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7.案外素直かもw

「うええ……」


 薄暗い洗面所のひび割れた鏡に映る自分、もとい、シバサキヤスヒロの顔を見ながら、黒ずんだ顎に恐る恐る手を当ててみる。

 手のひらを刺激する、ザラザラした感触。

 いやだああああああああ。何これ。


「ねえねえクマるん、ちょっと来てよ!」


 顎を撫でながら大声で呼び、しばらく待ってみるも音沙汰はなし。

 腐ってるな。

 仕方なくゴミ部屋に首だけ突っ込み、右隅の壁に向かって座るクマるんのどよーんとした後ろ姿に声をかける。


「ねえ、聞いてんの?」


【……何ですか】


「ヒゲ剃りってさあ、どこにあんの? ジョリジョリできしょいんだけど」


【そのままでいいじゃないですか】


「やだ、汚らしい。ついでに聞くけどさ、外出用の服ってどこにあんの? 今着てるのって寝間着だよね。着替えたいんだけど」


【……着替え?】


「そう。着替え」


 クマるんはようやくゆるゆると振り返った。


【そのままで大丈夫ですよ。それ、寝間着じゃないですから】


「ええ?」


 慌ててまじまじと着ている服を眺める。くたびれたスエットパンツと、しょうゆで煮染めたようなTシャツ。

 ……マジ?


「……あんたさ、もうちょっと服装とかに気を遣った方がいいかもよ」


【そうですか? とにかく、今うちにはそれ以外に着られるものはないですよ。あとは洗濯機に放り込んだゲロまみれのジーンズとTシャツくらいで。それに、もしあったとしても、僕と交代しなきゃ着替えられないでしょ】


 そりゃそうだけどさ。


「じゃあ、せめてヒゲ剃りくらい貸してよ」


【いいじゃないですかそのままで】


「い や だ! 電車とかに乗ったら絶対ヘンな目で見られる」


【ヘンな目で見られるのは僕なんですからいいじゃないですか】


 そりゃそうだけど、この体は現在あたしのものでもある訳で。

 てか、ややこしいな。

 クマるんはそんなあたしの内心など知る由もなく、斜め下からヘンな目つきでじいっとあたしを睨んでいる。ような気がする。


【そんなことより、どこまで売る気なんですか】


「何が?」


【だから、CDとか……】


「全部」


 完全に凍り付いたクマるんを横目に、手近なCDを一枚手に取りもてあそぶ。


「過去とは潔く決別しなさい。死んだも同然で生きるつもりなんでしょ。死んだらこんなものは聴けなくなるんだから」


 クマるんは黙ってじっとうつむいていたが、ややあって、絞り出すような送信をよこした。


【……そんなんだったら、今すぐ本当に死にますよ】


「命の砂が尽きてないのに?」


 懲りないねえ。おもわずやれやれと首を振ってしまった。


「また三途の川で追い返されるのがおちだと思うよ。まあ、別に再チャレンジしてもいいけどさ、今度はどうやって死ぬの? 手首切る? あれも現実問題死ねないらしいよね。部屋中血だらけになって終わりかな。首つりは成功率高いけど、死んだ後が凄まじいし。糞尿垂れ流しで体の色変わってさ。あの状態でもし死ねなかったら確実に病院のベッドにつながれて一生ベッドの上で過ごすんだろうけど、その入院費、どうやって払うつもり? 線路に飛び込むのも厳しいよね。万が一生き残った時の負債が半端ない。まさに生き地獄ってやつだけど、砂が尽きてなかったら、そうなる可能性はものすごく高いよね」


 いったん言葉を切り、クマるんの反応を見る。

 クマるんは軽く俯いたまま微動だにしていない。


「……ま、何にしても死ぬ時は先に言ってよ。即刻禁忌犯して三途の川に戻るから。そんなシーン見たくもないし、その後の負債を背負うのも嫌だからさ」


 死ぬ時は勝手に一人で死ね。

 マジでそう思う。

 せっかく生きられる命があるのに。

 あたしにはもう、そんなものはないのに。


「でも、もしあんたに少しでも生きる気があるなら、あたしはそのために労は惜しまないつもりだよ。てかさ、思い出の品を売るとか、普通の人はやらないよ。故人の思い出を踏みにじるとか、どう考えたって悪党じゃん。相手に憎まれるうえにこんな手のかかる面倒くさいこと、やりたがる人間なんか普通いないよ。あたしがその悪党の役をかって出てるのは、生きるために必要だと思ったから。生活資金を得て命を永らえることと、故人の思い出を大事にすることを秤にかけて、前者を優先すべきだと思ったから。ただそれだけの話」


 クマるんはゆるゆると俯いていた顔を上げ、黒いビーズの目をあたしに向けた。


「あたしは、あんたが命の砂が尽きるまでこの世界に大人しく踏みとどまるつもりがあるなら、あんたが安定して生きられるために全力を尽くすことを約束するよ。だって、あたしは生きたいから。あんたの体に入ってでも、この世界とつながっていたいから。あんたの生活を安定させることは、同時にあたしの生活を安定させることでもあるんだ。その点で、あたしたちは利害が一致してるんだよ。あんたの命の砂がいつ尽きるかはわからない。明日にも尽きるかもしれないし、十年、二十年後かもしれない。それがいつかわからない以上、あたしは、今できる最善を尽くすよ。それにはまず、ある程度まとまった生活資金を得ることが重要なの。あんたの家の財政状況は、思い出に浸ってゴミの山に埋もれててどうにかなるレベルを超えて危機的ってこと。アンダスタンド?」


 冗談めかして笑いかけるも、クマるんは相変わらず無言であたしを見上げているだけだ。まあ、仕方ないかな。


「もし、あんたの命の砂がこの先十年二十年先まで残ってるとしたら、ある程度将来的なことも念頭に置いて生活する必要があるよね。あんたは誰かに扶養されてる訳じゃない。あんたの母親がどこへ行ったかは知らないけど、出てったってことは一人で生きろって突き放されたってことでしょ。だったら、一人でも安定して生き延びられる方法を考えながら、今やっておくべきことをどんどんやっていかないと。まあ、どうせいつかは独り立ちしなきゃならないわけだし、その時期が数年早まっただけだから別に大したことじゃないけどね。ただ、とりあえず、高校は出といた方が絶対有利だと思うよ。生き延びるための選択肢の幅が、それだけでぐっと広がるから」


【……何か、聞いてると、彩南さんの考え方ってすごくじじ臭いというか】


「よく言われる」


 やっと口を開いたかと思ったらその言葉かよと思わず苦笑。てか、彩南さんて。


「何だろうね、生育環境の影響かな。生きるって、現実的でシビアな問題の連続って考えが染みついちゃってるんだよね。そういう問題を解決しつつ、自分の能力で得られる最大限の幸せを模索できればそれでOK、みたいな。そうやってコツコツ生きてるうちに、楽しいことも運が良ければそれなりにあるかもしれないし」


【夢も希望もない考え方ですね】


「まあ、なにをもって夢や希望と考えるか、ってことなんじゃない? 巷で喧伝されてるようなでかい成功なんて、実際問題ほんの一握りの運のいい人だけがつかみ取れる僥倖だよ。それを目指して必死に頑張る生き方だってもちろんありだろうけど、でも、そんなのをつかめるのはマジ一握りだってことも覚えておかないと、夢破れた時のダメージがヤバいことになるからね」


 そこまで一気に話し終えて、はたと気づいた。

 何熱くなってしゃべりまくってんだろ、あたし。

 でもま、言いたかったことは言えたな。


「で、どうすんの? 死ぬの? 死ぬっていうなら、あたしは今すぐ三途の川に戻るけど」


【え、いや……】


 クマるん……もとい、柴崎泰広は口ごもった。


【僕的には、死にたいんですけど……彩南さんのやりたいことがすむまでくらいなら、もう少しの間くらいは、生きててやってもいいかな、なんて】


 生きててやる? 恩着せがましいヤツだな笑

 でもまあいいか。言質はとれたわけだし。

 

「とりあえず、生きる気があるってことだね。なら、話は決まりだね」


【え】


「売るから、CDもおもちゃも、全部」


【ちょちょちょちょちょ、何でいきなりそうなるんですか】


「は? 話したよね、生きるためには生活資金が必要だって」


【いやいやいや、でも、だからって……死んだも同然じゃなくて、ある程度豊かに生きるためには、精神的な安定も必要なんじゃないんですか】


 ……まあ、それは確かに。


「分かった。じゃあ最低限、精神安定に必要な分だけ……そうだな、CD三枚分だけは残していいってことにしよっか」


【少なすぎます!】


「ええ……じゃ、何枚くらい必要なわけ?」


【に、……二十枚くらいは】


「はあ? 多すぎるよ。これから忙しくなるってのに、ゆっくりCD聴いてる時間がどんだけあると思ってんの?」


【え……じゃ、じゃあ十五枚で】


「五枚で十分だと思うけど」


【いやいやいや、せめて十二枚】


「うーん……大負けに負けて、八枚かな」


【十枚はゆずれません!】


「仕方ないなあ、じゃあ、十枚だけだよ。そのかわり、かさばるおもちゃ類は全部売らせてもらうから。了解?」


【……わかりました】


 交渉成立。にやり。

 当初の思惑より減らせそう。こいつ、案外素直かもw

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