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69.確かにそうだ

「そんなことがあったんだ」


 柔らかな日差しが降りそそぐ屋上の一角。階段に腰掛けた夏波が、サンドイッチを手にしながら感心したように頷く。


「うん。でもまあこれで取りあえず、この先もあいつらがあれこれ言ってくることはなくなると思うから、ひと安心って感じかな」


「そっか、確かにあのまま放置してたら、あいつら絶対にリベンジしかけてきたからね。釘を刺しておかなかったら、もっとヤバいことになってたかも。その辺のことにまで気が回るのも、苦労人ならではの状況判断ってわけか……。ありがと、アヤカ。あたしなんて、あれですっかり終わったつもりになってたから、助かったよ」


 ……いやまあ、あたしもあれで全て終わったと思ってて、柴崎泰広がその先の危険についてあれこれ考えてたことについてはかなり感心したんだけど、それは言わないでおくことにしよっと。

 夏波の足元で鉄柵にもたれながら、そしらぬふりで西ちゃん手製の一口お握りを頬張っていると、そんなあたしの右隣に座る西ちゃんが、なるほどと言いたげにうなずいた。


「そっか、だからあん時、慌てて走って行っちゃった訳か」


 自作のピーマンとジャコの炒め物をひとかたまり口に放り込んでから、不思議そうに首をかしげる。


「でもさ、なんで柴崎、アヤカと交代しちゃったわけ? 武勇伝、本人の口から直接聞きたかったのに」


「いや、あいつ的にもあれは相当な精神的負担だったらしくて、今ぐっすりおねんね中。ま、昨夜あんま寝れてなかったみたいで、そのせいもあるんだけど」


「ゆうべ? なんで?」


「分かんないけど、あんたがいるから気になってたんじゃん? 寝込み襲われるんじゃないかとかさ」


 フライドチキンを口に運びかけていた夏波が、けげんそうに眉を中央に引き寄せた。


「……何その発言。てかさ、あんたたちなんで二人とも同じ弁当の中身なわけ?」


 ドキ。よく見てんな。


 思わず蓋で弁当を隠したあたしとは対照的に、西ちゃんは得意げな笑みを満面に咲かせて夏波に向き直った。


「むふふふー、知りたい? 実はね夏波、いろいろあって俺たち今、同・棲、してんのw」


 口に入れたご飯を吹きそうになってしまった。 


 ……ちょちょちょちょっと待てなにその思いっきり誤解を誘う表現は!


 吸い込んだ米粒が気管に入り思いっきりむせるあたしの隣で、あんぐりと口を開けて機能停止していた夏波は、ややあって、わずかに開いた唇の隙間からかすれた声を絞り出した。


「いや、同棲って……あんたたち、いつの間にそんな関係に……」


「いやいやいやいや違うって夏波。ちょっと西ちゃん、その言い方問題ありすぎだよ? 誤解されるような表現やめてくれる?」


 必死で否定しまくってから、夏波に精いっぱいの笑顔を向ける。相当引きつってるんだろうけど。


「あ、あのね夏波、実はあんまり大きな声では言えないんだけど、西ちゃん今、家出中なの。そんで、泊まるところがないっていうから、紆余曲折はあったけど、お母さん公認でしばらくウチに置いてやることになったって、ただそれだけの話だから。誤解しないで……」


 必死の弁解もむなしく、夏波はあたしにカチカチに凍ったシャーベットさながらの冷え切った視線を投げてくる。


「……それって微妙に言い方変えてるだけで、実質的に同棲だよね?」


「だだだだだだってあたしシバサキヤスヒロの体だし」


「そんなの関係ないでしょ、こいつバイだもん」


 そう言うと、首を巡らせて西ちゃんを睨む。

 凍った視線の切っ先を突き立てられても、西ちゃんは毛筋ほども気にしていないらしい。相変わらず顔中にニマニマ笑いを満載しながら嬉しそうに頷いた。


「助かったよー、それ、親にはまだカミングアウトしてなかったからさ。もししちゃってたら、絶対に止められてたもんな☆」


「ちょちょちょちょっと待って西ちゃん、昨夜と全然話が違わない? 柴崎泰広本体が言ってたとおり、そんなんが目的でウチに滞在するっていうんなら、即刻契約は解除するよ?」


 いきり立って反駁したあたしを見上げて、西ちゃんは不思議そうに首を右に傾けた。


「別に違うことは言ってないと思うけど?」


「言ってるって。昨夜はあんた、柴崎泰広を立ち直らせるために協力してくれるって……」


「そのために必要なことだからさ」


「は?」


 疑問符だらけで機能停止したあたしと、腑に落ちない表情で眉根を寄せている夏波に笑いかけると、西ちゃんは口元に運びかけていた箸を下ろした。


「アヤカさ、初めて俺と夏波に多重人格だって告白した時、俺に柴崎が何て言ったか覚えてる?」


 突然ふられて、一瞬記憶が混乱した。

 思い出せずに戸惑っていると、視界の端で夏波が小さく頷く。


「あの時でしょ。校舎裏のビオトープに呼び出した時」


「そうそう」


 あの時か。

 ようやく思い出して頷いたあたしに、西ちゃんは意味ありげな笑みを投げる。


「あの時、柴崎は俺に、『僕に指一本触れるな』って言ってたの。覚えてる? その後でアヤカのことも言及はしてたけど、まず真っ先に守ったのは自分。まあ、当然っちゃ当然なんだけどね。あの頃のあいつは、今よりはるかに症状が強かったみたいだし」


 そういえばそうかも。しかし、よく覚えてんな。

 あの頃のあいつはやっと電車に乗れるようになって、クマるんに入ってなんとか学校に行き始めたばかりで、学校で交代するのですらものすごく嫌がったりしてて。

 でも、それがいったいなんだって言うんだろう?

 西ちゃんは面白くてたまらないとでも言いたげにクスクス笑いながら言葉を継いだ。


「それがさ、さっき廊下で話した時は、真っ先に『アヤカの時は絶対に手を出すな』に変わってんの。気づいた?」


 ……あ。確かに。


 もちろんあのビオトープの時も、自分のことを出したあとに補足的にあたしに手を出すなとは言ってくれてた。でも、まずは自分の安全確保が第一で。

 しかも今回、柴崎泰広は、この約束を守りきったあかつきには西ちゃんとキスするなんていうとんでもない条件までのんでいる。もちろん、そうならない自信があればこそなんだろうけど、確率が低いとはいえ自分の身に危険が降りかかる可能性もあるのに。


『なんなんですかそのお気楽な言い種は! いったい誰のためにこんなとんでもない約束をさせられたと思ってんですか!』


 いきり立って叫んでいた柴崎泰広の顔が思い浮かぶ。


「柴崎って、アヤカを守るためならかなり無理が利くんだよな。あの頃に比べたら相当に症状も改善してきてるし。あの時、トイレが近くにあったんで試しにやってみたけど、アゴを持ち上げるなんていう濃厚接触をしても、吐かなかったし気も失わなかった」


 ホントだ、確かにそうだ。

 てか、西ちゃんがそこまで考えて行動していたなんて全然思わなかったから、それもびっくりした。


「さっきの話からして、極限状態で緊張したり気を張ったりしてると発症しにくいこともわかったし。アヤカと緊張と極限状態、この三種の神器が、あいつの男性恐怖症を克服させるかなり大きなポイントだと俺は思うね。これをうまく使えば、解離性同一性障害はともかく、男性恐怖症の克服は何とかなるんじゃねえの?」


 言葉を切ると、西ちゃんはあたしを見てニッと笑いかけた。

 その笑顔に後押しされて、怖ず怖ずと問いかけてみる。


「……じゃあ、あの「ごほうびのキス」って約束も、ひょっとして、柴崎泰広を緊張させるためにわざと出したとか?」


 西ちゃんは爽やかな笑顔で、やけにキッパリと首を振った。


「いんや、アレは単なる俺の願望w」


 ……は?


 言葉を返せずにいるあたしを後目に、西ちゃんはコロコロと笑いながらインゲンのベーコン巻きを口に放り込む。


「だってさー、俺だって人間だし、ちょっとはうまみないとやってられないっしょ? 百パーセントボランティアやれるほどできた人間じゃねえし、お楽しみのひとつやふたつあったって、罰は当たらねえって☆」


 あっけにとられて機能停止していると、会話に耳を尖らせていた夏波がそこでようやく口を開いた。


「ねえアヤカ、ゴメン、あたし全然話が見えないんだけど」


「……あ、えっとね、要するにあたしが西ちゃんに頼んだんだ。男と暮らすこの機会に、柴崎泰広の男性恐怖症を何とか克服させてやってほしいって」


 夏波は口元に運びかけたプチトマトもそのままに目を丸くしていたが、やがて意味ありげな笑みを口の端に浮かべた。


「ふーん……そんなこと頼んだんだ。でも、本当にそんな繊細な仕事、西崎みたいなのに頼んじゃっていいの? すんごいことになりそうな気がするんだけど」


 心もち低い声で紡がれたその言葉に、ドキリとして箸が止まる。


「な……何? すごいことって。西ちゃん、あたしが中に入ってる間はこの体に触れないって柴崎泰広本体とも約束もしてるし、別に……」


 夏波はクスクス笑いながら、意味ありげな目線を西ちゃんに流す。


「さあ、それはどうだか。なにせ相手は西崎だからね。目的のためには手段を選ばないからこの男は」


「何だよ夏波、人聞きの悪い」


 西ちゃんは心外とでも言いたげに大げさにふくれて見せたが、その口元は微妙に笑っているようにも見えた。


「だ……大丈夫だよ。夏波の懸念はわからないでもないけど、今回、西ちゃんは肩身の狭い居候の身だから。追い出されたくないだろうし、そうそうめったなことはできないと思うよ」


 その笑みに何となく嫌な予感を覚えつつも、あえてそう断じると、薄切り肉をキレイに重ねて作られたカツを頬張る。グラム八十八円で買った薄切り肉とは思えない仕上がり。こんなおいしい料理を作れる人間が、そこまで非常識なことを考えるわけがない。よく考えれば料理のうまさと人間性に何の関連性もないのだけれど、その時はなぜかそう思った。それほどおいしいカツだったのだ。


「じゃ、そゆことでアヤカ、ご協力のほど、ヨ・ロ・シ・ク☆ 柴崎の明るい未来のために、いっしょに手に手を取ってがんばろうな☆」


「う……うん」


 西ちゃんの屈託のない笑みにつられて頷くと、視界の端で夏波が、ニヤリと頬を引き上げて意味ありげな笑みを浮かべるのが見えた。

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