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79.あたしの出る幕なんかないじゃん

 土曜日は、久方ぶりの晴天だった。

 突き抜けるような青空には雲ひとつ見えない。駅前広場のアスファルトには夏を思わせる日差しが眩しいほど反射して、少々暑いくらいだ。

 汗でスタイリングが崩れてしまわないよう街路樹の木陰に身を寄せると、腕時計に視線を走らせる。

 約束の十一時を五分ほど過ぎていた。


【遅いですね佐藤さん】


「別に遅くなんかないよ。五分くらいの遅刻にブーブー言わないの」


 さり気なく女の子を待つ心構えを伝授しつつ、頭の中で今日の計画をもう一度おさらいする。

 朝方、身支度を自分でしたいからという理由で、普段より早めに交代してもらった。八時半くらいだったろうか。ということは、あと三〇分もすれば再び交代が可能になる。

 おなかの具合もいい感じだ。三〇分もたせるのが逆に少々つらいくらい。


【なにニヤニヤ笑ってんですか彩南さん】


「え、笑ってた? 久々の買い物だから嬉しさが滲み出ちゃったのかなあ」


 理想としては二人きりの方がいいんだろうけど、あたしがいない状態をセッティングしてやることはまだ難しいし、いきなりそんな状態に放り込んでもきっと柴崎泰広は動けない。なにせもともと、引きこもりの不登校だった男だ。女の子のエスコートの仕方なんか分かんないだろうし、戸惑ってボロを出すよりは、最初はあたしと一緒に行動して、こういう状況に慣らしてからにした方がうまくいくはずだ。

 と、腰のクマるんが送信をよこした。


【あ、あれじゃないですか? あのジーンズの……】


「え、マジ?」


 慌てて意識を現実に引き戻して見渡すと、無造作でゆるい束感がおしゃれなショートヘアをなびかせながら、小走りでこちらに近づいてくる女の子の姿が目に入った。


「ゴメン、待った?」


「全然、うちらもさっき来たとこ」


 答えつつ、目の前に立つ夏波を思わず上から下までマジマジと眺めやってしまう。

 あの時買ったジーンズと短丈ブルゾンとへそ出しTシャツに、キラキラ感のあるボクシーバッグ、そしてドクターマーキン。くびれたウェストのラインと、ショートヘアにしたことであらわになった首のラインがなんともセクシーで大人っぽい。モデルさんかと見まごうその着こなしに、あたしのスタイリングに間違いはなかったとちょっと嬉しくなったり。


「うっわ……カッコいいじゃん夏波、滅茶苦茶似合ってる」


「……そぉ? ありがと」


 夏波は少しだけ頬を染めると、恥ずかしそうに笑ってみせた。

 うん、美しい。女のあたしから見ても滅茶苦茶美しいぞ今日の夏波は。

 しかしその割に、腰のクマるんからいまだになんのコメントもないのが気にくわない。


「ねえねえクマるんどう思う今日の夏波」


【へ? どうって……彩南さんがスタイリングした服装のことですか? よく似合ってると思いますけど……】


 それだけかい、全く。

 でもまあ確かに、このスタイルは媚びてもいないし辛口だし、ファッションに興味のない男からしてみれば感興をそそられるものではないのかもしれない。今日はあたしとの買い物っていうふれこみだったから仕方がないとして、相手が代われば、夏波だってそれに合わせていくらでも服装くらい変えられるに違いない。

 連れだって歩き出しながら、隣を歩くスタイリッシュ女子に声をかける。


「じゃあ夏波、最初はどこに行こっか」


「駅前の店をのぞきながら、ア・ヴィータ方面に行ってみてもいい? あそこにあるテディベアのショップが見たいんだ。ちょうど西崎の店の方向だし。午後でいいんだよね、西崎ンとこは」


「そーだね。ケーキ屋さんだから、お茶する時にでもよれれば」


「あ、まさか言ってないよね。今日あたし達がお店に行くってこと……」


「うん、言ってないよ。でも、夏波にこの案出された時は笑っちゃった。自由が原に行って、西ちゃんの働きぶりをこっそり見たいなんてさ」


「だってさ、マジメに働いてるあいつとか全然想像できないだもん。言うと来るなって怒られそうだし、だったら黙ってのぞいてみるしかないじゃんw」 


 夏波はクスクス笑っていたが、ふとその笑いを収めてチラリとあたしを見た。


「……柴崎、今日はどうしてんの? 寝てんの?」


「ううん、ちゃんと起きてるよ」


 夏波は口の中で「ふーん……」と呟いたきり黙り込んだ。

 腕時計に目線を走らせる。十一時十五分。

 大丈夫、もうすぐ交代してあげるから。



☆☆☆



 ア・ヴィータはドラマのロケなんかにもよく使われるショッピングモールだ。ベネチアの町並みを再現したというふれこみ通り、レンガ造りの洋館や石畳が美しく、中央を流れる運河には本物のゴンドラがゆったりと波に揺られている。しゃれたお店も軒を連ねており、一歩足を踏み入れると都会の喧噪を忘れてしまいそうな雰囲気だ。


「うわ、カワイイ! 見て見てアヤカ、このテディベア超カワイイ」


 はしゃぐ夏波に頷き返しながら、ウインドウに映る姿にチラリと目をやる。

 モデルさながらにオシャレでキレイな女の子と、その姿をほほ笑ましく眺めるあたし……ううん、シバサキヤスヒロ。

 古着屋でそろえたビッグサイズパーカーと緩めのチノ。笹本さんのところで見つけたハイブランドのお値打ちネックレスと、定番スニーカー。念入りに髪形も整えて、持っている中ではカジュアルだけどそれなりに見えるコーディネートにしたつもりだ。夏波のスタイルとお揃いって感じではないけれど、姿勢に気をつけて立ってさえいれば、もともとある程度背も高いしスタイルも悪くないので、レベル的にはそんなに見劣りしない。


 お似合いじゃんあんたたち。

 ま、あたしだってもとの体なら釣り合いがとれる自信はあるけどさ。いかんせん体がないんだからしょうがないっていうか。

 もう一度腕時計に目線を走らせる。十一時四十五分。交代可能エリアに突入したのを確認してから、テディベアに夢中の夏波に気づかれないよう、そっとクマるんにささやきかける。


「ねえクマるん、ちょっとヤバイかも」


【へ? 何がヤバイんですか】


 わざとらしく切羽詰まった声を演出してみる……って、実際もうかなり切羽詰まってるんだけど。


「トイレに行きたくなっちゃったんだよね」


 クマるんはかっきりと凍り付いてから、【ええええええっ】と裏返った送信をよこした。


「ごめーん……朝方、なんか知らないけど喉乾いちゃって、水をがぶ飲みしたのがいけなかったみたい。どうする? 交代を回避したいなら、あたしがやってもいいけど……」


【いやいやいやいや僕が行きますよ。行きますけど……こ、このあと、どうすればいいんですか? 僕、女の子と遊んだことなんか一度もないんですけど】


「だいじょぶだいじょぶ、分かんないことがあったらあたしがちゃんとフォローするからさ、マジでゴメンね。悪いけど、三時間だけお願い」


 両手を合わせて拝み倒すと、柴崎泰広は不承不承といった感じで楕円の腕をあたしの方に伸ばす。


「ねーねーアヤカ、これカワイイと思わない?」


 タイミングよく、テディベアを抱えた夏波が嬉しそうに声をかけてきた。慌てて意識を集中し、いまいち逡巡している柴崎泰広の意識をクマるんの中から無理やり押し出す。


「アヤカ?」


 返事がないのを不審に思った夏波が、テディベアを抱きかかえて柴崎泰広に歩み寄り、訝しげにその顔を覗き込む。

 柴崎泰広は、引きつった笑みを浮かべながら一歩あとじさった。


「さ……佐藤さん、その、お、おはようございます」


 ただでさえ大きい夏波の目が、限界ギリギリまで見開かれる。


「……え? うっそ……あんた、柴崎? え、どうして? アヤカは?」


「いや、なんか朝に水を飲みすぎたとか言って……トイレに行きたいから交代しろって言われちゃったんです。すみません佐藤さん、せっかくアヤカさんと遊びに来たのに、僕なんかに代わっちゃって……」


 そう言って腰を折り曲げる柴崎泰広の茶色い頭頂部をあっけにとられて見つめてから、夏波は「ぷっ」と吹き出すと、肩を震わせてクスクス笑い始めた。


「やだ、アヤカってば……なにそれ。マジ笑える」


 呟くと、不安そうに自分を見つめる柴崎泰広に、笑いながらうなずきかける。


「分かった分かった。今はあんたでガマンしとく。ところで、トイレに行きたいんじゃないの? 行ってこなくて大丈夫?」


 言われてようやく思い出したのか、柴崎泰広はさっと表情を凍らせると、「じゃ、じゃ、じゃあちょっと行ってきます」と言い捨てて、いくぶん不確かな足取りで、かわいらしい女性店員のいるカウンターの方に歩いていった。



☆☆☆



 出すモノを出してすっきりした柴崎泰広が店に戻ると、夏波はまだ先ほどのテディベアを抱えて店内を見て回っていた。柴崎泰広に気づくと、くるりと振り返ってほほ笑む。


「すっきりした?」


「おかげさまで……失礼しました」


 柴崎泰広は頭を下げると、夏波の腕に抱えられたテディベアを緊張した面持ちでチラリと見やった。


「それ、買ったんですか?」


 夏波はテディに目を落とすと、小さく首を横に振った。


「欲しいんだけど、ついこの間、結構値の張る買い物をしちゃったばっかりで。これを買っちゃうとこのあとがつらいから、迷ってるんだ」


 名残惜しそうにテディを眺める夏波を見下ろしながら、柴崎泰広はゴクリと唾を飲み込むと、思い切ったように口を開いた。


「じゃあ、それ、か……買います、僕が」


 夏波は目をまん丸くして柴崎泰広を見つめ直した。


「え? ……いや、だってあんたたち、超赤貧暮らししてるんだよね? こんなモノを買う余裕なんかあんの?」


「バイトしてるんで、そのくらいなら大丈夫です。待たせちゃったお詫びってことで」


 柴崎泰広は顔を引きつらせて笑うと、戸惑っていいる夏波の手からテディベアを少々強引に奪い取った。

 チラリと値札に目をやり、一瞬カッキリと凍りついてから、すぐまた引きつった笑みを浮かべてみせると、いくぶんふらつく足取りでレジへ向かう。

 腰で揺れながら見やると、夏波が心配そうにその後ろ姿を見送っているのが見えた。


「こ……こんなんでよかったんですか?」


 ぎこちなく足を運びながら、柴崎泰広がどもり気味に問いかけてくる。


【うーん……ま、目的は達せられたけど、微妙だなあ。余計な心配をかけたらだめなんだってああいう時は。あんた、思い切り顔引きつってるし】


「だ、だって彩南さん、値札見ました? とんでもないですよコレ」


【ええ? たかがぬいぐるみだよね。そのくらいの大きさなら、せいぜい二,三千円ってとこじゃ……】 


 柴崎泰広が微妙に震える指先でテディベアにぶら下がる値札をつまみ、あたしに示す。

 燦然と光り輝く「16800」の文字を視界に捉えた途端、あたしの思考も凍りついた。


【……マジで?】


「マジですよ。女の子って、トイレに行って待たせたくらいでこんな値の張るお詫びをしないといけないモンなんですか?」


【い……いけないモンなのよ】


 抜けかけた魂を慌てて呼び戻し力強くうなずき返したものの、頭の中ではこのあとの金の使い方を忙しくシミュレートし始める。

 ああ、金がないってつらい……。



☆☆☆



「マジで大丈夫?」


 オシャレなカフェバーのオープンテラスでランチのパスタをつつきながら、夏波はこの日何度目かの同じ質問を繰り返した。

 全く、テーブルの下でこっそり財布の中身なんか確認してるから……あたしの計算ではここまではギリギリ出してあげられるって何度も言ってるのに。二十円しか残らなくても、カードがあればギリ電車にだけは乗れるんだから。

 西ちゃんの店ではしょうがない、水を飲んでごまかすしかないけどさ。


「だだだ大丈夫です」


 柴崎泰広は必死で引きつった笑みを浮かべながら頷くと、財布をしまってバジルソースパスタを無意味につつき回した。

 夏波は困ったように笑うと「ここはあたしがもつから大丈夫だよ」とアイスティーをストローでかき回しながら言う。柴崎泰広は慌てたように首を振った。


「いえ、なんかこういう時は男が払うモンなんだって、アヤカさんが……」


 夏波はアイスティーをかき回す手を止め、目を丸くして柴崎泰広を見つめ直した。

 柴崎泰広は言ってしまってから、「あ」と小さく呟いて顔色を失う。

 ああもう全くこのバカは!


「ふぅん……そういうことか」


 夏波は呟くと、クスクス笑いながら再びアイスティをかき回し始めた。白く輝く初夏の日差しが、琥珀色の液体に反射してキラキラ光る。


「どういうつもりなんだろうね、アヤカ」


「え?」


「……なんでもない」


 そう言うと、不安そうに自分を見つめる柴崎泰広を安心させるように、にっこり笑ってみせる。


「とにかく、ここはあたしが払うからってアヤカに言っといて。財布を空っぽにしちゃって、西崎ンとこでなにも頼まない訳にもいかないんだから。ね?」


 初夏の日差しを頬に受け、その笑顔は眩しいくらい輝いて見えた。

 わずかにかたむけられた首筋からつながる滑らかな肩の曲線と、大きくあいた胸元に際立つ鎖骨。

 柴崎泰広は一瞬、ドキッとしたように動きを止めた。


――およ?


 ややあって、意向を問うように怖ず怖ずとあたしに目線を流してきた柴崎泰広の頬は、ほんのり赤く染まっていた。


 へええ、さすが。やるじゃん夏波。

 この分ならあたしが特段策を弄しなくても、この件に関しては案外スムーズに進んでいくのかもしれない。

 なあんだ、あたしの出る幕なんかないじゃん。


 圧倒的な安堵感とともに、肩の力が一気に抜ける感覚を味わいつつも。

 一瞬、一人で先に帰りたい衝動に駆られてしまった。

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