責任とは、面倒で
少女を撒いた場所から大分離れたところで、ソーヤはジェットボードを止める。
「いやいや、俺は本番に強いね」
「どういうこと?」
「さっき、少女を撒いた時の技はループアンドロールって言うんだけど、初めて成功した」
「つまり、一か八かだったってことなのね」
女性は呆れたような顔をした後、クスクスと笑いだす。
「まぁ、助かったから良いわ。それより、これからどこに行くのかしら?」
「え? 付いて来るつもりなのか?」
女性を追っていた連中からは逃がしたのだ。さすがにこれ以上、ソーヤは関わりたくないと思っていた。
女性と一緒に居れば、またあの少女と、命がけの鬼ごっこをすることになるかもしれないのだ。ソーヤとしては、あんな化け物めいた少女と二度とは会いたくない。しかし、ソーヤの言外の抗議を女性は軽く無視して、ニッコリと笑う。
「もちろんよ。助けたのだから、最後まで責任を取りなさい」
「……マジかい」
嫌な責任を押し付けられたものだ。
できれば拒否したい。しかし、ソーヤの首に回っている女の腕には、力が込められている。つまり、逃がさないということだろう。
ソーヤは諦めてため息を吐く。
「近くに親戚の叔父さんがいるから、今日はそこに泊まるよ。俺の家はここからだと遠いし、何より、俺は疲れました」
エアロードの練習をしていたのに、途中から命をかけた逃亡劇になったのだ。
精神だけでなく、体力もほとんど底を付いている。できることなら、この場で寝たいくらいだ。しかし、そんなことが出来るわけもなく、ソーヤはジェットボードを走らせる。
下層区域の商店街は猥雑な雰囲気がしている。
色々な怪しげな店があり、色々な人間が歩きまわっている。
ホームレスのような人間から、身なりのしっかりとした人まで、多種多様だ。
安全という面では、上層の人達の暮らす地区と違い、悪いと言わざるをえないが、だからこそ、この地区には活気があり、そしてここには、非合法の品物まである。
多くの人はその活気と、スリルを求めてやってくる。
ソーヤはこの地区が嫌いではなかった。
酔っ払った男達を、チャラそうな連中が声をかけて、自分の店に来させようとしている。
あのまま、店に行けば、金をぼったくられることだろう。
初心そうな男に、露出の多い服を着た女性が声をかけている。
そのまま、ホテルにでも行けば、恋人と名乗る男が現れて、お金を巻き上げられることだろう。
スーツを着た、真面目なビジネスマンと言った感じの男に、腰の低い小男が、下手に出ながらも、熱心に美術品を売りつけようとしている。
言われるまま、ビジネスマンが買えば、大損をすることだろう。小男の差し出す美術品は、どれも贋作だ。
しかし、ソーヤはそれらの人達を助ける気はない。
ちゃんとまともな店も、中にはあるのだ。それを選べない奴らが悪い。
騙されるのは自業自得。
ここで必要なのは見極める技術と、自分の意見を通す度胸。
能力のあるものが得をし、能無しが損をする。
わかり易い場所だ。
そんなわかり易さが、ソーヤは結構、好きだったりする。
それが嫌だというのなら、下層に来なければ良い。
「凄い場所ね」
ソーヤに抱き上げられながら、助けた女性は興味深そうに周りを見ている。ソーヤとしては目立つので自分で歩いて欲しいのだが、ソーヤが逃げ出すことを警戒している女性は、放してくれない。
まぁ、正に放したら逃げ出す気だったソーヤとしては、事実なので強くも言えない。
この女性の方が、見極める技術も自分の意見を通す度胸も上だったのだろうと、この地区の考えらしくソーヤは諦めて、女性に尋ねてみる。
「こういう場所は嫌いかな?」
普通の女性はこういう場所は嫌うものだ。
怖いとか、不潔だとか、野蛮だとか色々言う。カナエだってこの場所に来たら、不真面目そうに見える連中に、怒りだすことだろう。カナエは結構、真面目だったりする。
「いいえ、とても興味深いわ」
予想外の言葉が返って来た。
女性は周りの粗暴と言えるやり取りを、嫌悪するでもなく、本当に好奇心を刺激されたように、興味深そうに見ている。
少しだけ、ソーヤはこの女性に好感を持てた気がする。
ソーヤは下層区域の、商店街を少し外れた場所に入っていく。
人が使っているのかどうかすらわからない、廃屋のような建物の奥に、他とは少し毛並みの違う、小奇麗なレンガ造りの建物が建っていた。
その建物の前にはコウガ探偵事務所と書かれた看板が立てかけてある。
ソーヤの叔父、コウガの自宅兼探偵事務所だ。
ソーヤはジェットボードを外す。
「というか、降りてくれないか? 目的地に着いたわけだし」
ソーヤがジェットボードを外したことで信用したのか、特に迷うことなく、ソーヤの腕から女性は降りる。
ソーヤはジェットボードを抱え上げ、探偵事務所のドアに手をかける。鍵がかかっていないということは、コウガは中に居るようだ。
「叔父さん。泊めてくれ」
大声で呼びかけながら、ソーヤは入っていく。
コウガは玄関からすぐに入れる、探偵事務所の事務室に居た。
コウガは四十代の細身の男で、ぼさぼさの髪に、皺だらけの服は、ダラッとした印象を与える。
コウガは椅子にどっかりと座っていて、机越しにこちらを見て来ると、ニコリと愛想の良い笑みを浮かべた。
「ソーヤか。また、バイトでもしに来たのかな?」
「違うよ。偶々この近くに来たから泊めて欲しいんだ」
「そうか。二階の仮眠室を好きに使いなよ」
そう言いながら、コウガはソーヤの横に立つ女性に目をやる。
「綺麗な人じゃないか。ソーヤの恋人かな?」
「……残念ながら違うよ。追われていたところを助けたのさ」
「珍しいね。ソーヤが人助けなんて」
「全くだ」
「はは、自分で言うものじゃないよ」
コウガは笑いながら、女性の方に視線を向ける。
「君、名前は?」
コウガが尋ねる。
そう言えば、名前を聞いていなかったと、ソーヤは今更ながらに思う。
「名前はないわ」
女性は即答する。
「ないって、教える気がないってことかい? それとも、わからないとでも言いだす気かな?」
コウガは怪訝そうな顔をする。
「違うわ。私には名前がないのよ」
「じゃあ、今まではなんて呼ばれてたんだい?」
「それは言いたくない。それを名前と認識されるのも嫌だから」
コウガは頭を掻きながら、ため息を吐く。
「……参ったね。名前はないし、言いたくない。じゃあ、おじさんは君をなんて呼べばいいのかね?」
「好きに呼んでもらって構わないわ。なんなら、名前を付けてくれないかしら?」
「だとさ。ソーヤが付けなよ」
「俺かよ」
いきなり話を振られたソーヤは驚く。
「お前が連れてきたんだ。当然でしょ。それに、おじさんには今の若い子が、どんな名前を付けられて喜ぶのか、わからないよ」
「俺だってわからないよ」
ソーヤはぼやきながら、女性を見る。
コウガはやらないと言ったら本当にやらない。だから、名前も付けないだろう。つまり、自分が決めるしかないのだろうと、ため息を吐く。
しかしソーヤには、外国人女性の知り合いなんてあまりいないので、女性の名前の傾向が思い浮かばない。
……女か。
……カナエ?
さすがに知り合いと同じは駄目だろう。同じ意味で母親の名前も却下。
「う~ん」
ソーヤは考えながら、ジェットボードを無意識に弄くっていると、一つの名前を思い浮かべる。
魔導を発展させた功労者は、外国人女性だったはず。
名前は確か――。
「コレットでどうかな?」
「コレット? 確か、今の魔導社会の生みの親って言われる人の名前だよね。良いんじゃないかな。昔の偉人さんを尊敬して、その名前を拝借するって考え方、おじさんは良いと思うよ」
実際は他に思いつかなかっただけなのだけれど、コウガは深読みして賛成してくれる。
当の本人は考え込んでいるようだ。
「……コレットね。中々皮肉ではあるけれど、まぁ、良いわ。好きに呼んで良いって言ったのは私だしね」
あまり気に入ってはくれなかったようだけど、承知してくれた。
というか、何が皮肉なのだろう?
「それで、コレット。君は何故、追われてたんだい?」
コウガは相手の微妙な顔に、特に気にすることもなく、マイペースにコレットと名付けられた女性に尋ねる。
「さあ?」
身に覚えがまるでないと言うかのように、大げさに肩を竦めてコレットが答える。けれど、実際は知ってそうな感じだ。おそらく、話したくないのだろう。
「そう来るかよ」
ソーヤは呆れてしまう。
「まぁ、おじさんには関係ないことだから、どうでも良いんだけどね。ただ、これからどうするかくらいは聞いて良いかな?」
「この子、えっと、ソーヤだったかしら? うん、ソーヤの世話になろうと考えているわ。助けてもらった責任をとってもらわないとね」
「ははは、そりゃ良い。助けたんなら、最後まで責任取らなくちゃな。ソーヤ」
コレットの言葉に、コウガは笑い出す。
というか、コレットと同じようなことを言う。コウガはコレットとグルなのではないかとすら、ソーヤには思えてしまう。
「ていうか、普通助けたら、感謝されるようなものじゃないのか? なんか、リスクだけが増えていっている気がする」
「中途半端に助けるのは悪でしかないわ。そして、あなたはまだ、私のことを途中までしか助けてない。ちゃんと、最後まで助けてくれたら、感謝して上げる」
「悪でも何でもいいし、感謝なんかいらないから、解放して欲しいよ」
ソーヤは嘆く。
別に拘束されているわけでもないのだから、悪だと言われようと、逃げ出そうかと本気で考える。
「ふふ、逃がさない」
しかし、コレットの浮かべる邪悪な笑みを見ると、自分は籠の中に居るような気分になってくるのは何故だろう?
「諦めるんだな。ソーヤ」
まるで、ソーヤの心を見透かしたような言葉。しかし、所詮他人事。コウガの呑気な言葉が羨ましいと、ソーヤは思う。
もう一度、あの化け物少女に追いかけられると思うと――。
「はぁ」
本当にため息しか出ない。
もう二度と、人助けはしないとソーヤは心に決める。
コレットはあれでも追われていたのだ。
平然とした振舞いをしていたのだが、疲れていたのだろう。コレットはシャワーを浴びると、仮眠室ですぐに寝てしまった。
ソーヤもすぐに寝たいところだけど、コウガに用事がある。
「ちょっといいかな?」
コウガは事務所で仕事の資料に目を通していたが、それを簡単に片づけると、向き合ってくれた。
「コレットのことなんだけどさ」
そう言い置いて、コレットと出会った状況、追いかけて来た化け物のような少女について、そして、ソーヤの推測したコレットの能力を改めて説明する。
コウガはこの治安の悪い下層区で探偵をしている。恍けたオジサンに見えるが、裏の事情にも精通し、腕っ節も立つのでとても頼りになる。
「転移に飛行の魔法をね。……そいつは正に化け物だ」
コウガは奇妙な服を着た少女の話を聞いて、驚いたように言う。
「逃げても逃げても先周りされるって、どんな悪夢だよって、本当に思うよ」
コウガは考えるように、椅子の背もたれに体重をかける。
「思いっきり厄介そうなものに、関わったもんだね」
「全くだよ」
呆れたように言うコウガに、ソーヤは肩を竦めて答える。
最初は、自殺するようだったら止めよう的な、軽い気持ちでしかなかったのに。
「……ふむ。しかし、ソーヤの言うことから考えるに、相手はアルバントか、レグニスだろうね」
さすが探偵。推測するための情報量が、ソーヤより遥かに多いのだろう。
話を聞いてすぐに、コウガが二つの名前を上げる。
一つは、アルバント。
この都市、一番の大企業だ。この町の陰の支配者とも言われる企業で、この企業に楯突こうものなら、この町での平穏な暮らしは、二度とやっては来ないだろう。
もう一つはレグナス。
反ワールズの思想を持ち、今の世界の現状を憂いて、テロリスト的な行動をする危険な集団だ。
ソーヤはうんざりとした気分になる。
もし、あの追手がアルバントならば、この町から出て行って、アルバントの影響の及ばない都市に逃げるしかない。
そして、レグナスならば、アルバントほど、苛烈な影響力はないだろうけれど、どの都市に逃げようとも、レグナスのメンバーはいる。逃亡劇に終わりが見えない。
どちらにしても、今の暮らしはできなくなるだろう。
「諦めたりはしてくれないかな」
希望的な感想をソーヤが言う。
「まぁ、無理だろうね。本当にコレットに未来を見る力があるのなら、利用価値はいくらでもある。おじさんだって、金儲けに使いたいね」
「……賭博とかやれば、儲けそうだよね」
「だよね」
コウガは笑顔で同意する。
「まぁ、冗談はさておき、コレットがなんで追われているのか、誰に追われているのか、その実際のところを調べてくれないかな。もちろん、仕事の合間で良いから」
ソーヤは真剣に頼む。
「まぁ、おじさんも出来るだけがんばるけど、あまり期待はしないでよね。」
コウガは自信無さそうに肩を竦めて答える。
朝、コウガの家の仮眠室で起きると、二段ベッドの下段で寝ていたコレットの姿がない。
既にコレットは起きているようだ。
ベッドの上段から降り、いざという時の為に、コウガの家に置いておいた予備の学校の制服に着替える。昔から、ソーヤは突然コウガの家に泊まりに行くことがあるので、直接学校に行く為に、制服の予備を置いてあるのだ。
「どこかに行くのかしら?」
着替え終わると、部屋に戻って来たコレットが聞いて来た。
「学校だよ。一応学生なんだ。当然だろ」
「じゃあ、私も行くわ」
世の中には無茶を言いだす人がいるものだと、ソーヤは呆れてしまう。
「……とりあえず無理だ。学校は関係者以外入れないからな」
「……そうなのね。……まぁ、なんとかするわ」
コレットは少し考えて、部屋から出て行く。
なんとかって、何をするつもりなのだろうか?
コウガの用意してくれた朝食を、一階の食堂で食べる。
野菜と肉を煮込んだスープに、自家製のパン。
「凄い、凄いわ。おじさんの料理はとんでもなく美味しいわ」
コレットがコウガの料理を食べて、感動している。
コウガは長年一人暮らしをしているので、料理の腕はかなりのものだ。というか、自家製のパンを作っている時点で、こだわり過ぎている。
「嬉しいこと言ってくれるね。おじさんの唯一の特技なのさ。じゃんじゃん食べな」
コウガは本当に嬉しそうに笑いかけながら、コレットの空になった皿に、スープを新たによそう。
「ソーヤ少年は、料理はできるのかしら?」
「俺か? 俺はできることはできるけど、おじさんよりは遥かに劣るよ」
「そうなの。それは残念ね」
コレットは本当に残念そうな顔をして、料理を食べて行く。というか、コレットの食べる姿は決して下品ではないのに、異様に食事の減りが速い。
コウガのよそった料理の量も、女性にとってはかなり多いはずなのに、余裕で食べている。
食べることが好きなのだろうとソーヤは思う。
「おかわり」
空になったお皿を差し出して、コレットが言う。
コウガも少し驚いた顔をしながらも、新たにパンを乗せる。
「コレットは健啖家なんだな」
ソーヤはそう言いながらも、コレットの細い体のどこに、あれだけの食事が納まるのか、不思議でしかたない。
「そうかしら? まぁ、良くわからないけれど、食べれる時には食べれるだけ食べるというのが、私の考え方よ」
「……どこの貧しい子だよ」
ソーヤは呆れてしまう。しかし、コレットはキョトンとした顔をする。
「貧しいわよ。今は無一文だもの」
「マジかい」
コレットの言葉を聞いて、自分を逃さない理由というのは、結局は金蔓として考えているのではないかと、ソーヤは思えてしまう。
金蔓なら、コウガにして欲しい。
コウガの方が、学生の自分とは違い、お金はあるはずだ。更に言うならば、毎日、美味しい料理も食べれる。
食事を終えて、学校の準備を済ませて表に出る。
もちろんジェットボードも持ってだ。
「よっと」
ジェットボードを足に装着する。
コウガが、ソーヤの見送りに玄関にやって来た。
「じゃあ、おじさん。学校に行ってくるよ」
「おう、気を付けて行って来なね」
「それと、コレットのことだけど――」
面倒を頼もうとしたが、コウガの後ろから歩いてくるコレットの姿に絶句する。
コレットは、ソーヤの通う学校の制服を着ていた。もちろん女性用の。
付いて来る気満々だ。
「……何故?」
ソーヤが絞り出すように言うと、コレットは対照的に呆気らかんとした笑みを浮かべる。
「おじさんに貰ったのよ」
コウガを恨めし気に睨みつけるが、コウガは人を食ったような笑みを浮かべている。
文句を言いたいところだけど、さすがに迷惑をかけているのは自分だと、ソーヤは考え直す。だが、気になることがある。
「……ていうか、何故おじさんが制服を持っているのかが気になるんだけど」
「はっはっはっ、おじさんは探偵だぞ。変装用の道具をいくつも持っているさ」
コウガは笑いながらもっともらしいことを言う。
「なるほどって、いやいやいや、完全に女子の制服だからね。年齢だけでなく、性別すらアウトだよ」
「まぁ、細かいことは気にするな」
「気にするよ」
十分、細かい違いではない。コウガに、女装趣味でもあるのだろうか?
「ちっちゃいこと気にしてないで行くわよ。早くしないと学校に遅刻するわ」
コレットが呆れたように言いながら、ソーヤの背中を押す。
ジェットボードの車輪は軽々とソーヤの体を動かしてしまう。
「ちっちゃいことじゃないよ。俺にとっては親戚なんだ。親戚から、女装趣味の変態を出すわけにはいかない。答えによっては、今、この場で息の根を止めなければ」
「良いから良いから。遅刻したら大変でしょ」
「いや、良くない。俺にはもっと、大変なことが――」
ソーヤはまだ何か言い募るが、コレットに押されるままに、探偵事務所から離れて行く。
「よう、カナエ。……世の中は理不尽でできていると、俺は悟ったよ」
ソーヤは学校について、既に教室にいたカナエに話しかける。ちなみにコレットは学校に着くと共に、姿を消した。
「そんなこと、今更知ったの?」
呆れたように言うカナエ。そして、その顔がどんどん悲壮な顔になっていく。
「……私なんてねぇ。いつも割を食ってばかりだよ。今日だって、今日だって……」
カナエは言葉を詰まらせる。
「……カナエ」
ああ、こいつも色々と大変な目に遭っているんだなと、ソーヤは同情してしまう。
「昨日、やっていたゲームのデータが消えたのよ。……ああ、私の三十時間」
「ていうか、その程度かよ。確かに可哀そうっちゃあ、可哀そうだけど、所詮、笑い話のレベルだぞ」
本気で心配した自分が馬鹿だったと、ソーヤは思う。
「じゃあ、そっちはどうしたっていうのよ」
自分の不幸を笑い話だと言われたのが腹が立ったのか、恨みがましい顔を向けて聞いて来る。
「ん? 俺か? 俺はあれだ。人助けをしたんだよ。怪しい連中に追われていた女性がいたから、正義感に駆られてね」
「へぇ。ソーヤに正義感なんてあったんだ。意外だわ」
「ふん、失礼な。俺は正義感の塊と言って、過言じゃないね」
ソーヤは胸を張って答える。
「過言でしょ。正義感の塊なら、下層区で騙されている人達も救おうとするわよ」
「いや、それは、騙している方にも生活があるわけだし」
「騙されている方にも、生活はあるわよ」
「……まぁ、……あれだね。どちらの立場になるかで、正義感なんて、変わって来るもんだしね」
ソーヤは悪びれることなく、肩を竦めて答えると、カナエは呆れた顔をする。
「まぁ、それで、あんたが珍しく、そう、とてつもなく珍しい正義感に駆られて、人助けをした。それのどこが、理不尽なのよ?」
「いや。そんな珍しいって強調しなくても。なんだか俺、とても悲しくなってきたよ」
「はいはい。いじけてないで、さっさと話せ。聞く気が失せるわ」
カナエがそう言って来るので、ソーヤはしぶしぶと言った様子で、話しだす。
「なんか、ヤバめの人達に追いかけている女の人を、ジェットボードを使って逃げ切ると言う助け方をしたんだけど、まず、そのヤバめな奴らが結構、大きな組織っぽい」
「大きな組織って、どのくらい?」
「う~ん。この都市に居られなくなるかもしれないレベルで。下手したら、この世にも居られないかもね。あはは」
「あはは、じゃない」
カナエがキレたように、机を叩く。周囲の視線がこちらに向くが、カナエは気にせず叫ぶ。
「馬鹿じゃないの。あんた、馬鹿じゃないの」
「そんな、二度言わなくても」
「言うわよ、大馬鹿」
カナエは一喝すると、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返している。
「……で、今の所は大丈夫なの?」
声の調子を元に戻して、カナエが聞いて来る。
「まぁ。今のところはね。本当にヤバかったら、学校に来てないさ」
「それもそうね。……それで、まず、って言ってたから、他にも問題がある感じなんでしょ」
「そう。それだ。一番の問題だ」
「一番?」
カナエはあからさまに眉を顰める。
「もっと、厄介なことがあるっての?」
「そうなのだよ。普通、人を助けたら、お礼を言われて、感謝されて、何か役得的なものを貰って、はい、さようならが基本でしょ」
「……基本かどうかはさておき、まぁ、そこまで間違っていないとは思うね」
「でしょ。でも、奴は、コレットは違った。――ああ。コレットって言うのは、その助けた奴の名前ね。――コレットは言ったんだ。助けたのなら、最後まで責任を取りなさいと」
「つまり。助けた女に、堂々と居座られたと言うこと」
「そうなるね」
「そうなるねじゃないでしょ。あのね。命狙われるかもしれない奴らに追われてるんでしょ? なら、さっさとそのコレットだか言う女の人と、手を切るべきよ。むしろ、そんな女、差し出すべきじゃない」
呆れたように、しかしあくまでソーヤの事を心配して、カナエはそう言ってくれる。
「まぁ、差し出すはさすがにやり過ぎだけど、やっぱり、関わらない方が良いよね」
ソーヤは考える。どうすればコレットは、自分から離れてくれるかを。
昼休みに、食堂に行こうと席を立つと、教室の外からこちらを手招きしている女性が目に入る。
コレットだ。
「どこにいたんだ?」
「図書室にいたわ。面白い本がたくさん有ったわ」
目を輝かせて言うコレット。案外、子供っぽいなとソーヤは思いながら、短く頷く。
図書室に居たと言うことは、コレットは勉強でもしていたのだろうか? しかし、よく見つからなかったものだ。この学校の警備は大丈夫なのだろうかと、ソーヤは少し、いらない心配をしてしまう。
「で、何の用だ?」
「お腹空いたので、お金を下さい」
命令なのか、お願いなのかわからない口調で言って来た。しかし、思いには素直過ぎる回答だ。
思わず、苦笑してしまう。一歩間違えれば、お金をたかられている気分ではあるけれど。
「……俺も食事に行くから、一緒に来るか?」
「ええ、行くわ。何が食べられるか楽しみね」
毎日、似たような定食を食べているソーヤからしてみれば、それほど楽しみなことではないが、コレットは本当に楽しみにしているようだ。
ソーヤはコレットを連れて食堂に行こうとすると、突然、背中を引っ張られた。
振り向くとそこには、カナエが居た。
「どうした?」
「どうした? は、こっちの話よ。誰、その美人」
カナエは小声で聞いて来る。
気になるようで、コレットの方にチラチラと視線を向けている。
そういえば、無茶なことを言われ過ぎて忘れかけていたが、コレットは目を奪われるような美人なのだ。そして、見た目は年上。そんな人がクラスに来れば、目立つのは必然と言える。
周りを見ると、カナエの他にも好奇の視線を向けて来る奴が結構いる。
「ああ……」
説明しようとして、どう説明したものか迷う。
話し過ぎて、カナエはともかく、クラスの連中に、コレットが学校の生徒ではないとバレてしまうのは、さすがにまずい。
ソーヤが考えていると、コレットが後ろから抱きついて来た。
コレットの体は女性らしく柔らかくて、良い臭いまでする。やっぱり男の子であるソーヤ自身、とてもドキドキするものの、何故か相手がコレットだと思うと、素直に喜べず、むしろ作意を感じてしまう。
そんなソーヤの内心など知らずに、コレットがカナエに話しかける。
「この子には危ない所を助けてもらったのよ。そして、仲良くなったの」
「そ、そう。あなたが、ソーヤが助けたって言う」
カナエは頷きながら、コレットに向かって、敵意にも似た感情を放っているように見える。
「……嫉妬でもした?」
「あん?」
「ごめんなさい」
ソーヤが軽口をたたくと、今にも人でも殺しそうな視線をカナエが向けて来るので、ソーヤは思わず謝っていた。
「で、えっと、コレットさん、……だったよね」
カナエがコレットの様子を窺うように尋ねる。
「ええ、そうよ。私はコレット。そう名付けられたわ。ソーヤに」
「はぁ?」
何故だか、カナエがこちらを睨んで来るので、思わずソーヤは顔を逸らしてしまう。
「ソーヤ。あんたが名付けたってどういうことよ」
「だって、名前は無いって言うし、名前は無いと不便だからって……」
「名前がない? どう言うことよ」
「そんなの、俺に聞かれても知らないよ」
ソーヤの訴えに、カナエは不満そうな顔をする。
「……まぁ良いわ。それより、コレットさん」
「ん? 何かしら」
「何でソーヤに付き纏うんですか?」
「それは助けられたのだもの。最後まで責任持って助けて貰おうとすることは、当然のことでしょ?」
「当然じゃない」
ソーヤが思わず口を挟む。それに、カナエも同意する。
「そうよ。助けたことで、最後までその人の面倒を見なければいけないのなら、誰も人助けなんてしなくなる」
「でも。私が今まで読んだ本の中の登場人物は、助けた人を最後まで見捨てなかったわ」
「……いや。そんなのは、本の中の話だし」
「ふ~ん。……じゃあ、人は作られた話よりも劣るのかしら?」
コレットは、馬鹿にしているわけでなく、本当に興味から聞いているようだ。
「別に劣るってことは無いけど、話なんて所詮作りものだし、まず、あり得ないことだし……」
カナエは言葉を濁らせる。
「あり得ない? じゃあ本は、あり得ないことが書かれているの?」
「……それは」
カナエは言葉が見つからないようだ。
「違うよ。本に書かれているのは様々さ。本の中には、真実が書かれ、嘘が書かれ、喜びが書かれ、悲劇が書かれる。コレットが目にしたのには、理想が書かれていたんだろうね。ヒーローのあるべき姿。残念ながら、俺はヒーローじゃないけど」
ソーヤが肩を竦めて言うと、コレットはその話を聞いて、考え込む。
「……理想。でも、私には、ソーヤがヒーローに見えたわ」
「俺がヒーロー?」
ソーヤは苦笑してしまう。
「ええ。だから私は、ソーヤに頼ろうと思ったのだわ」
コレットの言葉に嘘は無さそうで、ソーヤは呆れたような態度をしながらも、女性にヒーローとして頼られると言うのは、悪い気はしなかった。
ソーヤはため息を吐く。自分の単純さが恨めしい。
「……わかったよ、コレット。本に書かれたのは理想だけれど、理想に追い付けないと言うのも、人として情けなくもあるからね。俺のできる限り、面倒は見よう」
「ソーヤ? 何を言ってんの。この人に付き合うのは危険なんでしょ」
カナエが驚き、止めようとする。それでも、ソーヤは首を横振る。
「まぁ、確かに危険かもしれないけど、……いざとなったら見捨てるさ」
「見捨てるって、……あんたは、情が湧けばできなくなるくせに」
カナエの指摘に、ソーヤは苦笑してしまう。
その通りだからだ。
ソーヤは、たいして知らない人間ならいくらでも見捨てることはできる。しかし逆に、少しでも大切な人と認識すれば、自分の事など二の次に、助けようとしてしまう。
カナエはソーヤのそう言う所を知っているので、本当に心配してくれている。それがわかるので、ソーヤは大丈夫だと言うように、カナエの頭を優しく撫でる。
「さて、飯食いに行くんだろ。行くぞ」
ソーヤはコレットにそう言って、教室から出て行く。
「待ってました」
コレットは喜びの声を上げて後を追う。
「あ、ちょっと」
カナエがソーヤの事を呼び止めようとするが、ソーヤはこれ以上話したところで、飯を食いに行く時間が無くなるだけなので、気にせずに食堂に向かうことにする。
食堂に着くと、コレットは食堂のメニューの見本を、かじりつくように見ている。
「……見たことのない、食べ物がいっぱいだわ」
コレットが目を輝かせて言う。
「見たことない食べ物って、……普通だろ?」
コレットは首を傾げる。
ここは普通の学食だ。
他の学校とたいして違いがあるわけではない、普通のメニュー。
ご飯を主とした日替わりの定食と、パスタ、丼ぶりもの、カレーやうどん。近くの購買にはパンも売られている。
そう、このメニューは食堂だけでなく、一般的な家庭ならば必ず目にしてもおかしくない料理ばかり。
それを初めて見る食べ物なんて、おかしなことを言うと、ソーヤは思ったのだ。
「この料理を知らないって、いったい、コレットはどんな食事をしてきたんだよ」
言った後に気付く。
そう、全ては知っていて当たり前の食事だ。では、その料理を知らないコレットは、本当にどんな暮らしをしてきたのだ?
ソーヤが戸惑っていると、コレットは答える。
「いつもは普通に、朝食べたパンやスープと同じようなものを食べていたわ。後は、足りない栄養をサプリメントで補うって感じね。それが、私のずっと食べていたものよ」
なんだ、それ?
コレットの言葉に、我が耳を疑う。
一回の食事で、そのメニューなら無くはない。しかし、毎日毎食同じとは、普通の生活ではあり得ない。
「でも、美味しさは、おじさんの料理と雲泥の差だったわね。私にとって、おじさんの料理は衝撃よ。外の食事って、あんなに美味しいものなのね」
「外? 外の食事ってなんだよ。コレットは本当に、どんな暮らしをしてたんだ?」
さすがに聞き捨てならなくて、ソーヤは尋ねる。
「そうね、……そう、私は物心付いた時から、ずっと病院暮らしだったのよ。だから、全ての食事は病院食だったわ。病院食って、不味いのよ」
コレットは言葉を選ぶように言う。
「じゃあ、あのコレットを追ってた奴って、病院関係者じゃないのか?」
「いえ、あれは、……悪者よ」
笑顔で言い切るコレット。
「そうなのか? でも、そんなに長いこと病院に居たってことは、体が悪いんだな。学校が終わったら、病院で体の検査をしに行った方が良いんじゃないか?」
「いえ、……必要ないわ。もう、元気よ、元気」
まるで誤魔化すようにおどけて力瘤まで作って見せる。
「でも、俺と会うまで、病院食ってことは、退院したばかりなんだろう? 自分で元気だって思っても、ちゃんと検査した方が良い」
「だから、大丈夫だって言ってるでしょ」
さすがにしつこ過ぎたのか、コレットは打ち切るように言う。
「……まぁ、大丈夫だっていうなら良いんだけど」
ソーヤは妥協する。
「納得したなら、行くわよ」
コレットは不機嫌そうに券売機の方へ行く。
ソーヤは勢いに押されて頷いたが、コレットの言葉を信じて納得したわけではない。
いくら、病院で暮らしていたって、コレットの言うような食事だけというのは、あり得ない。むしろ、病院だからこそ、体調に気にかけて、例え不味くとも、色々な料理を出すものだ。
おそらく、コレットの暮らしは病院ではない。
もっと、非人道的なところだろう。
更にきな臭いことに関わった気がしてきたなと、コレットの後ろ姿を見ながら、ソーヤはため息を吐く。
ソーヤは天ぷらうどんを選び、コレットもソーヤの真似をして、同じ天ぷらうどんにしてきた。
コレットはうどんの食べ方がわからないのか、ソーヤが食べているのを見ながら、見よう見真似といった感じで、食べ辛そうにしている。
箸を使ったことがないのか、持ち方もぎこちない。
周りの生徒は、コレットの美しさに目を向けて、コレットの変な食べ方に驚いている。
「はぁ」
ソーヤはため息を吐くと、自分の進めていた箸を止めて立ち上がる。
「どうかしたの?」
コレットが尋ねて来たが、ソーヤは答えずに食器置き場まで行き、そして、戻る。
「ほら、これを使え」
ソーヤはフォークを差し出す。
うどんは箸で食べるものだけど、箸を使えていないコレットには、フォークの方が楽だろうとソーヤは思ったのだ。
「あ、ありがとう」
コレットは少し戸惑いながらも、素直に礼を述べた。
「別に、変な注目を浴びたくなかっただけだ」
ソーヤは照れ臭く、そっぽを向きながらわざとぶっきら棒に答える。
「ねぇ、ソーヤ」
コレットが神妙な声を出して話しかけてくる。
「何だ?」
神妙な声に、ソーヤは怪訝な顔をして振り向く。
コレットは何か思いつめるように俯いている。
「私は、……普通の人とは違うのかしら?」
それは違うだろうと、ソーヤは言おうとしたが、コレットの目を見て口を噤む。
コレットの目には、いつも強い意志の光がある。ソーヤにとって、コレットの綺麗な容姿以上にコレットの強い意志の宿った瞳が印象的だった。
そして今、そのコレットの瞳が揺らいでいる。
不安なのだ。
自分が普通の人とは違うということが、コレットの意志を覆すほどに。
何がそんなに不安なのかはソーヤにはわからないが、今から言う答えによっては、コレットの心は壊れてしまうのかもしれない。
少なくとも、ソーヤにはそう思えた。
ソーヤは考える。
ひたすら考える。
おそらく、コレットの安心しそうな回答はわかる。
違わないと言えば、コレットは安心するだろう。しかし、それで良いのだろうか?
コレットははっきり言って、普通の人とは違う。
変な奴だ。
普通なら知っていることを知らない。世間知らず。
だからと言って、全くの無知というわけでもない。
普通にお金の使い方もわかっていた。
昼休みまで騒ぎを起こさなかった所を見るに、学校という場所についても大まかには把握してもいそうだ。
というよりも、知識だけなら、かなりの知識を持っていそうな気さえする。
コレットに無いのは知識というよりも、日常的な経験だ。
普通は毎日の積み重ねとして、体験するであろうものが、コレットには欠落している印象を受ける。
そう、まるで、知識だけを詰め込まされた人のようだ。
やり方は理解しているけど、実際にやったことはない。
それが日常単位である人間が、普通であるはずがない。
例えこの場で、コレットは普通だと言って宥めたところで、すぐに他の人が変わり者扱いして、コレットは不安になることだろう。
それならば、この場は誤魔化さず、正直に向き合わせた方がいいのではないか?
しかし、本当のことを言って、コレットの心が壊れてしまったらと思うと、ソーヤは言い切るだけの自信もない。
「ソーヤ?」
黙り込むソーヤに、コレットがより不安そうにこちらを見て来る。
このまま黙り込んでいることが、コレットの不安な考えを促進させているようだ。
ソーヤは、意を決して言葉を紡ぐ。
「コレットはちょっと変わってる」
「ちょっと?」
コレットは戸惑ったように言う。
ソーヤはオブラートに包んで、本当のことを話すことに決めた。
「そうだ。コレットは少し他の人と違う。なんていうか、無知過ぎる所がある。でも、それは病院という環境に閉じ込められていたから仕方ないことだ。今の自分を恥じるなら、どんどん経験していけば良い。そうすれば、普通の人と変わらない」
「……経験ね。……そう、経験なのね」
ソーヤの言葉に、コレット自身、何がしかの納得する答えを出したのか、頻りに頷く。
「悩みも解決したし食べますか」
コレットはそう言って、フォークを動かしてうどんを食べ始める。
コレットの悩みは良くわからないけれど、少しくらい変わってても、そんなの個性だと思うしあんまり気にしなくて良いと、ソーヤは思う。
「さてと」
ソーヤもうどんを食べるのを再開しようと、テーブルの端に置いてある調味料から、七味唐辛子をとり、うどんにかける。
「何それ?」
コレットは、ソーヤの行動を興味深そうに見ている。
「うどんに七味唐辛子を入れて、一味付けたりするんだよ。まぁ、好みの問題さ」
「ふ~ん。でも、最初は入れてなかったわよね」
「調味料は、味が薄かったり、ちょっと味を変化させたい時に入れる物さ。うどんには元々、味付けはしてあるからね。その味も確かめずに、勝手に味付けするって、料理を作った人を馬鹿にしている気がしてならない」
人の中には、味が薄かったらソースをかけてと言っておいたにも関わらず、食べる前からソースをかけ、味が濃いと文句を言うような人が実際にいる。
そう言う人を見ると、ソーヤは苛立ちを感じる。
「なるほどね。……ふむ、でも七味唐辛子にも興味がある。私もかけてみよう」
コレットも七味唐辛子の容器を手にする。
「あまりかけ過ぎるなよ。辛すぎて食えなくなるぞ」
「ええ」
コレットは頷きながら、七味唐辛子を少しかけて、うどんの味を確かめる。
「おう、少し味に辛みが効いて、良いんでないかしら。――もうちょっと入れてみよう」
更に二口ほど食べてから、七味唐辛子の容器を取る。
「あっ」
そしてコレットは、うどんの上に七味唐辛子の容器を落としてしまう。
「……ああ」
赤く染まっていくうどんの汁。もう、どうすることもできない。
絶望に染まるコレットの顔。そんな顔を見ていると哀れにすら思える。
「金をやるから、違うの買って来い」
呆れながら言うと、コレットは首を横に振る。
「食べるわ。勿体ない」
「やめとけ」
「食べるのよ。何事も経験よ」
世の中にはしなくて良い経験もあるとソーヤは思う。
しかし、コレットは何を言っても止める気は無さそうなので、とりあえずソーヤは、一口食べるのを見守る。
「……ひぐっ」
コレットが一口食べると、一拍間を置いて奇声を上げ、手がブルブルと震え、額から汗がブワッと吹き出る。
尋常ではない反応。
「だ、大丈夫か?」
ソーヤは心配になって声をかけるが、コレットは答える余裕もなさそうだ。
「とりあえず、水を飲め」
自分の為に注いでおいた水をコレットに渡し、ソーヤは新たに水を注ぎに行く。
コレットの反応はソーヤの予想以上だった。
一口だけで、あそこまで苦しむことになるのなら、無理にでも止めておけば良かった。
そう言えば、コレットはずっと同じ様な食事をしていたという話だ。こういう強烈な刺激に、普通の人より慣れていないのかもしれない。
何度か水を飲んだことで、コレットもやっと落ち着いてきたようだ。
「辛いもの怖い、辛いもの怖い、辛いもの怖い――」
うわ言のように繰り返すコレット。
「本当に大丈夫か?」
ソーヤが尋ねると、コレットは虚ろな目で見上げて来る。
「私はもう駄目よ。後は、任せたわ」
そう言いながら、差し出して来る、真っ赤になったうどんの入った器。
既にのび始め、麺まで赤くなり始めている。
「嫌なものを、任されたな」
とりあえず、ソーヤは任されても食べられるとは思わなかったので、トレーごと持って、返却口に返しに行く。
結局、コレットは昼休みに完全回復することなく、昼食を食べ損ねてしまう。
放課後、教室から出ると教室の前にコレットが行き倒れていた。
「……どうした?」
正直な所、関わりたくはなかったが、聞いてやらなければいつまでもそうしてそうなので、仕方なくソーヤは声をかけてやる。
「お腹が空いて、もう駄目だわ」
昼飯をまともに食べれなかったのだから、お腹が空いているのはわかる。しかし、もうちょっと、表現を変えて欲しい。
「舌は良くなったのか?」
「まぁね。それより、何か食べに行きましょう。私のお腹はペコペコよ」
お腹が空いていることを、ひたすら強調するコレット。
「夕飯まで我慢しなよ」
呆れてソーヤが言うと、コレットは信じられない者でも見るような顔をする。
「……鬼畜?」
「誰が鬼畜だ。……はぁ。まぁ、良いよ。帰りにどこか寄って、軽くなんか食べようか」
「じゃあ、私も行くわ」
いつの間にか後ろに来ていたカナエが、そう言ってきた。
「カナエも行くの?」
「そうよ。話は途中だったしね。まぁ、ソーヤが人の面倒を見るって決めたのなら、これ以上止めたりはしないけれど、ちゃんと、コレットさんから話を聞きたいもの」
「そうだな」
ソーヤは頷く。カナエの言うこともわかるし、ソーヤにしても、コレットの話をしっかりと聞きたい。誤魔化さずに。
ちゃんと答えてくれるかはわからないけれど。
ソーヤ達三人は、駅の近くにあるショッピングモールにあるファミリーレストランに入る。
「たくさんのメニューね。これは何かしら? 食べてみたいわ。これも何かしら? うわ、食べてみたいものが多いわ」
席に着くと、コレットはメニュー表を早速広げる。このままでは、全て頼みそうな勢いだ。
「あんまり、食べ過ぎないでよ。それで夕食を食べれないとか、マジでやめて欲しいから」
「むぅ。夕食も大事よね」
コレットは迷ったように、メニューを見直し始める。それをカナエが、呆れたように見つめる。
「なんて言うか、コレットさんは食欲旺盛ね」
「びっくりだよね。カナエはなんか食べる?」
「私は良いや。ドリンクバーだけで」
「そっか。じゃあ、俺はバナナパフェを」
「……」
「何、その馬鹿にしたような目は」
「いやいや。大の男がバナナパフェって」
「好きなものは仕方ない。と言うか、そう言う偏見は良くないよ。俺以外にも、好きな男は多い。それでも恥ずかしいと言う思いで頼まない。なんというか、店的にも売り上げマイナスだし、好きな奴的にも満足感が薄まると言う負の連鎖」
「まぁ、世の偏見は、店側の思惑とは違う所に行くわね」
「全くさ。しかし、それは店側の性でもあると、俺は思うよ。もし、お店に頼んだとしても、店員がバナナパフェを置くのは女性の方さ。店側にも偏見があるからこそ、世の男子は、ファミレスではパフェを頼み難いんだよ」
「確かに、ファミレスのパフェって女性客を意識して、可愛らしいものね。でも、そんな力説をするソーヤはかなりうざい」
「うざいって言われた」
ソーヤはショックを受けて、テーブルに突っ伏す。
「と言うか、コレットはまだ決まらないのか」
「むぅう~。正直、食べたものないものばかりだから、何がどんな味なのか、全く想像できないのよ。また、ソーヤと同じものにしようかしら?」
「俺のはデザート的なものだから、空腹を紛らわすのには向いてないよ」
「そうなんだ」
確かに、食べたことないものだと味がわからなくて、何を食べようかだなんて、わかるわけがない。納得するコレットを見ながら、ソーヤもまた、納得してしまう。
「食べたことないものばかりって、どういうこと?」
カナエが不思議そうに首を傾げる。
「何でも、病院に居たとかで、あまり、普通の食事とは縁がなかったらしい」
「ふ~ん。……じゃあ、私のお薦めは、このドリアよ」
カナエは、コレットが持つメニューの中の一品を指差す。
「そうなの? じゃあ、それにしよ。ありがとう。……えっと」
「カナエよ」
「そう。カナエ」
コレットは頷く。
しばらくすると、店員がメニューを取りにやって来る。それを見て、ソーヤは身を固くする。メニューを取りに来た店員は、人型ゴーレムだった。
細かな所に機械の部品が見え隠れしているだけで、その姿はパッと見、人と変わらない。
人員を削減する為に、客の注文を取り料理を運ぶゴーレム。そういった役割をゴーレムに任すのは、世間で広がっている。特に、ファミレスなどのチェーン店は、その波を大きく受けている。その為、このファミレスでゴーレムが使われているのは、特に変わったことではない。けれど、人型ゴーレムの苦手なソーヤが、その姿に身を固くしてしまう。
ゴーレムの姿を目に止めないように、窓の方に視線を向けて、外を眺めるフリをする。
カナエはソーヤの様子に呆れるように苦笑して、代わりに注文を受けてくれる。
人型ゴーレムが注文を受けて遠ざかると、コレットは不思議そうに、ソーヤを見詰める。
「ソーヤはどうかしたの?」
「ああ。こいつは人型の魔法生物が怖いのよ。特に、人に近ければ近い程ね」
「……そうなの?」
コレットは目を丸くして、ソーヤを見る。人型の魔法生物なんて珍しくも無い。そんなものを恐怖するなんて、珍しくも馬鹿らしく思うのは仕方ないだろう。ソーヤは諦めとともに、ため息を吐く。
「昔から、どうも苦手で」
「昔見た、映画だっけ? タイトルは忘れたけれど、主人公の身近な人が次々に魔法生物と入れ替わって行くって奴。そして、入れ替わった人達は殺されているのよね。主人公が気付いた時には、周りのほとんどは、魔法生物に入れ換わっていた。……あれ? 終わりはどんなだっけ?」
「主人公は残った人達と協力して、魔法生物を倒していくんだよ。それでも、既に魔法生物による支配下になった町。最後には主人公は追い詰められて、主人公はある事実を知る。自分が既に、魔法生物に入れ換わっていることにね」
自分の思っていた自分が実際は違った。それは自分の存在意義を失いそうなほど、怖いことだと、ソーヤは思う。
他にも、そういった、魔法生物を扱った映画は山ほどある。昔、ゴーレムが世間で使われるようになった時、魔法生物の反乱を本気で危惧した奴らが、たくさんいたからだ。ソーヤはその時代に産まれてはいないが、その人達の気持ちもわからないでもないと思う。
今もその影響か、魔法生物に人格を与えるのは、基本的には禁止されているし、もし、人格が芽生えてしまったら、反乱を企てる必要がないと思わせるように、人権を与えて人として扱う。監視は付くものの、人と差別なく接することが義務付けられている。
殺処分にしないのは、どこに人格を得た魔法生物が居るかわからない為で、表面上、人格を隠しながら人類に従ってくれている魔法生物に、余計な刺激を与えない為だ。
「映画では、魔法生物は悪者なの?」
コレットは眉を寄せて聞いて来る。
魔法生物が悪者と見られているのは、コレットには、とても嫌なことなのだろう。何がしか、魔法生物に思い入れでもあるのかもしれない。
「魔法生物が悪者の映画なんて、最近は無いわよ。昔の映画くらいよ」
コレットの危惧に、カナエは苦笑して答える。
「そうなの?」
「魔法生物は人の役に立っているわ。人の生活には無くてはならない程にね。だから、今の映画では、魔法生物に感情が芽生えて、友情や愛情を人との間に育むって、話しが相場ね」
「そうなのね。なら、何でソーヤは、そっちの影響を受けなかったの?」
コレットはソーヤを非難するように見て来る。
「うるさいな。元々、苦手なんだよ。魔法生物なんて、人間にいくら似せた所で、人間じゃない。例え感情を持った所で、それが俺ら人間と同じだとは思えない。人間ってのは、理解できない者が怖いんだよ。そして、俺は魔法生物の考えや気持ちなんて、理解できないから、結局の所、怖いのさ」
「……でも、人間同士だって、何を考えているか、完全にわかっているわけではないと思うわ。ソーヤの言うことを考えるなら、ソーヤは人間も怖いと言うことになるわ」
「まぁ、そうだね。と言うより、知らない人間を怖いと言う思いだって、俺にはもちろんあるさ。でも、魔法生物より、人間の方が自分に近いとは思えるし、想像がいくらでも利く。だから、魔法生物と人間じゃ、恐怖の度合いは変わって来る」
「むぅう」
ソーヤの答えに、コレットは悲しそうな顔をして、不満そうに唸って来る。なぜコレットはそこまで魔法生物を擁護しようとするのだろうと、ソーヤは首を捻る。
頼んだ料理が人型ゴーレムの手で運ばれて来た。コレットは律儀にお礼を言っている。感情なんてあるわけはないのに。
コレットはドリアを美味しそうに食べ始め、ソーヤもバナナパフェを舐めるように味わって食べる。
カナエは二人が食べ終わるのを見計らって尋ねてくる
「で。コレットは何で狙われているの? そもそも、何に狙われているの?」
「さぁ?」
「……」
何故か、カナエはジト目でソーヤを見て来る。
「いや。俺を見られても困るんだけれど。俺だって、コレットにはそう言われたよ」
「……そうなんだ」
カナエは頭痛を抑えるように頭に手を当てる。
「コレットさん。あなたが何を隠しているか知らないけれど、ソーヤは危険を承知であなたの身を守ろうとしているの。少しはソーヤを信じてよ」
コレットは考え込む。
「まぁ、俺としては、コレットが何で狙われているのかは、だいたい予想が付いて入るんだ」
「そうなの?」
ソーヤの言葉に、カナエは首を傾げ、コレットも不思議そうな顔をする。
「おそらく、コレットには未来を見る力があるんだと思う。それはいくらでも悪用できるものだ。それを狙う奴は多いだろう」
「……私は未来が見えるのね。びっくりだわ」
「なんか、違うみたいよ」
「……みたいだね」
自分の予想が外れたようだと、ソーヤは苦笑する。
「……でも、私には、普通の人とは違った力があるのは事実よ」
「そうなの?」
「確かにあるんだと思うよ。変な格好をした少女に追われた時、出現場所を予測していたから。俺はてっきり未来が見えているんだと思ったんだけど」
「変な格好をした少女って?」
「ああ。襲われたんだよね。転移する力を持ったヤバめな女の子に」
「転移を?」
カナエは驚いた顔をする。当然だとソーヤは思う。理論的には、単独の転移などできないのだ。
「まぁ、それで、その転移場所をコレットが予測してくれたから、なんとか逃げられたんだ」
「なるほど。その予測を、ソーヤは私が未来を見ていると勘違いしたわけね。でもあれは、未来を見ていたわけではなく、魔素の流れを見ていただけよ」
「魔素の流れを見るだって?」
ソーヤは驚く。
魔素の流れを見ることが出来る者など、遥か昔に居たと言う、機械を使わずに魔法を仕えた魔法使いくらいだろう。魔素を見ることが出来るからこそ、魔法使いは魔法を使えるのだ。しかし、魔素の流れを見ると言うと、そんなことは、ソーヤにはできないし、今の現代社会で、できる人はいないと言われている。
だが、コレットの口調から言って、コレットは空気中の魔素の流れを見ることができるのだろう。魔素の流れが見える者にとって、魔法の出所を探ることは容易いことだ。つまり、転移先を予想することも、確かに簡単にできることだろう。
まぁ、未来を見るよりは現実感はあると、ソーヤは納得する。
「そして、私には見ている魔素を多少なら、干渉することもできるのよ」
「干渉? 空気中の魔素を使って、魔法が使えるってこと?」
ソーヤが尋ねるとコレットは首を横に振る。
「私はできそこないだから、魔素への干渉は異質なのよ。だから、魔法の形成はできないわ」
「異質?」
「そう。昔の魔法使いは、魔素を変質する力があったわ。けれど、私の干渉は、魔素を動かしたり止めたりすること。魔法を形成する為の、魔素を変質させる力は無いの。だけど、魔導機械の魔素の妨害や、魔法生物との魔素の繋がりを妨害すると言う面では、魔法使いよりも優れているわ。こういう風にね」
コレットがそう言うと、お店の照明の一部が突然消える。
照明の明かりは、魔素の力を変質させて光らせているのだが、コレットがそれを妨害したのだろう。
「すごい」
ソーヤとカナエは驚き、目を見張る。ソーヤの中にあるのは動揺だった。目の前にある力は、予想以上に厄介なものかもしれないとソーヤは思ったのだ。
「感情を持たない魔法生物なら、その動きを止めることまで可能よ」
「……すごいな。しっかし、なるほどな。……なら、追われている時も、妨害して欲しかったよ」
ソーヤは、自身の動揺を誤魔化そうと、冗談めかして言う。
「あの子には通じないのよ。体に変な機械を付けていたでしょ。それで私の妨害を妨害していたのよ」
「マジかい」
ソーヤは呻きながらも納得する。
少女の付けていた機械を思い出す。重そうなのに少女は易々と動いていた。
あの機械は、コレットの妨害を妨害していたのか。妨害を妨害すると言うのも、おかしな話だが、あの機械は数多く放ってきた魔法の秘密だと思っていたソーヤにしてみれば、あの少女の化け物さを改めて考えてしまう。
良く無事だったものだ。
しかしそうなると、あの少女は、何を使って魔法を使っていたのだろうと、疑問に思いもする。
「やっぱり、変かしら? 魔素を見えるって言うのは」
ソーヤが考え込んでいると、不安そうに尋ねて来るコレット。
食堂でのことでもそうだが、コレットは普通ではないことを恐れているように感じる。
だから、ソーヤは首を横に振る。
「ん? 凄いとは思うけど、別段、変ではないだろう? ……けど、狙われている理由はわかったよ。コレットは魔素に干渉できるからなんだね」
実際、魔素が見えるだけなら狙われはしないだろう。そんなもの、魔素の計測器より、少し優れている程度だ。しかし、問題は魔力に干渉できること。
魔導の働きを妨害し、魔法生物の動きを抑制する。
その能力には、色んな利用法がある。
特に、軍事的な目的で。
魔導によって、人の暮らしは進歩し、国際連合ワールズによって、世界が統治されたとはいえ、都市間、国家間での軍事的な争いがないわけではない。そして、ワールズに対して敵対行為をする、レグナスというテロ組織。
軍事能力を求める組織はいくらでもある。
そんな組織にとって、コレットの存在は喉から手が出るほど欲しいことだろう。未来を見る力なんかよりも、よっぽど欲しい力だ。
狙われる可能性はいくらでもあるということ。
「……怖くなったかしら?」
コレットはソーヤの考えを読みとったのか、真剣な顔で聞いてきた。
ここで、怖いと言ったらどうなのだろうか?
解放してくれるのか?
コレットは元々、無理矢理ソーヤに付いて来たのだ。
ソーヤにとっては、迷惑でしかなく、面倒を見る義理だって、本当のところはない。
そして、ソーヤは好き好んで面倒を見ているわけではないのだ。だから、ソーヤは肩を竦めて答える。
「怖いに決まってんだろ? コレットを追っかけて来た奴だって、十分、化け物みたいな奴だったし、ただの学生でしかない俺には、完全に手に余る」
「……そうね」
コレットは悲しげな顔をする。
「ちょっと……」
カナエが、さすがに言い過ぎだと咎めて来るが、これはさすがに、自分自身の問題だ。カナエに言われたからといって、ソーヤに引き下がる気はない。
「ごめんなさい。……私は、あなたに迷惑をかけるべきではないわね。必死になるあまり、無理矢理付いて来てしまったわ。……ごめんなさい」
コレットは謝り、一人、席を立とうとする。
まるで、別れるかのように。
思わず、ソーヤはコレットの手を掴んでいた。
彼女は困惑したような顔をする。
ソーヤもまた、困惑していた。
自分にとって、このままコレットがいなくなってくれた方が良いはずなのだ。それなのに、コレットの身を切るような悲しげな表情を見て、思わず手を掴んでいた。
「どうして?」
どうしてだろうか? 自分は別に正義感のある人間ではないことをソーヤは理解している。
目の前で誰かが騙されていた所で、自己責任でしかないと考えて、ソーヤは助けようとはしないし、喧嘩が起こっても、自分が巻き込まれるのを嫌って近付かない。
ソーヤは打算的に考える。
どれだけ、自分にリスクがないかを。
当初コレットを助けたのだって、ビルから飛び降りれば、追っては来れないだろうから、たいした手間はないと考えたのだ。こんなに手間がかかるのなら、そもそも、助けようとは考えなかっただろう。
だが今、ソーヤはそれをわかっていながら、コレットを止めようとしたのだ。今までのソーヤには考えられないことだ。
情が湧いたのか?
しかしまだ、一日の付き合いでしかない。さすがに情ではないはずだ。……ないはずなんだけど、それでも、コレットの傷付いたような顔を見て、ソーヤは思わず、手を伸ばしていた。
つまり、自分はコレットを救いたいと思っているんだ。
ソーヤは自分の中にある思いに気付く。
思ったより、正義感があるじゃないか。
ソーヤは自嘲的に笑う。
「どうしてだかは俺だってわからないよ。ただの気まぐれさ。でも、コレットのことを救いたいとは、本気で思っているんだ。……自分でも、本当に良くわかってないんだけどね」
冗談めかして肩を竦めると、コレットは茫然とした顔をし、そして、嬉しそうにニッコリと微笑む。
「ありがとう」
ソーヤはコレットの無防備な笑顔に一瞬見惚れるが、咳払いをして誤魔化す。
コレットは、見た目は大人っぽいというのに、子供のように感情がコロコロ変わる。まるで、手のかかる子供だなと内心で呆れながら、自分が見惚れてしまった事実を、ソーヤは考えないようにする。
……ああ、そうか。
やっぱり、情が湧いたのかもしれないと、ソーヤは思いつく。
手のかかる子供ほど、愛情が湧くものだと言うけれど、コレットへの感情もそうなのかもしれない。
「安心したら、お腹すいちゃったわ。おかわりしようかしら?」
「だから、夕飯を考えろっての」
そこらの子供よりも手がかかるなと、ソーヤは内心で苦笑してしまう。
今日は、ジェットボードの練習をすることなく、家に帰ることにした。
家の近くまで来ると、ソーヤとコレットが二人きりになることをカナエは危惧していたようだけれど、何かがあるわけがないとソーヤは鼻で笑い、カナエと別れる。
「カナエは、ソーヤが好きなのね」
「いきなり、何を言うんだろうね」
「でも、そうでしょ? カナエはソーヤの事を凄く心配しているわ。それは、ソーヤの事が好きだからじゃなくて?」
「幼馴染だからだよ」
「あら。私が学校で読んだ本では、幼馴染は素直になれないだけで、好き同士だったわ」
「何を読んでんだか」
ソーヤはため息を吐く。
家に着くと、ソーヤは玄関であることに気付く。
母親が帰っているようだ。
ソーヤの母は、仕事場では責任ある立場にいるらしく、家に帰っていることが少ない。
母親がどんな仕事をしているかを、ソーヤは知らない。幼い頃は、仕事に母を取られているような気がして、苛立ち、仕事の話を頑なに聞こうとしなかったのだ。
さすがに今ではそんなこともないけれど、昔、あれだけ拒否していたのに、改めて、どんな仕事をしているのかを尋ねるのは気恥ずかしく感じ、今でも知らない。
しかし、居て欲しくない時に、居るものだな。
不思議そうにしているコレットを見て、ソーヤはため息を吐く。
……どう、説明したものか。
「あら? お帰り、ソーヤ」
ソーヤがリビングに入ると、母親のシキがソーヤに気付いて抱きしめて来る。ソーヤにあまり時間が割けないことを気にしてか、こういった愛情表現が大げさなのだ。
「はいはい、母さん、ただいま」
ソーヤはおざなりに答えて、くっついて来るシキを引き剥がす。
幼い頃は嬉しかったが、今は気恥ずかしいだけだ。
「もう、照れちゃって。――あら? そちらの子は誰?」
シキは、コレットの存在に気付いて首を傾げる。
「こいつは……」
適当な説明が思い浮かばない。
悩んでいると、シキは何か納得したように頷く。
「ああ、彼女さんね」
「違う」
ソーヤは即答する。
「またまた、照れちゃって。まぁ、上がんなさいな」
シキは、ソーヤの否定を照れ隠しとして判断し、リビングの中に招く。
「お茶を入れて来るわね」
シキは台所へ消えて行く。
「……全く、――すまない」
ソーヤは呆れ果て、コレットに謝る。
「何が?」
コレットが首を傾げる。
「いや、変な母親で」
「そうかしら? 変かどうかはさておき、ソーヤ少年のことを大切に思っているわ」
「まぁ、そうなんだけどな」
母が自分のことを愛してくれていることを、ソーヤだって理解はしている。しかし、この年になると、母の真っ直ぐ過ぎる愛情は、恥ずかしいことこの上ない。
ソーヤは咳払いして気を取り直す。
「……さて、どう説明したものか」
母への説明を考えて、ソーヤはポツリと呟く。
「何を?」
それを聞いたコレットが、不思議そうに首を傾げる。
「いや、コレットのことをだよ」
「事実を言えばいいんじゃないかしら?」
「まぁ、そうなんだけどな」
別に隠す必要なんてない。しかし、追われている理由を聞かれれば、困るのはコレットなのではないだろうか?
まぁ、コレットがそう言うなら、問題ないかと、ソーヤは結論付ける。
「急だったから、良いお菓子はなかったわ」
残念そうな顔をして、母親がティーセットを持って戻ってくる。
手早くお茶の準備をして、ソーヤとコレットの二人を、テーブルの横にある、三人掛けのソファに座らせる。
「さてと、あなたのお名前はなんていうのかしら?」
母親は、テーブルを挟んだ向かいのソファに座ると、コレットに尋ねる。
「私はコレットです。よろしくお願いします」
コレットは礼儀正しく、自己紹介をする。
「そう、コレットちゃんね。私のことはお義母さんと呼んで良いわよ。もしくは、ママ?」
尋ねるようにソーヤを見て来る。
「知らないよ。って言うか、何でコレットの母親になっているのさ」
ソーヤが抗議の声を上げるが、シキは不思議そうに首を傾げる。
「あら? ソーヤの彼女なら私の娘よ。欲しかったのよ。娘が」
「だから、コレットは彼女じゃないって。昨日、ヤバめな奴らに追われていたのを、助けただけで、ほとんど、初対面なんだよ」
「つまり、一目惚れで、略奪愛?」
「こいつの耳は腐っている」
ソーヤは思わず嘆いてしまう。
「お義母さんに耳が腐っているとは失礼じゃないか?」
コレットが怪訝そうな顔で言って来る。
「コレットはコレットで、お義母さんとか、普通に呼んでいるし」
「いや、私はお義母さんの名前を知らないし」
コレットは困ったように答える。
「シキだよ。そっちで呼んでくれ」
「では、シキさん」
「えぇ~」
シキは不服そうな声を上げる。
「お義母さんと、私は呼んで欲しいわ。もしくはママ」
何でそこまで、ママを推すのだろう。本当にママと呼ばれたかったのかもしれない。しかし、母さんと呼ぶことに慣れたソーヤには、今更、ママと呼ぶのは恥ずかし過ぎるので却下だ。
「では、ママさんと呼びます」
コレットはそう言うと、シキは少し考えている。
ソーヤも考える。
ママさんなら、傍から聞いていても、母と娘という関係には聞き取れない。むしろ、誰誰のママさんと言うように、仲良い友達の母親、つまり、おばさんを親しみ込めて言っているように、聞こえることだろう。
ならば、問題ないか? ソーヤがそう考えていると、シキも頷く。
「ん~、少し不満だけど、今は良いわ。いつか、さん付けを無くして見せる」
何やら、やる気を燃やしながらも、シキは妥協してくれたようだ。
「それで、しばらくの間、家で面倒をみたいんだけど、良いかな?」
「同棲? 同棲なのね。お母さんお邪魔かしら?」
目を輝かせて聞いて来る。
「いや、普通に居て良いから。むしろ、家に居て欲しい」
「もう、照れちゃって。部屋はもちろん、ソーヤの部屋ね」
「客室があるだろうに」
ソーヤは疲れたように言う。
「で、家で泊めて良いってことで良いのか?」
確認するようにもう一度尋ねる。
「もちろん良いわよ。ふふ、娘が出来たわ」
シキは嬉しそうに答える。
母親と言うのは、こういうのを止めるべき存在だと思っていたのに、何で母さんはそうでは無いのだろうかとソーヤは遠い目をして思ってしまう。コレットのことを考えるのなら有難いことだけれど、もう少し、まともでいて欲しかった。
ソーヤは理想と現実の違いに絶望しながらも、コレットを客室に案内しようと、ソファから立ち上がる。
夕食も食べ終わり、お風呂に入って出ると、シキがリビングでテレビを見ていた。ソーヤの姿を認めると、呼び止めてくる。
「あぁ、ちょっと待って。ヤバめな奴らに追われているってのは、どういうことなの? なんだったら、ワールズの警察機構に頼りなさい。これでも、お母さん、話は通せる方だから。だから、事情を聞かせて貰えないかしら?」
「……そうだね」
聞いていないようで、しっかり聞いていることに、ソーヤは軽い驚きを覚える。少しは頼れるのかもしれないと、ソーヤはシキの近くに座ると、襲ってきた少女の事とコウガの予測、そしてコレットの能力について語る。
「アルバントにレグニスね。厄介、極まりないわね」
「本当だよ」
「おそらく、その追いかけて来た少女は、魔法生物か、もしくは、人間を兵器として改造させたものでしょう。どちらにしても、非人道的だわ」
「……そうかもね。……もしかして、コレットもそうなのか?」
「コレットちゃんの能力を考えれば、あり得るわ。まぁ、生まれつき、特殊な能力を持っていて実験されていたという可能性もあるけれど、少なくとも、やっぱり非人道的な目に遭っていたのかもね」
「……そうだね」
ソーヤは頷きながら、コレットが魔法生物の可能性を考えて、憂鬱になりそうになる。
「ソーヤ。コレットちゃんは人間よ」
ソーヤの考えを見透かしたように、シキがそう言って来る。
「人間?」
「ええ、そうよ。少なくとも、私には人間に見えるし、そう接するつもり。あなたには、コレットちゃんがどう見える?」
「……まぁ、人間だよ」
ソーヤは答える。それに、シキは優しい笑みを浮かべる。
「そうね。ならば、自分の見て思ったことを大切にしなさい。周りの意見や偏見に惑わされることなくね」
「母親らしいことを言うね」
茶化すような事を言うソーヤ。
「まぁね。これでもソーヤのお母さんなのよ。……でも、相手がアルバントなら、ワールズも危ないか」
「ワールズも?」
「ええ。この都市では、アルバントの影響はワールズよりも強い部分があるわ。もし、軍事目的として、アルバントがワールズに協力しているとなると、コレットちゃんを下手に預けるわけもいかないわね。……ソーヤ。コレットちゃんを助けてあげなさいね。私は、出来る限りの事をしておくから」
真剣な顔で言うシキ。真剣なシキなど珍しく、ソーヤは戸惑いながらも頷く。