん」
「本当よ。ソーヤは無茶をし過ぎ。命はそんなに軽いものではないと知るべきだわ。死んでしまったら、ジェットボードは二度とできなくなってしまうのよ」
「知っているつもりなんだけどな」
「あらあら、どの口で言うのかしら?」
コレットはそう言って、また腕を掴んでくる。
「ご、ごめんなさい。軽く考えてました」
「わかればよろしい」
満足したように頷いて、腕を放してくれる。
しかし、いくらわからせる為とはいえ、腕を握ることはないではないかとは恨めし気にコレットを見る。本当に痛いのだ。
そんな目で見ていると、コレットがまた手を出して来たので、ソーヤは恐怖を感じるが、しかし、コレットが行ったのは優しく腕を擦ること。ギブスの上なので、感覚なんて全く感じないけれど、優しさは十分に伝わって来る。
「もう、良いから、早く治しなさいね」
「あ、ありがとう」
ソーヤは戸惑いながらもお礼を言う。
コレットは素っ気なく頷く。
ソーヤは本当に申し訳なくなり、ただ、コレットが優しく撫でてくれるのを、黙って見詰める。
「良いなお前らは本当に仲良くて。俺も彼女に優しく手当てをして欲しいもんだ」
そんなからかいの声に振り向くと、そこにはシュウがいた。
「……先輩」
あちこちに包帯が巻かれているが、案外、元気そうだ。というか、あの後、無事にゴールしたのだ。どんだけ頑丈な体をしているんだと、内心で呆れてしまう。
「今回はしてやられたよ。ったく、お前を甘く見過ぎてた。しかし、無茶し過ぎだぜ」
「コレットに散々怒られたところだよ」
「当然だわ」
コレットは頷く。
「うはは、尻に敷かれてんのかよ。まぁ、お前らの邪魔はする気はないさ。ただ、これだけは言っておく。次、やる時は負けない」
「ふん。今度は実力でちゃんと勝ってやるさ」
「相変わらず、可愛げのない。だが、その意気だ」
シュウはニヤリと笑いながら、チームメイトの下へと戻って行った。
「今度無茶したら、許さないからね」
コレットは睨んでくるので、ソーヤは肩を竦める。
「わかってるよ。俺だって、コレットを心配させるのは本意ではないからな。今度は先輩に言った通り、実力で勝ってやるさ。……トウジにもな」
ソーヤは自分の中のモヤモヤとした気持ちを振り払うように言う。
今回はトウジに完敗だった。有利な条件だったと言うのに勝てなかったのだ。自分の弱さを思い知らされた。
今の実力では、どんなことをしてもトウジに勝てはしない。
ならば強くなるしかないのだ。
もう、こんな悔しい思いはしない為には。
「はいはい、強くなる前に、まずは治してからね」
あるかどうかもわからない次のレースのことを、真剣に考え出すソーヤを見て、コレットは呆れたように言うが、その顔に浮かんでいるのは心配だった。
「わかってるって」
ソーヤは素直になれずに、不貞腐れたように言う。
「……もう。……ああ、それと」
「ん?」
まだ、何か小言を言われるのかと、うんざりとした気持ちをで、ソーヤは尋ね返す。
「おめでとうね、ソーヤ。結果は二位だったけれど、今のソーヤから言えば快挙だよ。私の予想だと、もっと下だと思ってたわ。ソーヤは強くなったわね」
「……そっかな」
ソーヤは、思いもよらない言葉に驚き、目を丸くする。
「そうよ。初めて会った時と比べれば、とても成長していると思うわ」
「……上手くなっている」
ソーヤは自分のジェットボードを見つめる。
自分が先程から抱えている、モヤモヤとした気持ち。ソーヤはそれを理解していた。それは不安と焦り。
自分は本当に上手くなっているのだろうかという不安。
自分の成長は自覚していないわけではないけれど、トウジに比べれば、その歩みは遅々としてしか進んでいないのではないかという焦り。
今までは、そんなことを考えもしなかったが、今回のレースの結果、トウジとの圧倒的な実力差を前に無力さを感じ、不安と焦りをモヤモヤとした形で、心に纏わりつかせてしまったのだ。
不安も焦りも、人の成長のプラスにはならない。そして、一度自覚してしまったものは、簡単に振り払うことはできない。
しかし、コレットは言ってくれた。
とても成長していると。
それだけで、ソーヤの中の不安も焦りも、嘘のように霧散した。
コレットはお世辞を言わない。思ったことを素直に言う。
それをソーヤは知っている。
そして、ソーヤは思ってしまうのだ。
自分は、コレットに認められることが、何よりも嬉しいと。