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走ることによって、得た出会い

 書き終わって振り返ると、あまり、主人公が活躍していない気がします。

 感想を頂ければ、とても有り難いです。

 よろしければ、お願いします。

 私は自分の部屋を見回す。

 あるのは眠る為のベッドと、人としての知識を得る為の最低限の本。

 私はベッドに腰をかけて、天井近くにある小さな窓を見上げる。そこには鉄格子が嵌められ、僅かな隙間から、外の微かな光が差し込んでいる。

 外の様子なんてわからない。わかるのは昼であるか夜であるかだけ。

 外には何があるのだろうか?

 この施設から出たことのない私は、常にそう思うのだ。

 もちろん、本を読んで、外がどんなものかは知ってはいる。しかし、知っているだけで理解はしていないのだ。それに、字だけの知識には限界がある。時たま、写真から、外の様子を見せて貰っても、それが私の字から想像した知識と当て嵌まることは、ほとんどなかった。

 それに、わからないのは、物だけでは無い。

 友達とは何だろう? 

 家族とは何だろう? 

 恋とは何だろう?

 わからない。

 ここにあるのは怒りと恐怖、諦めと絶望、悲しみと孤独、そして、今日も生きていることへの安堵。

 ここにいるのは実験体と研究者。

 本に書かれている愛も友情も、喜びも楽しさはない。

 私は想像する。

 平凡でも構わない。ただ、人としての人生を送る自分を、想像する。

 人として生きられれば、私は人間になれるのだろうか?

 この感覚は、人にとっての希望であり、夢なのだろう。

 わからない。けれど、私はその想いに縋る。

 しばらくして、分厚いドアの向こうから、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 今日もいつものように実験が行われるようだ。

 果たしてここにいる冷徹な研究者にも、友達や家族、恋人などはいるのだろうか? 私には、彼らが本に出て来る、人間のようには到底思えない。

 もしかしたら彼らも、私と同じように人では無いのかもしれない。


 少年ソーヤは、ジェットボードを走らせる。

 ジェットボードとは、簡単に言えばスケートボードに小型の魔導エンジンを積み込み、大きな推力を持たせたような物だ。小型とはいえエンジンを積んでいるので、板に車輪が付いているような単純な形状ではなく、遥かに大きく無骨な造りをしていて、片足を固定する場所も決められている。

 片足を固定することによって、スケートボードより自由度は減るようにも思えるが、それ以上に、魔素によって色んな反応をしてくれるので、色んな走り方が出来る。

 遥か昔の人々の中には、道具を使わずに魔法を使える人がいたそうだ。

 世界中の大気の中には、目には見えないが魔素と言うものが存在する。魔素に決まった反応をさせると、爆発したり、燃えたり、水になったり、金属になったり、土になったり、遠くの空間と繋げたり、はたまた、物質を強化させたりと、万能とも言える様々な変化と効果を示した。その効果を発揮させた力を、人々は魔法と呼んでいる。

 しかし、人が直接魔法を構成する技術は、今では失われてしまった。魔法を使うには、何より才能が必要で、そして、血が滲むような努力が必要だった。つまり、限られた人々しか使えなかったからだ。

 そして、何よりも、誰でも魔素を操れる技術が発展した。

 機械によって魔素に干渉し、魔法と同じ効果を示す技術。機械を動かすのに才能は必要なく、機械を操るのに血が滲むような努力は必要ない。

 人々の生活は、今までとは比べ物にならない程豊かになり、誰もがその技術を歓迎した。その技術を、人は魔導と呼び、ジェットボードは、その魔導技術を用いて造られた道具なのだ。

 色々な魔法を発揮してくれる。

 ソーヤは、念願かなってジェットボードを購入し、楽しげに走り回る。とはいえ、市街を走り回れば、あまり良い顔をされないのはわかっているので、川の周囲に広がる空き地という、ごく狭い範囲でだが。

 そもそも、ジェットボードはあまり、一般的には好まれておらず、危うい立場にある。ジェットボードのレースは、基本的に何でもありだ。その為。コースと称して、人の家の屋根や壁を勝手に飛び交う者がいる。また、チーム同士で賭けまでしていたりする。そんなものを世間一般は認めない。

 無法都市としても知られる廃棄都市ローテムでは、ジェットボードをエンターテイメントとして扱っている。テレビで流したりして、人気者扱いされてもいるが、あれは周りがほとんど廃墟だからこそ許されていること。ソーヤの住まう夏甘カカンという都市は、都市として完成されているので、むしろ、ジェットボードには厳しいだろう。

 ソーヤはそれを少し不満に思うが、なんとか我慢する。

 出来れば思いっきり走らせたいと言う欲求がないわけではないけれど、自分の実力を自覚している。

 初心者も良いとこだ。それで思いっきり走らせたいなんて、身の程知らずでしかない。

 ジェットボードにはブレーキはないので、ピッタリと思った所に止まるにも、かなりの技術が必要だ。もちろん、ソーヤにはできない。そんな腕で、車が走りまわる車道や、人がたくさんいる歩道を走るのは危険すぎる。


「で、どうなの? ジェットボードは」

 次の日、学校の昼休みの食事も食べ終わり、机に突っ伏して寝ようとしていると、幼馴染のカナエが話しかけて来た。幼馴染であるソーヤの目から見ても、勝ち気ではあるけれど、可愛らしい少女だ。

「もう、最高だ。先輩に借りて何度か使ったこともあるけど、……なんて言うのかな。自分のボードって感じで、何よりも嬉しいんだ」

 ソーヤはニヤニヤしながら、興奮したように口早に答える。

「本当に楽しそうだね。私も始めてみようかな? けど、試してみるにも、ジェットボードって高いし」

 カナエは羨ましそうに言う。

 実際、ジェットボードは高い。車と同等の推進力を出せる魔道エンジンを積んでいる為、小型の車くらいの値段がするのだ。よくぞ自分でもそこまで稼げたと、ソーヤは思う。

 ソーヤは、治安の悪い夏甘の下層区で、探偵をやっている叔父の下、バイトとして裏社会の危ない橋を渡って来たのだ。給金は良かったけれど、本当に危ない目に遭ったと、少し遠い目をしてしまう。

「で、自分のボードが手に入ったってことは、先輩のチームに入るの?」

 カナエが尋ねてくる。

 元々、先輩がジェットボードをやっていて、それに影響を受けて、ソーヤはジェットボードを始めたのだ。

 ソーヤは椅子の背もたれに体を預けて、天井を凝視するように考える。

「……う~ん、どうすっかな」

 ジェットボードをやっている人は、自分達のことをジェットライダーと呼んでいる。

 ジェットライダーは仲間達で、良くチームを作る。

 お互いに技を磨き合うという意味でも、とても良いことだし、また、こういった乗り物をやっていたら、どうしたって競いたくなるものだ。

 だから、他のチーム同士で、ゲリラ的にレースをやることもある。というか、レースが目的になっている人の方が多いだろう。そして、ソーヤ自身がレースの機会を得るには、個人でいるより、チームでいる方がレースに参加できる可能性が高い。

 ソーヤだっていずれはレースをやってみたい。

 ジェットボードのレースは種類にもよるが、ほとんどは、スタート地点とゴールのみが決められているだけで、コースは決まっていない。特に細かいルールもない。

 途中にある色々な障害物を、思い思いのやり方で潜り抜け、誰よりも速くゴールすれば良い。その為なら、妨害すら許される。

 それは危険かもしれないけれど、自由で楽しそうだともソーヤは思う。

 ならばチームに入るべきか?

 ソーヤにジェットボードを教えてくれた気の良い先輩なら、頼めば喜んで受け入れてくれることだろう。

「……やっぱ、やめとく」

 ソーヤは考え、首を横に振る。

「えっ? どうして」

 カナエは意外そうな顔をする。

 てっきり、ソーヤが先輩のチームに入ると思っていたのだろう。

 特にソーヤが先輩のことを嫌っているような素振りも見せたこともないので、それが当然だと思えるのも仕方ないかもしれない。ソーヤ自身、実際に先輩のことは嫌いではないし、むしろ、後輩思いの良い先輩だと心から思っている。

「別に嫌だってわけじゃないんだけど、折角、自分の物を持ったんだから、いつまでも先輩に頼りっきりってのもなって思うんだ。自分一人で何が出来るか試してみたい」

「ふ~ん、そうなんだ。まぁ、良いんでないの。確かに自分だけの力で何かしたいって気持ちは、わからないでもないしね。……いいなぁ。青春だよね。頑張りなね」

「おうよ。自分だけのチームを作ってやるさ」

「まぁ、まずは上手くならなくちゃ、だけどね」

 カナエの冗談めかした言葉に、ソーヤは苦笑する。

 どんなにチームを作りたいと言ったところで、自分がある程度上手くなければ、誰も付いては来ないし、ましてや、チームに誘ってももらえないだろう。そのことは、ソーヤもわかっている。


 ソーヤは家に帰ると、毎日のようにジェットボードを持ち出して、家の近くにある橋の下、誰もいない川の土手部分を利用して練習を行う。整備はされているので、コンクリートの壁に、舗装された地面があるので、下手くそな初心者の練習には最適だ。

 基本的なことは先輩に習ったり、ネット上で見たりしているので、とりあえずは、その基本をどれだけ形に出来るかをひたすら練習する。

 ジェットボードの魔導エンジンは、空気中に存在する魔素を吸って推進力を得る。そして、その効果は推進力だけでは無い。

 ソーヤは、ジェットボードに詰まった魔法を試していく。魔力で車輪方向に重力を作りだして壁を走ったり、下に向かって推進力を爆発的に放つことで、跳躍をしたりする。

 人の中には魔素に干渉する力、魔力が必ず存在する。昔の人はそれで魔法を使っていたらしいが、今の人にそれだけの力はない。いや、あるかもしれないが、使う方法を知らないというのが正確だ。だから、魔導技術はその魔力の力を機械によって補っている。つまり、ソーヤの魔力が機械を仲介して、魔法を使っているのだ。

 ジェットボードの持つ魔法の扱いにも慣れてくると、今度は魔法を使わない技術の向上を目指す。今までの、魔法で必ず出来ることとは違い、こちらの方が圧倒的に上手くはいかない。

「あはは、生傷絶えないね」

 練習を見に来ていたカナエが、本日何度目かになるソーヤの失敗を見て笑う。

「うっせ、これでも成長しているつもりなんだよ」

 ソーヤは不貞腐れたように言いながらも、何が悪かったのかを考える。

 ソーヤのやろうとしていたのは、スピンロールという回転しながら前に進む練習だ。

 上級者は回転しながら壁を登っていく、クライムロールという技を使う。

 ジェットボードは、車輪方向に重力を生み出すことができるので、壁を走ることが出来る。しかし、地面に向かう元来の重力が消えているわけではない。

 なので、回転する遠心力を利用して、元来ある重力を振り払って登るのだ。その方が、慣れた乗り手なら、普通に登るよりも安定して速く登ることができる。

 そして、ソーヤはさっきから、スピンロールの練習として、その場で留まっての回転をしているのだが、いかんせん、軸がぶれる。回っている内に変な方向に進んで行き、それを保とうと無理すれば、バランスが崩れ出し、最終的には転んでしまう。

「どこが成長しているかはわかんないけど、大怪我には気を付けなよ。……いくら防護壁が出ているからって、下手すりゃ、大怪我して死ぬんだからね。シキさん悲しむよ」

 シキというのは、ソーヤの母親の名前だ。

「……母さんのことは言うなよ」

 心配そうに言ってくるカナエに、ソーヤはさも迷惑そうに顔を顰める。

 ジェットボードは魔力を注げば、普通の乗用車のトップスピードと同等のスピードを出すことが出来る。はっきり言って、そのスピードを出している状態で転びでもしたら、簡単に死ぬだろう。

 実際は、ジェットボードのレースは道なき道を行くものなので、そんなスピードを出す場面もないし、出したら出したで、制御が難し過ぎて、そんなスピードを出すことは滅多にない。けれど、出すことは出せるのだ。それだけのスピードを。

 その為、それを危惧した結果として、ジェットボードは魔素を利用して、速度を出すと同時に、不可視の防護壁を展開するようになった。防護壁出さずに転ぶよりは、死ぬ確率は遥かに低い。けれど、必ず安全と言うわけでも、やはりない。

「気を付けるさ。まぁ、今は馬鹿みたいな走りをしなければ大丈夫だろう」

 ソーヤがそんなことを言うと、カナエは呆れたような顔をする。

「ソーヤは普通に無茶しそうだよね。とりあえず、自分の身の安全と、人に迷惑かけないことだけを考えなさいよ」

「わかってるよ。ったく、……お前は母さんかよ。まぁ、人に迷惑かけて、それこそ、使用禁止になったら最悪だからな」

 ソーヤは顔を顰めながら言う。

 折角、買ったばかりなのに、夏甘の中での走行を禁止にされたら堪ったものではない。

 世の中には、町中で無茶な走りをする奴らがいる。その性で、着実に、ジェットボードの印象は悪くなっている。

 ソーヤだってジェットボードを扱う人間だ。思いっきり走り回りたいという気持ちはわからないでもない。

 今のところはたいした腕もないので、川沿いの橋の下という、あまり広いとは言えない場所で練習をして、誰にも迷惑のかからないようにしているが、ある程度の腕を付けたら、同じ様に暴走するかもしれないとも思ってしまいもするだろう。

 決められた所だけを走っているのは、正直、物足りないのだ。

 いつかはローテムに行きたい。

 ソーヤは心からそう思う。

 自由に走り回れるローテムは、ジェットライダーの聖地と呼ばれている。そして、そんな場所なら、凄いジェットライダーがたくさんいるだろうし、仲間だって見つけやすい。しかし、ローテムはそんなに簡単に行ける場所ではない。

 ローテムは廃棄都市。

 都市としての機能は半分も動いておらず、他の都市程のしっかりとした警察機構があるわけでもない。治安がとても悪いので、ローテムへの移動には極めて多くの規制が存在する。

 正規の手段で行くには、仕事として大会社経由で国から許可が下りたか、警察機構の一部として、ローテムの治安を取り締まる為に出動させられるかぐらいだ。しかし、不正規の手段であれば、いくつか入る手段は存在する。

 ローテムにいる多くのジェットライダーも、そう言った不正規な手段を用いて移動したのだろう。しかし、その方法は不正だ。不正を行った以上、戻ってくることも容易ではなくなる。むしろ、戻る方が難しいだろう。

 今はまだ行けない。

 ローテムは外国なのだ。言葉の壁だってあるし、やり残していることだってもちろんある。何より、自分がローテムに行けるようなレベルではないともわかっている。

 今はただ、ジェットボードの腕前を磨く時だと、ソーヤは改めて自分に言い聞かせる。

「さて、そろそろ帰るか」

 ソーヤは立ち上がって、腰に付いた土を払う。

「そうだね」

 カナエは自分の携帯端末で時間を見て頷いた。


 帰り道、ソーヤは自転車で来ていたカナエの横を、ジェットボードでゆっくり走る。

 今まで、先輩のジェットボードで、ある程度練習していたのだ。普通に走らせるには、特に問題ない。しかし、レースレベルのスピードでも出そうものなら、まともに走れる自信は、今のところソーヤにはない。

 自分はジェットボードを活かし切れていない。

 ソーヤは何とも情けない気分になる。

「チャッチャと上達する方法とかないもんかね」

「ないでしょ。というか、少しでも早く上手くなりたいんなら、上手い人に弟子入りするのが一番良いんじゃないの。先輩とか、先輩とか、先輩とか」

「……何でそんなに先輩押し?」

「いや。私、先輩以外のジェットボードやっている人は知らんし」

「そっか。まぁ、確かにそうかもな」

 ソーヤは頷きながら考える。

 カナエの言う通り、ソーヤにとってジェットライダーの知り合いは、先輩関連だけだ。

 やっぱり、先輩のチームに教わるのが一番なのだろうか? しかし、教えてもらうということは、先輩のチームのメンバーとみなされてしまう可能性が高い。

 別に絶対に嫌だということではないのだが、最初の、チームを自分で作るという抱負をいきなり破りたいとも思えない。

「まぁ、もう少し、独自に頑張っていくさ」

 そう。今は特に焦る必要はないのだ。

 これから、ゆっくりと考えて行けばいい。

「ソーヤの好きにすれば良いよ。ソーヤの道だからね。ただ、偶に先輩に相談するくらいは良いとは思うけどね。あの先輩、結構ソーヤのことを心配してたからね。本当に良い人ね」

 カナエの言葉に、ソーヤは考えるように宙を見る

「……そっか。んじゃ今度、挨拶ぐらいしに行くかな」

「そうすると良いよ」

「ああ」

 ソーヤは頷く。


 家に帰ると、テーブルには母親の書置きとお金が置いてあった。

 どうやら、急な仕事が入ったらしい。

 ソーヤにとっては、良くあること。置いてあるお金で夕飯を買えということが、書置きには書いてあった。

 前までは、そこでケチって、ジェットボードを買うお金の足しにしていたが、もう既にその必要もない。

 久しぶりに、外で豪勢に行こうと考えて、練習で汚れた汗や泥をシャワーで流し、再び外に出る。

 道を歩いていると、ゴミ拾いをしている人影が目に入る。

 感心な人もいるものだと思って近くを通ると、ゴーレムだった。

 当たり前かとソーヤは思う。

 ゴーレムは、元々、石像などや金属などを利用して造られる魔法生物だ。

 製造者の命令に従うのだが、昔は大雑把なことしかできなかった。しかし、機械が発展し、制御コンピューターをゴーレムに組み込むことで、単純な命令だけでなく、細かい作業にまで対応できるようになった。

 力仕事や細かいけれど単純な労働、人が嫌がるような清掃など、ゴーレムは色んな産業を支える力となり、今では見かけない日はないほどだ。

 それは、ゴーレムだけではない。

 魔法生物は他にも色々と存在していて、町の暮らしを手助けしている。

 例えば、町を照らす外灯。

 これも、レムという空を浮かぶ球状の魔法生物だ。

 レムはただ光るだけの生物で、日のあるうちは発光を止めて魔素を蓄え、暗くなると魔法を使って発光し出し、近くを歩く人の上を照らす。

 同時に人がいると言うことを知らせてしまう魔法生物だから、後ろ暗い人間には嫌な魔法生物かもしれないが、普通に暮らす人間には、明かりをもたらしてくれるだけでなく、防犯対策にもなる素晴らしい魔法生物だ。

 他にも、ジェルと呼ばれる液状の姿をした、水を浄化させる魔法生物や、追尾型のカメラとして使われる、アイリモと呼ばれる魔法生物もいる。他にも魔法生物は多岐に渡って存在する。それほどまでに、魔法生物は人々の暮らしに密接に関わっているので、別段珍しいものではない。むしろ、ゴミ拾いをしている者がいたら、普通はゴーレムだと考えるだろう。

 ソーヤは、黙々と働くゴーレムを見ながら、胸糞悪い気分になる。

 ソーヤはゴーレムが嫌いだった。

 表面は特殊な合金で造られたフレームで覆われていて、人と簡単に区別できる。とはいえ、人の形をした存在。

 意志もなく、言われたことを黙々と行うその動作はまるで操り人形のようで、下手に人に似せている性で、自分もいつか、ゴーレムのような操り人形になるのではないかという恐怖を感じるし、もしくは反対に、突然ゴーレムが意志を持ち、人に反旗を翻すかもしれないとも思えてしまう。

 その影響は、昔見たテレビか何かだろうとは思っているし、そんなものはただの杞憂であることも、ソーヤ自身もちろんわかっているのだが、それでも一度こびり付いてしまった考えというものは、簡単には払拭できるものではない。

 だからソーヤは、ゴーレムというよりも、人型の魔法生物が好きになれない。

 おぞましいとすら思えてしまう。

 とはいえ、今の人々の生活には、ゴーレムのような魔法生物が必要だというのも十分にわかっているので、特にソーヤは感情をそれ以上出すことも無く、近くのショッピングモールへと向かった。


 次の日、ソーヤはジェットボードを持って、遠出をする。遠出と言っても、車で三十分程度の距離なのだけれど、今まで五分圏内の橋の下と比べれば、十分に遠出だ。

 十何年か前、夏甘の中に大がかりなテーマパークを造ろうと言う動きがあった。だが、開発途中でその企画をした会社が潰れ、工事が途中で止まってしまったのだ。その場所は工事途中のまま手付かずの状態で残っていて、そこは、ジェットライダーにとっての練習場として利用されていた。

 造りかけのジェットコースターや観覧車などのアトラクションの数々。中には、足場が取り付けられたままの建物まである。それはジェットライダーにとって、格好の障害物であり、そして、広大な土地は、どんなに騒いでも迷惑かける人もいない。正に、絶好の場所といえるだろう。

 実際には、不法侵入という罪を犯しているのかもしれないが、警察機構は、特に咎めたりもしてこない。

 ここを立ち入り禁止にしたら、町で無茶するジェットライダーが増えることが目に見えているので、わざと見逃しているというのが、専らの噂だ。

 夏甘のジェットライダーにとって、この場所は楽園となっている。

 ジェットライダーはその場所を、ライドランドと呼んでいた。


 三十分ほどかけて、ライドランドにやって来たソーヤは、とりあえず中に入って、人を探す。

 目的の人物は、いつもの場所で練習していて、すぐに見つかった。

「シュン先輩、久しぶりです」

 チームを表わす為に、同じ様なシャツを来ている集団の中、筋骨隆々の大柄な男に話かける。

「おう、ソーヤじゃないか。久しぶりだな。ジェットボード買ったんだろ? なんですぐに来なかったんだよ」

 文句を言いながらも、笑顔でソーヤの頭を撫でてくる。

「いやぁ、先輩お節介だから、正直うざい」

「言ったな、この野郎」

 ソーヤの軽口にシュンは、ソーヤの頭を小脇に抱えて、ヘッドロックをかけて来た。

「うわっ、熱いし痛いし、とにかく汗臭い」

 そんな二人のやり取りを見て周囲は笑う。

 いつものやり取りだ。

「で? 何で来なかったんだ?」

 二人はひとしきりふざけ合った後、シュンが結構真面目に尋ねて来た。ソーヤも真面目に答えることにする。

「正直、世話になり過ぎてたから、自分で苦労してみたいと思ったんですよ。というわけで、先輩のチームには入んないぜ」

「いらねぇよ。お前なんか」

「マジかい。それはそれで悲しいよ」

 入る気はないが、面と向かっていらないと言われるのは、結構きつい。

「とにかく、お前の好きなようにしな。俺はお前の言う通りお節介だから、困ってたら力は貸すからよ」

「……先輩」

 ソーヤは結構感動した。

 良い人だと思っていたが、本当に良い人だ。世の中こんな人だらけだったら、平和だろうに。まぁ、ごつすぎる世界になりそうで嫌ではあるけれど。

「じゃあ早速、ジェットボードがチャッチャッと上手くなる方法を教えて下さい。明日には、先輩を超えているよう――ぐあ」

 ソーヤは頭を殴られて痛みに蹲る。

「んなもんあるわけないだろうが。死ぬ気で練習しろ」

 調子に乗り過ぎたようだ。

 怒られてしまった。

 ソーヤは身を起こすと、肩を竦めて答える。

「まぁ、わかってるさ。そんなに上手く言ったら楽しくないしね。上手くいかないのが、段々上手くなっていくから、物事は楽しい。楽な道なんて選ぶ気は元々ないさ」

 シュウは呆れたような顔をする。

「お前は、偶にどこまで本気なのかわからんな」

「失礼ですね。俺はどこまでも本気ですよ。半分くらい」

「半分冗談かよ」

 シュウは苦笑いを浮かべる。


 ソーヤはシュウと別れて、ライドランドを見て回る。

 シュウに、一緒に練習するかと誘われたが、今日はやめておく。

 正直な話、彼のジェットボードの技術は普通だ。もちろん、素人に毛が生えた程度の自分よりも断然上手いが、やはり、上を狙うならもっと上手い奴の技術を盗まなくては駄目だろうと、ソーヤは思う。

 それに、シュウの近くは居心地が良過ぎる。自分が思わず堕落してしまうのではないかと思えてしまうほどに。だから、シュウは選べない。

 ソーヤはとりあえずの目標になるような奴はいないかと、ライドランドを探し回る。そして、そいつを見つけた。

 最初、ソーヤがそいつに着目したのは、若さだった。

 自分と同い年くらいの少年。

 ジェットボードは値段が高い。だから、ソーヤぐらいの年で行っているものなんて少ない。それこそ、当初の自分のように、先輩のボードを借りてとかならわかる。しかし、その少年のジェットボードは、確実に馴染んでいて、少年のものだと一目でわかる。

 自分と同い年ぐらいの少年ということに興味を引かれ、そいつがどの程度実力かが気になり、後を付けることにする。

 少年の技術は凄まじかった。

 ダウンライド。

 しゃがんだ状態で走り、障害物を潜り抜ける技。

 普段、ジェットボードは腰でバランスを取っているので、しゃがみ込むことで、バランスを取る位置が変わってしまい、思うように走れなくなる。なので、難しい。しかし、少年はそれを軽々とやってのけ、あまつさえ、左右へのジグザグ走行による遠心力を利用して、ソーヤの思っていた限界以上に、態勢を低くしている。

 カットターン。

 後輪を浮かし、前輪を中心に、擦りつけるようにして横に回転することで、その場で曲がる技。今まで出していたスピードを、一気に零にしてしまうが、ジェットボードは急激な加速が売りなので、急な方向転換をする時には、推力を使って無理に曲がるよりも、こちらの方が、色々なロスが少なく、無理なく曲がれる。これはスピードを出せば出すほど難しいのだが、少年はかなりのスピードを出していると言うのに、軽々とやってのける。

 少年がポケットから取り出したボールを空に投げる。

 スラッシュロール。

 前に体重をかけた後、即座に後ろに体重移動し、前輪を浮かせたタイミングで、下方に推進力を放つことで、その場で後方宙返りする技。少年は、落ちて来たボールをスラッシュロールで再び蹴り上げ、落ちて来たボールをキャッチする。まるで曲芸だなと、ソーヤは驚きとともに、感嘆してしまう。

 ループアンドロール。

 スラッシュロールと正反対の技。体重を後ろから前に移すことで、前方宙返りを行う技。少年は障害物をループアンドロールで、軽々と飛び越える。

 それら全てが、シュウよりも明らかに上の技術。

 自分と同い年くらいの少年の出す技の数々に、ソーヤは嫉妬する。しかし、それ以上に、少年の走りに魅せられていた。

「……何か用か?」

 ソーヤがずっと見ているのが気になったのだろう。不審なものを見るように少年が尋ねて来る。

 少年は、赤みがかった髪色をしていて、ソーヤより少し背が高く、とても、整った顔立ちをしている。しかし、顔にはあまり表情がなく、冷たい印象を与える。なんとも、とっつき難そうな相手だ。自分よりも背が高いのも気に喰わない。

 それでも、ソーヤは友好的な笑みを浮かべる。

「あぁ、悪い。ただ、あんたはとても上手いなと思ってな」

「そうか」

 少年は何でも無いことのように頷いて、ソーヤのジェットボードを見る。

「……お前もジェットボードをやっているんだろ。どのくらい乗れるんだ?」

「いやいや、俺なんてあんたに比べればまだまださ。始めたばかりだしな。……なぁ、俺にジェットボードを教えてくれないか。コツとかさ」

「嫌だ」

「うわっ。即答された」

「俺は自分のことで手一杯だ。誰かに教える余裕なんてない」

「……そうか。悪いな、無理言って。そうそう、俺はソーヤだ。あんた名前は?」

「トウジだ」

 トウジは素っ気なく答えて、再び走りだす。

 その走りはやはり凄い。

 どの動きにも無駄はなく、その様は正に流れるよう。流麗という言葉はトウジのような走りを言うのだろう。

 あれを目標にしようと、ソーヤは心に決める。


「……また、お前か」

 トウジは呆れたような声を出す。

 まぁ、わからないでもない。

 トウジと出会ってから、毎日のようにこの場所に会いに来ている。こんな風に、毎日来られたら、誰だって呆れることだろうとは、ソーヤも思う。しかし、自分が知っているトウジのいる場所は、ここのライドランドだけだ。

 毎日会えるってことは、トウジが毎日練習しに来ているということだ。

 本気で嫌なら、練習場所を変えるはずだろう。だから、そんなに嫌がってはいないはずだと、屁理屈捏ねて、ソーヤは毎日ここに来る。

「俺はお前に教えないぞ」

「わ~てるって。昔の職人さんは言いました。習うより慣れろ――じゃなかった。えっと、人の技術は教わるものじゃない。盗むものだと」

「……つまり、俺の技術を盗むってことか」

「そうです。師匠」

「誰が師匠だ。……勝手にしろ」

 トウジは関わるだけ無駄だと思ったのか、ソーヤの存在を無視して走り出す。

 ソーヤもそれを見ながら後を追う。

 トウジがダウンライドをする。

 ソーヤもダウンライドをする。(つもり)

 トウジがカットターンをする。

 ソーヤもカットターンをする。(明らかに遅い)

 トウジがスラッシュロールをする。

 ソーヤもスラッシュロールを――ふぐっ。

 勢いが足らずに後頭部から落ちてしまった。

 あまりの痛みに身悶えるソーヤを、トウジは呆れたように見ている。

 その後も、ソーヤはトウジの真似をしていくが、トウジのように上手くなるには程遠い。


 トウジが休憩している時も、ソーヤは上手くいかなかった走りを何度も繰り返す。

「ソーヤ。お前の走りは、バランスが悪い」

 ある日、ソーヤの走りを見かねたように、休憩していたトウジが欠点を指摘する。

「バランス? 相当、マシになったつもりだけど」

「まぁ、乗ってんだから、上手くはなるだろうさ。だがな、技を実践するには程遠い」

 歯に衣着せぬトウジの言葉に、ソーヤは苦笑する。

「やっぱ、トウジの真似する前に、基礎磨きか」

「そうだろうな」

 トウジは素っ気なく頷く。

 とはいえ、別にソーヤは基礎をサボっているわけではない。基礎を疎かにしない。それがソーヤのスタンスだ。一人の時はとことん基礎を磨いている。しかし、トウジの走りを見ていると、自分もあんな風に走ってみたいという気持ちが先走ってしまうのは仕方ないことだろう。

 ソーヤは、自分の技量が足りないということが、もどかしくて仕方ない。

「あっという間に、バランス感覚を鍛える方法とかないかね」

 そんなものあるわけないとは思うものの、つい、そんなことを言ってしまう。

「……あるぞ」

「マジかい」

 トウジの返答に、ソーヤは驚く。

 半分冗談で言ったつもりだったのに、本当にそんな方法があるとは……。

「バランスの強化があっという間とは、それはどんな裏技だい」

「エアロードの練習をすると良い」

 エアロード。

 ジェットボードの推力で、空を飛ぶ技だ。まぁ、浮くと言っても、常に浮くだけの推進力を出せるわけではない。本来の使い方としては、飛ぶというよりも、高い位置から助走を付けて飛び立ち、滑空して降りるようにして使う技なのだ。

 地面を走るのと違って、空中を飛ぶのは簡単に立て直せるものではないので、とても危険でもある。その為、ソーヤは全くやったことのない技なのだが、トウジはそれが練習に良いと言う。

「エアロード中にバランスを取るのは、至難の業だ。エアロードで飛ぶことに比べれば、地面での走りは楽なものになる」

「……エアロードか」

 トウジがそう言うなら、やってみる価値はあるかなと、ソーヤは思う。

「練習するならライドランドより、中央区域の方が良い。あそこには高いビルが並んでいるから、一番高い建物から、屋上伝いに滑空して降りてくるんだ。そうすれば、改めて登る必要もないから、魔力の消費も少なくて、長く練習していられる」

「通報されたりしないか?」

「真昼間にやったらされるだろうな。けど、夜にやれば暗いからな。気付く奴なんて、そうそういない」

「うん。なら、頑張ってみるよ。ありがとうトウジ」

 ソーヤがお礼を言うと、トウジは照れたようにそっぽを向いて立ち上がり、ジェットボードを走らせ始めた。

 トウジは手近な壁を、クライムロールであっと言う間に登っていき、そこからエアロードで滑空して降りてくる。

 エアロードの見本を見せてくれたのだ。

 トウジは何も教えないと言っていたのに、こうやって見本を見せてくれる。そして、今日なんかは助言までくれた。

「ふふ、良い奴だ」

 ソーヤは心から思う。

 この世の皆がトウジのような奴らなら良いのにと、シュウの時と似たようなことを思 う。

 きっと、素直さが足りない世界になることだろう。


 トウジに助言をもらった次の日の夜遅く。早速ソーヤは中央区域のビル街にやって来た。ここにあるビルのほとんどは企業の為、夜遅くになれば、この区域に残業をしている少数の人々しかおらず、静まり返った印象を受ける。

 このビル街で最も高い建物を目指す。

 それはビル街の中心にある、アークタワー。

 高さ七百メートルという化け物建造物で、この町の象徴とも言える建物だ。魔学で強化された壁の素材が使われているからこそ、可能な高さだろう。

 最上階には観光用の展望台があり、非常ドアから表に出られるのは、すでに調査済み。

 ソーヤは営業時間中に展望台に上る。

 展望台は観光用になっていて、登るだけでお金はかかったが、少しくらいの出費は仕方ない。

 ソーヤは最初、展望台からどうやって降りて行くかと、他のビルを観察する。

 するとどうだろう。

 アークタワーの周りは、アークタワーを中心に周りの建物の高さが段々と下がって行っている印象を受ける。もちろん、中には急に低くなってたり、急に高くなっているビルもあるが、それでも、通れるルートは多くある。それを見てソーヤは、トウジがエアロードの訓練に丁度良い場所として、このビル街のことを言っていた理由が良くわかった。

 夕食時も過ぎると、アークタワーの展望台も、ほとんど人がいなくなる。

 この展望台は午後九時で閉まるので、ソーヤは閉店間際、見つからないように非常ドアから外に出る。

 ここにきて、ソーヤはあることに気付く。

 寒い。

 吹き付ける風が強い。

 そして、めちゃくちゃ高い。

「うわぁ~、普通に死にそう」

 寒さに体が強張り、思うように動かない。

 強い風は簡単にバランスを崩す。

 そして何より、落ちたらまず助からない。

「トウジは俺に死ねとでも言いたかったのかね?」

 ソーヤは非常階段の手すりか身を乗り出して、地上を見る。展望台の中で見た時と、怖さの比が、全然違う。

 ここで、エアロードをやれる自信が、全く湧かない。

 諦めるか?

 ソーヤは普通の人なら当然考えることを、やっと考え出す。

 展望台はまだ明るい。売店などの従業員が、まだ、閉店作業をしているのだろう。

 間違えて非常階段に出てしまったと謝れば、少しのお説教と共に、無事に地上に降ろしてくれることだろう。

 しかし、良いのかそれで?

 ソーヤの心に浮かぶ思い。

 自分の命はもちろん大事だ。しかし、ジェットボードは普通に乗っている分には危険がないが、ソーヤのやりたいのはレース。

 命の危険なんてものは、いくらでもあるのだ。

 トウジがソーヤの死を望んでいるということはないはず。つまり、トウジは本当にこんなところで命がけの練習をしていたということだ。

 つまり、ここで怖気づいてしまうということは、自分はここまでなのではないか? 

 そんな風に思えてしまう。

 ソーヤは悩む。悩んだ結果――。

 展望台の電気が消える。

 それと同時に、空に飛び出していた。


 風が吹き荒れ、すぐにバランスが取れなくなる。

 体がグルグルと回り、どちらが下でどちらが上かもわからない。

 視界の隅で、アークタワーの壁が近付いて来るのが見てとれる。このままでは壁に叩きつけられてしまう。

 やばいやばいやばい。

 頭の中ではそんな言葉が乱舞する。

 推進力を無茶苦茶にでも放ち、なんとか、壁にぶつかる速度を減退させる。

「ふぐっ」

 強力な衝撃が襲いかかる。ソーヤは壁に叩きつけられて弾かれてしまった。

 全身に広がる痛み。あまりの衝撃に咳き込んでしまう。それでも、ジェットボードによって張られた防護の魔法のおかげで、たいした怪我はしていない。その後も、ソーヤは態勢を立て直すことが出来ずに、何度も風に煽られ壁に激突する。なんとか大怪我せずにいるのが、奇跡と言っても良い。

 しかし、ソーヤだって、成り行きに任せ切っているわけではない。

 エアロードの糸口を必死で探す。

 もがいて、もがいて、もがきぬいて、エアロードの状態に持って行こうとする。

 そして、随分落ちたことで風の流れが弱くなり、死の恐怖で極限まで集中していたことも合わさり、ソーヤは感覚を掴み始めていた。

 まずは立て直す切っ掛けが欲しい。

 またも壁が迫って来るのをソーヤは確認する。

 チャンスだ。

 壁へ向かって推進力を放つことで、自ら壁に向かうことを選ぶ。そして、自分から行ったことで、ジェットボードの車輪の部分で壁に着地することに成功する。それと同時に、足場に重力場を作り出し、そのまま壁を横に突っ走る。すぐにやってくる壁の端。そこからソーヤは再度飛び立つ。

 すぐに体が回転しようとするが、今度はエアロード状態をしっかり保つ。

 頼りない足場だ。

 エアロードの感覚は、水面に浮かぶ木の板の上で、バランスを取るようなもの。

 左に流れそうになるのを感じとると、瞬時に左へとバランスを立て直す。少しでも遅れようものなら、すぐにひっくり返る。

 水面と違うのは、乗っている波が見えないということだ。

 だからエアロードは、風の変わり目を、全身の神経を研ぎ澄ませるように感じとる必要があるのだ。

 なんとか態勢を維持するソーヤだが、時折吹く突風に翻弄され、態勢を崩しそうになっては、なんとか立ち直し、それだけで精一杯になっていた。


 気が付くと、ソーヤは地面に降り立っていた。

 どうやら、アークタワーから、他のビルに立ち寄ることもなく、地上まで降りて来てしまったようだ。

 ソーヤは道路の真ん中でへたり込む。

 空中を彷徨う間、常につきまとっていた死への恐怖に疲弊した心。幾度も叩きつけられて痣だらけの体。

 もう、へとへとだ。

 ソーヤは見上げると、すぐそばにアークタワーがある。

 アークタワーの近くをグルグル回っていただけで、距離としてはたいして進んでいなかったようだ。

「……良く、生きてたな」

 ソーヤは茫然と呟く。

 少し間違えれば死んでしまっていただろう。

 地面がこんなにも安心できるものだと、初めて知った。

 ソーヤの心に込み上げてくるものがあった。

「……ふっふふふ、あはは、あっははははははは――」

 ソーヤは狂ったように笑う。

 アークタワーが閉まった今、人通りは少ないけれど、時たま通る人は、ソーヤを奇異の目で見てくる。そして、関わり合いたくないとばかりに足早に立ち去っていく。ソーヤはそれに気付いても、特に気にすることなく笑い転げる。

「これだよこれ。これこそジェットボードだ。地面をちょこちょこ走り回るなんてちっちぇことやってたから忘れかけてた。俺が欲しかったのはこれなんだ」

 そう、ソーヤは別に、恐怖で気が触れたのではない。

 心底楽しかったのだ。

 命をかけた走りが。

「よし、明日も来よう。明日はもっと上手く飛べる気がする」

 ソーヤは確信を持って頷くと、疲れの溜まった体を、引きずるように起き上がり、帰えることにする。

 できることなら、すぐにでも登って、もう一度飛び立ちたいが、今はそれを行うだけの体力はない。悔しくもあるが、嬉しくもあった。

 こんなにへとへとになったのは、いつ以来だろうか?


 ソーヤは優秀な人間だった。

 勉強もできる。スポーツもできる。

 別に天才というわけではない。

 確かに才能はある方だろうけれど、それだけでは決してない。ソーヤが優秀なのは、ちゃんと努力をするからだ。

 そして、ソーヤは努力自身を苦だと思ったことはない。むしろ、努力することが好きなのだ。

 できないことが出来るようになる達成感。それは一種の快感だ。

 だから、ソーヤは今まで、努力を怠ることはなかった。しかし、努力を続けるごとに、いつからから、虚しさを感じるようにもなっていた。

 先が見えなくなったのだ。

 既に大抵のことは、今までの努力の積み重ねで、少し頑張ればできてしまう。

 学校の勉強だって、頑張れば頑張っただけ、成績は上がるかもしれないが、既に上位のソーヤにとって、これ以上、上がりようのない所まで来てしまっていた。後は落ちないようにする努力だけ。

 そこまで行くと、努力をしても面白くなくなってくる。

 張り合いがないとでもいうのだろうか?

 目標がなく、漠然とした努力をするだけ。それは、とても虚しかった。

 少なくとも、限界として感じてしまっていたのも事実。

 それならば、何か特定のスポーツを頑張るべきではないかと考えた。

 スポーツならライバルを作って、競い、刺激し合い、どこまでも成長できるだろう。

 そんなことを思っていた時、ソーヤはシュンの下で、ジェットボードに出会った。

 ほとんどルールのない、予測できないレース。

 味わったことのない疾走感。

 数多くの技。

 それが出来るようになる喜び。

 決着の付く勝負。

 そして何よりも、命をかける、スリルという名の刺激。

 ソーヤの求めるものの全てが、そこにはあった。


「どうしたん? 先輩に殴られたりした? ――何故じゃ。何故ワシのチームに入らんのじゃ。ええい、入らんというのなら、力づくで入れてくれるわ――みたいに」

「誰だよ」

 アークタワーから飛び降りた次の日の教室。痣だらけのソーヤの姿を見て、カナエが驚いて心配してきた。……たぶん、心配してきた。

「それとも探偵のバイト? ――よくぞ、我をここまで追い詰めたな、若き探偵よ。しかし、ただではおかんぞ。死ぬが良い――みたいに」

「だから誰だよ。違うっての。この痣は。アークタワーから飛び降りた結果だ」

「……馬鹿なの?」

 カナエが哀れな者でも見るように言って来る。

「いやいや。俺の尊敬する師匠殿が言ったのさ。空を飛べと」

「で、飛んだわけ」

「そうだ。死ぬかと思ったね」

 ソーヤが胸を張って答えると、カナエは呆れたように嘆息する。

「……まぁ、無事なら良いけどさ。無茶は駄目だよ」

「何を言う。無茶はするさ。今日も早速、飛び降りるつもりだ」

「……馬鹿なの?」

「……否定はできん」

 賢い人間なら、命をかけるようなことはしないだろう。

 命をかけることに、楽しさを求めている時点で、自分は狂っているのかもしれないと、ソーヤは自嘲的に思う。

「で、何で飛ぶ必要があるの?」

「ああ。それがなんと、エアロードの練習をすると、地上でのバランスのとり方が飛躍的に進歩するんだ。昨日一日やっただけで、既に効果が出ている」

 大気の上での走行に比べ、地上の走行のなんと安定感のあることか。

「まぁ、要するに、三十キロのダンベルを持ち上げた後に、十キロのダンベルを持ち上げるようなものだよね。……三十キロの重さに慣れた体は、十キロが異様に軽く感じるっていう、あれみたいに」

 カナエが考えるように言う。

「そう。正にそんな感じだ」

「でもそれって、一時的なものじゃないの?」

 カナエは疑わしそうだった。

「一回、二回ならそうかもな。だからこその反復練習さ。エアロードの感覚に慣れ切ってしまえば、それはもう、一時的なものじゃない」

「なるほどね。……まぁ、言いや。ソーヤがなにしようが私は知らんし、止める気もないわ。……だけど、死なないでよ」

「おう、心配してくれるのか、我が友よ」

「まぁ、腐れ縁とはいえ、幼馴染だしね。正直、ソーヤが死ぬのは別に良いんだけど、シキさんが悲しむのは見たくないし」

「俺は良いのかよ。結構、ショックだよ」

 ソーヤは情けない顔で苦笑する。


「どうよ。この安定の走り」

 放課後、ライドランドに行くと、ソーヤはトウジに自分の走りを見せつける。

 今までとは違い、その走りが安定しているのが、傍目から見ていてもわかるだろう。

「本当にやって来たんだな」

 トウジは呆れたような感心するような微妙なニュアンスの顔をする。

「俺はやると言ったらやる男さ。……死ぬかと思ったよ」

「まぁ、痣だらけの体を見ればわかるさ」

「名誉の負傷って奴だね」

 親指を立てて言うが、トウジは醒めた顔をしている。

「自分で言うものでもないだろう」

 素っ気なく答えて、トウジは自分の走りに集中し始める。

 その走りはやはり素晴らしく、ソーヤも真似をするが、少しバランス感覚が良くなった程度では付いて行けない。

「凄いよなぁ、トウジは」

 ソーヤは思わず呟いてしまう。

 技という技を自然にこなしていくトウジ。

 ソーヤは半分も真似できなかった。しかし、トウジの技は、どこにも無茶な部分がないので、何よりも手本になる。

「トウジはさ。チームを組んだりしないのか?」

 トウジはいつも一人でいるので、ソーヤは気になって尋ねる。

「チームってのは、対等な実力で組むべきものだろう? ここには、俺と対等な奴はいない」

「はは、すげえ自信」

 ソーヤはトウジの言葉を聞いて笑いながらも、実際にその通りだとも思う。

 確かにトウジの実力はここでは抜きん出ている。少なくとも、今までソーヤの見たジェットライダーの中では一番だ。おそらく、トウジとまともに渡り合える奴は、ローテムのように、ジェットボードの盛んな都市にしかいないだろう。

 自分と同じくらいの年齢でそれだけの実力を持っているトウジが、ソーヤには羨ましく、憧れ、そして、悔しい。

「……トウジはさ。いつか、ローテムには行くのか?」

 ソーヤは真剣に尋ねる。

 トウジは先程までの態度の違いを、不思議に思ったのか首を傾げながらも、しっかりと頷く。

「必ず行くさ。あそこはジェットライダーの聖地だからな。俺にとってジェットボードは、俺の人生の全てだ」

 同じ目標を持つ存在。

 ソーヤにはそれが嬉しかった。

 この都市のジェットライダーに、ローテムを目指す者は少ない。

 ローテムは危険な場所だからだ。レースにしたって、ここの仲間内で開くレースに比べても、何倍も荒っぽい。

 先輩のシュンや、この都市にいる他のジェットライダー達にとって、ジェットボードは単なる趣味に毛が生えた程度でしかない。だからわざわざ、ローテムまで行って、危険なレースをしようとは考えない。

「俺も、いつか必ずローテムに行くよ。今は無理だけど、ローテムに行った時には、トウジと対等なジェットライダーになって見せる」

「……だから、チームを組もうとでも言うつもりか?」

 熱く語るソーヤに、トウジは顔を顰める。

 実力で勝るトウジにとって、初心者に毛が生えた程度のソーヤは、足手まといにしか映らないのだろう。

 そんな奴がチームを組もうと言ってきたら、気分が良いわけはない。

 だが、ソーヤはトウジの言葉に首を横に振る。

「違うよ。俺にとって、トウジは仲間じゃない。目標なんだ。同じチームになったら競って勝てないだろう? だから二人ともローテムに行って、再会した時には勝負をしよう。ライバルとして」

 ソーヤの言葉に、トウジは驚いたように目を丸くして、やがてクツクツと笑いだす。

「お前のそう言うところは、結構好きだよ」

「本当? 俺もトウジは大好きさ」

 調子に乗るソーヤに、トウジは呆れたような視線を送る。

「お前のそう言うところは嫌いだよ」

 そう言って、ソーヤを無視するように、トウジは練習を再開した。


 何日か経ち、ソーヤはエアロードの練習を何度も行う内に、エアロードの状態でも、なんとか思い通りのルートを進むことができるようになってきていた。

 突風が吹いても抗うことはせず、むしろ、風の流れに乗って態勢を崩さないようにする。一度態勢を崩してしまえば、立て直すのは難しい。だから、行き先に固執するようなことはせず、突風が来ればその流れに任せ、突風が止んでから行き先に向かう。

 時には失敗ももちろんするけれど、段々と日を追うごとに上手くなっている。ソーヤはその手応えをしっかりと感じていた。


 その日のソーヤは浮かれていた。

 いや、エアロードをやっている最中なので、実際に浮いてもいるのだけれど、ソーヤが浮かれているのは心。

 アークタワーの展望台の周りは、常に突風が吹いていて、今までは飛び出したと共に、風に煽られ、態勢を保つどころではなかったのだが、今日は態勢を崩すことなく、出発できたのだ。

 まぐれかもしれない。しかしそれでも、上手くいった事実に代わりはない。そして、中盤まで態勢を崩すことなくやってきている。

 今日は絶好調だ。

 下に行けばいくほど、風が弱くなっていき難易度も落ちて行く。

 後は、うっかりミスでもしない限り、最初から最後までエアロードの状態を保つことができる。

 ソーヤは、周りの状態を眺める余裕さえできていた。

 だからだろう。

 ソーヤは、いつもであれば気付かないことに気付いた。

 ビルの屋上の端に人が一人立っていて、それを取り囲むように二十人くらいの人がいる。

「……なんだろう?」

 気になった。

 自殺でもしようとしているのだろうか?

 一見、屋上から飛び降りようとしている人を、周りの人間が説得しているようにも見える。

 少し近付いて見る。

 面倒事は嫌だけれど、目の前で自殺されるのも寝覚めが悪い。

 とりあえず、飛び降りたら受け止めるくらいのことは、できたらやろう。

 そう思ってソーヤが近付くと、ビルの端の近くにいる人と、目が合う。

 綺麗な女性だった。

 自分よりいくつか年上だろうと思う。

 すらっとした金色に輝く長い髪に、そこから覗く意志の強そうな蒼い瞳がとても印象的だ。外国人だろう。

 とはいえ、世界を国際連合ワールズが統治してからは、国境の境という存在が薄くなり、今では外国人なんて珍しくも無い。学校のクラスの二割程は、外国人がいる時代だ。つまり、見惚れてしまったのは、女性の美しさだ。

 見惚れていたのがいけなかったのだろう。突然の強い風にソーヤは対応できなかった。

「やばっ」

 バランスを崩し、女性のいる屋上に向かって落ちて行く。

 立て直そうとするが、どうにもできない。

 それでもなんとか体を捻り、屋上の地面にジェットボードから着地する。

「……あ、……危なかった」

 ちゃんと着地できたのは運が良かったからだ。少し違えば、怪我をしていたことだろう。

 ソーヤが周囲を見ると、どうやら、女性と大勢の人たちの、丁度真ん中の辺りに落ちてしまったようだ。

 何とも場違いなところに落ちたものだと、ソーヤは嘆く。

 しかし、より近くというか、真ん中に身を置くと、不思議と状況が想像したものと違う気がしてきた。

 大勢の人は自殺する女を止めようとしている人達だと思っていたが、そんな雰囲気ではなく、むしろ、逆に突き落すのではないかというくらい物々しい。というか、ソーヤに殺気めいたものを送ってくる奴までいる。

 ソーヤは不思議に思いながら、もう一つの違和感に気付く。

 今から自殺するような女が、意志の強い瞳をするものだろうか? いや、死ぬことを決意した強き瞳なのかもしれないが、もっと後ろ暗い目をしているはずではないかとソーヤは思う。

「やばい。もしかして、予想以上に面倒な状況かもしれない」

 ソーヤは冷や汗混じりに、一人呟く。

 女性は何かしらの事情で逃げていて、この屋上に追い詰められたという可能性が、ソーヤは容易に想像できてしまった。

 自分の中の本能のようなものが、逃げろと警告しているのにソーヤは気付く。

 ならば、逃げるべきだ。

 直感は信じる。ソーヤはできる限りそうしている。

 幸いなことに、足にはジェットボード。

 空中に飛び出せば、相手も追っては来れないだろう。

 ソーヤは走り出す。

 女性に向かって。

 女性は戸惑った様子を見せるが、ソーヤが助けようとしているのが伝わったのだろう。特に抵抗することなく、抱き上げられる。

 ソーヤはその場で一旦止まる。

「とりあえず助けるけど、悪いことしたとかじゃないよね?」

 勢いで女性を助けようとしたが、さすがに罪人を助けて、共謀罪なんかにはなりたくない。

「違うわ。むしろ、あちらが悪よ」

 揺らぐことなくはっきりと言う女性。後ろめたさなど何もないのだろう。その言葉に偽りの感情は見当たらない。

 ソーヤは女性を見詰めて考える。

 女性の言葉に確証があるわけではないけれど、信じて良いという気がした。

 決意して頷く。

「わかった。逃げよう」

「――逃がさない」

 思わずソーヤはゾッとする。

 抱えている女性とは違う声がすぐ近くからしたのだ。

 声の方を向くと、体の線がはっきりと出たタイツに機械がゴテゴテ取り付けられたような奇妙な服を来た少女が、ビルの端のすぐ外側、つまり、空中にいたのだ。

 おそらく、体に付けた魔導機械で空を飛んでいるのだろうけれど、近付いた気配が全くしなかった。

 ソーヤ自身は別にm武術の達人というわけではないが、探偵まがいの仕事をしていたこともあったので、人の気配には人一倍敏感なつもりだった。

 それなのに、気配を感じなかった。

 何だ? こいつ。

 ソーヤは不気味な気分を味わう。

「逃げなさい」

 ソーヤは戸惑っていたが、抱えていた女性の切迫した声に、反射的にジェットボードを発進させていた。

 横を向いてビルの端を走り出し、助走を付ける。

「左に曲がって」

 左は空中だ。

 より助走を付けて降りた方がスピードを付けられるので、遥かに早く、ここから離れられる。しかし、左に曲がって降りたら、折角のスピードをそれなりに無くしてしまう。

 それでも、何がしかの意図があるのだろうと思って、女性の指示通り左に曲がる。すると先程までソーヤの通るはずだった道に、奇妙な服を着た少女が立っていた。

「転移魔法かよ」

 ソーヤは驚愕し叫ぶ。

 先程、ソーヤのすぐ前に現れたのもおそらく転移の魔法なのだろう。それならば、気配を感じ取れなかったのも理解できる。理解できるが、信じられなかった。

 転移は難しい魔法だ。それこそ今の魔導技術でも、巨大な転移門を二つ以上造り上げ、門と門を結ぶのがやっとという程度だ。任意の所に転移する魔導技術なんて、今の所ないはずだ。それこそ、昔居たと言う魔術師でもない限り。

「推力を下に向けて、落ちなさい」

「なっ」

 女性の言葉にソーヤはさすがに絶句する。

 ジェットボードで、地面に直角に落ちるのは危険なのだ。推力と重力でとんでもないスピードが出るし、なによりその猛スピードで、直角の壁に向かっていくようなものだ。どんなに防護の魔法を張ったところで死ぬ可能性は十分にある。しかも、地面に接して走っているわけでもないので、急なブレーキもカーブもできない、

 しかし、そうならずに落ちる技もないわけでもない。

 フォールスクリュー。

 渦のように回転しながら落ちることで、落下スピードを少しでも落とし、地面への接地角度もとれる状況にすることができる技だ。

 だが、ソーヤには無論できない。

 やっと、エアロードのバランスを取ることができたばかりなのだ。できるわけがない。

「無理だよ。そんなことしたら死んじゃう」

 ソーヤが嘆くように言うが、女性は取り合わない。

「落ちなくても死ぬわ。良いから落ちなさい」

 女性がそう叫んだ瞬間、少女が目の前に現れた。

 ソーヤは驚く。

 また、転移をしてきたのだ。

 少女は腕を振りかぶる。

 急激な嫌な予感。

 これに当たっては駄目だ。

 次の瞬間、ソーヤは地面に向かって落ちていた。――直角に。

 もの凄い勢いで迫る地面。

 ソーヤはすぐさま推力を上に向けることで、スピードを落とそうとする。しかし、推進力だけでは、一度下に向いた勢いは止まらない。

 それでも、地面側に、ジェットボードの車輪部分を向けることに成功する。フォールスクリューとは違い、地面に直角に当たってしまうので、両足に尋常じゃない衝撃が走る。

 幸いなことに怪我はしていないようだが、痺れが残った感覚がする。

 それでも無視して、少女の方を見上げる。

「何なんだ、あいつは」

 ソーヤは抗議の声を上げる。

 転移なんて、あり得無さ過ぎる。そもそも、空中を自在に飛べているのもおかしい。転移に比べれば、重力操作も飛行の魔法もできないことはないが、あまりにも、少女に付けてある魔動機械は小さい。ジェットボードにも微量ながら下に向かって重力を出す力はあるが、重力を無くすとなると、もっと大きな仕組みが必要になる。それは飛行にしても同じことだ。滑空はできても、長時間、上に向かって飛ぶことなんてできない。それこそ、一瞬ならまだしも。

「良いから、逃げるわよ」

 女性の言葉は未だ焦っているようだ。つまり、危機からは脱していないということか。

 ソーヤはすぐにジェットボードを走らせようとする。足は痺れているが、普通に走るくらいは問題ない。

「左」

 痺れた足で、なんとかカットターンの要領で向きを左に変えられたのは奇跡だろう。

 先程までいた位置にまた、少女が現れた。

「マジかい」

 ソーヤはそれを信じられない気持ちで見る。

「次は右」

 女性の掛け声と共に、固定されていない片足で、地面を蹴るように無理矢理右に曲がる。

 そして、先程の場所に現れる少女。

 やはり、おかしい。

 転移を、こんなに実践に使うなんて。

 女性が指摘してくれなかったら、既に仕留められていた。

 ……そう言えば、先程から少女の転移先を予見するこの女性もいったい何者だろう?

 魔法に未来を予見するようなものはないはずだ。それなのに、女性はそれをやってのけている。

 これは夢なんじゃないかと思うけれど、未だに残る足の痺れが、夢であることを否定してくる。

 とにかく、夢にしろ現実にしろ、自分から捕まりたいと言う気はしないので、女性の言う通り逃げるしかない。

 未来を予見する女性の言う通りに。

 ……もしかしたら、この女性の力が、今狙われている理由なのかもしれないと、ソーヤは薄っすら思ったが、今はとにかく逃げることに集中する。

「あの女の子が、諦めてくれるってことはないかな?」

「その可能性はあまり期待しない方が良いわ。それよりも、あの子の視界からできるだけ外れるように走るのよ。転移の魔法は実際に目にしている場所にしか行けないわ」」

「つまり、視界から逃れられれば、追っては来れないわけだ」

「その通りよ。――次は右」

 ソーヤが女性に言われた通り右に曲がった瞬間、少女が左前方に現れた。

「避けなさい」

 女性の言葉にソーヤは瞬間的に左に曲がる。位置としては少女の後ろに回り込むようなものだったが、ソーヤの後方を何かがもの凄い勢いで通り過ぎるのに気付く。

 少女の放ったのは、炸裂の攻撃系魔法なのだろう。

 光の塊がビルに当たった瞬間、ビルの壁の一部が爆発して破壊される。

「マジかい」

 あんなのまともに受けたら、死ぬのは確定だと思う。

「魔法規制に引っ掛かって逮捕されろよ、クソが」

 ソーヤは思わず毒づいてしまう。

 攻撃系の魔動機械の所有は、一般市民には認められていない。少なくとも、ここ夏甘では、持っているだけで逮捕される代物のはずだ。

「……なぁ?」

 ソーヤは女性に話しかける。

「何かしら?」

「あんた置いて逃げたら、俺は助かるかな?」

 ソーヤだって命は惜しく無いわけじゃない。ジェットボードのレースや練習中に死んでしまうのは、自分の腕が足りなかったということで、仕方ないとは思えるが、こんな訳の分からない状態に巻き込まれて死ぬのは御免だ。

 女性がソーヤに強く抱きついて来た。

 ソーヤだって年頃の男の子だ。女性特有の柔らかさと甘い香りに、ソーヤはどうしようもなく、トキメキ――。

「逃がさないわ」

 ――寒気を覚えた。

 この人は完全にソーヤだけを逃す気がないようだ。既に、死なば諸共という考えに至っている。

「……マジかい」

 ソーヤは諦めたように呟き、腹を括ることにする。


 少女の追撃を命がけで避けながら、ソーヤはある場所へ向かう。

 当初は、人通りの多い繁華街に紛れ込むことも考えたが、この少女が一般人にどのような対処をするのか分からないので、その案は却下した。というか、今、関係のないソーヤが追われているのが何よりの答えだろう。

 とんでもない被害が出そうだ。残念ながら。

 結局、ソーヤの向かうのは、叔父が住んでいる、夏甘西の下層区域と呼ばれる地域だ。別に、本当に地下にあるわけでは無く、社会的地位が、低い者が寄り集まって暮らしているから、そう呼ばれている。

 下層区域には、工場や、廃ビルのような建物が所狭しと並んでいる。

 そして、裏路地の狭い通路は、迷路のように入り組んでいて、ここならば、相手の視界から逃れることは容易いとソーヤは判断したのだ。

 それに、ここに住んでいるのは、一般的な生活からあぶれた、一癖も二癖もあるような人達なので、身の危険には敏感だ。

 なんとか自分の身は自分で守ってくれることだろう。

 随分、人任せな選択だというのもソーヤはわかってはいたが、自分の命を守るので精一杯というのが、今のソーヤの現状。

 他の人の心配なんてこれ以上していられない。

 ソーヤは正義の味方ではないのだから。

「ここはまずいわ。道が狭すぎて、前に回り込まれたら、後ろにしか逃げられない」

「大丈夫、考えがある。それより、少女が前に転移して来る瞬間を教えてくれ。できれば、数秒前から」

「……わかったわ」

 女性は集中して見極めようとすると、カウントダウンを始める。

「五、四、三――」

 同時にソーヤは、ジッパーの付いたズボンのポケットを漁る。

「一、零」

 女性が宣告した瞬間に少女が現れ、ソーヤは後ろに預けていた体重を前に向けるとともに、推力を一気に放って前方宙返りを行う。

 そう、ループアンドロール。

 ソーヤは、少女の頭上を飛び超えようとする。

 予想外の動きに少女は完全に反応できず、視線を向けるのがやっとだ。

 全ては読み通り。

 夜間移動するソーヤは、念の為にと持ち歩いていた携帯用魔導灯を、最高光度で光らせる。

 それは、強力な光が瞬き。

 その光は一瞬ではあった。

 けれど、今は夜でここは更に薄暗き裏路地。それに、転移によってレムすら振り切り、闇に慣れつつあった少女の目を眩ますには十分だった。

 ソーヤは着地をすると、すぐさま横道に入っていく。

 一度、姿を見失えば、例え化け物のような魔導の使い手であろうと、おいそれとソーヤ達を探し出せはしないだろう。


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