86.あたしたちの関係って、いったいなんなんだろう
目をまん丸くしてポカンと自分を見ている結月に、柴崎泰広はまじめな表情で再度、先ほどの内容を繰り返した。
「捨てられちゃう可能性が大きいなら、僕にください。遺影と一緒に」
「そ、そんなこと、いきなり言われても……あたしが勝手にそんなことは決められないし」
結月はやっとのことでそれだけ言うと、左右に忙しく目線をさまよわせた。
当然だよね。道で出会った見ず知らずの男にいきなり位牌をよこせなんて言われたって、中学生の結月に判断なんかつけられるわけがない。いくらいらないものだったとしても。
てか、すんなり「はいどうぞ」って渡されたりしたら、逆に立ち直れなくなるかもしれない……。
【ねえちょっと柴崎泰広、訳の分からないむちゃを言うのはよしなよ。結月、困ってるって】
焦りつついさめてみるも、柴崎泰広はあたしの送信を完全にスルーして、詰問調に言葉を続ける。
「どうしてですか? 親御さんはいらないって仰ってるんでしょう。どちらも捨てるって。なら、僕がもらっても問題ないはずです」
「お位牌は捨てるなんて言ってない。ちゃんと持って行くって……」
「でも捨てる可能性が高いんでしょう。だったら、僕にください。僕は絶対に捨てたりしない。一生大切にします」
一生大切にします。
そのセリフが意識を貫いた瞬間。
背筋に電流が走ったかと思った。
なにそれあんた、それってまるで。
一生大切にします。
頭の中で何度も繰り返してしまう。
それってまるで、プロポーズみたいな言いぐさじゃない?
記憶の中の心臓が、超速で跳ね回ってる。
酸素なんか必要としていないはずなのに、呼吸が苦しくて苦しくて仕方がない。
口を半開きにして機能停止していた結月の青白かった頬が、みるみるうちに健康的な薔薇色に染まった。
「え、え……もしかして、しばさきさんって、お姉ちゃんと付き合ってたんですか?」
そういう質問に結びつく発言をしたという意識がまるっきりなかったらしく、柴崎泰広は数刻ポカンと口を開けて結月を見てから、たちまちのうちに真っ赤になると、ピーピー蒸気を噴き出すヤカンさながら猛烈な勢いで両手をブンブン振った。
「つつつつつつ付き合ってたなんてととととととととととんでもない、そんな関係じゃないですっ」
なにその全力否定。
そこまで全力否定しなくてもいいじゃんと思ったものの、よく考えたらさっきの言葉はあたしではなくあたしの位牌に向けられたものであって、あたし本体は死んでこの世にいないわけであって、確かに付き合うもクソもないわけで。
乾いた笑みのひとつでも浮かべたい気分だけど、悲しいかな、編みぐるみは表情変わんないのよね……。
納得がいかなかったのだろう。まだ自分の感情を隠す術を知らない結月は、あからさまに胡乱な目つきで柴崎泰広を眺めやっている。冷たい視線を浴びていくぶん正気を取り戻した柴崎泰広は、ずり落ちたメガネを直すと、二、三度軽く咳ばらいをした。
「そんな関係じゃないんですけど、何と言いますか、たいへんな状況を乗り切った仲間とでもいいますか、戦友とでも言いますか……とにかく僕にとっては、すごく特別な人なんです」
「戦友……」
色気のない言葉に落胆したのか、結月の声はワントーン下がっていた。
戦友。
結月同様トーンダウンしながらも、柴崎泰広の言葉を繰り返してみる。
確かに、あたしたちの関係は、恋人同士のそれとは全く違う。ある程度親密になっているとはいえ、肉体のないあたしが相手ではそもそも恋愛関係を成り立たせることが不可能だし、精神的な関わりだけを見ても、あたしたちの親密さっていうのは恋愛とはかなり違う。恋愛関係っていうのは、何というかもっとこう、お互いに幻想というか、偶像というか、秘密めいた部分がないと成立し得ないような気がする。こんなにべったり一緒にいて、見せたくない見られたくない生理現象さえ最低限のもの以外は共有してるような状態で、恋愛関係の緊張感を保てるわけがない。
かといって、柴崎泰広の言う「戦友」というとらえも、あたし的にはしっくりこない。異性同士の「友だち」が持つ距離感は、恋人同士のそれよりもさらに遠い気がする。
友だちよりもはるかに近い、でも恋人同士のような緊張感はない関係。
あたしたちの関係って、いったいなんなんだろう。
話しているうちに興奮してきたのか、柴崎泰広はさらに語気を強めた。
「そういう特別な人の形見が粗末にされているなんて、僕は嫌です。祀りもしないでしまいっぱなしなんてのもひどすぎる。ましてや、捨てられてしまう可能性があるなんていうのは論外です。そんなところに、大事な人の形見は置いておけない。僕にください。僕なら絶対に大切にします」
一方的に畳みかけられて結月もむっとしたらしく、眉根をきつく引き寄せていきり立った。
「お位牌は、今まではちゃんと飾ってあったって言ってるじゃないですか。写真はアレだったけど、しょうがないよ。お線香だって、あたしは毎朝あげていたし、お水だってお花だってできる限りのことはやってた。少なくともあたしは、精いっぱい大事にしていたよ!」
そう叫んだ途端、結月の目から、涙が一滴こぼれおちた。
年下女子の涙を見せられてはさすがの柴崎泰広も言葉を継げず、気圧されたように言いかけた言葉を呑みこんだ。
結月はしゃくりあげながら、やっとのことで言葉をつづけた。
「だって、お姉ちゃんが事故に逢ったのは、あたしのせいなんだもん……」
「あなたの……?」
訝しげに聞き返した柴崎泰広とともに、あたしも尻と背もたれの隙間から、思わず身を乗り出して結月を見上げる。
あたしが事故ったのが結月のせい?
それって、どういうこと?