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54.最高の気分だよ

「今日もお手製の弁当?」


 屋上の片隅、一段高くなったところに腰掛けた佐藤夏波は、風に吹き散らされる髪をかき上げながら、右隣に座っている柴崎泰広の弁当箱を高い位置から覗き込んだ。

 柴崎泰広は戸惑い気味に佐藤夏波を見上げる。


「何で知ってるんですか」


「西崎に聞いたの。柴崎は毎日自分で弁当作ってるって。へー、もしかして、唐揚げも冷凍じゃなくてちゃんと揚げてんの? 偉いじゃん」


「いや……冷食買う金がないんで。あらかじめたれに漬け込んで凍らせておけば、そんなに手間もかからないし」


「へええ。工夫してんだ」


 感心したように呟いてから、口の端でイタズラっぽく笑う。


「それもアヤカ直伝?」


 柴崎泰広はドキッとしたように動きを止めてから、小さく頷いた。


「ふーん……」


 佐藤夏波は太巻きを口に入れてしばらくはモグモグやっていたが、視線を遠くの街並みに向けながら、ふいにぽつりと口を開いた。


「アヤカって、柴崎にとってどういう存在なわけ?」


「……え?」


 思いがけない質問に、柴崎泰広は口に運びかけていた唐揚げをポロリと箸から取りこぼした。

 佐藤夏波のポケットからそっと顔をのぞかせていたあたしも、思わず思考停止してしまう。


「ど、……どういう存在って……どういう意味ですか?」


「別に。言ったとおりの意味」


 佐藤夏波はちょこんと首をかしげると、好奇心旺盛な小動物のような表情で柴崎泰広を見下ろす。

 箸を右手に凍り付いていた柴崎泰広は、ややあって、ぎこちなく口を開いた。


「……いや、どうと言われても……アヤカさんは、アヤカさんで」


「ていうかさ、自分の中の別人格って、まるっきり分離した別の人格な訳でしょ。そういう相手を自分の中でいったいどう位置付けてるんだろうって興味があるんだ。しかもあんたの場合、別人格に交代している間の出来事も主人格のあんたがちゃんと把握できてるわけだよね。解離性同一性障害でも、けっこうレアケースのような気がするんだけど」


 そりゃそうだ。なにせ、三途の川で知り合った正真正銘全くの別人格なんだから。


「あたしは何度かアヤカと会話してるけど……正直、かなりひねくれた性格を感じるんだよね。どういう過去を引きずってる設定か知らないけど、考え方がゆがんでるっていうか。そんな危ないヤツが、あんたの中でどんなふうに位置づけられてるんだろうって不思議に思ったわけ。一度ならず被害にも遭ってるし」


 ほっとけタコ。

 その言葉に、柴崎泰広は慌てて頭を下げた。


「そ……その節は、本当にいろいろと、ご迷惑をおかけして……申し訳なかったです。すみませんでした」


 佐藤夏波はキョトンとしてから、耐えきれなくなったようにプッと吹き出した。


「それそれ。なんか見てると、柴崎ってアヤカの保護者みたいなんだよね」


 は? ……保護者?

 それって正直真逆なんですけど。

 柴崎泰広も同感だったらしく、目をまん丸く見開いてから、困ったような顔でかぶりを振った。


「そんなことないですよ。僕がアヤカさんに助けらる場面の方が圧倒的に多いし」


「そう? いたずらした子どものために頭下げて回ってる親みたいだよ? どう見ても、アヤカが柴崎に守られてるって」


 そう言うと目線を中空に泳がせて、心なしか楽しげに付け足す。


「守られてるっていうか……そうだな、癒されてる、って言った方が近いかな」


 癒やされてる? あたしが、柴崎泰広こんなやつに?

 何言ってんのこの女。訳分かんない。

 柴崎泰広もよほど思いがけない言葉だったのか、あっけにとられたように数刻ポカンとしてから、困惑しきったような笑みを浮かべた。


「いや、そんなことないですって……多分、アヤカさんは毎日僕に苛ついてますよ。ふがいないヤツだって。自分でもそう思うし」


 そう言って目線を落とす柴崎泰広を、佐藤夏波は見透かすような目でじっと見つめた。


「ふがいないの?」


「ふがいないですよ。男性恐怖症の引きこもりで生きる気力もやる気もないし、生活能力もなければ対人スキルもゼロ、その上、一般常識すら満足に知らないんですから」


 なんだ、案外自分のことは客観視できてんじゃん。

 でもまあ、最近は随分マシになってるんだけどね。

 心の中でうなずいていたあたしの聴覚を、佐藤夏波の冷酷な声が突き刺した。


「じゃあ、アヤカはあんたのことを嫌ってるんだ」


 心臓もないのにドキッとして、再び思考が停止した。

 柴崎泰広はうつむいたまま、いくぶん小さな声でそれに答える。


「……そこまでとはさすがに思いたくないですけど、うっとうしいのは確かじゃないかな」


「ふーん……で、あんたはそんなアヤカのこと、ぶっちゃけどう思ってんの?」 


 柴崎泰広は目を大きく見開いて顔を上げた。

 機能停止して自分を見つめている柴崎泰広に、佐藤夏波はいたわるような笑みを投げる。


「ま、自分のことをうっとうしがってるような相手にいい感情をいだけって方が無理とは思うけどね。難儀だよね、そんな嫌な相手と肉体共有しなきゃならないなんて。治療が可能かはわからないけど、一度ちゃんと病院に行って、診断つけてもらった方がいいんじゃない?」


 凍り付いてしまったあたしの意識に、佐藤夏波の冷酷な言葉が容赦なくザクザク突き刺さる。

 同時に、胸の奥底の暗い場所から湧き出るように響いてくる、例のあの声。


――オマエハモウ、必要ナイ。 


「僕は……」


 ややあって柴崎泰広は、絞り出すように声を発した。


「僕にとってのアヤカさんは、好きとか嫌いとか、そういうレベルで言える存在じゃすでにないというか……」


「じゃあどういう存在なわけ?」


 しばらく考えあぐねるように口の中でモゴモゴやりながら目線を泳がせていた柴崎泰広は、ややあって、ぽつりと口を開いた。


「……なくてはならない存在」


 佐藤夏波に気づかれてもおかしくないくらい、強く体が跳ねた気がした。

 そのくらい、その発言にドキッとした。


「うわ、キモ」


 鼻にしわを寄せて佐藤夏波が呟くと、柴崎泰広は恥ずかしそうに身を縮めた。


「すみません、確かにキモいですね。自分でもそう思います。ただ、どう考えても彩南さんは僕にとって、なくてはならない存在としか言いようがないので……」


「アヤナ?」


「……あ、いえ、アヤカさんですアヤカさん」


 慌てふためいて訂正すると、再び目線を弁当箱に落とす。


「アヤカさんのおかげで、僕はここまで社会復帰をすることができた。アヤカさんがいなければ、きっと今頃、あの汚い家で餓死してただろうから……本当に、言葉では言い尽くせないくらい感謝しています」


 佐藤夏波は不可解だと言わんばかりに首をかしげる。


「でも、あんたはすでに通学できるくらい社会復帰してるわけだよね。だったら、普通に考えて、もうアヤカなんて必要なくない?」


 胸の奥の黒い塊が、ズンと重みを増した。

 呼吸なんかしていないはずなのに、息苦しい気がして視界が狭まる。

 あの黒い感情が、佐藤夏波の言葉をなぞるようにささやきかけてくる。


――オマエハモウ、必要ナイ。


「そんなことはないです。まだまだですよ」


 そう言ってかぶりを振ると、柴崎泰広は穏やかな表情を浮かべた。


「それに、僕はまだ、アヤカさんに何も返せてないですし」


「……返す?」


「はい」


 ポケットから顔を出しているあたしに目を向けると、照れ隠しのように笑ってみせる。


「アヤカさんには、絶対にいつか恩返しをするつもりなんで」


……ねえ、マジで言ってるの、それ。 


 そう聞き返したい思いを満タンに込めて、白い歯をのぞかせている柴崎泰広を見つめる。

 眼鏡の奥で、少しだけ恥ずかしそうに細められている、優しいまなざし。

 そのまなざしに包まれるうちに、胸の奥の黒くて重いわだかまりが、みるみるうちに溶けて消えていくのがわかった。

 佐藤夏波はあきれ果てたように肩をすくめた。

  

「なにそれ。恩返しって、ツルじゃあるまいし……はたでも織る気?」


「いや、何をすればいいかは正直まだよく分かんないんですけど……今度、アヤカさんに聞いてみます。何をしてほしいか」


 反論する気もうせたのか、佐藤夏波はぶぜんとした表情で黙り込むと、心なしかやけ気味に太巻きを口に放り込んだ。

 完全にあたしの存在から注意がそれているのが分かる。


 ありがと。

 ありがと、柴崎泰広。

 あたし今、最高の気分だよ。

 なんか知らないけど、やけにやる気が出てきたよ!


 背筋を伸ばして、頼りない楕円の足に精いっぱいの力を注ぎ込む。 

 

 ……いくよ、柴崎泰広!


 気配に気づいた柴崎泰広が、ハッと顔を上げた、刹那。

 楕円の足で力いっぱい制服のポケットをけり飛ばすと同時に、思い切り頭をそらして、重い携帯を引きずり上げる。

 佐藤夏波がはっとする間もなく、あたしは携帯とともに屋上のコンクリート上に投げ出され、大きく跳ねて二転して、柴崎泰広のすぐそばに落ちた。

 弁当を放り出した柴崎泰広が、転がったあたしに手を伸ばす。

 佐藤夏波も、白い指先を携帯に向けて精いっぱい伸ばす。

 佐藤夏波の指先が携帯に触れたのと、柴崎泰広の指先があたしの楕円の足に触れたのは、ほぼ同時だった。

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