表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/112

80.いつかこうなるような気はしていた

 昼食後は少し買い物を楽しんだあと、古民家を改造した趣あるカフェの店先で写真を撮りあったり、静かな佇まいの神社をお参りしたりしながら、西ちゃんの働くケーキ屋を目指した。

 あたしは相変わらず柴崎泰広のケツポケで揺れてはいるけれど、できるだけ声をかけないようにしていたことと、学校外という非日常のシチュエーションが功を奏して、互いをいい感じで意識し合える絶妙な距離感が生まれつつあるようだ。

 というか、あたしが口を出さない方がうまくいくんじゃん。

 釈然としない思いを抱えつつぼんやりと石畳を見送り、小さな鳥居をくぐって住宅街に出て、当たり障りのない会話を聞き流しながら歩くこと数分。ふと前方に意識を向けると、数十メートル先に赤い横長の看板を掲げた、なかなかに高級そうな店の入口が見えてきた。

 柴崎泰広がポケットから、以前西ちゃんにもらった店のチラシを取り出す。


「たぶんあれですよ。パティスリー・サクレクール」


「え、ホント?」


 夏波が大きく身を乗り出して柴崎泰広の手元をのぞき込んだ。

 滅茶苦茶接近した訳ではなかったけれど、シャンプーの香りでも漂ったのだろうか。柴崎泰広は息を呑み、至近距離で揺れるショートヘアを見つめ直した。


 うまい。夏波うますぎる。


 チラシと実物を交互に見やりつつ、夏波は何気ない調子で言葉を継ぐ


「ホントだ、サクレクール。思ったより立派なお店なんだね。西崎がケーキ屋のオヤジオヤジ言ってるから、もっとくたびれた店を想像しちゃってた」


「な……何でも有名な世界大会で優勝経験もある人で、テレビに出たり本を書いたりもしてる人らしいですよ」


「あ、あたしそれ見たことあるかも……へええ、そんな凄い人の所で働いてるなんて、案外やるじゃん西崎。ねえ」


 顔を上げ、至近距離でにっこり笑う。

 明るい日差しに照らされた柴崎泰広の耳が、あたしの位置からでもはっきり分かるほど赤くなった。

 

「そ……そうですね」


 しどろもどろに言葉を返しつつ、落ち着けどころなく目線を泳がせている。


 いい感じじゃん二人とも。


 ホッとする一方で、焼け付くような胸の痛みを感じて、それ以上見ているのがつらくなってきて視界を前方に移した時、洋菓子店の自動扉が低い音を立てて開いた。

 同時に、店の中から従業員らしき若い男が走り出てくる。

 頭にはグレーのバンダナを巻き、白いシャツに黒のベスト、グレーのカフェエプロンを腰に巻いた、見覚えのあるその男の姿を見た瞬間、あたしはもちろん、柴崎泰広も夏波も、ハッと息をのんで歩みを止めた。

 バンダナからこぼれるツンツンした黒髪、中央にきつく引き寄せられた意志の強そうな眉。閉まりかけた自動扉を血走った目で睨み付けているその男は、まさに今、われわれが様子を見に行こうとしていた人物、西ちゃんその人に違いなかった。

 再び開いた自動扉の向こうから、男性が一人、ゆったりとした足取りで出てくる。

 チャコールグレーのジャケットにストライプのシャツ、きちんとプレスされた白いパンツの裾からのぞくブラウンのウイングチップ。広い肩幅と年齢の割に高い身長、ベリーショートにカットされたグレーヘアが活動的で潔い印象を与える、なかなかにダンディなおじさまだ。

 西ちゃんはその目により一層鋭い敵意を滲ませながら、おじさまを睨み付けた。


「……何しに来たんだよ」


 おじさまは微塵もたじろぐ様子なく、そんな西ちゃんの視線を真っ正面から受け止める。


「かあちゃんがどこまで話したのかは知らねえけど、とにかく俺はあの家に戻るつもりはねえから。俺は俺の生きたいように生きる。絶対、あんたの思うとおりにはならねえからな!」


 西ちゃんが噛みつかんばかりの勢いで捲したてると、おじさまはスッと目を細めた。


「大きな声を出すな、みっともない」


 静かに紡ぎ出されるバリトンの響き。醸し出される圧倒的な威圧感に、西ちゃんは続けようとした言葉を飲み込んだ。


「先様は客商売だろう。店先で大声なんか出されるのは、迷惑以外の何物でもない」


 おじさまより西ちゃんの方が五センチメートルほど背が高い。身長的には西ちゃんを見上げる形になるにもかかわらず、おじさまの方が明らかに優位に立ち、見下ろしているようにさえ感じられるのが不思議だ。

 西ちゃんはその迫力に押されながらも、おじさまを睨み付けながら地を這うような声音で威嚇する。


「……だったら今すぐ帰ってくれよ」


「話がすめばすぐにでも帰る」


「話って何だよ」


「おまえに話などない。こちらのオーナーにあるだけだ」


 表情をほとんど変えずに短く言い捨てると、西ちゃんの返事を待たずに踵を返す。


「待てオヤジ! 話なら俺としろ!」


「おまえと話していても埒があかない。オーナーに事情を話して、おまえを解雇してもらうのが一番早いだろう」


 振り返るどころか歩を緩めもしないまま淡々と紡がれるその言葉に、西ちゃんの顔色が変わった。


「冗談じゃねえ! そんな勝手なことをさせるかよ!」


 西ちゃんの手が、おじさまの右腕をつかんだ。

 おじさまは歩みを止めると、引き留めようと力を込める西ちゃんを、鋭い目線で一瞥する。


「おまえはどうしてそう自己中心的なんだ」


「……!」


 動きを止めた西ちゃんに冷徹なまなざしを注ぎながら、圧倒的な威圧感を保ちつつ静かに言葉を継ぐ。


「いったいどれだけ他人様に迷惑をかければ気がすむ。おまえのような半人前の面倒を見なければならないオーナーにしろ、おまえが転がり込んで世話になっている同級生にしろ。自己中心にもほどがある」


「それは……」


 その重圧感から逃れるように、西ちゃんは微かに目線を彷徨わせた。


「私もできればおまえとは縁を切りたいところだが、悲しいかな私はおまえの親権者だ。他人様に迷惑をかけないよう、適切に監護する責任がある」

 

 つかまれた腕を振りほどくと、おじさまは小さくため息をついた。


「自分の自己中心的な欲求を満たすために他人様に不当な迷惑をかけてはばからないおまえのような輩は、きちんと社会に適応して生きていけるよう、監護者としてその性根をたたき直す責任がある。それには不本意だが、うちに戻って来させる以外にないだろう」


 吐き捨てると踵を返し、自動扉の方へ一歩足を踏み出す。

 西ちゃんは何を言おうとしたのか息を吸い込んだが、言葉にならなかったのか、そのまま口を噤んだ。


 いつかこうなるような気はしていた。

 もっと早くこういう事態になる可能性があるとさえ思ってたから、予想どおりと言えばそうかもしれない。  

 それなのに、釈然としない思いが胸の奥に重くのしかかる。


 おじさまの言っていることは紛れもない正論で、社会的な立場もはるかに上で、あたし達みたいなのが口を出せることなんてある訳もなくて。

 だけど西ちゃんの強い思いも、その思いやりと優しさに助けられている人間がいることも、うまく流れ始めた日常のことも、何ひとつ具体的に知らないままで薄っぺらい正論を振りかざされても、すんなりと納得なんかできる訳もなくて。

 夏波も同じ気持ちなのだろう、やりきれない表情で口元に震える指先を当てている。

 おじさまの革靴が自動扉のセンサーの感知域内に入り、微かな作動音とともに扉が開くと、覚悟を決めたのだろう、西ちゃんも沈痛な面持ちでそのあとに続く。

 為す術のない無力感に打ちひしがれながら、店内に足を踏み入れる二人の背中を見送っていた、そのとき。


「待ってください」


 裏返ってかすれた声が、閑静な住宅街の路地に反響した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ