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63.見ようとしてくれてるってこと?

 朝の光に薄明るく照らし出された昼なお暗い台所。

 中央に置かれているのは、年季ものの丸テーブル。向かい合わせで座るあたしと西ちゃんの目の前には、ツナのオムレツにコールスロー、ミネストローネにコーヒーがおいしそうな湯気を立てている。買い置きしておいた安っぽいロールパンが、やけにさまになって見えるのはなぜだろう。

 寝間着代わりに貸した黒のTシャツとカーゴパンツ姿の西ちゃんは、小窓から差し込む光を背に優雅な所作でコーヒーをすする。


「西ちゃん……朝から張り切りすぎじゃない?」


「そぉ? このくらい食べないと大きくなれないよー」


 西ちゃんは湯気の向こうでほほ笑むと、向かいの席に腰を下ろしたあたしにロールパンをひとつ差し出した。

 

「ありがと」


 腰の辺りから険悪なオーラを感じつつも笑顔でパンを受け取ると、西ちゃんは空いた手でフォークを取り、オムレツをつつき始めた。


「あとでアイロン貸してくれる? 昨夜洗ったワイシャツが生乾きだからアイロンかけないと」


「アイロン……あると思うけど、替えのシャツとか持ってこなかったの?」


「うん忘れた。てか学校行くつもりがなかった」


 当たり前のように頷いてみせるので、思わずため息が漏れた。 


「巨大な荷物を抱えてた割に、あんたって必要なモノなんにも持ってないよね。寝間着も下着もないとか言ってさ。だとしたらあのバッグ、いったい何であんなに膨らんでんの?」


 西ちゃんはパチパチ目を瞬かせると、頬をいっぱいに膨らませたまま首をかしげた。


「昨夜言わなかったっけ? 道具」


「え、洗濯やら何やらでバタバタしてて聞き流してたかも……何それ、道具って」


「俺の大事な道具タチ。見る?」


 食べかけのロールパンを放り出すと、西ちゃんはあたしの返事を待たずに立ち上がり、居間から重そうなスポーツバッグをズルズルと引きずってきた。


「じゃんじゃじゃーん」


 側に行き、クマるんとともにバッグの中を覗き込む。

 脳天気な効果音とともに開かれたチャックの奥に見えているのは、銀色に輝く丸やら四角やらの金物類。


「これ……なに?」


「俺の宝物たち。凄いでしょー、結構いいモノそろえてんだぜ、ほらこのクグロフ型なんかプロ仕様だから型離れ感動的にいいし、あとこれ、この圧力鍋は優れものだよ、蒸しパンなんかあっという間にできちゃうんだから」

 

 バッグから次々取り出される調理器具に目を白黒させつつ、とうとうと語られる道具たちの説明の間に、湧いてきた疑問をなんとか差し挟む。


「あ、あのさ西ちゃん、そのでかいバッグに入ってるのって、もしかして全部……」


 言い終えるのを待たずして、西ちゃんは深々と頷いた。


「うん。俺が二年間のバイト代を全てつぎ込んでそろえた、命より大事なお菓子作りの道具タチ。凄いだろー、プロ仕様だから結構値段はる物も多いんだぜ。ま、クッキー型とか百円ショップモノもあるけどさ☆」


 ……マジで?


 古くさい板の間にみるみるうちに広がっていくケーキ型にハンドミキサー、はかりに粉ふるい、のし台にめん棒、ケーキ用ナイフにパレットナイフ、回転台に種々の口金をぼうぜんと眺めていると、西ちゃんはふいにクルリと首を巡らせてあたしを見上げ、にっこり笑った。


「ウチに置いといたら間違いなく捨てられちまうからさー。こいつらを救い出すのに夢中で服とか全然頭になかった。ゴメンな、お詫びに今度クッキー焼いてやるから」


 そんな笑顔で屈託なく言われると、怒りたいもんも怒れなくなっちゃうじゃん、全くもう。


「……分かった分かった。ウチの電子レンジオーブンじゃ大した出力ないから思ったように作れないかもしれないけど、いつかお願いするよ。それより早く朝飯食べちゃおう。シャワーに入るために柴崎泰広と交代する関係で、先に家を出ておいてもらいたいから」


 西ちゃんは道具をバッグにしまう手を止めると、キョトンとした表情であたしを見上げた。


「いーけど、……何でわざわざ交代? アヤカが入れば済むことじゃん」


「なに言ってんの。いくらあたしでも、さすがに柴崎泰広の全裸はキツイって。あいつだっていやだろうし」


 西ちゃんは不思議そうに首をかしげたが、やがてクスッと笑みを漏らした。


「アヤカって、マジで女の子なんだな」


 その発言に一瞬、呼吸が止まってしまった。


「……な、何それ。どういう意味?」


「いや、柴崎の中に女の子が入ってるってのはさ、頭では分かってるんだけど、やっぱ改めてそうなんだなって思う瞬間があったりするんだ、どうしてもさ」


 西ちゃんはこともなげにそう言うと立ち上がり、まん丸く膨らんだスポーツバッグを引きずって居間に向かう。

 なぜだかすぐには動けなくて、その後ろ姿をぼんやり立ち尽くして見送った。

 腰にぶら下がるクマるんは、そんなあたしをじっと見上げているようだった。



☆☆☆



 七時十五分、教科書もカバンも持たない西ちゃんは紙袋に弁当を詰めて、爽やかに手を振りながら一足早く学校に行った。

 玄関扉が閉まると同時にクマるんと交代し、シバサキヤスヒロの中に入った柴崎泰広にシャワーに入るよう指示したら、なんだか急に疲れを感じた。どこかに座りたい気がして、何となく薄暗い居間に向かう。

 クマるんになってしまうと特にすることもない。というか、片付けも掃除も西ちゃんが完璧にやっていってくれたから特段やるべきこともない。全く、あの家事能力の高さはいったいどこで身に付けたモノやら。

 薄暗い居間の片隅にぺたりと座ってすすけた天井の節目をぼんやり眺めるうちに、ふと、先ほどの西ちゃんのセリフが頭によみがえってきた。


『アヤカってホントに女の子なんだな』


 素直な感想だと思う。

 西ちゃんにとって、あたしはあくまで「柴崎泰広」の分離した別人格。ある程度別個に存在を認めてくれているとは言っても、それはどうしたって超えられない壁。

 ましてや、彼の知っている「水谷彩南」とあたしはまるっきり別人として捉えられている。接点はわずかに「小学校時代の知り合い」というだけ。


 彼にとっての「アヤカ」は、シバサキヤスヒロの姿でしか想起されることはない。

 背中まで届く長い髪も、カールした長い睫毛も、すでに「あたし」を表す記号ではないんだ。


 呼吸なんかしていないはずなのに、なぜだか息苦しさを覚えてため息をつきたくなった。

 短い足を必死に抱え、大きな顔を楕円の腕に無理やり埋める。


「どうしたんですか彩南さん、そんなところに座り込んで」


 埋めた顔を少しだけ上げると、制服姿の柴崎泰広がタオルで髪を拭きながら入口から顔を覗かせていた。


【……別に】


 そっけなく答えて反対側に顔を背ける。

 柴崎泰広はそんなあたしを黙って見つめているようだったけれど、やがてみしみしと畳を踏む音が響いた。石けんの香りが、湿ってカビ臭い和室にふんわりと満ちる。

 柴崎泰広はあたしの目の前に、タオルで頭を拭きながらしゃがみ込んだらしい。隙間から、裸足の足と上下に動くバスタオルの端が見える。


「何か元気がない気がするんですけど。交代した後もほとんど喋らないし」


【……クマるんじゃ、基本的に音声で喋れないじゃん】


「ていうか、送信でも……」


【あんたには関係ないでしょ】


 すげない返答に、柴崎泰広の言葉が途切れた。

 互いに無言のまま、数刻が過ぎる。 

 髪とタオルが擦れ合う微かな音と、柴崎泰広の息づかいだけが居間の空気をわずかに揺らしている。

 ふいにその空気を、ぽつりと紡がれた言葉が揺らした。


「僕のイメージでは、彩南さんはれっきとした女の子です」


【え?】


 唐突な発言に虚をつかれて、思わず重い首をもたげて見やると、思ったより至近距離に柴崎泰広の顔があってドキッとした。

 メガネの奥にある切れ長の瞳が、心なしか心配そうにあたしを見下ろしている。


「髪が長くて目がくりっとしてて、芝沢の制服を着てる女の子のイメージです」


 ……マジ?

 思わず膝を抱えていた腕を解き、身を乗り出して聞き返す。


【……もしかしてあんた、あたしの姿、見たことあるとか?】 


「いや、ないです」


 みじんの躊躇いもなく即答され、コントっぽくずっこけそうになってしまった。

 

【何それいい加減すぎて草】


 ムッとしながら言葉を返すと、柴崎泰広は慌てた様子で首を振った。


「あ、いや、でもまるっきり想像って訳じゃないです。ほら、この間学校で話してくれたじゃないですか、彩南さんがどんな子だったかって……アレをもとにしてるんです。それに」


【それに?】


「おぼろげながら僕にもイメージがあるんです。あの時、三途の川で見た彩南さんのイメージが」


 動きを止めて柴崎泰広を見つめ直した。

 三途の川。

 あたしも確かにあの時、あそこで柴崎泰広を見た。


 でも、あの時見たものは全てがセピア色の霧に包まれていておぼろげだ。夢を見いた時と同じ。その場でははっきり見えているようで、いざ目を覚ましてみるとぼんやりしていてよくわからない。あたしがあの時のこいつのイメージを明確に持てているのは、現実世界でその姿を目の当たりにしているからだ。おじさん……佐藤夏波の父親にしてもそうだ。あの時、祭壇に掲げられていた写真の姿を見ているから、はっきりしたイメージをもてているだけで、そうでなければ角刈りなのか七三分けなのか、ヒゲを生やしているのかすら定かでない。

 

【三途の川ったって……はっきり覚えてる訳でもないのに】


「だからあの時学校で聞いたんです。おかげでイメージがけっこう固まりましたよ。まあ、僕の作り上げた手前勝手なイメージって言われたらそうなんですけど」


 柴崎泰広はそこまで言うと、髪を拭く手を止めた。

 どこか寂しげに目線を落とし、まるで独り言のようにぽつりと呟く。


「……このイメージが本当に当たってるのかどうか、確かめてみたい気はしてるんですけどね」


 心臓なんかあるはずもないのに、一気に鼓動が早まった気がした。

 ドキドキして息苦しくて、そういう感覚の記憶に思考を支配されて身動きがとれない。


 こいつは、見ようとしてくれてるってこと?

 クマるんでもシバサキヤスヒロでもない、水谷彩南としての、あたしを。   


 突然、頭上で微妙に調子の外れた音が鳴り響いた。

 はっとして顔を上げると、柱にかかっている古くさいぼんぼん時計が、弱々しく七時三〇分を告げたところだった。

 いや待て、この手巻き式時計は確か十五分くらい遅れていたはず……。


【柴崎泰広、時間!】


 弾かれたように立ち上がった柴崎泰広は、あたしの裏返った送信が終わらないうちに居間を飛び出した。

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